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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第四章

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67、動き出す歯車②

 今日もまた、ミレニアは飽きもせず書斎机に齧りつく。

 慌ただしく年を越し、年末年始の忙しさに負けぬよう、必死にミレニアは毎日優秀な頭脳を働かせている。春はもうすぐそこまで迫っていた。早く、全ての身辺整理を終えて、長兄への上申内容とその根回しを完了させてしまわなければならない。

 額に汗して難しい顔をしているミレニアとは対照的に、部屋の隅で無表情のまま控える寡黙な護衛兵は、いつものごとく彼女の視界に入ってくることもなく、こちらから語り掛けるまで一切口を開かないから、ついうっかりその存在すら忘れそうになってしまう。

 そんないつもの昼下がり――コンコン、と扉が静かにノックされ、一人の侍女が入ってきた。

 その手に握られていたのは、二通の手紙。

「到着時期に不備があったのか、二通とも差出人は同じようで――」

「そう」

 婚約破棄が成ってからというもの、紅玉宮への郵便物の到着を不当に遅らせるなどという小さな嫌がらせくらい、もはや珍しくもない。侍女の気まずそうな発言にも軽く返事をするだけで、さっさと下がらせる。

 手紙を見れば、封蝋に刻まれているのは、見覚えのある刻印。――皇族にしか使うことを許されぬ、国家を象る特別な封蝋。

「……なるほど。二通……というのも、納得だわ」

 ミレニアは封蝋と差出人の名前を見て、苦笑する。

 今や皇城中の嫌われ者のミレニアに、わざわざ手紙を出す者は限られているが、この差出人からの手紙は、むしろ婚約破棄をされた後になってから圧倒的に増えていた。

「中身に見当はつくけれど――まぁ、一応、見てみましょう。ロロ、その棚にあるペーパーナイフを取って頂戴」

「はい」

 午後になってから初めて口を利いたのでは、と思う護衛兵は、そのまま勝手知ったる様子で棚から目当てのものを取り出してミレニアへと手渡す。

 その時、チラリ、と紅玉の瞳が手紙の方へと動いたのを認め、ミレニアは苦笑した。

「大丈夫よ。危険なものを入れるような方ではないわ」

「……はい」

 剃刀などのミレニアを傷つけるような悪意のある物質が入っていないとも限らない、と警戒したのであろう忠実な護衛兵を制して、彼にもわかるように差出人を見せた。

 二通の封筒に書かれている差出人名はどちらも同じ。

 ――第六皇子 ゴーティス

「どうやら、嫌がらせで郵便物の到着時期を左右されたわけではなさそうね。――どちらか一通は、ザナドお兄様からのものでしょう」

 クスクス、と笑いながら手慣れた手つきでペーパーナイフを封筒に走らせ、手紙を開封する。

 ざっとその皇族が使うに相応しい上質な紙に書かれた内容に目を走らせた後、ミレニアは中身の予想が外れていなかったことを察し、苦笑を刻んでから手紙を机へと伏せた。

「全く……もう、ひと月以上ずっと同じ内容の手紙を送ってくるなんて――お兄様たちも、ずいぶんと暇なのね」

「?」

 ギッ……と上等な執務椅子に凭れて面倒そうな声を上げたミレニアに、ロロが怪訝そうな顔を返す。口に出して問いを発しないあたりが、この従者らしい、とミレニアはさらに苦笑を深めた。

 そして、一度伏せた手紙を手に取り、ひらひらとロロに見えるようにはためかせる。

「あの事件で、誰かさんの有能さが、至る所にとっても広まったから――お兄様たちの諦めが悪くて、困っているの」

「?」

「わからない?――お前を軍属にして明け渡せと、そう書いてあるのよ」

「――!」

 ロロの瞳が驚愕に見開かれる。ミレニアは疲れたように嘆息して、もう一度手紙を机の上へと伏せた。

 ゴーティスもザナドも、書かれている内容に差はあるが、その主旨はどちらも全く変わらない。

「今や、帝都はいつ再び魔物の脅威に晒されるかわからない。魔物は強力で、討伐するにしても、防衛するにしても、有能な兵士はいくらいても困らないわ。その中で――帝都を半壊させるほどの敵勢力を相手取って、誰よりも獅子奮迅の働きをしたお前を手に入れたい、というのは、まぁ、自然な流れでしょうね」

 ゴーティスの手紙には、ミレニアを侮り、脅すような内容で。――異民族の血が入っているお前が、この国家の危機を前に、国防の要となる人材を囲い込んでいるのは反逆罪に等しい、と苛烈な文章が並んでいた。

 ザナドからの手紙は、理路整然と、ミレニアを説得するような内容で。――ギュンターの後ろ盾もなく、貴族社会に太いパイプがあるわけでもないミレニアの命をわざわざ狙うような者はない。帝国最強の武勇を誇る男を、命の危険など皆無な皇女の専属護衛として雇い続けるのは人員の無駄遣いであり、国益のためにももっと有効な人員配置をすべきだ、という主旨が滔々と文書内で語られていた。

 ゴーティスもザナドも、肩書としては帝国軍元帥――すなわち、国防に関する最高責任者だ。

 あの晩のロロの奮迅は、きっとあの場に居合わせた者たちから詳らかに報告されたことだろう。凡そ簡単には信じられないほどの働きぶりに、二人は驚きながらも、この国家の危機を打開する一手として是が非でも手に入れたいと望んだはずだった。

 おかげでこのひと月ほどは、嫌われ者となったはずのミレニアの元に、三日に空けずこうして手紙が届く日々だ。

「国家の危機を想えば、お前の力を有効に使ってもらいたい気持ちはやまやまだけれど――どうにも、お前を尊重してくれる意思が見られなくて、突っぱねているのよ」

「……尊重……?」

「軍部の最高責任者たるゴーティスお兄様は、生粋の”皇族”よ。プライドが高くて血統を重んじるナショナリズムの塊で――奴隷なんか、視界に入れるのも汚らわしいと考えるような人」

 ミレニアは困ったような顔で呟く。

「お父様の施策で、剣闘奴隷を投入することになってからは、その有用性もある程度理解しているようだけれど、根本的な差別感情や迫害の意識は変わらない。”口を利く道具”と蔑んで、無体なことを働くのも厭わない人だわ」

「……それは、おかしなことではありません。本来の奴隷のあるべき姿です」

「どうせお前はそう言うだろうと思ったけれど、駄目よ。百歩譲って、商人から毎年献上される剣闘奴隷たちに無体を働いていたとしても、お前にまで同じ扱いを強いることは私が決して許しはしないわ」

 彼と出会って四年近い月日がたち、ロロの言いそうなことを理解しながらも、ミレニアももう何度目かわからない主張を繰り返す。

「ゴーティスお兄様は、感情が邪魔しているのか、つべこべ言うな、さっさと渡せという強硬姿勢を崩していないけれど、さすがにザナドお兄様は冷静ね。だんだん、譲歩を見せるからお互いの落とし所を決めないか、という論調に推移しつつあるわ。……まぁ、ザナドお兄様の出してきた譲歩案に納得が出来て、その条件でゴーティスお兄様を説得できるというのであれば、一考の余地はあると思っているけれど」

 ふぅ、と疲れたように嘆息してから、ミレニアは瞳を閉じる。

 本当は――感情の面だけで言えば、たとえ何があってもロロを渡したくなどない。それこそ、天地がひっくり返ったとしても、だ。

 ロロの武力を考えれば、最も戦況が苦しい箇所に配置されることは確実だろう。元奴隷出身の彼をそこに配備することに遠慮するような兄たちではないし、将としてもそれは正しい選択だ。

 だが、ミレニアはあの恐ろしい夜を昨日のことのように覚えている。漆黒の獣が次々と襲い来て、幼く健気な少年の命を無情に奪っていった、あの日のことを。

(ロロを万が一にも失うような危険のあるところに赴かせたくない、というのは――とても個人的な、持ってはいけない感情)

 国益を考えれば、すぐにでも献上すべき、という兄二人の主張は、正しい。これ以上なく、正しい。

 皇族としては、それに理解を示し、すぐにロロを軍属へと変えるのが正しい行いだろう。優秀な兄二人の言を、同じく優秀なミレニアは、これ以上なく理解している。

 だが、それでも――どこかで、個人の感情が、邪魔をする。

(貴族のお坊ちゃまたちが、ロロを尊重してくれるだなんて思わない。有事の際は、ロロを置き去りにして、自分たちだけ助かろうとするような連中ばかりでしょう。そもそも、優秀な将の下に配備されるかどうかすら危ういわ……)

 愚かな将は、優秀な兵も食いつぶす。

 ギュンターから教えを受けたミレニアは、それを痛いほどに理解していた。

(第一、この過保護の極みみたいな男が、私の護衛の任を放り出して、私以外を主と頂き命令を聞くなんて、想像もできないわ)

 軍属になる、とはそういうことだ。所有権がゴーティスへと移り、兵舎で寝泊まりをして、上官の命令に徹底的に従うことになる。

 ふ、と当たり前のように自惚れに近い感想を抱いたことに、ミレニアは苦笑する。いつぞや、この書斎の中で、ロロに奴隷解放の上申内容について語った時に、「傍を離れたくない」と切々と哀願するようにして反論された日を思い出していた。

「……姫」

「なぁに、ロロ」

「……俺は、軍の一団に組み込まれて、指示に従うこと自体に、異論はありません」

 ぱちり、と。

 ミレニアの翡翠の瞳が、驚いたように瞬かれた。


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