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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第十章

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177、最終決戦⑥

 もとより、事前に連絡は行っていたのだろう。

 部屋に通されたとき、クルサールはいつもの”完璧な”微笑で余裕をもって一行を出迎え――その眉が、ピクリ、と一つ引き攣ったのを、ミレニアは見逃さなかった。

「昨夜ぶりですね、クルサール殿」

「……早急に、兵士の教育課程を見直したいと思います」

 笑顔で貴婦人よろしくスカートの裾を摘まんだミレニアを前に、さすがのクルサールも、苦味の混じった声で呻く。

「どうして、彼女に枷が嵌っておらず――そちらの護衛兵からは、武器を取り上げていないのですか?」

「えっ……あっ、そ、それは……」

 クルサールの冷ややかな視線に、もごもご、と控えている白装束が口の中で言い訳をする。

「私が、申し出ました。万が一があっても、無手の無属性の十五の子供に後れを取ることはありません。――故に、ミレニア様に枷を付ける理由がございません」

 ずぃっと前に出るのは、ハウアーだ。それを見て、クルサールはじっと何かを考えるように大柄な男を見つめる。

「彼女は、民を苦しめてきた悪逆非道の一族の血を引く娘ですよ」

「ですが、ギーク政権下で、彼女自身が執政に携わっていたわけではない。彼女自身に罪はない」

「そうは言いますが、彼女を擁立して、新しい勢力が神に弓引かんとする可能性が――」

「彼女は、真摯に民のことを第一に考えてくださっています。そのお考えは、神の教えと通ずるところもある、と我々市井の民は判断しました。……神の教えを体現する無垢な幼子を、主張も聞かず問答無用に首を斬ることは、他でもないエルム様がお許しにならぬのではないですか」

「――――……」

 クルサールは、仮面のような笑顔を張り付けたまま、無言で押し黙る。

「……つまり、貴方は、ミレニア姫の助命を嘆願する、と?」

「はい。私、カジェット・ハウアーは――」

「ハウアー殿!」

 揺るがぬ強い意思のこもった瞳でまっすぐにクルサールを見つめて朗々と言葉を紡ごうとしたハウアーを、ミレニアが慌てて押しとどめる。

「お願いしたはずです。……私のために、命を粗末にしてはなりません」

「ですが――ですがっ……!」

「大丈夫。……大丈夫ですよ。私は、<神に見放されし大地>の皇女ですが――きっと、貴方がたの信じる”神”は、全てを見ているのでしょう?私の運命も、等しく、正しく」

 ぴくり、とクルサールの頬が微かに震える。

(……これは厄介だ……流石ミレニア姫。人心掌握術は、見事としか言いようがない……)

 胸中で舌を巻いて、苦い思いを飲み下す。

 ミレニアにそんなことを言われてしまっては――彼女を処刑する際には、相当な大義名分を用意しない限り、民意が納得しないだろう。

(最終手段は、ネロに頼むことですが――ネロの闇魔法も、万能ではない。何より、ネロ自身の身体のこともある。……静かに、密やかに、しっかりと弁術一つで敵を窮地に追いやる手腕は、さすが、帝国初の女帝になることを夢見ていたというだけのことはありますね)

 既にミレニアに心酔しているらしき警邏隊長の横顔を見ながら、クルサールは軽く話を逸らすことにする。

「ミレニア姫に枷が嵌っていない理由は理解しました。……ですが、そちらの護衛から武器が取り上げられていない理由は何でしょうか」

「はっ、はいっ……!ですが、魔封石のついた最も重い鉄枷を付けたので、武器を取り上げる必要もないかと――!」

 傍にいた兵士が、緊張した面持ちで回答する。

「その男は長らく剣闘を生業にしていた男ですよ。帝国最強の武を誇る者です。いくら枷を付けているとはいえ、安心はできません。奪いなさい」

「は――」

「お待ちになって、クルサール殿」

 ずい、と一つ足を踏み出して、ミレニアはまっすぐにクルサールの前に出た。

 クルサールが、気まぐれに腰の剣を引き抜けば、刃が届く位置。

 ざわっ……と一瞬でロロが警戒で身を固くし、周囲の温度が下がるほどの恐ろしい殺気が振り撒かれる。

「姫――!お下がりください、その男の剣の射程に入ってはいけません!」

「落ち着きなさい、ロロ。大丈夫よ。まさか、いきなり問答無用で無害な子供を斬り捨てることを良しとはしないでしょう。……そんなことをすれば、きっと、ハウアー殿が()()()しまうわ」

 含みを持たせた言い方をしてやると、今度こそクルサールは頬を軽く顰めた。

「昨夜、命からがら逃げ出したばかりだというのに――素直に逃げ回っていても良さそうなところ、わざわざここに正面からやって来た貴女の望みは何ですか、ミレニア姫」

「簡単です。――対話を、したくて。新しく国を治める君主の貴方と、この国に住まう民の未来について、ね」

「対話……ですって……?」

「えぇ。いつかのように、お茶でも飲みながら議論をしましょう?良い国家とは、良い君主とはどうあるべきか。理想を語り明かし、お互いの理解を深めようではありませんか」

「何を――ふざけて――!」

 困惑に、若干の怒りを混ぜたクルサールに、ミレニアは悠然とした笑みを崩さない。

「私は、玉座になど興味がありません。私が願うのは、ただ一つ、この国の民の平穏と安寧。それが約束されるなら、神の教えの元に国家を作ろうが、私の一族を惨殺して玉座を掠め取られようが、構わない。私自身の首が必要なら、城門に掲げてください。国防のために、魔物に食わせたいというのなら、どうぞご自由に。――昔、ギークお兄様に<贄>となるよう言われたときに、貴殿にはお伝えしたはずだわ。私は、国家のために、魔物の腹に収まることで、民の安全と平和が守られるなら、決してこの命は惜しくないのだと」

「ミレニア様――!」

 ハウアーが、痛ましそうな声を上げるのを聞きながら、ミレニアはゆっくりと言葉の中に毒針を仕込んでいく。

「私に、<贄>の適性があることは、儀式を担当し、私に<贄>の資格があると宣言した貴方自身がご存じのはず。相当強力な<贄>になる見立てとおっしゃっていましたね?五年から十年程度、効力が持つのでは、と。……ふふ。さすがは六歳で”司祭”の一族の養子となったお方。本物の”司祭”と変わりない、見事な儀式の進行と見立てでしたね?」

「――――!」

 紺碧の瞳が大きく見開かれ、白い肌が一瞬でざぁっと蒼くなる。

 それは――ミレニアが知る由がないはずの、情報。

「ハウアー殿は、命を賭けて、貴殿との対話の場を設けることを嘆願してくださるとおっしゃいました。まさか、無碍にはしないでしょう?」

「っ……ですが、貴女は――」

「ふふ、不安ですか?そうですよね。ここには、頼りになる側近の少年兵がおりませんもの」

 ぞくりっ……

 クルサールの背筋を、冷たいものが伝い堕ちる。

 ネロの存在を、彼女たちが知る由はない。そう確信していたからこそ、予期せぬ彼女の発言に、クルサールの中でミレニアに対する警戒心が一気に高まる。

 しかし、彼の微笑の仮面など児戯に等しい――とでも言わんばかりに、揺るがぬ女帝の微笑みと態度で、ミレニアは悠然と言葉を紡いだ。

「ですが、クルサール殿。私との対話を設けていただいた方が良いと思われますよ。良いではありませんか。対話の末、やはり私を生かしておくべきでない、と思われるのであれば、そのまま首を刎ねればいい。私、自慢ではないけれど、身体能力にはこれっぽっちも自信がありません。足も遅く、満足に逃げることは愚か、捕まったとて抵抗することも出来ないでしょう。――するつもりもありませんが」

「ミレニア姫……貴女は、一体――」

「私としては、ハウアー殿や、兵士の皆様がいらっしゃっても、何ら問題はないのですが――少し、落ち着きませんわね。ゆっくりとお話しできれば、と思っているのですが」

 ちらり、と周囲をもの言いたげにゆっくりと眺めてから、もう一度、蒼い顔をしているクルサールへと視線を縫い留める。

 女神のように整ったその面は、ぞくりとするほどの美しさを備えていた。

「昨夜、紅玉宮を出てから、市井に降りて、貴殿が説いた”エルム様”の教えが詰まった聖典を拝読しました。とっても素敵な教えですね。――特に、”()()()()教えは、例えがわかりやすくて感銘を受けました」

 クルサールの顔が苦く歪む。

 彼だけは、良く知っている。

 そのわかりやすい例えが――ミレニアが庭園で彼に語った君主論に他ならないことに。

(脅して、いるのか……聖典に書かれている”神”の教えは、彼女が説いた君主論に過ぎないと――私には神の声など聴けぬと暴露するぞ、と――)

 ぎゅっとクルサールは拳を握り締めて、脳裏に様々な可能性を描く。

(……いや。大丈夫だ。最後は、ネロの魔法がある。今、この場を切り抜けさえすれば、後から民意の操作は可能だ)

 今この瞬間、この場にネロがいないことを悔やむ。もし彼がいるなら、即座に魔法を使い、この場で心を操ってから、ハウアーを帰すことが出来た。

 しかし、いないものに文句を言っても仕方がない。この状態から、ハウアーのミレニアに対する印象を、口八丁で覆すのは不可能だろう。

 それならば、変に疑心暗鬼を生むような行動をせず、クルサールは話の分かる男だと思わせて返し、後ほどネロに指示して心を操作すればいい。

「……わかりました。神は、寛大なる御心をお持ちです。己の一族の罪を真摯に受け止め、名乗り出た貴女の望みが対話だというのなら、快く応じてやるがよい、と仰せです」

「おぉ……!エルム様……!」

 ハウアーが、聖印を切って感謝の祈りを捧げる。

「ミレニア姫は、深窓の令嬢――武装した兵士や屈強な男たちに囲まれて話すのも落ち着かぬでしょう。ハウアー殿がおっしゃる通り、所詮無属性の、無手の少女を、有事の際に剣まで帯びた私が抑えられぬはずもない。――他の者は下がらせましょう」

「そうですわね。――ロロ以外は、下げていただいて構いません」

 一瞬、クルサールの言葉に再び殺気を振りまこうとした護衛兵に先んじて、ミレニアはにっこりと笑って言った。

「……正気、でしょうか?……その護衛兵を、ここに、置くと」

「えぇ、正気です。――貴殿は、剣を帯びたまま私と対話するとおっしゃるので」

 翡翠の瞳が、キラリと輝く。

 幼いころから磨き抜かれた、舌戦の能力。

 交渉ごとに置いて、ザナドやゴーティスと引けを取らぬ優秀な少女は、己の有利になるための論理を決して崩しはしない。

「さすがに、枷は嵌めたままで構いません。そこまでの信頼を要求するのは酷でしょう。ですが――武器は、帯びたまま。私の傍に控えさせてくださいませ」

「そんなことが許されると――」

「あら?クルサール殿は、私と”対話”をなさるのですよね?……”対話”の席に、剣は無用。それを、十五の無力な幼子を前に帯びた状態で臨むとおっしゃったのは貴方です」

「それは――」

「人の目が無くなったのを良いことに、皆が退出した途端、対話など無視して斬りかかられないという保証がどこにありますか?貴殿は――民に信頼を得ていた、ゴーティスお兄様の首すら、対話の余地すら設けず、問答無用で刎ね、城門に掲げた男だというのに」

 ひゅっ……とクルサールの喉が小さく音を立てる。

 口元に笑みをたたえた少女の瞳は、全く笑っていない。獲物を追い詰めるような光を宿し、青年をしっかりと見据える。

「お忘れなく。貴殿は、昨夜直々に私の住まう紅玉宮にやってきて、卑怯にも私を謀って闇討ちし、私の従者を数多く手に掛けたのです。一度信頼を得てから裏切る念の入れようは、貴殿が何としても確実に私の息の根を止めたい、という覚悟の現れだと認識しています。今一度見えれば、確実に私は殺されるとわかっていて――それでも、ここへ来ました。それは、そうまでしてでも、国家の未来のためには、貴殿との対話が必要であると考えたからです」

 しっかりと、ハウアーや兵士に聞こえるように、ミレニアは言葉を届ける。

 まさか、革命決行の夜、クルサールが直々に、無垢な少女を殺すことを優先して紅玉宮に向かったとは思っていなかったのだろう。ハウアーは、今まで信じてきた男の行動に理解を示せず、困惑した表情を見せていた。

「敬虔な信者である警邏隊長の嘆願もあります。そうまでして実現したかった対話を、仮に叶えることが出来ず命を落としても、『対話したが決裂した』と貴殿が私の首を抱えて部屋を出れば、それが真実になります。……クルサール殿。”対話”に剣を持ち込むとは、そういうことです。誰も、貴殿を信用する者はいないでしょう。ハウアー殿も、そこにいる兵士も――何より、私に忠実な護衛兵は、絶対に」

 にこ、と最後は可憐に微笑む。

 ごぉっと威嚇するように、ロロから殺気が噴き出した。禍々しい血の色をした瞳が怒りに燃え盛り、ギリギリと歯を噛みしめて、今にも殺したい、という感情が前面に溢れ出る。

「とはいえ、貴殿も護身の必要があるのは存じています。ここには窓もありますし、まだ革命は成ったばかり。どこに残党が潜んでいるかわからぬ今、決して安心は出来ません。人払いをするならば、剣を帯びていたい、という貴殿のお考えもわかります。――ですから、折衷案を、提案しているのですよ」

 ミレニアは周囲を見回し、それぞれを指さす。

「人払いをせず、衆目を集める中で、国家の行く末などという機密情報溢れる話題を、リスクを負いながら会話するか。人払いをし、貴殿と私の身の危険を守る者が誰もいないというリスクを負いながら、会話をするか。――貴殿は剣を帯びたまま、私は枷を付けた護衛兵を控えさせたまま、最少人数で会話をするか。とっても簡単な三択です」

 歌うように軽やかな口ぶりで言って見せたミレニアに、クルサールは顔を顰めて――

「わかりました。護衛兵の同席を許可します。枷は外さぬまま、部屋に控えさせてください。――それ以外の者は、全員外へ出てください」

 ――結局、ミレニアの掌の上で踊らされるしかない、と観念するしかなかった。

「ありがとうございます。貴殿の格別のご配慮に、心からの感謝を」

 身を隠す黒マントを羽織ったままの色気もそっけもない格好だったが、ミレニアは貴婦人のように優雅な帝国式の礼をして悠然と微笑んで見せたのだった。


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