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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第三章

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45、嚙みしめる無力②

(何度来ても――広大な土地に、立派なお屋敷。カルディアス公爵家の威光をこれ以上なく感じる場所よね)

 応接室に通されて、ふかふかのソファに腰掛けながら、ミレニアはさりげなく周囲を見回してそんなことを考える。見れば、この応接室に設置されている調度品も、全て価値の高いアンティークばかりだ。

(資金繰りには困っていない……ということかしら。カルディアス公爵は、誰の派閥に属しているのかしらね)

 ギークに属しているのであれば、せっせと賄賂を献上する必要があるはずだ。そのうち、この高価な調度品も金に換えられていくのだろうか。

 狡猾な狐のような相貌をした当主の顔を思い浮かべながら、ミレニアは静かに考える。冷静に損得を勘定している彼ならば、じっと世の中の情勢を見極めてから派閥を決めそうだ。

(今や、私の皇族としての利用価値は、ほとんどないものね。私を買ってくれているお兄様は、ザナドお兄様くらいだけれど、彼は表向きには存在しないことになっているし――今、私を一族の中に迎え入れる価値があるとすれば、北方侵略を成功させることくらいかしら)

 一か八かの大博打ではあるが、貴族社会において、金策がこれまでになく重要視される局面だ。ギークに付くか付かないかは別として、どんな選択肢も取れるように、北方の金脈を己のものにしておける利は大きい。

 帝国軍が、正規の進軍を取ったところで、北方侵略は叶わない。ミレニアが上申した、ある種トリッキーともいえる施策でもない限り、難しいだろう。

 そうなれば、帝国最強の武を誇る上に奴隷出身という身分のロロを意のままに動かすことが出来るミレニアが軍の実質的な司令塔になるのは、施策遂行の上で不可欠と言える。奴隷たちが素直に貴族の言うことを聞くとは思えないが、元奴隷出身のロロの言葉ならば聞く可能性は高い。

 そして、ロロがミレニアにどこまでも従順であることは、貴族社会にいるものであれば全員が骨身に染みて知っている。片時も主の傍を離れない美しい顔の専属護衛は、まるで影のようにぴったりと寄り添って、手足のように動く。

 奴隷たちを、貴族が思うように動かしたければ、ミレニアを抑える必要がある。その権利を、一族に迎え入れ、息子の嫁にするという形で叶えられるならば、北方侵略の価値はカルディアス家にとって格段に上がることだろう。

(逆に言えば、北方侵略が叶わないのであれば、カルディアス家にとって私は無価値……困ったわね。事情を知ってしまった今となっては、戦争をしている場合ではないと思うもの……)

 ゴーティスやザナドの考えもわからなくはない。このままギークに執政を任せていれば、とんでもないスピードで国家が腐敗していく。ならば、北方侵略を早期に実現して、国民の悪感情を吐き出す先を造り出し、その腐敗スピードをわずかながらに緩めることが出来るのであれば、何もしないよりはましだろう。

 だが、それはあくまで、腐敗スピードを緩めるだけの施策だ。

 何より、戦争というのは、金がかかる。今の疲弊しきった国内で、戦争の準備などしようものなら、国民の暮らしはさらに厳しくなり、悪感情は爆発するだろう。

(結局、ギークお兄様を諫めるしかないのよね……困ったわ……)

 ミレニアが一人で背負えるものであれば、問題はなかった。国民を想うならば、正義の意志を持って長兄に諫言するのも、ミレニア個人としては何の躊躇いもない。その結果、ギークの不興を買って処罰されるとしても――国民が苦しみ、不幸にあえぐのを、ただ黙ってみていることだけは出来ないのだ。長兄を説得できない不徳を己で背負うことに、異を唱えるはずもない。国を正しく導くことが、末端とはいえ、皇族の一員として生まれたミレニアの義務だと思っているからだ。

 だが――彼女には、古くから紅玉宮に仕える者たちがいる。

 彼らは皆、『第六皇女』に仕えているのではない。ミレニアという少女に、己が仕えるに足る主としての資質を見出し、己の職務も役割も関係なく、ただ、ミレニアを幸せにしたいとそれだけを願って、仕えてくれている臣下ばかりだ。

 皇城の中での地位が最下位に暴落した今も、文句も言わず、今までと何も変わらぬ笑顔で、必死に仕えてくれているのは、そういうことだろう。

(私一人が処罰されるのは別に構わないのだけれど……私を信じてついてきてくれた紅玉宮の者たちまで巻き込んではいけないわ。裁判も機能していない今、正直、ギークお兄様が何をするか予想もつかない。常識では考えられないようなこともあり得るわ。臣下や臣下の実家のお家取りつぶしとか――あぁ、もう、立ち回りが難しい……まずは、皆に暇を出すところからかしら)

 ふ……と夜空の色をした長い睫毛が伏せられる。物憂げな思案顔は、”第二の傾国”と呼ばれるにふさわしい美貌を惜しげもなくさらしていた。

「……姫……?」

 その表情に、何を感じ取ったのか――ロロが、控えめに、小さな声を上げる。

 声に反応し、睫毛が上げられ、翡翠の瞳が黒衣の青年を見上げた。

(全員に暇を出すとして――ロロ、は……?)

 彼は、大事な紅玉宮に務めている従者たちの中でも、飛び切り、誰よりも、大切な従者だ。

 女帝になりたいという夢を擲ち、全てを捨ててでも、と手に入れた従者。

 彼を傷つけられることは、我慢がならない。――例え、血の繋がった兄であろうとも。

 だが、それを恐れて暇を出す、ということは――彼を、手放す、ということ。

(私は――手放せる――?)

 この、命も、身体も、全てをミレニアに捧げると言って、至上の献身を厭わない青年を――

「――――……ロロ……」

「はい」

 相変わらず仕事のする気のないらしい彼の表情筋は、いつ見ても変わらない面を向けてくる。

 美しい宝石のような紅玉の瞳が、何度か瞬かれて風を送った。

「……お前は――」

 桜色の可憐な唇が、そっと弱々しい声を紡ぐ。

 まるで、縋るような少女の顔に、ロロは少し驚いたように瞬きを速めた。

「姫……?」

「――――」

 ミレニアの唇が、続きの言葉を紡ごうとした瞬間――

 ガチャッ……!

「待たせたな、ミレニア殿」

「――――……いいえ。素晴らしい調度品を眺めていたら、時間などあっという間でしたわ、公子」

 午前中は仕事をしていたのだろうか。帝国軍人に支給される漆黒の軍服に身を包んだヴィンセントが、ギュンター存命中とは打って変わった尊大な態度で部屋に入ってきた。

 ミレニアが素を見せて、ヴィンセントを侮るような振る舞いをしたせいだろうか。必死に己の小さな尊厳を保とうと、あれ以来ヴィンセントは殊更に家長としての振る舞いを強調し、ミレニアを皇女としてではなく、あくまでカルディアス公爵家に嫁に来る身分の者であると扱うようになった。

(相変わらず、器の小さい男……)

 ギュンターの後ろ盾が無くなり、皇宮内での地位が最下位になったミレニアに僅かばかりの不敬を働いたところで、それを気に留める者はいない。まして、相手は将来の夫だ。

 時折、紅玉宮の古株たちが軽く眉を顰めたり、ロロがひくり、と頬を動かすときがあるが、それくらいだ。唯一ロロだけは、時にミレニアに優劣を見せつけるかのように脅かし恫喝するような態度をとる公子に対して、一瞬で敵意に近い殺気にも似た何かを見せるため、そのたびにミレニアは手を上げてロロを制す。

 毎度、ヴィンセントが退席した後、不満そうな顔で渋面を作るロロに、ミレニアは力なく笑って言い聞かせるのだ。

『弱い犬ほど良く吠える……好きにさせておけばいいわ』

『ですが――』

『どうせ、お前が怖くて、私に直接手を上げることなど出来ないわ。言葉で何を言われようと、私は気にしない。お前も、気にすることはなくてよ』

『――……』

 明らかに不服、と書かれた顔のまま、ロロはそれでも押し黙る。ミレニアを至上の主と認めているが故の、我慢なのだろう。

「今日は、ミレニア殿にぜひ見ていただきたいモノがありましてね」

「あら。……どこかに旅行でも行かれたのかしら?」

 この帝国の非常時に、という皮肉は心の中に押し込んで、形だけの笑みを張り付けて問いかける。

 しかし、ヴィンセントは皮肉の影にも気づくことはなく、ニヤリと嫌らしく笑って、後ろを振り返る。

「おい!アレを持ってこい!」

(……粗野な言葉遣い……どんどんとメッキが剥がれ落ちるわね)

 自分を強く見せようと虚勢を張っているからなのか、もともとの性格なのかは知らないが、これではカルディアス公爵家の名泣く。ミレニアは相手にわからないようにそっとため息を漏らして、いったいどんなつまらないものを見せられるのかと思案し――

「――――――」

 ジャラッ……

 耳に届いたのは、鎖を引きずる、耳障りな音。

「ほら、さっさと歩けっ!」

 家中の者らしき男の怒号が飛び、「アレ」とやらが姿を見せた。


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