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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第三章

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39、忍び寄る影②

 ――ねぇ、ロロ。ルロシーク。

 ――はい、姫。

 ――お前に、頼みがあるの。お前にしか頼めない、大切なことよ。

 ――はい。なんなりと。

 ――あのね――


 ◆◆◆


 パン パン

「最後まで気を抜かない!」

「っ……!」

「顔を上げて!しっかり胸を張る!口元は笑顔!」

「~~~っ!」

 今日も、ドゥドゥー夫人の厳しい声が飛ぶ中、ミレニアは必死に身体を動かす。曲はもう終盤だ。

(あと少し――!)

「はい、ラストです!」

「くっ……!」

 くるり、と曲の終わりに合わせてスピンをする。必死に、練習した通りの足さばき。

 ジャンッ……と音楽が鳴りやむと、はぁっ……!と喉の奥から熱い息が漏れた。そのまま、膝を折って礼をする。

 パチパチパチパチ――!

 練習場に、乾いた拍手の音が鳴り響いた。

「すごいですよ、姫様!ついに、ついにやり遂げましたね!私の足を踏まずに一曲踊れたのは初めてです!」

「あ、ありがとう……ガント大尉……」

 ぜぃ、ぜぃ、と整わない息のまま、大きな拍手を響かせて近寄ってくる大柄な男に礼を言う。あまり褒められている気がしないが、それでもミレニアにとっては本当に大きな成長だった。

「なんとか、なんとかデビューダンスだけは形になりそうでよかったです……!もう、本当に、初めの一年は何度匙を投げようと思ったことか――!」

 ドゥドゥー夫人も安堵の表情で、何やら涙ぐみそうな勢いである。

「足を踏まなかった、というだけでも姫様にとっては奇跡のような成長です!本番まであと二年もありませんから、何としてでもこの一曲を仕上げましょう!」

「そうね……お願いするわ。でも、さすがに疲れたから、ちょっと休憩させて頂戴」

「えぇ、勿論ですとも。マクヴィー夫人を呼んで、お茶を入れてもらいましょう」

 言いながら、ドゥドゥー夫人は練習場を後にしていく。

「いやぁ、本当に成長なされましたな、姫様。久しぶりのレッスンということで、聊か心配しておりましたが、杞憂でした。私も感慨深いことです」

「ありがとう、大尉。他の護衛の者たちにも沢山迷惑をかけたおかげよ」

 やっと整い始めた息の合間にクス、と笑いを漏らして答える。ガントもまた、ふわり、と優しく笑顔でそれを受け止めた。

 ギュンター崩御の後――予想通り、ミレニアの周りは大幅な人事改変が行われ、護衛兵はほとんどが主務を紅玉宮以外に移されてしまった。

 それは、ガントも同じである。

「今は、ゴーティスお兄様の元にいるのでしょう?うまくやっているかしら」

「ははは……軍神は、さすがですね。ご子息も非常に優秀で、その補佐に選んでいただけるとは身に余る光栄です」

「ふふ……忙しいでしょうに、お休みなのにこんなことを頼んでしまって、申し訳ないわ。今日の護衛兵が体調を崩してしまって、急遽休みを与えたから、相手役に困っていたの」

 言いながら、椅子に腰かけて額ににじんだ汗をぬぐう。

「いつでもお声がけください。本当は、もっと頻繁に顔を出したいくらいですよ。……どうにも、紅玉宮の穏やかな雰囲気に慣れ親しんでしまったせいか、久しぶりの軍部の空気は息苦しく感じられてしまって――姫様のデビューダンスがどうなったか、ずっと気がかりでございました。今日は本当に嬉しかったのですよ」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。ありがとう、ガント大尉」

 ガントは、その実力を買われて、ゴーティスの長男の補佐として、軍部に詰めることが多くなった。若いころからギュンターの侵略戦争に何度も従軍し、実力をつけてきたガントは、ここ数年、大きな侵略戦争がない国の中では貴重な実戦経験豊富な兵士だ。権威の失墜著しい第六皇女の護衛などという役職に着けておくには惜しいというのも、最もだろう。生きた知識を、経験を、次世代のトップとなり行く者に伝えていかなければならない。

 帝国軍元帥たるゴーティスの長男とあれば、次の元帥となる筆頭格だ。年齢だけで見ればミレニアと大して変わらない年齢だったはずだが、将来は最低でも佐官以上の役職を用意され、将官になっていくことを期待されている。未来の将官の補佐を尉官が務めるなど、異例の抜擢だ。

「ゴーティスお兄様は、優秀な軍人が好きなの。お父様がお前を私の護衛にしたことを、ずっと憎らしく思っていたはずだから、きっと、今までの分を取り返させるためにも、良い待遇を用意してくれるはずだわ」

「いやはや、そのような……老い先短い私のような老兵よりも、未来ある後進たちに道を譲りたいところです」

「ふふ、老兵などと――まだそんな歳ではないでしょうに」

 ふぅ、と息を吐いて、天を仰ぐ。

 息苦しい、というのならば――最近の紅玉宮も、かつてに比べれば、ずいぶんと息苦しくなった気がした。

「……ロロ殿は、お元気ですかな?」

「ぇ?……えぇ。いつも通りよ。……そういえば、ロロが風邪をひいているところなど、この三年間で一度も見たことがないわね」

 クスっと笑って言うと、ガントは何気なく練習場を見渡す。――そこに、馴染みの護衛兵の姿は見当たらない。

「今日は、どちらに?」

「今日は、休みを与えているのよ。久しぶりの休みで、羽を伸ばしているのではないかしら」

「……休みを……?」

 ぎゅっとガントの眉が怪訝そうに寄る。それは、ガントが知っているロロらしくなかった。

 元々、労働待遇などという言葉など存在しない奴隷出身だったせいか、ロロはワーカホリックと言って差し支えないほど、ミレニアのためなら不眠不休でいくらでも働く。毎日のように命のやり取りをさせられていた剣闘奴隷時代に比べれば、ただ突っ立っているだけのことが多い紅玉宮での護衛任務など、彼にとっては毎日が休暇のようなものなのかもしれない。

(今日、護衛として勤務するはずだった兵士が、体調を崩して務められなくなったのなら――ロロ殿ならば、当たり前のような顔をして、何も言われずとも代わりに護衛の任を務めそうなものだが)

 紅玉宮の護衛が必要最低限――を、さらに下回る人員しか配備されていないことは、ガントも知っている。ギュンターが存命のころは、ダンスレッスンの時も、相手役のガントとは別に、ロロが控えていることが多かった。どこへ行くにも、ミレニアがいる空間に、二名を下回る人員でシフトが組まれることなどありえなかった。

 それが、今は、基本的に一名しか配備が出来ない上、彼らに規定通りの休みを取らせるようなシフトを組んでいては回らない、という事態に陥っている。しかも、与えられたのは新兵に毛が生えたような若い兵士ばかり。現在の政治情勢下において、ミレニアの利用価値がない今、彼女に大きな危険が迫る可能性が低いのが不幸中の幸いだ。

 兄たちの嫌がらせとしか思えぬほどの露骨な人員体制の悪化に対しても、ミレニアは文句ひとつ言わなかった。

 ただ、少しだけ申し訳なさそうに瞳を伏せて――己の専属護衛に頼った。新兵たちの待遇を悪化させないために、ロロの休みを削らせてくれ、と。

 むしろ穏やかな笑みすら浮かべて、いつかのように隷属の意を表し、快諾してくれた青年に、どれだけ救われているか、わからない。

「……姫様」

「?」

「何かあったら、私や――かつて、紅玉宮に務めていたものたちを、どうぞ遠慮なく頼ってください」

「――――……」

「皆、貴女を心から真の主と慕う者ばかりです。色々な事情があり、表立って動くことが出来るものと出来ぬ者がおりますが――大丈夫。貴女が本当にお困りの時には、見て見ぬふりなど出来ぬ者たちばかりです」

「ガント大尉――……」

「今日も、私は、久しぶりの休みに、貴族の端くれらしくダンスの練習などしようと思ったら、姫様がいらっしゃったのでお相手を願っただけです。誰に何かを言われるはずもない」

「――――……ふ……ふふっ……」

 茶化すように言うガントに驚いたあと、思わずミレニアは笑いを堪え切れず笑みを漏らす。

 ゴーティスは、ミレニアを疎んじているうちの一人だ。その勢力に厚遇されているということは、ガントは今後、表立ってミレニアと接触することは出来ないだろう。わざとらしくとも、何かしらの口実を作らねば、近づくことも許されない。

(それでも――大尉ならば、最後は私を助けてくれそうだから、たちが悪いわね)

 貴族の五男坊として育った彼は、そもそもが自分の出世というものにあまり興味がない。壮年という年齢もあり、子供も巣立ったため、失うものもない、と言って、仮に上官の不興を買っても、有事の際はミレニアに手を差し伸べてしまいそうだった。――第二の父のように、昔からミレニアを優しく見守ってくれた、忠臣なのだから。

(きっと、私がロロに遠慮してしまっていると思ったのね)

 心優しい第二の父の、わかりづらい励ましとフォローの真意を組んで、ミレニアは苦笑する。

 確かに、ロロの待遇は他の兵に比べればやや過酷だ。休みは少ないし、勤務時間も長い。ガントが紅玉宮に詰めていたころと比較しても、悪化していると言わざるを得ない。

 おそらく、今日の護衛兵の急な欠員に対して、ミレニアがロロの貴重な休みを奪うことを気に病み、ロロを頼れなかったのだろうとガントは受け取ったのだろう。

「安心して頂戴、大尉。ロロには今日、お休みのついでに、ちょっとしたお遣いを頼んでいるだけよ」

「お遣い……?」

「えぇ。……今朝は、どうせ危険などないのだから大丈夫、と言っているのに、護衛の一人もいない状態にするなんてと、私のお遣いを突っぱねようとするものだから――ガント大尉に来てもらうわ、と言って何とか了承してもらったのよ。巻き込んでしまってごめんなさいね」

「なんと――そうでしたか。いや、ロロ殿がロロ殿らしいままで、安心いたしました」

 熊のような大男は、ホッと頬を緩ませる。

 蝶よ花よと皇帝の寵愛を一身に受けて育った少女が、一転して冷遇されている今、あの紅い瞳を持つ専属護衛が傍にいてくれることが、どれだけ少女の心を救っていることだろう。

「ふふ……心配しなくても、ロロは、いつまでも変わらないわ。きっと、ずっと、変わらない。――未だに、ダンスレッスンの日の護衛に当たると、あの無表情を顰めて、露骨に嫌な顔をするくらいだもの」

「ははは!ロロ殿らしい!」

 膝を打って、ガントは大げさに笑って見せる。護衛の数が少なくなった今、ダンスの相手役と護衛役は一人二役を兼ねざるを得ないのだろう。

 手を触れることは愚か、視界に入ることすら嫌がるロロの顰め面を思い出して、ガントは久しぶりに和やかな会話を楽しんだ。

(――どうか、姫様はこのまま、何も知らぬまま、平穏に暮らしてほしい)

 そっと、胸中で、呟く。

 娘のように見守ってきた大切な主だ。幸せを願う気持ちは、亡きギュンターと変わりない。

(この先、堕ちていくことが確定している世界の不幸に、巻き込まれぬまま――どうか、平穏に――)

 それは、ミレニアと対極の勢力の渦中にいるからこそ見える未来。

 ガントは、静かに、心に決めたたった一人の真の主の平穏だけを、切に願っていた。


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