28、奴隷解放④
振り返ったミレニアに、ロロは怪訝な顔を返す。
「……それは、どういう……?」
「奴隷を解放したら、働き口がなくなる。国内の経済における需要と供給のバランスが崩れて、供給過多になってしまうの。――ならば、国の外に、需要と供給を新しく見出せばいい」
侵略し、領土を増やすことでしか需要と供給を作為的に増やすことは出来ない――
ロロと初めて出逢ったあの日、馬車の中で偉大な父が言っていた言葉を思い出し、ミレニアはもう一度地図へと向き直った。
「そもそも、どうして北方地方への進軍が難しいか――帝国軍の兵士の構成にそもそも問題があるのよ。司令官は、貴族出身のお坊ちゃまたち。現場で命を張るのは、皇帝の命令で強制的に招集された、民兵たち。……大規模進軍ともなれば、帝都から順番に目的地へ向かうにつれて、途中の領土の兵たちと合流しながら、軍隊を大きくしていくわけだけれど――当然、人口が一番多いのは帝都なんだから、軍を構成する大部分は帝都の民になるわ。つまり、この、ある程度気候が安定している帝都で暮らしている者たちが、向かうことになる。北方地方――一年の半分以上が冬、という過酷な地域に。……耐えられると思う?」
「……思いません」
ロロがいつも通りの表情で返す。
(……あら。口調、戻ってしまったのね。残念)
寡黙な護衛兵の丁寧な言葉遣いに、心のどこかでがっかりしながら、ミレニアは言葉を続ける。
「その通り。……では、せめて帝都よりは気候が近しい、帝国北部の領土の兵だけで向かわせようとすれば、兵力が十分に集められないわ。帝国の端の領土と言うことはつまり、一番最近に侵略によって帝国領土となった土地と言うこと。帝国への帰属意識に乏しいその地域に、十分な兵力を与えるリスクは大きすぎるもの。……兵の練度は圧倒的に帝都の軍に劣るのは、言うまでもないでしょうし」
「…………」
「だけど、進軍したい北方地域は、近くに魔物の巣がないからと言って、道中で魔物と遭遇しないという約束が出来るわけでもない。国境から、かなりの距離があるもの。魔物が暮らせないという厳しい寒さの地域に入るまで、それなりの数と遭遇することでしょう。――少ない上に練度の低い軍では、まず、北方地域へたどり着くことすら難しい。たどり着いた後、集落を制圧することはまず不可能でしょうね」
言ってから、チラリ、とミレニアは後ろに控えるロロを視線だけで振り返り、見上げる。
無感動な紅の瞳が、ミレニアを静かに見返した。
「そこで、お前たちの活躍よ」
「……?」
話が見えないのか、ロロは視線だけで問い返した。ミレニアは、少しだけ苦笑してから、もう一度地図を見上げる。
「剣闘奴隷を中心とした、奴隷の大規模軍隊を編成するの。――国中の奴隷を、全て集めて、ね」
「!」
「剣闘奴隷を用いれば、兵の練度は、帝国正規軍などよりも圧倒的でしょう。労働奴隷も含めた国中の奴隷ともなれば、かなりの数になる。過酷な地域への進軍を担わせるのは心苦しいけれど、文献で読んだ奴隷たちが置かれている環境の過酷さを思えば、正直どちらが酷いかはわからない。少なくとも、ぬくぬくと生きてきた貴族のお坊ちゃまたちを進軍させるよりは、生存確率は高いでしょうね」
「それは……そう、だと思います、が……」
ロロが控えめに肯定するも、その声は戸惑いが大きいようだった。
ミレニアは静かに瞳を伏せる。
「そうして北方地域へ進軍し、北の集落を全て手に入れ、帝国領とする。そして――そのまま、奴隷はその北方地域へと移住させるの」
「!?」
「人が増えるんだもの。土地を切り開く必要があるわ。凍土と呼ばれる特殊な大地が広がっているんだもの、きっと一筋縄ではいかない。たくさんの労働力が必要よ。――労働奴隷や屈強な剣闘奴隷をたくさん引き連れていくメリットは、十分ね」
「――――」
「物流が整備され、交流が活性化するとして――そもそも、過酷な気候ということに変わりはないもの。帝国民が、好き好んで移住することなどないでしょう。訪れる者も、商人や帝国からの使者くらいじゃないかしら。――お前たちの身体に入れられた焼き印を見て、差別の対象とする人間は、この地域には住みつかない」
ハッ……とロロが息を飲んだ気配がする。ミレニアはそっと瞳を閉じて、まだ見ぬ北の大地へと想いを馳せた。
ミレニアが文献を読み漁ったところによると、北に存在するいくつかの集落では、身分制度というものが存在していないらしい。一つ一つの集落がとても小さいため、そんなものが存在する余地すら無いようだ。厳しい自然を相手取って生きていくうえで、互いに協力関係を築くことが必須なのに、優劣をつけるような身分制度は邪魔、と言うことなのだろう。
当然、奴隷など、その存在すら知らないのではないだろうか。
仮に、奴隷たちが移住したとして、彼らを道具として扱うなどということはないだろう。”人”として当たり前に尊重して扱い、協力関係を築いて共存する方法を模索する。
それは――頬に焼き印を入れられ、隠すことのできない剣闘奴隷であっても、同様に。
「まぁ……帝国領にする以上、誰かがその領土を治めねばならないわけで、その貴族の選定には神経を使う必要があるけれど――あまり期待をせず、カルディアス公爵家の分家がそこを治める、という案を記載はしておいたわ。……まぁ、こちらは、私のことが大嫌いなお兄様方は、厄介払いもかねて賛同してくれそうだけれど、カルディアス公爵様と公子様は難色を示すでしょうね。叶えばラッキー、という程度だわ」
カルディアスの分家が治める――というのは勿論、ミレニアと結婚するカルディアス公子が赴く、と言うことだろう。
だが、過酷な土地への移住と開拓を受け入れ、今まで道具と見ていた奴隷たちを意志ある人間として扱うことを許容する――そんな、貴族としての誇りを擲つような所業を、わざわざ、長い歴史と栄華を誇るカルディアス公爵家が担う必要など、あるはずがない。ただでさえ、ミレニアを受け入れるというリスクを負っているのだ。一つならば、公爵家は寛大だとその所業を美徳として受け入れられるだろう。――二つ以上になれば、公爵家としてふさわしくない、と世論は手の平を返すに違いない。少なくとも、貴族の勢力図に影響を及ぼすような弱点を作ることにはなるだろう。
「この施策ならば、奴隷の労働力は北方地域で全て需要も供給も賄われるから、今の帝国のバランスには影響しない。帝国は、新しい領地を得て、寒冷地域の知識を得て、今までよりもたくさんの税収を手に入れることが出来る。法律が改正され、限られた地域とはいえ奴隷が自由に暮らせる土地があれば、長い年月をかけてそのうち差別や迫害の習慣はなくなっていくでしょう。今まで奴隷に対してさんざん酷い扱いをしてきた人々も、もともとの帝国領からかなり離れた北方地域に奴隷がいてくれるとなれば、復讐の恐怖に怯えなくてすむでしょうし。……帝国は潤い、奴隷は生活の地位向上が叶って、人々の日々の生活は何も変わらない――侵略が上手くいくかどうか、侵略後の北方の自治が上手くいくか、この二点だけはかなりの賭けだけれど、奴隷解放を目的とするなら、まぁ、分が悪すぎるとも言えない賭けだわ」
「……支配階級は、奴隷を”道具”としか見ていない。失敗しても――奴隷の軍が進軍途中で全滅しようが、住み着いた先の北の地域で変わらず迫害を受けようが――帝国の支配階級たちは、一切痛手を被らない。――リスクはないと確約された、利がでかい博打に、賭けない馬鹿はいません」
「……そう自分を蔑まないで欲しいわ。お前たちが、そうして理不尽を当たり前に受け入れる世界を、改善したいと思って、私はこれを考えたのだから」
困った顔でミレニアはロロを振り返った。紅玉の瞳が、すぃっと左下へと移動する。
そんな専属護衛を見て、ミレニアは一つ深呼吸をした。
「ロロ。――ルロシーク」
「!」
ミレニアが、彼を愛称ではない名で呼びかけることは非常に稀だ。ひゅっ……と小さく息を飲み込み、ロロはいつも以上に頬を緊張に固める。
ミレニアは、肩にかかった薄手のショールの端をぎゅっと握った後、まっすぐにロロの瞳を見上げた。
「もし、この施策が通ったら――お前に、この行軍を任せたいの」
「――――――」
紅玉の瞳が、大きく見開かれた。




