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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第四章

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70、動き出す歯車⑤

 翌日、ミレニアは知らせを受けて、紅玉宮に備え付けられた最上位の応接室へと赴く。背後に伴うのは、黒衣の護衛兵一人だけだ。

「……久しいな。息災か、ミレニア」

「えぇ。おかげさまで」

 悠然とソファに腰掛けていた、軍服に身を包んだ男に貴婦人の礼を取った後、チラリ、ともの言いたげに彼が従えてきたらしき従者へと視線をやる。

 男は苦笑した後、合図をして部屋の外へと従者を全員下がらせた。

「これでいいか?」

「ありがとうございます。ザナドお兄様」

 にこり、と全員が退室したのを見届けてから微笑むミレニアに、ザナドは呆れたように嘆息した。

「それで?……私も忙しい身だ。早速本題に入ろう。――再三、手紙で要求してきた件に、色よい返事がもらえると思って良いのだな?」

「えぇ。……勿論、条件次第ですけれど」

「全く……お前と交渉事をするのは、ゴーティスと話し合いをするのと同じくらい難儀だから、勘弁してほしい所なのだがな」

 最初から、無条件でロロを引き渡すわけではない、と明言されては、これから交渉を始めますと宣言されたも同義だ。ザナドは舌を巻いて、憂鬱なため息を漏らした。

 偉大なる父の優秀な頭脳を引き継いだのは、主に三人――ミレニアと、ゴーティスと、ザナド。普段対立することなどない面々ではあるが、それぞれに性格の違いや置かれている立場の違いがあるために、一度こうして面と向かって交渉するとなれば、互いの優秀さは酷く厄介だ。それがわかっているからこそ、ゴーティスはただ威圧的に脅すようにしてロロを引き渡すように要求していたし、ザナドもまた、国益を説いて正論でミレニアを丸め込もうと努力していた。

「ご安心を。私が求める条件は、こうして文書にまとめてまいりました。この内容をもとに、互いの着地点をすり合わせながら――最後はロロ本人の意向も聞いて、話し合いを進めたいと思います」

「ほう……?この私に、まさか、従者の個人的な意向を聞け、と?」

「えぇ」

 牽制するようなザナドの言葉にも、どこ吹く風という様子でさらりと答え、ミレニアは持ってきた羊皮紙を兄へと差し出した。

 腐っても帝国軍元帥の肩書を持つゴーティスの影であるザナドだ。並の兵士でも、彼が一瞥をくれただけでその威厳を前にひれ伏す。こんな風に露骨に牽制されれば、蛇に睨まれた蛙状態になることだろう。

 そこらの男などよりよほど豪胆な様子のミレニアに嘆息して、ひとまずザナドは羊皮紙を受け取り、書かれている内容に目を通す。

「ふむ……」

「体裁は整えてあります。お互いの着地点が見えたら、最下部の署名欄にサインを。それをもって、契約の締結と致しましょう」

「全く、抜け目ないことだ。お前が女であったことは、我が国にとって、良かったのか悪かったのか……」

 カタン、と机の端に置かれたペンとインク壺を見て、ザナドは苦虫を嚙み潰したような表情で呻く。

 書面に残して契約書とする、ということは、口頭での約束事では終わらせない、というミレニアの意思表示だ。必ずこの書面の内容が履行されることを約束させ、順守されなければ契約の破棄もあり得る、という脅しでもある。

「……大筋は理解した。細かな点を確認したい」

「ええ、もちろん」

 目の前で進んでいく交渉に、ロロはいつも通り寡黙に主の視界に入らぬようにして控えているだけだった。

 ロロは、今ザナドが手にしている契約書の中身を事前に知らされていなかった。どこまでも奴隷根性が身についたロロに事前に知らせては、「奴隷ごときに、ここまでの条件は望んでいません」といって、無体な扱いをされることを容認するような条件になりかねないとミレニアが判断したからだ。

 だが、ロロは端から異論を唱えるつもりはない。ミレニアが望む条件の中に、ロロにとって不利になるようなものが混じっているとは思えないからだ。――仮に混じっていたとしても、それをミレニアが望むのであれば、といって受け入れてしまうのが、主への隷属を表明しているロロにとっての通常運転でもある。

 故に、ザナドはロロの個人的な意向を聞くことに懸念を示したが、ロロはそんなものは殆ど持っていないというのが正直なところだった。どこまでも奴隷根性が染み付いたロロにとって、支配階級に多少無体な扱いをされる程度、どうということもない。最低限はミレニアが何としても交渉でもぎ取るだろうことは予想できているのも、ロロが涼しい顔をしている理由の一つだ。

 そもそも――奴隷の身で、主の意向に口をはさむこと自体が、おかしなことだ。手の届かぬ天上世界で交わされる約束事に、地を這う己が要求を口にするなど、烏滸がましいにもほどがある。

「まず、一番確認したいところだが――この、第三項。戦場では、ある程度の裁量を与える、というのはどういうことだ。まさか、尉官や将官の地位を約束しろ、とでも?」

 ぱちぱち、とロロの瞬きが早くなる。すっと視線だけで、背後から主を見ると、ミレニアは驚いた風もなく否定した。

「いいえ。そういう意図ではありません。……ロロは、規格外の戦闘力を持った兵です。あまりに大きすぎるそれを、並の将では、持て余すことでしょう。ある程度裁量を持たせた、遊撃隊の中に入れ込むことをおススメします」

「なるほど。そういう意図か」

「ええ。彼は、国家にとっても、国防における重要な切り札。愚かな将によって失うには惜しい人材です」

「ちなみに、聞いておこう。お前の読みでは、この男を有益に使える能力を持つ将官とは誰だ?」

 帝国貴族らしい漆黒の瞳が、試すようにキラリと光る。

 ミレニアは涼しい顔で答えた。

「ゴーティスお兄様と、ザナドお兄様。――それ以外の将は、確実にロロを持て余すわ」

「ふっ……言ってくれる。元帥付の遊撃兵にしろと、嘯くか」

「嘯いているつもりはございません。ロロの実力を想えば、自明の理――どこまでも本気です」

 ミレニアの悠然とした笑みを前に、ザナドは目を眇めてこめかみに手をやる。トン、トン、と一定のリズムを刻んで人差し指と中指を揃えてこめかみを叩くその仕草は、彼が静かに考え事をしているときの癖であることをミレニアはよく知っていた。

「そこまで言うからには、確認しておきたい。現場の兵士たちから上がってくる、先日の魔物襲撃の晩の出来事は、どれもこれも信用にならんものばかりでな。……その男の実力を示せ。この条件を飲めるかどうかは、それによる」

「当然の質問ですわね。――ロロ。お前の口から説明なさい」

「……は……」

 ぱちり、とロロの瞳が一つ、二つ、と瞬いて風を送る。

 ミレニアは横顔だけで振り返り、問いかけた。

「魔力が最大まで残っているとき、お前、帝都をどこまで焼けると言ったかしら?」

「……半分は、間違いなく」

「――!?」

 平然と答えたロロの言葉に、ガタンッとザナドが腰を浮かす。

「焼く、と一口に言ってもわからないわね。最大魔力でお前が帝都を壊滅させようと思ったら、どんな被害が出るかしら」

「…………」

 チラリ、とロロは蒼い顔をしているザナドを見やる。

 ここに来たばかりのころ――そのことに関して、不用意に口にするなと命じたのは、ミレニア本人だ。だが、こうして語れと要求されている以上、素直に隠さず伝えざるを得ないだろう。

「生物は全て、焼け死ぬでしょう。骨くらいは残ると思いますが。……建物に関しては、燃えにくい素材を使ったものや、大きな柱と屋根くらいは残るのではないでしょうか」

「な――……」

「あらゆる骨も残さず、燃えカスも残さず、一帯を更地にしろと――文字通り灰燼に帰せと命ぜられれば、さすがに半分は難しいでしょう」

「どれくらいかしら?」

「……さぁ。やってみなければわかりませんが――三分の一は堅いかと」

 ぞくり、とザナドの背筋が冷える。

 現場の兵士たちから上がってきた報告は、尾ひれはひれがついた、妄言に等しいものばかりだと思っていたが――

 逆だった。

 もしも、今の言葉が正しいのなら――現場の兵士たちは、ロロの実力を、とんでもなく低く見積もりすぎている。

「剣闘の中で、位を示すのに、布の色を用いるのだったわね。……お前は、何色の布を纏っていたのかしら」

「……黒布です」

「そう。どれくらいの期間、それを纏っていたの?」

「さぁ……数えていないのでわかりませんが、少なくとも、三年以上は」

 淡々と、無表情で聞かれたことに受け答えていくロロに、自慢げな表情は一切ない。事実を事実として、謙遜するわけでもなく、ただ聞かれたことに答えている、というだけだ。

「剣闘奴隷を戦線投入する施策が通った時、ザナドお兄様も、彼らについては調べたでしょう。黒布について、改めて説明が必要かしら?」

「いや……必要ない」

「そうですか。……ロロは、ここにやってきた時点で、十五歳前後だったと思います。ということは、十二歳前後で黒布になったということでしょう。伝説、と呼ばれていたのも頷けますね」

 ザナドは蒼い顔のまま、浮かした腰を再び椅子へと沈め、トン、トンとこめかみを叩き始めた。

「体技について聞くわ、ロロ。お前が扱える武器は?」

「……基本的に、なんでも。奴隷は、武器を選べない。与えられた物だけで戦わされます。槍でも、剣でも――拳のみで戦えと言われたこともあります」

「そう。……今腰に帯びているのは双剣ね?」

「……一番、使う機会が多かった武器なので。両手で扱えるので、複数と戦わされることが多かった奴隷時代、最も戦いやすかっただけです。……戦場で、これを使えと指定される武器があれば、従います」

 チラリ、と腰の双剣に目をやって答える。

「私が初めてお前を見た日、お前は赤布と青布を相手にしていたわね」

「……はい」

「魔封石をびっしり嵌められた重たい手枷を両手につけたまま、赤布五人と青布が二人。連携するそれらを相手に、お前はその双剣を操り、見事勝って見せた。……間違いないわね?」

「はぁ……最後に残った二人には、命の危険を感じて魔封石の力を凌駕して魔法を使用したのを、剣技で勝ったと言って良いのかわかりませんが」

「十分よ。――さて、ザナドお兄様。これで、ロロの実力が少しでもわかってくれたかしら」

 ザナドは押し黙ったままこめかみを叩く。

 ミレニアの言葉が正しければ、確かにロロの戦力を有益に使える将などいないだろう。どんな強敵も、圧倒的な大群も、最後の最後、全てを地獄の業火で焼き尽くすことが出来るというチートを持ち得る、文字通り最強の切り札だ。

 しかし、魔法というからには、魔力という制限がある。効果と持続時間の法則もある。ここぞと言うタイミングで、適切に扱えねば、絶体絶命の局面を切り開く切り札を無為に失ってしまう。

 仮に人知を超える魔物の大群に襲われたとき、自分の命可愛さではなく、冷静に大局を判断して、最適解を導き出せるような将は、確かにザナドとゴーティスくらいしかいないかもしれない。

「……わかった。ゴーティスは嫌がりそうだが、これに関しては、国防がかかっている。戦線に出すときは、直接ゴーティスが指示を出す遊撃兵として使うよう、何とか説得しよう」

「ありがとうございます」

 満足の行く交渉結果を得られて、にこり、とミレニアは笑顔を浮かべた。


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