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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第四章

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71、動き出す歯車⑥

「さて。一連の会話において、お前は半分以上この私を脅してきたわけだが――その上で、この、第六項を、要求するのか?」

 ザナドは羊皮紙から顔を上げ、苦い表情を隠しもせず腹違いの妹を見る。ミレニアは涼しい顔で、「えぇ」と頷いた。

「――この男を、貴族出身の兵士と変わらぬ待遇で扱うこと。奴隷として扱うことは、どんなに些細なことでも認めない――か」

「はい。特に絶対に譲れないことは、そこに明文化してあります。もちろん、そこに書いていないことでも、貴族出身の兵士と明らかな待遇の差を感じるようなことがあれば、第六皇女ミレニアの名をもって正式に抗議いたしますが――まずは、そこに書いてあること全てを厳守していただくとお約束してもらわなければ」

「ふん……」

 ザナドは小さく鼻を鳴らしてもう一度羊皮紙に目を落とす。

「……謂れのない暴力・体罰を禁ずる」

「ええ。絶対にやめてください」

「……手枷、足枷、首枷――枷と呼ばれるものを身に着けさせることを禁ずる」

「はい。……お兄様、その続きに書いてある『鎖も同様』というところもお忘れなきよう」

 いけしゃあしゃあと念を押す妹に、ザナドは渋面を作った。

「お前――先ほどの話を聞いておきながら、この危険極まりない男を、枷を付けることもなく放置しろと、そう、要求するのか……?」

「あら。危険なんてどこにもありませんわ。ロロは、誰よりも従順で、忠義に厚い臣下ですもの。枷など無くても、ゴーティスお兄様やザナドお兄様に逆らったり致しません」

 当たり前のように言ってのけるミレニアを尻目に、チラリとザナドは彼女の後ろに控える男へと目をやる。ロロは、静かに紅玉の瞳を伏せて、頭を下げた。

(確かに、今は従順に見える。あの晩も、ミリィの指示に従い、軍を導いたと聞いた。命令系統を無視することはない、というのか……?)

 だが、さすがにミレニアの言うことを鵜呑みにするほど、ザナドは甘くない。

(コレはまさに、帝国最強の武人だろう。どんな劣勢も一瞬でひっくり返す切り札付きの、文字通り天下無双の兵。だがそれはつまり――)

 ――その気になればいつでも、国家に弓引くことが可能な力を持っている、ということになる。

 それも――たった一人で、一瞬で帝都の半分を焼き尽くすほどの、力を。

「私は、今この瞬間も、その男が魔封石の嵌った枷を付けていないことに不安を覚えているくらいなのだが」

「ふふっ……お兄様らしくもない。臣下は主を映す鏡。お兄様方が、主として正しい行いをしていれば、ロロも逆らったりしません。ロロが我らに牙を剥くとすれば、それは己の不徳の致すところと受け入れるべきである――我らの敬愛するお父様から、そう習ったではありませんか」

「それにしても限度があるだろう――!」

 ギリッ……と正論で煙に巻こうとする妹に歯噛みして、ザナドは異論を示す

 その気になれば、今この瞬間でも、ロロは視線一つでザナドを火達磨に出来るのだ。

「これは、交渉ではない。俺の護衛兵を下げさせたうえでの、巧妙な脅しだ――!」

「そんなつもりはありません」

 激昂する兄に困った顔でミレニアは返す。本当に、そんなつもりはないのだが、少し、ロロの実力を正しく理解してもらおうと、脅しすぎたかもしれない。――全て事実なのだから、隠したところで意味はなかったのだが。

「……構いません」

「ロロ……?」

「俺が、軍で任を負うために、枷が必要だと言うのなら――俺は、それを嵌めることを厭いません」

「な――何を言っているの!?駄目よ、許さないわ!」

 ガタンッと今度はミレニアが焦って腰を浮かす。

 予想もしなかったところからの助け舟に、ザナドは驚きに目を見張って黒衣の青年を見た。

「姫をお守りする任に就いている今のような時に、魔法を封じられるのは、有事の際に困るので拒否しますが。例えば出兵前――移動中や、拠点内で作戦の指示を受ける際に、周囲の者が不安に駆られるというのであれば、枷を付けられていても、構いません。……流石に、出兵後は、魔物の脅威がある以上、枷を外してほしいとは思いますが」

「ふざけないで!そんなこと――」

「ほう。なるほど。それはいいことを聞いた。二言はないな?」

「はい」

「ロロ!」

 ミレニアの叫びを無視して、ザナドはペンを取り、サラサラと羊皮紙の記述内容を訂正する。

 本人の意向を加味する、と言ったのはミレニア自身だ。本人が良いと言っているのだから、記述を訂正したところで文句は言われまい。

「契約は細かく決めておこう。出兵以外――つまり、軍の任務として命じられ、武力を行使する以外の全ての時、と解釈していいか?」

「は――」

「駄目よ!ダメ!――せめて、ちゃんと、事細かに場所を記載させて!」

 当たり前のように頷こうとした従者を制して、ミレニアが叫ぶ。しっかりしすぎている妹に苦笑して、ザナドは口を開いた。

「そうだな……陣幕の中、移動中の馬の上。大規模な進軍に組み込むのであれば、皇城での出兵式もだ」

「はい」

「それから――練兵場で鍛錬をする際や、兵舎でも同様の扱いとする。構わないか」

(……兵舎……?)

 少しだけロロの瞬きが早くなる。すぃっと何かを考えるように、紅い瞳が左下へと伏せられた。

「お兄様!練兵場や兵舎というのは、日常生活と数えてもおかしくない場所です!軍の任務と関係のない、休日やその他の雑務をこなす時まで、枷を嵌めるというのは、不当にロロの自由を奪うことに他なりません!そんなの――そんなことを、私は、ミレニアは、承諾できません!」

「そうは言うが、本人がいいと言っている」

「っ……ロロ、ロロ、お願いっ……お願い、拒否して!」

「姫――」

「私は、私の目のつく可能性があるところで、お前に枷が嵌められているなど――それを万が一にも目撃することなど、絶対に、絶対に嫌なの――!」

 ぎゅぅっと瞳を閉じて泣きそうな声で懇願する少女を前に、ロロはぱちぱち、と瞬きを速める。

「……姫が、そう、望むのであれば」

「よかった――ありがとう、ロロ――!」

 心からの安堵の表情を漏らすミレニアに、少し困惑しながら頷く。

「残りの項目は――まぁ、妥当な範囲だな。特筆すべきことはないか」

「……その前に、一つだけ」

 ぽつり、とロロが口を開く。寡黙な青年が口を挟んだことを意外に思い、ザナドは視線だけを上げた。

「俺が任に就くならば、代わりの姫の護衛兵を、優秀な軍属の兵士で賄って頂きたい」

「ほう……?」

「少なくともガント大尉と同等以上の実力者を。……それが約束されない限り、俺は、決して任務に赴くことはありません」

 ザナドはトントン、と軽くこめかみを叩いた後、嘆息する。

「……いいだろう。正直、ほとんど危険のない紅玉宮の護衛などという任務に、優秀な兵を裂くのは、こちらとしても痛手だが――お前を手に入れられる利と比べれば、目を瞑ってやってもいい」

「ありがとうございます。……手元の契約書に、追記を」

「全く……主従揃って、抜け目のないことだ」

 呆れたように言いながらサラサラと最後の項の下へと追記を施す。ザナドは最後にもう一度羊皮紙の上から下までゆっくりと目を通した後、嘆息して手にしたペンをもう一度インク壺へと伸ばした。

「よし。これでいいだろう。契約成立だ。明日からそいつは、軍属として扱う」

「……えぇ。よろしくお願いいたします、お兄様。――くれぐれも、契約書に書いてある事項を、一つも破棄することのないように」

 硬い表情で念押しする妹に苦笑して、ザナドは契約書の一番下に署名をする。

 第六皇子 ゴーティス。――彼の双子の片割れと、全く相違ない筆跡で、しっかりと契約の締結を行った。

「しかし……これからゴーティスを説得するかと思うと、骨が折れるな」

 心底疲れた表情で、肺の中の吐息を全て吐き出し、ザナドは天を仰ぐ。ミレニアは複雑そうな笑みを浮かべた。

「お兄様――でも、ロロは――」

「いい。わかっている。……そんな、とんでもない切り札を、お前の護衛に甘んじさせておく方が、国家としての大損失だ。何としても納得させるさ。だが――だがなぁ……あのプライドの塊みたいな男が、特に第六項をどこまで励行してくれるか……」

 はぁ、と憂鬱そうなため息をついて、ひらり、ともう一度契約書を掲げて目を通す。

「枷や暴力というのは、まぁ、何とか納得させられるだろう。有事の際に、混乱する最中、わざわざそいつの枷を外す時間を敵が待ってくれるとは思えない。外した状態で任に就かせるというのは、了承するはずだ」

「えぇ」

「暴力に関しては、正直怪しいところだが――まぁ、兵舎や練兵場で枷を外させているなら、理不尽な暴行を加えて皇城ごと丸焼けにさせてもいいのか、と半分脅せば、酷く嫌そうな顔をしながら渋々納得するだろう」

「そうでしょうね。皇城の敷地を灰燼に帰すくらい、ロロにとっては簡単なことですもの」

 肯定するミレニアに小さく嘆息すると、ザナドはミレニアが書いた注釈の一つに目を落とした。

「意外と反発されそうなのは、コレだ。――この男を番号で呼ぶことを禁ずる。与えた名前で必ず呼びかけること」

 ひらひら、と面倒そうに契約書をはためかすザナドに、ミレニアはきっぱりと言い放った。

「それは譲れません。そもそも、ロロは、私が買い上げた時点で、既に奴隷の身分から解放されています。”人”である彼を、番号で呼ぶことなど、承諾しかねます」

「そうは言うが――名前が、な」

 ザナドは眉間に皺を刻んで、難しい顔をした。

紅蓮の騎士(ルロシーク)。……奴隷ごときに過ぎた名だと、あの石頭が噴火するさまが、ありありと浮かぶ」


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