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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第五章

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92、最後の一年⑥

 人間、予想の範囲外のことが起きると、どうやら頭は真っ白になって固まる以外のことが出来なくなるらしい。

 目の前の情報を必死に処理しようと、脳みそが高速回転するも、空回りしてばかりで、意味のあることを考えられない。

 目の前に跪き、熱っぽい視線を向けてくる真夏の空のような、透き通った紺碧の瞳。陶磁器のように白く抜けるような肌を持った、華やかなシャンパンゴールドの髪色の美丈夫が、完璧な笑みを湛えている。捧げるようにして手にしている薔薇の花束は、妖精とやらに庭園の準備をさせたときに一緒に用意するように頼んだのだろうか。

「――――……へ……?」

 たっぷり数呼吸は時間を空けた後、結局、何も情報を処理することが出来なかった脳は、酷く間抜けな声を上げさせることしかできなかったらしい。

 いつも、必要以上に大人びている表情は鳴りを潜めて、歳相応の少女らしい表情に目一杯困惑の色を浮かべ、翡翠の瞳が惑うように大きく揺れる。

 混乱が極まったミレニアに出来ることは、一つだけだった。

「ロ……ロロ……?」

「……俺に助けを求められても、困ります……」

 縋るようにこちらを向いた翡翠の瞳を見下ろして、ぎゅっと眉根に皺を寄せた後、ロロもまた困惑したように言葉を返す。

 ミレニアの命を脅かす外敵からはいくらでも守ってやれるが――こういう分野に関しては、完全に門外漢だ。

「帝国では、男の求婚に対して、どのように返事をなさるのですか?」

「えっ!?きゅ、求婚――求婚、だなんて、貴族にはありません!」

 驚いて少しひっくり返った声でミレニアが反論する。

 貴族たちにとって、結婚は家の勢力を効率よく伸ばしていくための手法でしかない。結婚とは、互いの恋愛感情で結ばれるものではなく、互いの家同士の協議によって結ばれるものだ。親子ほど歳が離れていても、親同士が了承すれば、簡単に婚姻は成る。帝国貴族に取って、結婚など、紙切れ一枚の契約でしかないのだから。

「なんと……性愛に溺れることを禁じ、一夫一妻制を義務付けているエラムイドと異なり、帝国では一夫多妻制が当たり前のように根付いていると聞いていたので、さぞ恋愛に関しては奔放かつ自由なのだと思っていましたが――」

「そそそそ、そんな無責任なことしません!」

 確かに帝国では、何人も妻を囲うことは法律上何の問題もないが、一つ一つが大切な契約であることに変わりはない。何番目の妻だろうと、きちんと家同士の契約が必要になる。基本的には、そこに、ロマンだのなんだのは存在しない。

 当然、胸を焦がすような身分違いの恋愛、などというものも、存在しない。したとしても、結局、”愛人”という名のもとに身体の関係を繰り返す不貞行為以上には発展せず、婚姻関係という契約を結ぶことは出来ないのだ。

「では、ミレニア姫。貴女のお気持ちを、素直にお言葉に乗せてください。――私と、結婚してくださいますか?」

「な――な、なな――!」

 目を白黒させて、ミレニアは声にならぬ声を紡ぐ。ずぃっと目の前に花束が差し出された。――受け取れ、ということだろう。

「っ……!」

 混乱しきった先、ミレニアが取った行動は――

「――……姫」

「っ……だ、だって、だって、だって……!」

 いつものように左斜め後ろに控えていた黒衣の護衛兵の背後へと身を隠し、ぎゅぅっとマントを握り締める。

 普段からは考えられない、まるで幼子のような主の行動に、ロロは小さく嘆息する。

「……主が困っている。……一体これは何のつもりか、説明をしてくれ」

 仕方なく、ロロはミレニアを背に隠した体勢のまま、主の代わりにクルサールへと問いを発した。

「ふっ……優秀な番犬は、主の伴侶の選別も行うのですか」

 クルサールは吐息で嗤った後、嘆息して立ち上がる。どうやら、跪いて愛を乞う姿勢だけは解いてくれたようだ。パンパン、と膝についた土を軽く払いながら、口を開く。

「何のつもりも何も――いったでしょう。ミレニア姫を、愛しく思っているのです」

「…………」

「ふっ……信じていない、という目をしていますね?」

 ロロの訝し気な視線を受けて、クスクス、と可笑しそうに笑い声を漏らす。

「本当ですよ。ミレニア姫は、我々が信仰する”神”――エルム様が説く教えをそのまま体現したようなお方です。心より敬愛しています」

「……それがどうして、求婚につながる……?」

 ミレニアを神と同一視して崇め奉るなら、理解が出来る。ロロのように、心酔して主と頂くこともあるだろう。

 だが――求婚、となると、よくわからない。

(”神”というのは、そんなに気軽に手を触れられる存在なのか……?)

 ロロは心の中で疑惑を抱く。

 彼自身、ミレニアを神聖視しているに等しい。ミレニアを絶対不可侵の清らかな存在であると認識し、崇めているといっても過言ではない。

 視界に入るのも、言葉を交わすのも――その名を口にすることすら、憚られる。

 ミレニアに対してそんな”敬愛”を抱いている無神論者のロロからすれば、”神”などという大仰な言葉を使い、その教えに沿って日常の振る舞いすら決めているクルサールの信仰心や”敬愛”は、ロロがミレニアに対して抱く感情と同等かそれ以上だと思っていた。

(そんな存在に、求婚――なんて、あり得ないだろう……)

 ぎゅっとロロの眉間に皺が寄る。

 それは、たとえるなら、ロロがミレニアに求婚するようなもの。

 ――ありえない。理解が出来ない。

「ふっ……そんなに、可笑しいでしょうか?私としては、とても自然な申し出だと思っているのですが」

 言いながら、クルサールは少し何かを考えるように押し黙り、やがて再び口を開いた。

「あぁ――では、貴方にわかりやすく、お伝えしましょうか」

 何かを考えるように宙をさまよっていた紺碧の瞳が、なんとも言えない怪しい光を湛え、ひたとロロの紅い瞳を見据える。

 にやり、と空色が笑みの形に歪められた。

「この、神に等しい考えを持つ御方を――こんな、()()()()()()()に巻き込んで、命を落とさせるのは、忍びない」

「――!?」

 自分たちの国防の要となっていた伝統を『くだらないこと』と言い切った言葉に、ロロの瞳が驚きに見開かれる。

「ですが、ご存知の通り、今の私はなかなか貴国の中で、弱い立場です。表立ってミレニア姫をお救いすることは難しい。ならばせめて、私に出来る方法で、ミレニア姫をお救いしたい――それだけです」

「それが、求婚――だと、いうのか……?」

「えぇ」

 訝し気なロロの質問にも、悠然とした、誰が見ても完璧な笑顔でクルサールは微笑む。

「<贄>候補となった者が、<贄>候補から外れる方法が、一つだけあります。それは、『見極めの儀』に参加した異性――つまり、無属性の異性と、婚姻関係を結ぶことです」

「な――!」

 思わず絶句する二人に、クルサールは秘密を教えるように声を潜め、そっと人差し指を口元へと持っていく。

「エラムイドに古くから伝わる諺です。――<贄>は<贄>を生む。……我らの国防を担うこの風習は、<贄>を永続的に生むことが出来ぬ限り、成り立ちません。ですが、<贄>は無属性の者の中から無作為に”神”がお選びになるもの。<贄>を意図的に生むことが出来ない以上、我らは常に、無属性を一定数生み続けるしか出来ない。……確実に無属性を生むには、無属性同士の掛け合わせが早いでしょう?」

 ごくり、とミレニアはつばを飲み込む。

 魔法適性は、同じ属性同士の掛け合わせの時、百パーセントの確率で親と同じ適性が発現する。つまり、無属性同士であれば、確実に無属性の子供が出来る。確かに、効率よく無属性を増やそうと思えば、無属性同士の掛け合わせを作る方が早いだろう。

「ですから、<贄>候補となった者が、『見極めの儀』に参加した無属性の者と結婚すれば、<贄>の権利は次の候補者へと移ります。……我が国は一夫一妻制ですので、一族を当代で途絶えさせたいという酔狂な思考の持ち主でもない限り、結婚は即ち、必ずその相手と子供を成す、という約束でもありますから」

 それは、まるで、”神”の名のもとに狂った儀式を繰り返してきた集落の中で生まれた、哀れな人々の最後の逃げ道であるように思われた。

「そうして、幸いなことに――私もまた、無属性なのですよ、ミレニア姫」

「!」

「当然、未婚です。愛を囁き、将来を誓うような相手はおりませんのでご安心を」

 クスリ、と笑って腰を屈め、ロロの影に隠れていたミレニアを除きこむ。驚いたように、ミレニアはサッとロロの後ろへと再び隠れた。

 少女のつれない様子に苦笑してから、クルサールは体を起こしてロロを見る。

「これで、ご理解いただけましたか?……私と貴方は、同志です。ミレニア姫を救いたい――それだけが、私の悲願なのですよ」

「――……」

 じっとロロはクルサールを値踏みするように見る。

「まだ信用がありませんか?……ですが、自分で言うのも何ですが、私は結婚相手として最適だと思いますよ。――ミレニア姫が矜持としている考えと同じ考えを、信仰という名の元に抱いている。一応、小さいながらも国家の代表者です。清貧を愛する風土の中ですので、贅沢をさせて差し上げることは難しいでしょうが、食うに困るということはあり得ません。エラムイドに拠点を移せば、あの愚かな兄たちの魔の手から逃れることが出来る。私は、魔法に関しては無属性ですが、剣の腕は、エラムイドで一番を誇ります。姫をお守りするのにも困らない」

「…………」

「私も、”神”に等しい御方を救えるうえに――幼いころに憧れた、フェリシア様の生き写しの美しい女性を妻に迎えられる。こんな幸せが、どこにあるでしょうか」

 すらすらと言ってのけるクルサールは、穏やかで隙のない、聖人君子のような完璧な笑顔を纏っていて、心の奥底が読みづらい。

 クルサールはもう一度、ミレニアの傍に回り込み、サッと膝をついて少女の手を取った。もはや逃げられず、ミレニアは困った顔でクルサールを見る。

「あとは、ミレニア姫。――貴女が、頷いて下さるだけでいい」

「ぇ――」

「私と結婚すると――そう、言って下さい。生涯をかけて、貴女を愛し抜くと誓います。どんな危険からも困難からもお守りし、全身全霊をもって、必ず幸せに致します」

 再び熱っぽくささやかれる言葉に、ぱちぱち、と翡翠の瞳が何度も瞬かれる。

「ですから、ミレニア姫。――私と、結婚してくださいますか?」

 ふわり、と緩む表情は、女であれば誰もがうっとりと魅入ってしまうような美しい笑顔。

 完璧すぎる美丈夫の、ロマンチックな求婚を受けて――



「――――え゛。……嫌です」



 思い切り眉間に皺を寄せて、ミレニアは言われた通り心に正直に、返答を返していた。


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