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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第十章

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169、夜の女王④

 交渉を有利に進めるには、交渉の席に着くまでの事前準備が全てだ。

 ギュンターから教えられた交渉術を己の最大の武器としているミレニアは、父の教えを遂行すべく、ラウラに要求する。

(特に用意しておくのは、向こうが知らない情報や、知られているとは予想もしていないような情報……意表をついて、有利に交渉を進めるためには、鉄則よね)

 ミレニアが持っている切り札は一枚。――ミレニアにも聖印が身体に浮き出る、という事実。

 これは、相手を斬り伏せるのにこれ以上ない強力なカードの一枚だ。

 だが、切り札は何枚も用意しておくのが鉄則だ。最強カードは、出す場所とタイミングを間違えば痛手を被る。なるべく温存して、他のカードで戦えるときは優先して他の物を使う方がいい。

 そこでミレニアが目を付けたのが、クルサールが多大な信頼を置いているらしい少年兵の存在だった。

(この時間軸において、ロロの記憶が戻るまでは、当たり前だけれど私もロロも、その少年兵とは会ったこともなければ存在を知る由もなかった。そんな存在を私たちが既に知っているとは思いもしないでしょうし――彼が魔物と契約した魔法使いだ、なんてことは、もっと知る由がないと思っているでしょう。未知の魔法属性として、闇魔法というものが存在するというのも、彼らは知られたくない秘密のはずだわ)

 それは、ロロが発狂しそうになりながらもここまで繋いでくれた記憶から見出した、唯一の手掛かり。このカードが、切り札にならないはずがなかった。

「少年兵――ふふ、まさか、その存在を知っているだなんて思いもしなかったわ。……その存在を教えるだけで、この革袋が四つは必要だったでしょうね」

「チッ……この守銭奴が」

 ロロは口の中で汚く罵る。

 革袋四つといえば、ゴーティスが存命であることを知るときに払ったのと同額だ。つまり、少年兵がゴーティスと同じくらいの重要人物であり、その存在をひた隠しにされている人間だという証拠だろう。

 ロロは冷静にこれから先の展開を予想する。

 ゴーティスが存命であることを知るのに必要だったのが四つ。次の時間軸で、ゴーティスが存命だろう、とこちらから切り出してその場所を教えろと依頼したら、五つを要求された。さらに、関所を抜けたり着替えや物資の調達を依頼したりするだけで、追加で一つが必要だった。

(あの少年兵に関しても同じだとしたら――何を聞いても、五つ以上を要求される可能性が高い……)

 既にレティの土魔法が付与されたシャベルは効力を失っている。六つ以上の革袋を要求されれば、もう一度森に戻って別の場所から革袋を持ってくる必要があるが、場所を探り当てて掘り起こすだけでかなりの時間を有するだろう。

 森の中には、だいぶ討伐されたとはいえ、魔物が蔓延っていることは事実なのだ。穴掘りに集中しすぎれば、身の危険が迫る可能性もある。当然、クルサールの追っ手が森を探っている可能性もあるのだ。七つ以上を要求されれば、途端に難易度が跳ね上がる。

「あとは、エルム教の教義ね?聖典を貸し出すだけなら、革袋一つで請け負ってあげるわ。布教していた人間が、どういう風に教えを説いていたか、というところまで知りたい場合は、金貨十五枚相当で、口頭でしっかりと教えてあげる」

「……少年兵の情報は?」

「質問が漠然とし過ぎているから、なんとも。具体的には、何を聞きたいのかしら?質問一つにつき見積もるわよ。――ふふ、革袋の残数を考えながら、質問を考えた方が身のためね」

 クスクス、と吐息を漏らすように妖艶な笑いを漏らす姿は、夜の女王と呼ぶに相応しい。どこか、背筋がぞくりとする美しさだった。

 ミレニアは眉根を寄せて、チラリとロロを見る。

「ロロ。……お前が知っている情報は?」

「はい。見た目はお嬢様と変わらないくらいの年頃――十五歳前後ではないでしょうか。お嬢様と同じく、帝国とエラムイドの混血なのか、白い肌と黒髪黒目をしていました」

 容貌の特徴を聞いて、ミレニアは微かに痛ましげな表情をする。

 自分も、この見た目のせいで酷く辛い思いをしたが、ギュンターの強権により守られたことも多かった。彼の出生によっては、想像以上に厳しい過去を背負っているだろうことは想像に難くない。

「帯びている武器は長剣をひと振り。太刀筋は、クルサールに似ていたので、彼から教わったのか、同じ師に教えを乞うたのか、流派があるのか。とはいえ粗削りでしたので、幼いころから学んだ剣、という感じではありません。ここ数年で学んだのだとすれば、確実に何かしらクルサールとの関連があるはずです」

「そう」

「それから、以前お伝えした通り――”北”に所縁のあるものだ、と」

 チラリ、とラウラを横目で見ながらロロは含みのある言い方をする。

 さすがのラウラでも、魔物と契約をすることが可能な事や、それによって未知の魔法属性である闇魔法の力を得られることは知らないだろう。

 不必要に情報を与える必要もない、と警戒しながら言葉を口にするロロに、さすがに何か気づいたのか、ラウラは愉快そうに唇を吊り上げる。

 どうやって彼から情報を引き出すか舌なめずりする蛇のような怪しい美しさが漂った。

「ありがとう。……”北”、そしてクルサールとの関連……彼の側近であることを鑑みても、エラムイドの出身である可能性が高いわね。――合っているかしら?」

「ふふ。――いいの?それで質問は一つとカウントするわよ?”出身地”を訪ねる質問、ですもの」

「む……ケチなのね」

「ビジネスだもの」

 軽く唇を尖らせたミレニアに、ラウラは悪びれた様子もなく肩をすくめて流す。

(想像以上に、質問一つのカウント方法がシビアね……これは、相当数を絞らないと……)

 ある程度仮説が立てられるものに関して、その貴重な一つを使うのは愚かだろう。ミレニアは軽く頭を振ってラウラの言葉を否定する。

「やっぱりいいわ。出身地はエラムイドだろう、と仮定して話を進めることにする。支払いはしない」

「ふふっ……仰せのままに、お嬢様」

 クスクス、と笑うラウラの余裕は崩れない。

(気になるのは、クルサールの側近になった経緯と、魔物と契約を交わした経緯ね。あと、闇魔法は契約に伴って後から付与される属性だからか、ロロの話だと、本来の魔法属性も同時に併せ持つというわ……直接対決となった時に備えて、本来の魔法属性も聞いておいた方がいいでしょう)

 本来であれば、闇魔法で何が出来るのか、を端的に聞いておきたいところだが、そればかりはさすがにラウラにもわかるまい。

 ロロに聞いたとて、何度もやり直した過去の時間軸で、彼は闇魔法を殆ど使うことなく、ただ増幅された魔力にものを言わせて本来の属性である炎でゴリ押しして世界に恐怖と絶望をばら撒いたというから、その詳細まではわからないだろう。魔物から、簡単にどんなことが出来るのかは聞いているはずだから、その情報を基に仮説を組み立てるしかない。

(魔物、なんていう人類の敵が、どこまでロロに正直に話をしてくれていたか、怪しいところだけれど)

 きゅっと眉根を寄せてミレニアは顔を顰める。――どいつもこいつも、大事な護衛兵に、とんでもないことをしてくれたものだ。

「そうね……ではまず、クルサールの側近になった経緯から聞こうかしら。ざっくりとした生い立ちから順番に、クルサールと出逢い、革命軍の中心人物としてクルサールの側近になるまでを話してほしいわ」

「なるほど……?”まず”、というからには、他にも依頼があるのかしら」

「えぇ……そうね。きっと、その少年はどこかで魔物と接点を持ったはずだと思うのよ。それがいつ、どんな状況だったのかも聞きたいわ。あとは――彼の持つ魔法属性も聞いておきたい。これだけを聞いてもし金が余るようなら、彼が革命軍の中で成した仕事の内容を聞きたいわね」

「ふふっ……沢山あるのね?でも、それをこの宝石の革袋六つで収めよう、だなんて――随分と私の情報を安く見られたものだわ」

 一見妖艶に見える流し目の中に、冷淡な光を見つけて、ぐっとミレニアは言葉を飲み込む。

 予想はしていたが、やはりこれだけの情報となると、値が張るらしい。

「……全部を教えてほしいだなんて思っていないわ。せめて一つでも――そうね、最初にした質問を教えてもらえるだけで、だいぶ色々なことがわかるわ」

「最初の、ってどれのことかしら。救世主サマの側近になった経緯?――出生、出逢い、革命軍に入った時期やその後……全部、それぞれ別の質問だわ。それぞれに報酬が必要になるけれど?」

「ぐ……」

 ロロが、何度もラウラを『守銭奴』と吐き捨てていた理由を痛感し、ミレニアは悔し気に呻く。

 完全に足元を見られているとしか思えないが、今ミレニアが要求した情報を持っているとしたら、それを手に入れる労力や危険はとんでもないものだっただろう。そのプロセスそれぞれに対して正当な報酬を要求されているだけだ、と言われればぐうの音も出ない。

「私がこれだけの情報を手に入れるのに、どれだけ苦労したと思っていらっしゃるのかしら。その子の生まれから、仮に救世主様と出逢う時までの生い立ちを詳細に教えるだなんて、革袋は十じゃ利かないわ」

「ぅ……」

 なめていた。完全に、ラウラの情報の金額をなめていた。まさか、そんなにも高額だとは思わなかった。

「ふふ、どうなさるのかしら?諦めて金策に走る?それとも――そこの男を、私に差し出す?」

「!」

「いいのよ?人間は自分に甘い生き物――さっき貴女が言ったことは聞かなかったことにしてあげる。だから、ねぇ、お嬢様?私にロロを――()()?」

 挑発するような笑みは、ミレニアをやり込めることに悦楽を得ているようにも見える。どうやら、先ほどロロの結婚を突っぱねたときの物言いが、彼女のお気に召さなかったようだ。虎視眈々とやり返す機会をうかがっていたのだろう。

 大人の余裕の合間に、彼女の嗜虐趣味の欠片が見え隠れして、ミレニアを煽り立てる。

「……お嬢様。俺は――」

「黙りなさい。お前に口を利くことを許してはいないわ」

「ですが――」

「黙れと言っているでしょう。――絶対に渡さないわ。お前を物扱いする女なんて、絶対に許さない」

 きっぱりと言い切るミレニアの瞳には怒りが宿っていた。

 ロロは痛ましげに軽く眉根を寄せる。

 ミレニアがロロを渡しはしないと宣言してくれることは嬉しいが、それは、ラウラがミレニアを挑発するようにして敢えてロロを物扱いするような表現でねだったせいだ。

 もしもラウラが掌を返して、ロロを人として愛しているのだ、という論調で来たら、ミレニアは態度をすぐに軟化させてしまうだろう。それがわかっているせいで、素直に喜ぶことが出来ない。

 ロロが望むのは、もっと強烈な”執着”だ。

 どんなことがあっても決して渡しはしないと、”我儘”を言ってほしい。ロロの自由を奪うことになってでも、ただミレニアが欲するから傍にいてほしいのだと乞われることこそが、本当に欲しい”執着”なのだ。

「いいでしょう。価格交渉よ」

「私は情報料を負けることはないわ」

「提供するクオリティが下がれば、価格が下がるのは当然でしょう。――不完全な情報でも良い、と言っているの」

 ラウラの煽りに負けまいと、翡翠の瞳にメラメラと炎が宿る。鋭い視線がラウラを射抜いた。

「例えば――そうね。年表形式、とかはどうかしら」

「年表……?」

「少年の人生に起きた大きな出来事だけを、年表のような形で納品して頂戴。出来事は、一文で簡潔に書いてあるだけでもいい。浅くていいから、少年の人生を把握したいの。可能なら、今日まで。難しいなら――クルサールとの出逢いまで」

「ふふっ……面白いお嬢様ですこと。なるほど……ちょっと貴女に興味が沸いたわ。私が、自分の店の従業員ですらない女に興味を持つなんて、すごく珍しいことよ?」

 クスクス、と笑うラウラはどこまでも愉快そうだ。

 たかだか十五歳の、皇城で蝶よ花よと育てられた少女が、裏社会で修羅場を切り抜けながら生きてきた百戦錬磨のラウラに、物怖じせず交渉を申し込んだことが可笑しいらしい。

「いいでしょう。そこまで不完全な納品形式で良いなら、出逢いまでの時系列を革袋五つで請け負うわ。聖典の貸し出しと合わせて六つ。――それでいい?」

 百点とは到底言い難いが、背に腹は代えられない。ミレニアは、しぶしぶうなずく。

「わかったわ。では、それで――」

「ちなみに、救世主様と少年兵が出逢った後、革命軍を作るまでの年表形式なら、革袋七つが必要よ。――ふふ、本当に五つ分の情報と聖典の貸し出しだけで良い?」

「っ……!」

 ラウラの商売人の手腕を見せつけられて、ミレニアは気づかれぬように歯噛みする。

 間違いなく、ミレニアたちが欲しているのは後者の方だ。革袋を一つ、何とかして追加で調達できるなら、聖典を手に入れることを諦めてでも手に入れるべきだろう。

 こちらが提示した支払える限界の金額を、それより多く支払いたい、と思わせるのには有効な交渉だ。

「……ロロ……」

 ミレニアは困った顔で護衛兵を見上げる。

 革袋を調達するのは、ロロなのだ。ミレニアの一存で決めるわけにはいかない。

 労働を引き受けるのも、危険を背負うのも、全ては従順な護衛兵ただ一人なのだから――

「……かしこまりました」

 ミレニアのもの言いたげな視線一つで、少女が望むことを正しく理解し、ロロは静かに頷く。

 カツ、と踵を鳴らしてロロはラウラに向き直る。

「革袋七つ分の情報と、聖典の貸し出し――合計八つ分の依頼をする」

「えっ!?」

「まぁ。……ふふ、妬けちゃうわね」

 ミレニアの驚いた声と、ラウラの愉快そうな声が続けざまに上がる。

「そんなに大切?――この、お嬢様」

「言うまでもない」

 含みのある視線を跳ね除ける様にしてきっぱりと言い切る。

「ろ、ロロ、いくらなんでも、追加で二つだなんて――せめて、一つに――」

「構いません。――革袋二つなら、別の支払いができるので」

「――――え?」

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