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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第三章

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51、噛みしめる無力⑦

 外に出たときには、既に外は宵闇に沈もうとしていた。雪が降りだしそうな曇天は、夕焼けで人々の目を楽しませることすらなく、ゆっくりと互いの顔すら判別がつかぬ黄昏へと街を飲み込んでいく。

「このまま、城まで一息に走りますか?しかし、どれほど急いだところで、今日の天気では、すぐに闇に包まれるでしょう」

 伺うように御者のファボットが尋ねるのに、ミレニアは苦笑を漏らした。

「そうね。でもまさか、公子も、この状況で我々を泊めてくれるほどのお人よしではないでしょう。ディオの交渉すら、直接対面するのを嫌がって、人を介して伝令させたくらいだもの。とはいえ、街に宿を取るのも、今からでは厳しいわ。無理を言って申し訳ないけれど、遅くなってもいいから、馬車を走らせてくれないかしら。……大丈夫。今日は、ロロがいるもの。明かりの心配はいらないわ」

「はい」

 黒衣の護衛兵は、カルディアス別邸の家人から借り受けたランタンを御者台に設置しながら言葉少なく返事をする。

 ボッ

 取り付け終えると同時に、視線一つでランタンの中に炎が現れ、周囲を煌々と照らし始めた。

「あ、明るいですね……ですが、この強さで灯して、大丈夫でしょうか?城まで明かりが持つかどうか――」

「?……この程度なら、放っておいても丸一日は燃え続ける。弱いなら言ってくれ。火を強めるか、進路に光源用の炎を放つ」

 当たり前のように無表情で言ってのけるロロの言葉に、ひくり、とファボットの頬が引き攣る。

 魔法というのは、基本的に威力――出力や範囲など――と持続時間が反比例する。威力の強さにしても、持続時間の長さにしても、どちらも術者の魔力総量と技術に左右されるものではあるが、基本原則だけは変わらない。本人の最大出力を出せば持続時間は一瞬で、持続時間を最長にしたければ威力は出せない。

 ロロが今ランタンにともした炎は、燃料に関係なく術者の意志だけで好きな大きさで燃え続ける魔法の炎だ。

 並の魔法使いであれば、己の魔力を十分に注ぎ込まねばならないであろう大きさの炎の持続時間を、ロロは「放っておいても丸一日」と言い放った。彼にとって、この程度は出力など無いに等しいというのだろう。

「改めて……すげぇな、ロロの旦那……」

 御者台に一緒に乗り込んだディオもまた、頬を引きつらせてランタンを見る。66番、と呼ぶとミレニアに怒られたため、彼なりに呼びやすい呼び名を見つけたようだ。

「念のため、俺が明かりをもって先導する。――ディオ。後ろは任せる。万が一、姫に危害を加えるような何かがあれば、お前が身を挺して守れ。一瞬も気を緩めるな」

「お、おうっ……!」

 腰に差した一振りの剣に手をやり、少年は拳を握って力強く頷く。左頬に同じ文様を刻む二人のやり取りを聞きながら、乗り込んだ馬車の中でふふっ……とミレニアは笑いをこぼした。

「街の中を行くだけなのに、大袈裟ね。全く」

「皆、ミレニア様のことが大切だと言うことですよ」

 ガチャン、と扉が閉まるのを聞きながらマクヴィー夫人は答えて、手元に目を落とす。そこには、手で包めるほどの小さな温石が布にくるまれていた。ふっと我知らず、目元が緩む。

「ふふ……優しい息子ね?」

「っ……!か、揶揄わないでください」

 それは、馬車に乗り込むとき、ディオルテから渡されたものだった。

 奴隷として何も持たない彼が、唯一奴隷小屋から持ってきたのが、その小さな温石一つだった。冬に凍えて死なないために、長年彼の命を守り続けてくれたであろう粗末な石を、「今日は冷えるから二人で使ってくれ」と、マクヴィー夫人に預けたのだ。

 どう考えても、御者台で風にさらされる少年の方が寒いに決まっているだろうに、それは、心酔する主と母代わりに慕うと決めた夫人への、ディオなりの不器用な優しさの現れに違いなかった。

 ロロの視線一つで一瞬で高温に熱されたそれを、ミレニアは遠慮するマクヴィー夫人に無理やり預けた。手元を何度も優しい瞳で見下ろす夫人を見て、やはり、彼女に預けて正解だったと改めて思う。

「では、参ります」

 ファボットのしゃがれた声が響き、鋭い鞭の音と共に、ガラガラと車輪が石畳を走る音が響く。

 ついすぐそこに、ぽっかりと口を開けた漆黒の闇夜が迫ってきていた――


 ◆◆◆


(……なんだ……?)

 蹄の音を響かせて街を行く途中、言葉にしがたい違和感を感じ、ロロは軽く眉を寄せる。

 カルディアス別邸を出てからほどなくして、予想通りすぐに周囲は漆黒へと包まれた。

 今日は、雪が降りだしそうな曇天だった。月も厚い雲の裏側に隠れているのか、辺りは真っ黒に塗りつぶされたような闇が広がっており、ロロのかざす炎と、馬車に備えられたランタンの明かりだけが周囲を照らしている。

 しん……と寝静まった街――と言えば、その通りなのだが――

(静かすぎる……)

 いくら周囲が暗いとはいえ、まだ、日が沈んでからそれほど時間が経ったとは言えないはずだ。日の入りが早いこの季節、この時間帯に、こんなにも人の気配がないほどに静まり返るものだろうか。

(魔物の襲撃で壊滅した東の区画ならともかく、ここは普通の居住区のはずだ。来た時も、特に異変はなかった……)

 念のため、帰り道は、来た時と同じく、治安も穏やかと思われる区画を優先した順路を辿っている。

 星も月もない漆黒の世界は、いつどこから何が飛び出してくるかわからぬ、本能的な警戒を呼び起こした。

(まるで、夜の森だな……)

 ふと、ロロの脳裏に、紅玉宮に来たばかりのころに学んだ知識が蘇る。ミレニアを連れてどんな所へ行くとしても万全を期せるように、ロロは書物で寝る間も惜しんで、奴隷小屋からはついぞ知ることの無かったあらゆる知識を詰め込んだ。

 そこで学んだ知識によると、森林には、様々な獣が生息していて、人や家畜を襲う危険な動物も多い。特に夜行性の獣は凶暴な物も多く、一般人は普段から深い森に近づくことはしないが、夜は絶対に足を踏み入れてはならないらしい。

(そういえば、帝都の東にある森に、魔物が出たんだったか……)

 魔物の生態については、詳細があまり明らかになっていないと、かつて目にした書物にはあった。

 明らかなのは、ただひたすらに血と肉に飢えた存在であり、高い戦闘力と強靭な身体を持つ漆黒の身体を持った獣のような生き物、ということだけだ。並の兵士では、一対一で戦っても敵わないため、よほど腕に覚えのある者でない限り、一匹の魔物に対して複数人の兵士で討伐に当たるのが基本だ。

 さらに魔物の中にも序列らしきものがあり、高位の魔物は高い知性を持ち、低位の魔物を眷属として従えることもあるらしい。”巣”と呼ばれるものから生み出されるのは主に高位の魔物で、それらは己の力で眷属となる新たな魔物を生み出すことが出来る。

 ゆえに、魔物の巣が観測された地域では、基本的に大多数の魔物を相手取って戦うことになる。知性のある魔物に率いられたその群れは、統率の取れた動きで迫ってくるため、魔物の巣が観測された地域の武力踏破は莫大な犠牲を払わない限り不可能だとされていた。――かつての、エラムイド侵攻の時のように。

(もしも、森に巣が出来たんだとしたら、それは確かに厄介だろう。帝都のすぐそばに、知性のある魔物が住み着き、いつでも好きなように襲い掛かることが出来る状態なわけだ。……いつか、魔物と戦う可能性も考えておくべきか)

 帝都が蹂躙されるとなれば、いつ、皇城に踏み込まれるともしれない。ロロは、静かに覚悟を決め――

「――――」

 ふ……と。

 掲げた炎が風に揺らめいた気がした。

「――――っ!」

 ぞわりっ

 その瞬間、背筋を得体のしれない不快な何かが駆け抜けていく。

 それを、言葉にするなら――”嫌な予感”。

 ただ、それ以外に表現のしようのない感覚だが――その勘が外れたことは、今までの人生で、一度もなかった。

「ぁああああああああああああああっ!!!!」

 ドンッ

 本能に逆らうことなく、問答無用の特大出力で、ロロは馬車と自分の馬を取り囲む炎の壁を造り出す。

「な、なんだっっっ!!?」

 訓練によって炎に慣れさせられた馬と言えど、さすがに灼熱の業火には驚いたのか、大きく嘶いて馬車が急停車する。天空高く、火柱にも似た炎が、舌を伸ばすように舞い上がった。

 ファボットもディオも、突然紅蓮に包まれた周囲に驚きに目を見張り――

「ギャンッ!」

「な――!?」

 何か――真っ黒な何かが、横手から突進してきたかと思うと、炎の壁に阻まれ、一瞬で消し炭にされて地面へと横たわる。

「ディオ!()()ぞ!!!全部残らず叩き落せ!!!!」

「っ――!」

 ロロの怒号に似た叫び声に、即座に反応できたのは、ディオもまた、幾度となく死線をくぐる命のやり取りを生業としてきたからだろう。一瞬の判断の遅れが命取りになることを、彼らはこの世界の誰よりもよく理解していた。

 ディオは弾かれたように一息で剣を抜き放ち、御者台から飛び降りて馬車を背に庇うようにして刃を構える。

 魔法の出力と、持続時間は比例しない。

 特大出力で地面から天に向かって放たれたそれは、すぐにふっと立ち消えた。

 その瞬間――炎の壁の向こうにいた、無数の黒い獣と目が合う。

「っ――――!」

 一瞬見えた周囲の光景に息を詰めて、ロロはもう一度炎の壁を展開する。今度は、持続時間も考えた、ギリギリ獣が飛び越えられないであろう高さまでの炎で造った防護壁。

 しかし、一瞬途絶えた炎の隙をついて、防護壁が完成する前に、数匹の獣が襲い掛かってきた。

「何だこいつら!」

「っ、魔物だ!一太刀で絶命させろ!!群れで来られると死ぬぞ!」

 叫びながらガッと馬の背を蹴るようにして飛び降り様に双剣を抜き放つと、目についた獣を全て斬り伏せる。視界の端で、ディオも交戦を開始しているのを見ながら、ディオが守るのとは反対側に向けて、馬車に駆け寄る。

 一匹の獣が、馬車に飛び掛かろうとしていた。

「キャァ!」

「っ――させるかぁあああ!!!」

 馬車の中から聞こえた少女の悲鳴が鼓膜を揺らすとともに、怒りが爆発する。感情に任せて魔力を解き放つと、ボッと鈍い音を立てて、魔物が自然発火するようにして炎に包まれた。

 ギャンッと声を上げて地面に転がったのに追いすがり、ドッと首を刎ねるようにして絶命させる。

「姫!!!馬車の中に身を伏せて、決して顔を出さないようにしてください!……ファボット!お前も馬車の中に入っていろ!中に、緊急時の護身用の剣があっただろう!俺とディオが万が一討ち漏らした奴がいたら、中からそれで迎撃しろ!」

「は、はいぃっっっ!」

 老人の震える声で返事をして馬車の中に駆け込んでいくのを聴きながら、ロロはぐっと奥歯を噛みしめて己が造り出した炎の防護壁を睨む。

「ロロの旦那っ……一体、何がどうなってんだ……!?」

「知るか――!俺が聞きたい!」

 何とか第一陣はしのぎ切ったらしいディオの問いかけに、苛立ちと共に答えて、ロロは双剣を再び握り直す。

 蘇るのは、一瞬見えた、炎の向こう側――

(このあたりの生存者は期待できないと思っていいか――!)

 街の中に無数に蔓延る、魔物たち。建物に顔を突っ込んでいる物もいれば、街道の隅に蹲るようにして数匹がたむろう影もあった。

 血と肉に飢える獣がたむろう先に何があるのか――不自然なほどに静まり返った街並みが、全ての答えだ。

(昔、書物で見た通り、あれらが知性のある魔物に統率されて動いているとしたら……このあたりの住人を食い尽くした後、煌々と炎を絶やして進む俺たちの進路を予想し、包囲するようにして、気づかれぬように迫ってきたのか――!)

 罠に掛けられたと言っても差し支えがない状況に、ギリリと奥歯を噛みしめる。

(どうする――どうする、どうする、考えろ、考えろ――!)

 脳みそがフル回転して、現状を打破する方法を必死に考える。

 どうやら、魔物に炎は効果的らしい。炎の防護壁があるうちは、それを無視して突進してこようとする個体はいないようだ。

 だが、このままでは、じり貧だ。魔物の包囲網を切り抜けぬ限り、ただの時間稼ぎでしかない。

 時間を稼ぐことで生き延びられるならそれでも良いが、周囲に生存者がないということは、救援を期待することも絶望的だろう。場合によっては、一晩ずっとここで戦い続ける羽目になるかもしれない。

(一晩、ここで戦い続けるとして、俺の魔力の限界がわからない……こんな戦い方は、したことがない――!)

 炎の障壁は、いつかは消える。すぐに張り直すとしても、一瞬掻き消えたところを狙い、今のようにタイミングを見計らって敵も飛び掛かってくるだろう。

 こちらの迎撃要員は二人。敵の数は不明。隙をついて馬車に襲い来る魔物たち。なるべく剣で迎撃するにしても、間に合わぬ敵には、遠隔攻撃として炎を使うしかない。その使用頻度がわからない以上、ここで救援が来るまで時間を稼ぐというのは分の悪い賭けとしか思えなかった。

 炎を節約すれば、その分剣技に頼ることになる。そうなれば、今度は体力がどこまで続くか、わからない。ロロ自身も――反対側を守る少年ディオルテも。

 最初、特大出力で天高くまで炎の柱を造り出したことを後悔する。得体の知れぬ何かから身を守るためには、何があっても対応できるようにああするしかなかったことは事実だが、今となっては、魔力を少しでも温存しておくべきだったと歯噛みした。

 考えているうちに、ゆらり、と炎の障壁が揺らめく。

「くそっ……ディオ!()()()()だ!」

「――――っ!」

 その端的な指示で、少年はすぐに理解した。ぐっと剣を構えて臨戦態勢を取ると同時、ふっ……と炎の障壁が掻き消える。

 ザザザザッ

「く――!」

 地を蹴って黒い獣が襲い来るのを認めながら、再び炎の障壁を展開する。

 ギギンッ

 鋭い牙と爪を双剣で防ぎ、猛攻に耐える。

「くそが――!」

 ザンッ ザザッ ザシュゥッ

 口汚く罵りながら、黒いマントを翻し、風のように獣から獣へと渡って最短で絶命させていく。

 自分の側面を守り切ったら、すぐに反対側へと躍り出た。

「っらぁ!」

 そこには、ひと振りの剣で、魔法もなしに無数に返り血を浴びながら奮闘する少年の姿が目に入った。ドッと地を蹴り、加勢に入ることで、何とか第二陣をしのぎ切る。

「やべぇな、こいつら……!剣闘場の猛獣なんてペットじゃんか……!」

 ぐいっと少年は乱暴に頬についた血を手の甲で拭ってから、刃の血糊を振り払う。その手慣れた様子に、どうやら戦力として十分数えられるようだと安心し、ロロは小さく息を吐いた。少なくとも、魔物一匹に対して一人で対峙しても引けを取らぬ程度には腕の立つ少年らしい。

 ディオを引き取ったことがよかったのか、と屋敷ではミレニアに問うたが、結果としては大正解だったと言えるだろう。――ロロ一人では、この局面がもっと深刻な事態になっていた。

 ロロもまた刃についた血糊を振り払いながら、馬車へと近づく。

 ――障壁で安全な今の時間を使って、やらねばならぬことがあった。


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