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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第十章

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167、夜の女王②

「だ、大丈夫よっ……その――そ、そう!いつものように――お前は本当に私のことが大好きなのね、と思っただけだわ!」

 紅い頬をロロから隠すようにして、今まで何度か口にした言葉を吐く。

 こう言えばロロは、いつものごとく、呆れたような声で呻くように反論するから、さらりとこの話題を終わらせることが出来るはず――

「…………」

「…………」

「…………」

「…………え?」

 妙な沈黙が続き、思わずぽかん、とロロを振り返る。

 いつもなら、苦い顔をして「好きとか嫌いとかの次元にはありません」などと呻くように答えてくるはずの護衛兵は、何故か左下に視線を伏せて顔を覆うようにして押し黙っていた。

(……あれ?路地がうす暗くてよくわからないけれど――もしかして)

 ほんの少し――ほんの少しだけ、だけれど。

 褐色の頬が、色付いているような気が――

「……俺は」

 顔を抑えたまま呻くように口を開いたロロに、ドキン、と心臓が一つ飛び跳ねる。

「……貴女の、従者です」

「え……えぇ……」

「貴女を、誰よりも敬愛しています」

「そ……そうね。お前の忠義の篤さは、時折重たいくらいだわ」

 ミレニアを女神か何かと思い込んでいるのでは、と思うほどに、ロロが向けてくる忠義も献身も重すぎる。

「他の従者や、紅玉宮に務めていた奴隷たちと比べても――確かに、忠義が重いと感じられるかもしれませんが、それは……その……他の者にはない、数十年の記憶が、あるからで」

「え、えぇ……」

 ロロの重いくらいの敬愛は、記憶が戻ったという夜よりも前――闘技場で初めて逢ったときからずっとなのだが、という反論は、一応胸の中にしまっておく。

 口下手な護衛兵が、何やら一生懸命弁解しようとしている様が、愛しく思えたから。

「ですがそれはあくまで敬愛であり――そもそも、俺と貴女では、身分が――本来、貴女の視界に入ることは愚か、同じ空気を吸うことすら憚られる存在だと、自覚しています」

「それは流石に謙り過ぎではないかしら」

 急に地の底まで自己肯定感を下げた発言をする従者に、半眼でツッコミを入れる。

「俺の――視線や、言動が、煩わしいとおっしゃるなら、気分を害さぬように控えます」

「へっ!?」

「ご安心ください。護衛中、どこを見ていたとしても、警戒は怠っていませんでしたので、今までも御身に危険が迫るようなことは――」

「ちょっ、ちょっと待って!?お前、何の話をしているの!?」

 口下手というにしても話の流れがわからなさ過ぎて、ミレニアはついにストップをかける。

 チラリ、と紅玉の瞳が動いて、覆った指の隙間からミレニアを見る。

 その美しい瞳に、今まで見たことのない灼熱が宿っているような気がして、ドキン……と心臓が大きく跳ねた。

「俺の、勤務態度の話を」

「待って、何故そんな話になっているの」

 もはやツッコミが追いつかない。ミレニアは混乱しながら口を開く。

「お前の勤務態度に文句を付けようなどと思ったことはないわ」

「ですが――視線が、煩わしいと」

「そんなこと一言も言っていないわよね!!?」

 思わず声が裏返る。先程の会話の一体どこからそんな被害妄想を繰り広げたのか。

 困惑するミレニアに、ロロは苦悶に近い表情を浮かべて再び瞳を閉じた。

『ずぅっと私のことを視界に入れていたい、というくらい大好きってことよね?』

 脳裏に、”直前”の記憶で告げられた言葉がよぎれば、頬が熱を持つのを自覚するしかない。

(勘弁してくれ――気づかれてたなんて、思っていなかったんだ)

 ぐっと眉間に皺を寄せて、死にたくなる気持ちを堪える。

 基本的に、数々の”分岐”でそれぞれの時間軸で大なり小なり何かが変わるが――それより前の時間軸で起きた新しい事柄は大体、次の時間軸でも踏襲される。

 例えば、軍属にならないようにミレニアの傍にいようと執着すること。例えば、ラウラから結婚を持ちかけられること。例えば、デビュタントの夜にダンスの相手をすること。

 例えば――護衛兵が勤務中にずっとミレニアを見ていることに気付くことだって、きっと。

(クソッ……記憶を引き継いでいたら、絶対にそんなことはしなかったのに――)

 本来周囲に目を走らせて警戒を怠らない護衛兵でありながら、何故警護対象の方ばかりを見ているのか、と問われれば、答えは一つだ。

 ――ミレニアが、愛しくて、無意識に目で追ってしまうから。

 年齢に似つかわしくなく、女帝のように大人と対話で渡り合う堂々とした顔。天から舞い降りた女神のように、慈愛に満ちた瞳で従者に柔らかく微笑みかける顔。不意に、歳相応の子供のように弾けるように破顔する顔。

 涙を隠して、哀しみや苦しみに毅然と耐え抜く厳しい顔。そっと瞼を伏せて物憂げに吐息をつく横顔。書斎の机で難しい顔をして唸っている顔。気が緩んで、不意に欠伸を漏らしてしまったときの油断した顔。それに気づいて慌てて頬を引き締めながら、羞恥にほんのり頬を染める顔。

 少女の視線一つ、吐息一つ――その全てが、愛しくて、堪らなくて。

 全部、余すところなく、どんな表情も、脳裏に刻みつけたかった。

 何一つ、見返りなんか求めないから――生涯、胸に燻る灼熱は、墓場まで持っていくと誓うから――だから、せめて、少女をそっと見つめるくらいは――

(気配は、完全に消していた。視界にも入らないように細心の注意を払っていた。……気づかれるなんて、完全な誤算だ)

 前回の時間軸で気づかれていたということは、絶対に今回の時間軸の彼女も気づいているだろう。いったいどれくらい前の時間軸から気づいていたのか。――頼むから、せめて前回からだと言ってほしい。

 ずっと、その視線に気付いていながら「お前は本当に私のことが大好きね」といつもの言葉を投げられていたのだとしたら、いたたまれない。

 ”やり直し”で戻ったとしても、その瞬間にはロロの記憶は引き継がれない。当然この時間軸においても、運命の夜に記憶が全て戻るまで、ミレニアに気付かれているなどとは露ほども考えずに、紅玉宮でのミレニアを視界にずっと収めていた。

 それはもはや、無意識に近い。まるで、磁石のようにして縫い留められる視線を外そうだなどと、記憶が戻る前は、考える余地はなかった。

 全ての記憶が戻った今は、強烈にそれを後悔する。――正直、今までの行いを単なる敬愛だと言い切るのは酷く苦しいが、とにかくそれで押し切るしかない。

「視線……勤務態度……もしかして、いつもお前が私の方を見ていることを言っているの?」

 口の中でロロの言葉を反芻していた賢い少女は、あっさりとその結論にたどり着く。

 ロロは、死にたくなるほどの絶望を覚えてぐっと小さく呻いた。

(ほらみろ、やっぱりこの時間軸でも気づいていた――!)

「もしかして、以前、どこかの時間軸の私に、それを指摘されたのかしら?」

 勘が鋭すぎる少女に、ぐっと言葉に詰まる。

「……その……申し訳ありません。穢れた奴隷ごときが、身の程もわきまえず、女神たる貴女を不躾にも視界に収めるなど――」

「いやいやいや、ちょっと待ちなさい。色々ツッコミ所しかない発言はともかく、何故お前が謝るの?……もしかして、その時間軸の私は、お前に見られるのが煩わしいと言ったの?――この、私が?……ありえないと思うのだけれど」

「いえ……それは……貴女は、お優しいので――」

「優しいとか優しくないとか問題ではないでしょう」

 呆れかえって半眼で嘆息する。

 うつむいて、ロロは苦しそうに切り出した。

「不敬であったことは謝罪します。二度としません。ですが――他意は、ないのです」

「他意……」

「好き、とか……嫌い、とか……そういった感情はもはや超越して――」

 それは嘘ではない。

 こんなにも全身全霊――文字通り命を賭けた無償の愛を、”好き”などという安い言葉で、語れるはずがない。

 もごもごと口の中で呻く従者を、じぃっと翡翠の大きな瞳がまっすぐに見上げる。その美しさを前に、ドキドキと心臓が走り出しそうで、ロロは意識的にごくりと唾を飲んだ。

「つまり――やっぱり、お前は私が大好き、ということで良いのかしら?」

「ですから……」

「じゃあ、嫌い?」

「っ……」

 ぐっと息を詰めて言葉を飲み込む。

 ――そういう聞き方は狡い。

「ふふっ……お前がそんなに困った顔をするのは初めてね」

「……困っているとわかっているなら、止めてください」

「嫌よ。被虐趣味の塊みたいなお前だもの。もう少し苛めさせて頂戴」

「勘弁してくれ……」

 とろりと蕩けそうな可愛らしい笑みで、歌うように囁くミレニアに、バクバクと勝手に駆けだす心臓を持て余しながら顔を覆って呻く。

「ねぇ、ロロ。……私のこと、嫌い?」

「…………あるわけない……わかっているだろう……」

「ふふっ……嬉しい。じゃぁ――好き?」

 苛める、などと嘯いておいて、そんなに優し気に可愛らしく微笑むのは反則じゃないのか――などと思っても仕方のないことを考える。

「好き……などという感情は相応しくありません。何より”大切”なお方です。何をおいてもお守りしたいと思うほどに」

「もう。意地悪」

 あくまで認めないロロを前に、ぷくっとむくれたように頬を膨らませる。

 駄目だ。――今日のミレニアは、なぜか歳相応で肩ひじを張らない少女らしい振る舞いばかりで、やたらと可愛らしい。

「まぁいいわ。勘弁してあげる。私のことは、”大切”、なのね?」

「はい」

「とっても?」

「はい」

「――どれくらい?」

 ふわり、と笑いながら聞いてくるのは、もはや、悪女と言っても過言ではないだろう。

 ――これ以上は、無理だった。

 もとより、惚れた弱みに付け込まれれば、白旗を上げざるを得ない。

「貴女を失うことに耐えられず――帝都を火の海に沈めるくらいには」

「ふふふっ……そう。そんなに”大切”に思ってくれているの」

 苦い顔で答えるロロに、どこか揶揄うように笑いながら、ミレニアはそっと褐色の左頬に手を伸ばす。柔らかな繊手が、奴隷紋に優しく触れた。

「……早く行きましょう。時間が惜しい」

「まぁ。……連れないのね」

 パッと触れられた手から逃れるようにして、すぐに身を翻してしまう護衛兵に、クスクス、と笑いながらミレニアは一瞬だけ触れた右手をそっと胸に抱き寄せる。

 いつもよりも熱を持った頬に触れた掌につられるように、トクン、トクン、と優しく心臓が音を立てていた。


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