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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第五章

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79、“神”に選ばれし<贄>④

 ミレニアが、「ロロを休ませるため」といってゴーティスからの要求を何回かに一回は突っぱねるようになった後――

 ゴーティスのミレニアへの悪態は加速し、ロロへの嫌味と引き抜きの熱心さも同様に鬱陶しくはなったが、それでも一時期の全くミレニアの護衛に就けなかったころを思えば天国のようだ。

 今日も、午前中のゴーティスからの呼び出しさえ終われば、午後からはミレニアの護衛任務に就くことが出来る。いつもながら要件が終わった後もしつこく引き留めてくるゴーティスをあっさりと袖にして、脇目もふらず紅玉宮へ向かった。

(今日は、来客があると言っていたな。今頃姫は、お召し替えの途中か……軽く、異常がないか見回りがてら向かうか)

 紅玉宮の敷地へと足を踏み入れ、頭の中で時間を計算しながら、ルートを考える。

 先代の皇帝の寵愛を一身に受けていた名残が垣間見える、絢爛な宮の中を歩んでいき――


 ざわりっ……


 それは、唐突にやってきた。

 項の辺りから背筋に掛けて、全身の毛が逆立つような――魂の底からせり上がってくる、不快感。

「――――っ!」

 本能が無視することが出来ない強烈なその感覚に、ロロは宮中のど真ん中ということを忘れ、問答無用で腰の剣を抜いた。

 ジャッ――と高速で剣が抜き放たれるのに合わせて、鞘と刃が耳障りな音を立てる。

 抜剣の勢いを殺さぬまま、敵影を確認する余裕すらなく、問答無用で振り向き様に背後の敵へと無心で剣を奔らせ――

 ガキィンッ

「っ、と……お、驚きました……」

「――――――お前は――……」

 敵を両断せんとする勢いで走らされた刃を、寸でのところで己の剣で受け止めたらしい男には、見覚えがあった。

 いつか、皇城の中で遭遇したことがある金髪碧眼の美丈夫。以前出逢ったときは甘く穏やかな笑みを浮かべていたが、出会い頭に襲われさすがに肝を冷やしたのか、ただでさえ白い顔をさらに青ざめさせている。じっとりと額に冷や汗を纏い、ロロの神速の剣を前に抜き切ることが出来なかったのか、中途半端に半分ほど抜剣した状態で身体に迫った一振りの剣を受け止めていた。

「あ、あの……申し訳ありません。私は今日、正式にミレニア姫に招かれているクルサールと言う者です。決して怪しいものではありません」

(こいつ――……)

 ギチギチ……と力比べのように刃同士を耳障りに鳴らし続け、剣を引こうとしないロロに向かって、クルサールは戸惑った様に言葉を紡ぐ。

 ロロは、すぅっと目を眇めて視線を鋭くした。

(完全に不意打ちのタイミングで放たれた俺の、剣を、受け止めた――?)

 ――ただ者ではない。

 エラムイドの代表と名乗ったその青年が、いつも護衛の一人もつけていない理由は、それだろう。

 帝国一の武勇と誇られたロロの剣を受け止めるほどに――彼自身が、相当な剣の腕前を誇るはずだ。

「あの……えぇと……もし、よろしければ、剣を降ろして頂きたいのですが……」

 殺気に近い何かを纏い、触れればざっくりと斬れるような凄みのある紅い瞳を前にして、クルサールは困惑したまま言葉を重ねる。

「――――……」

 ロロは、しばらく何かを考えた後、すっと剣を引く。クルサールは、ほっとあからさまに安堵の表情を浮かべてから、中途半端に抜いていた剣を納め、己の腰へと再び帯びた。

 それをしっかり見届けてから、ロロもまた、己の剣を納める。その間、一瞬たりとも目の前の男から視線を外さず、厳しい表情のまま警戒を全身で露わにしていた。

「えぇと……何か、誤解があるのかもしれませんが――」

 ミレニアの専属護衛にここまで敵意をむき出しにされる理由に、心当たりがない。クルサールは弁明をしようと口を開きかけ――

「クルサール殿……!もういらっしゃっていたのですか?」

 背後から響いた少女の美声に、ふっ……と少しだけロロの殺気が収まる。至上の主を前に、殺伐とした空気を不用意にまき散らす不敬を恐れたからだろう。

「……ミレニア姫」

 ふわり、と人好きのする穏やかで甘い笑みを浮かべ、クルサールはミレニアへと近寄っていく。

 その背中を追いかける禍々しいまでに紅い瞳は、変わらずクルサールをしっかりと見据え、警戒を解いていないことを如実に訴えていた。

「ロロも、ここにいたの。お兄様の呼び出しは滞りなく終わったのかしら」

「……はい」

「そう。それはよかったわ」

 やってきたミレニアは、まるで想い人との逢引きに向かう令嬢のように美しく着飾られていた。もうすぐ十四の誕生日を迎えようとしている少女は、まるで華やかな蝶に羽化するかのように、少女と令嬢の間を揺蕩う危うい美しさを併せ持っている。

「今日は、庭師のデニーが、庭園に美しいバラが咲いたと言っていたので、そちらにティーセットを整えさせています。……花はお好きかしら、クルサール殿」

「ええ、勿論。かつて、皇帝の寵妃のために造られたという庭園にお招きいただけるとは、大変光栄です」

 和やかな会話と共に、二人は連れ立って歩いていく。すぅっとロロは音もなく気配を殺してその後ろへと続いた。

「デニーは、代々皇宮に仕える庭師の家系の男で――」

 小鳥がさえずるような、主の麗しい美声を聞きながら――

 ――紅の瞳を眇めたまま、ロロはじぃっと笑顔で談笑する来客へと鋭い視線を注ぎ続けていた。


 ◆◆◆


 ミレニアが言った通り、庭園は今を盛りと色とりどりの美しいバラが咲き誇り、鼻腔を擽る春の風は花の香を運んで訪問者を楽しませる。

 小さな噴水の傍に用意された簡易のテーブルには、白髪交じりのバトラー、グスタフが控えていた。クルサールを着席させ、ミレニアも優雅に腰掛けると、グスタフは優雅な手つきで給仕を始める。

 いつも通りの柔らかな笑みを浮かべるミレニアと違い、ほんの少しだけ、クルサールは緊張した面持ちだった。それに気づき、軽く首をかしげる。

「クルサール殿……?どうかされましたか?」

「は……いえ、その――」

 少し気まずそうに視線を揺らした後、クルサールはゆっくりと、ミレニアの左斜め後方に視線を投げる。

 腰に二振りの剣を差したまま、鋭い視線を向け続けてくる黒衣の護衛兵が、そこにいた。

「いつも、護衛の方は、少し離れたところにいるので……」

「あぁ――……」

 背が高く珍しい瞳の色をしたロロが、至近距離で無表情のままじっと控えているのは威圧感があったのだろうか。確かにいつもは、属国とはいえ一応自治を認めている領土の代表者という立場のクルサールの顔を立てて、ロロの代わりに派兵されてきた軍人たちには少し離れたところで控えさせていた。

 ミレニアにとって、振り返ればすぐ近くから瞳が覗き込める距離にロロが控えているのは当たり前すぎて、ついうっかりしていた。最近はずっと軍の任務に出ていることの多いロロだ。いつも通り視界にも入ってこないせいで、存在を失念していたと言うのもある。

「ロロ、申し訳ないけれど――」

「下がりません」

「……ぇ……?」

 ミレニアの言葉を先回りするようにして遮られ、ぽかん、と思わず長身を見上げる。

 すぅ――……と美しい紅玉の瞳が細められ、クルサールをひたと見据える。

「……その男は、剣を帯びています」

「え?……そういえば、そうね……」

「――姫のお傍に剣を帯びた者を置いたまま、俺が、俺の剣が届かぬ範囲まで、姫のお傍を離れることはありません」

 視線だけではない。ロロの口から放たれる言葉の節々から、クルサールへの警戒が感じられる。

 ぱちぱち、とミレニアは何度か漆黒の長い睫毛を上下させて、困惑の顔を返す。

「えっと……」

「仮に姫の命だとしても、これだけは譲れません。……口は開きませんので、俺の存在は無いものとして扱ってください」

(そうは言うけれど……)

 どう考えても、固い頬は今にも憎々し気に歪みかねない勢いだ。

 必死に、溢れ出そうになる殺気を抑えている――そんな風にも取れる棘に塗れた冷たい空気を纏い、黒衣の護衛兵はぴったりと、ミレニアの背後に寄り添った。

 クルサールは、何かを言いたげな顔でミレニアを見ている。板挟み状態になり、一瞬迷った後――小さく嘆息して、ミレニアはクルサールへと向き直った。

「申し訳ありません、クルサール殿。……私の専属護衛兵は、とても職務に忠実ですの」

 何も言わず、夏の空色をした紺碧の瞳がゆっくりと瞬く。

 ミレニアは苦笑を浮かべて、軽く首を傾げた。

「本当に、この男はとても寡黙で、おしゃべりに口を挟むようなことはありません。……ここで見聞きしたことを、他で喧伝するようなこともないでしょう。口の堅さは折り紙付きです。ご安心くださいな」

 仮に、クルサールが、エラムイドの代表者らしからぬこと――神への不敬を感じさせるようなことを口にしたとしても。

 言外にそのニュアンスをにじませたミレニアに、何かを考えて、クルサールは感情の読めない完璧な笑みを浮かべる。

「そうですか。……何をしたわけでもないですが、何やら酷く嫌われてしまったようだ」

「いえ……そういうわけではないと、思うのですが」

 ロロは、人を好き嫌いで判断したりしない。――ミレニアに危害を加える可能性があるか否かで判断するだけだ。

 だが、そうはっきり言い切ってしまえば、今度はクルサールがミレニアに危害を加えると思っているのか、と反論されてしまう。ミレニアは気まずく言葉を濁すしかなかった。

「私が帯剣していることが、ご不安なようだ。……では、この剣を彼に預ければ、彼は下がるのでしょうか?」

 ぱちり、と翡翠の瞳が瞬く。目の前にあるのは、感情の読めない、うっとりするほどに美しい笑み。

 ざりっ……と背後の足元で音が鳴る。ロロが身動きをした音だろう。

 その音が何を示すか考える前に――ミレニアは口を開いた。

「いいえ。……何をしても、彼を下げさせることはありません」

 翡翠の瞳に宿るのは、強い意思を感じさせる光。

「ほぅ……?」

「剣など無くても、私の身に危険が迫る可能性が髪の毛一筋ほどでも残っている限り、ロロは決して私の傍を離れません。――離すつもりもありません」

 はっきりと、今度は強い言葉で言い切り――ふっ、と口元に弧を描き、悠然と笑みを浮かべる。

「それとも――彼が傍に控えていることに、何か、不都合が?」

「ふっ……」

 クルサールの口の端から、吐息と共に笑みがこぼれる。

 いつもの完璧な笑みではなく――どこか、人間らしさを感じさせる、笑み。

「いえ、失礼しました。――黒玉の君が、あまりにその青年を特別扱いをするので、少し意地悪をしてみたくなったのです」

「……そう、ですか。残念でしたわね」

 何と答えるべきかわからず、もにょもにょと歯切れの悪い返答になる。――相変わらず、何を考えているかよくわからない青年だ。

 おかげで、一段と後ろから発せられる空気が冷たくなった気がする。ミレニアは憂鬱なため息を吐いた。

「確かに、私は幼少期から剣を嗜んでいます。貴国のような強い軍隊を持たない我らは、いくら国を代表する立場の者と言えど、護衛のために兵を侍らせることなど出来ません。そんなことに割くくらいなら、有事に備えて国防を担ってほしいですからね。昔から、自分の身は自分で守れ、というのが我が家の家訓です」

「一応、国防を担う兵士はいるのですね」

 興味を惹かれてミレニアが尋ねると、クルサールは苦笑した。

「勿論。<贄>を捧げることで魔物の脅威を防げるとはいえ、それも期間限定です。――<贄>の効力が無くなったことを知るのは、魔物の被害が出てからです」

「えっ……」

「魔物の被害が出た、すなわち<贄>の結界が無くなった――我らはそう判断し、次の<贄>を送り出します。新たな<贄>の効力が発揮されるまでの間は、兵士が民を守るのです」

「――……」

「ふ……<贄>の制度は万能ではない――前回もそう、お伝えしたでしょう」

 押し黙ってしまったミレニアに、クルサールは微笑んでティーカップを持ち上げる。

「国防の全てを<贄>の儀式と、その外に取り巻く魔物の巣によって賄ってきた我らは、帝国の侵略を前に、なす術もありませんでした。……フェリシア様がいなかったら、今頃、エラムイドもどうなっていたことか」

「――――……」

「そして今、我が国は再び危険にさらされています。<贄>候補を召し上げられ、自国の国防すら危うくなることが目に見えている……代表者といえど、何もできない。己の無力が嫌になります」

 物憂げに睫毛を伏せる美青年に、ミレニアも美しい眉をひそめてうつむく。

 その無力さは、ミレニアもよく知っている。――彼の苦悩を、よく、知っている。

「姫に、教えていただきたい。己の無力に嘆き、足を止めたくなった時――私たちは、”神”に縋ります。ですが、あなたたちは、その縋る先を持たないと言う。それなら――貴女方は、どうやって、その苦難を乗り越えるのですか」

 ミレニアは眉根を寄せて押し黙る。

 もう、クルサールが来て何度目だろう。<贄>の検証結果が出るまでの期間、この皇城にとどまることを強要されている彼は、暇を見つけてミレニアを訪ねては、こうして心を突き刺す質問をする。

 問いかけられる度に、胸が痛む。

 模範解答を知っているはずなのに――それをお前は、励行できているのかと、責められているようで。


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