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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第五章

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81、“神”に選ばれし<贄>⑥

 それからクルサールは、何かを考えるように押し黙ってしまった。結局、その物憂げな表情を崩すことが出来ぬままにお開きになり、ミレニアは美しい青年を見送る。

 最後の最後まで――何やら、ずっと、何かを言い出したくて言い出せぬような表情を浮かべていた。

「全く……あの方も可哀想な方ね。――お兄様に、きっと、無茶な要求をされているのでしょう」

 姿が見えなくなってから、ミレニアは苦笑してつぶやく。

 彼が、一人の為政者としての理想を追い求め、ミレニアに助けを求めた。ミレニアは、その手を取った。

 属国とはいえ、彼も、曲りなりにも、イラグエナム帝国の領土の中の民だから。

(でも彼は、大した武力も持たず、形式上は属国という立場の代表者……お兄様の命令を、完全に突っぱねることは出来ない)

 裁判所が機能していない今、クルサールの態度を不敬だと言って投獄し処罰することなど、ギークにとっては簡単なことだろう。<贄>を差し出すことを求められている今、難しい交渉の局面に立たされているのかもしれない。

(結局、<贄>はわが国でも有用だと認められたのかしら……)

 紅玉宮に籠らざるを得ないミレニアに、情報は入ってこない。最近は、ロロをゴーティスに取り上げられ、なおのこと情報収集が出来なくなっていた。

 少女はチラリ、と後ろに控える黒衣の護衛兵を振り返る。

(ロロに聞けばわかる――いえ、無駄でしょうね。ゴーティスお兄様は、結果の如何にかかわらず、決してそれを認めない)

 ゴーティスが、有用であると認めぬ以上、彼の臣下たる軍人たちにも、それが有用だったと伝達されることはない。変わらず森へと進軍する魔物討伐隊と、東の壊滅した区画を中心に駐屯して都を守る帝都防衛隊とに分かれて、日夜職務に励むだけだ。

「……如何されましたか」

「いえ。……なんでもないわ。行きましょう」

 もの言いたげに寄こされた視線にも、いつも通りの冷静な声と表情を返すロロに苦笑して頭を振る。踵を返し、自室へと足を向けた。

「そういえば、ロロ」

「はい」

「――お前、今日はどうしたの?」

 当たり前のように影のように視界の外からそっと寄り添う護衛兵に、苦笑したまま問いかける。

「もう……久しぶりの護衛の任務だからと、張り切ったのかしら?さすがに、尖った空気を出し過ぎよ」

「――――……」

「クルサール殿は、曲がりなりにも自治を認められた属国の代表者。相応の地位を認められる御方よ。確かに剣を帯びていらっしゃったけれど、それは彼が言った通り、護衛の任を負う者を伴っていないからだし……あのような態度では、不敬だ、と言って気分を害される可能性もあったでしょう」

 苦言を呈すミレニアは小さく嘆息する。

「お前が過保護なことはよく知っているけれど、既に彼とは何度もお会いしていて、そのたび、今日のように和やかにお話をするだけだわ。彼に、敵意など感じられない。……どうしてお前が、あんなにもピリピリしていたのか、聞かせてもらっても良いかしら」

 ロロは、すぃっと美しい紅玉の瞳を左下へと追いやって、長いシルバーグレーの睫毛で覆い隠す。

 クルサールの姿が見えなくなったら、いつも通り、視界の外にすら控えているのか不安になるほど気配を気配を消してミレニアの邪魔をしなくなるロロだが、彼がいる間は、視界の外にいると言うのに、ずっとその存在を感じるほどにピンと張りつめた威圧的とも取れる空気を纏っていた。

「……申し訳ありません。……うまく、説明できないのですが――」

 ロロは、ゆっくりと考えながら口を開く。

「あの男を前にすると――酷く、不快な、気持ちになります……」

「不快……?」

「はい。……形容しがたい、不快さです」

 ぱちぱち、とミレニアは驚いたように一つ、二つと瞬きを繰り返した。

「それは――お前が昔言っていた、敵の襲撃を察知する”嫌な予感”というやつかしら……?」

 さすがに不穏な発言を前にして、ミレニアは足を止めてロロを振り返る。自然と声が低くなり、怪訝に眉が顰められていた。

「……いえ。感覚としては、似ていますが――あのような、一瞬で背筋を駆け抜けていく危機感とは、少し違います」

 言葉を選ぶようにしながら、噛みしめるようにロロは口を開く。

 彼自身も、どう説明したらよいか戸惑っている――そんな様子が、見て取れた。

「どう違うの?」

「いつもの”嫌な予感”は――背筋を、一瞬だけ、冷たい何かが駆け抜けていくような感覚があります。強烈な不快感ではありますが、感じるのは一瞬です。本能的な危機回避のために鋭くなった、何かしらの感覚だからだと思います。ですが、あの男は――…」

 瞳を伏せて、じっと考え込む。ミレニアは、辛抱強く次の言葉を待った。

「……対峙している間、ずっと、胸の奥の奥底を、ざらざらとした何かで絶えず擦られているかのような――言葉にすると”不快”としか表現のしようがないのですが、そんな感覚が、姿と気配が掻き消えるまで続きます」

「……クルサール殿が、私に危害を加えるつもりがある、ということ?」

 にわかには信じられないが、約半年ほど前の魔物の襲撃の時は、ロロの第六感によって救われた。実際に命を救ってくれた専属護衛の言葉を鼻で嗤い飛ばすほど、ミレニアは楽観的ではない。

 しかし、ロロはしばらく考え込んだ後、ふるふる、と頭を横に振った。

「ずっと、伺うようにして見ておりましたが、あの男から敵意や殺意など、姫に向けた害意は感じられませんでした」

「え……?」

「だから、俺にもよく、わかりません。ただ、本能が――目の前の男に決して心を許すなと、警告を発しているような、そんな感覚です」

 まるで、魂に深く刻まれた何かが、じくじくと痛み、警告を発している――そんな、形容しがたい感覚。

 目の前の男はとにかく柔和で、冷静に見れば微塵も害意など感じないのに、その姿が見えなくなるまで、決して気を許すことが出来なかった。

「そう。……よく、わからないわね」

「えぇ。……申し訳ありません。――ですが」

 ロロは素直に謝罪してから、言葉を紡ぐ。

「姫の御身に何かがあってからでは、遅いです。警戒した結果、何もないなら、それでいい。……不敬と言われても構いません。あの男と逢う時は、必ず俺を傍に置くと、約束してください」

「――――……」

 ミレニアは困った顔を向ける。こんな、今や取るに足らない無価値な命を、どうこうしようという者が、いったいどこにいると言うのか。

 過保護な護衛兵の通常運転に呆れて、一つ嘆息を漏らしたあと、ミレニアは再び足を進める。

「一応、頭の片隅に置いておきましょう。……でも、約束はしないわ。ゴーティスお兄様からの要請と重なれば、お前を傍に置いておくことは出来ないから」

「姫――!」

「わかって頂戴、ロロ。……お前は、お前が思うよりも、この国にとって今、何より大切な人材なの。お前の心をないがしろにするつもりはないけれど――でも、私は、お前の力が、愛する祖国のために有用に使われることを願うわ」

「っ……」

 主の言葉に、ロロは悔しそうに歯噛みする。

(姫の君主としての資質は、あの男が言うように、申し分ない。俺が何より敬愛する主であり、生涯を捧げるに相応しい方だ。分け隔てなく、それこそ”神”のような慈愛の心で、万人を愛し、導いて下さる――)

 その、慈愛の心によって、奴隷だった自分は救われたのだ。雲上人たる彼女に、肥溜めの中から救ってもらった。

 だから、彼女がその矜持を胸に、幼いながら歩みを止めぬ姿に、憧れ、敬愛の念を抱き、永久に付き従いたくなる気持ちは、心からのものなのだが――

『国が惑い、民が悲しむ世の中で――己の首一つで、民が、臣下が、真に救われるならば、喜んで差し出しこそすれ、どうして命乞いなど出来ましょうか』

 女神が慈愛の微笑みを湛えて告げた、柔らかな声音が、耳の奥で蘇る。

 ぎゅぅっ……と刺し貫かれたような痛みが、胸の奥まで突き抜ける。

(――そんなことは、させない……)

 ぐっと拳を握り締めて、静かに覚悟を固める。

 誰に恨まれてもいい。――ミレニア自身に恨まれたとしても、いい。

 国が惑い、民が哀しみ――そんな世界であっても、ミレニアには、ただ、生きていてほしい。

 仮に彼女の首を捧げることで、何万人の命が、不幸が、救われるとしても――ロロにとっては、ミレニア一人の命の方が、何百倍も大切なのだ。何千倍も、何万倍も、価値があるのだ。

 何度強く訴えても、聞き入れてもらえない主張であることはわかっている。ミレニアは、誰の手も握り返さない。

 民の手も――臣下の、手も。

「……三日後、ついに、謁見の間に呼ばれたわ」

「!」

 ぽつり、と前を行く少女が漏らした言葉に、ハッと物思いに沈んでいた意識を引き戻される。

「今月の皇族会議で、私の上申書を受けて、今後どうするか、決議されたのでしょう。……正直、どんな沙汰が下されるか、わからない。今は、まともな考えを持っていらっしゃるお兄様が、どれだけいるのか、わからないから」

 ふ、とミレニアは疲れたように笑う。

 どこか、自嘲のようにも感じられる笑みだった。

「誰一人味方がいない、敵地のど真ん中に赴くことになるのだけれど――お前は、どうするかしら」

 ゆったりと振り返る。美しい夜空の黒髪が、横顔にかかってミレニアの表情を半分隠した。

「愚問です。――ご一緒いたします。どんな敵地へも」

 ぎゅっと拳を握り、強く言い切る。

「どうして、そんなことをお聞きになるのですか。――姫は、一言、俺に命ずればいいのです。『ついてこい』と――『この身を守れ』と、命じてください。俺は、その一言で、どんな地獄へだって、お供します」

「ふふ……そう。ありがとう」

 吐息を漏らすように力なく笑って、ミレニアはもう一度前を向いた。

 ロロは、ミレニアに見えぬ背後で、苦悶に顔を歪める。

 彼女自身が『敵地のど真ん中』と称する場所に――当たり前のようにロロを伴ってくれないことが、悔しくてたまらない。

 彼女を、『敵地のど真ん中』にたった独りで赴かせるなどと――そんなことを、ロロは、逆立ちしたって出来るはずがないのに。

 口では『お前の献身も忠義も疑ったことはない』と言いながら、簡単に”手”を離そうとするミレニアが歯がゆい。死出の旅路まで供をすると告げた覚悟を、さらりと忘れたようにして独りになろうとする彼女が、哀しい。

(『特別』だと――言ってくださったでは、ないですか……)

 口に出すことは出来ない恨み言を胸中にとどめ、ぐっと奥歯を噛みしめる。

「……お前は、何やら警戒をしているようだけれど」

 空気を変えるかのように、前を行くミレニアが口を開く。

「クルサール殿は、悪い方ではないと思うわ」

「――――……そうでしょうか」

 形容しがたい不快さを忘れられず、ロロは素直に頷けない。ミレニアは苦笑してから、ロロを振り返った。

「私はね、ロロ。おまじないも、神様も、基本的に非科学的なものは信じていないのだけれど――」

 こちらを向いた翡翠の瞳が、優しく緩む。

「”幸運を運ぶ妖精”だけは、信じてもいいかと、思っているの」

「――は――……」

 思わず露骨に眉を顰めそうになり、ぐっと理性で思いとどまる。

 いつもの無表情に微妙な表情を乗せた護衛兵に笑って、ミレニアは言葉を続けた。

「人生で、二回だけ――不思議な光の粒を、見たことがあるの」

 ロロは、ぎゅっと眉根を寄せる。――どうやら主は、冗談を言っているようではないらしい。

「ふわふわと、空中に漂って……誘うようにして、私を、別の場所に導いてくれるの。普通に考えたら、そんな怪しいものについて行こうと言う気持ちにならないのだけど、その光は、まるで魅了の術でも使っているかのように、私を強く惹きつけてしまうのよ。……ただ、不思議なことに、どうやら私以外の人間には見えない物らしいのだけど」

「……はぁ」

「ふふっ……信じていないわね」

 ――当たり前だ。……とは口に出来ず、表情だけで代弁する。

 クスクス、と可笑しそうに声を立てて笑った後、ミレニアはいつものようにロロの紅い瞳を下から覗き込んだ。

「でもね。その光に導かれたおかげで――私は、お前に、出逢えたわ」

「――――――」

 紅玉の瞳の瞬きが、無言のまま早くなる。

「だから、あれは、”幸運を運ぶ妖精”だと確信しているの。――あの日以来、あの光を見たら、必ず導かれるままについて行こう、と心に決めているわ」

「…………」

 なんとコメントしていいかわからず、ロロはすぃっと瞳を下げる。

 ミレニアは苦笑してから、視線を外し、再び前を向いた。

「あの日以来、一度も見なかった”妖精”だけど――数年ぶりに、見つけたのよ」

「まさか――」

「えぇ。……あの日、クルサール殿の元へと、導かれたわ」

 主の言葉に、ロロはその日を思い出す。

 確かにあの日、ミレニアは、何もない空中を凝視して、こちらの言葉に構うことなく、迷うそぶりすら見せずにまっすぐに足を進めていった。

 そうして進んだ先に、<贄>がいて――クルサールと、出逢った。

「だから、ね?――きっと、悪い方ではないと、思うのよ」

「…………」

 クスクス、と笑いながら言うミレニアは、どこまで本気かわからない。

 顔を顰めたまま、ロロはそっといつものようにミレニアの背後に寄り添って、影のようにぴったりと、その後ろをついて行くのだった。


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