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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第十章

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164、稀代のペテン師③

 まるで、愛馬に跨るかのような気楽さで、少年は邪悪な獣の背に乗っていた。

「どうしたの?全員、顔色が悪いよ」

 クク……と喉の奥で嗤うネロの瞳は虚ろで、何も映していないかのようだった。

 ひらり、と少年は魔物から飛び降りる。

「待っ――」

「大丈夫だよ。こいつは、俺を襲ったりしない。……ハハッ……何、心配してくれた?相変わらず偽善者だね、クルサール」

 慌てた声を上げたクルサールに笑うネロ。絶句して、クルサールは全ての言葉を失った。

(魔物が、ネロの言うことを聞いている……!?まさか、この魔物の軍勢をネロが操っている、とでも――)

「さて。……うわぁ。俺も入れないんだ」

 バチンッ

 不可視の壁に向かって手を差し出したネロは、何かに阻まれるような音と共にすぐに手を引く。ブンブンと手を振って顔を顰めているところを見ると、痛みが伴うものらしい。

「困ったな。――これじゃあ、復讐が完遂出来ない」

「復、讐……?」

 虚ろな目で、微かな笑みを湛えて言われた言葉に、ぞくり、と背筋を冷たいものが伝い降りる。

「そうだよ」

「誰に――」

「あれ。言わないとわからないかなぁ?察しが悪いね、クルサール」

 言いながら、チラリ、とネロはクルサールの後ろで、ガタガタと蒼い顔で震える四人の集落の男たちに向けて視線を移した。

「ひ、ひぃ――!」

「待てっ……!ネロ、落ち着きなさい。心を穏やかにして、まずは――」

「何?神様への御祈りの言葉でも捧げろって?ハハッ……ウケるね。そんなことしなくても、俺は落ち着いてる。とっても冷静だよ」

 可笑しそうにケタケタと笑い声をあげて、ネロは再びクルサールに視線を戻した。

「ねぇ、神の声が聴けるクルサールさま。アンタに聞きたい。ぜひ、神様にお伺いを立ててみてよ」

「な……に、を……」

 虚ろな瞳の底の見えなさに、ぶるっ……と全身が震える。

「ここで復讐を成して、死後に堕とされるであろう地獄と――俺が今まで味わってきた、地獄みたいな現実と。――どっちが、辛くて、苦しいかな?」

「っ――」

 ぐっと思わず言葉を飲み込む。

 にやり、とネロの顔が醜い笑みに歪んだ。

 ――何かが壊れた、笑みだった。

「泥水を啜って、人間らしい生き方も許されず、必死に生きた十年だったよ。それでも俺は、俺を虐げた連中に何もやり返すことなく、ただ黙って、理不尽を享受し続けた。――だって、それが、”神様”の教えなんだろう?この地獄を耐え抜けば、幸せな”天”に行けるんだろう?……それなのに、最期は特大の理不尽を強いられた。手枷を付けられて生きたまま魔物に食われる恐怖と絶望だ。――それでも、耐えたよクルサール。俺は、耐えて、その理不尽を、文句を言わず受け入れた」

「っ、それは――!」

「そしたら、束の間の幸せを貰えてさ。あぁ、やっと今までの苦労が報われた、やっとこの地獄みたいな現実からおさらば出来る、と思ったのに――誰かさんが、くだらない偽善で、クソみたいな地獄に引き戻してくれた」

「それ、は――……」

「この真冬の空の下、雨ざらしで数日、磔にされる苦痛がアンタにわかる?石を投げられ、棒で殴られ、意識が朦朧とする中で「誰も恨むな」って言われる理不尽が、アンタにわかる?挙句、「そろそろ死んだかな?」って鳥や獣が見に来るんだ。誰一人、俺の最期を看取る奴なんていない。この世の全員が、俺に向かって「早く死ね」「早く死ね」って煩いくらいに囃し立てる」

「違う!っ、違う、そんなことは――」

 少なくとも、クルサールは、ネロに少しでも長く生きていてほしかった。

 稀代のペテン師になってでも――と覚悟を決めたのは、ネロのような少年を二度と生みたくなかったからなのに。

「偽善者」

 ぼそり、と告げられた言葉に、ひゅっと息を飲む。

「ね。……聞いてみてくれた?アンタの”神様”はなんて言ってる?」

「っ……」

 クルサールは言葉に詰まって押し黙る。

 聖職者としては、告げるべきだ。――死後の地獄の方が恐ろしい。だから、理不尽に耐えて、天を目指せ。

 だが、クルサールは、知っている。

 ネロに与えられた、地獄よりも惨い運命を。――今も、耳の奥に響く断末魔と、網膜に焼き付いた、目を覆いたくなる無残な身体を。

 あれを超える地獄など存在するのか、と問われれば――”神様”の声が聞こえないクルサールには、何も答えられない。

「……ま、いいんだ。どっちでも。俺は、今まで経験した地獄よりも酷いところがあるなんて正直信じられないし――もしあったとしても、関係ない」

「な――!」

「この世に蔓延る理不尽も、大人の汚さも、人間の醜さも、俺はきっとこの国の誰より一番よく知っている」

 すぅっとネロは細い手を上げてクルサールの後ろで怯えている男たちを指さした。

「そこにいる奴らが、教えてくれた。――ここは、誰にも助けてもらえない修羅の世界。地獄のような、現実なんだ。”神様”に縋ったって、意味はない。助かりたいなら、”天”を夢見る前に、自分の手で理不尽に抗うしかない」

「ぅっ……」

 ごくり、と男たちが生唾を飲み込んで呻き声を漏らす。ザリッ……と地面を足が擦った音がして、彼らがネロに怯えるように後退ったことがわかった。

「綺麗事なんて、クソ食らえだ。死んだ後にこれ以上の地獄が待っているとしても、関係ない。魔物の力だってなんだって、使ってやる。だって俺は――”今”、この地獄から抜け出したい」

「ぅ……ぅぉおおおお!!!」

「!?――待ちなさい!」

 馬車の中にあった護身用の剣を帯びていたのか、集落の代表者が細い剣を握って雄叫びと共に飛び出す。

「ハハッ……もしかして、ちょっとは俺に対してやったことに、後ろめたさを感じていたのかな」

 ネロは、軽やかに笑い――伸ばしていた指の先から、魔力を解放する。

 つい、先ほど手に入れたばかりの力。

 ――高位の魔物との契約で発現する、闇の魔法。

「っ……ガ……」

「……?」

 男が振り被った剣を受け止めようと、ネロとの間に身体を滑り込ませ剣を構えたクルサールは、怪訝に眉を顰める。

 呻き声と共に急に男は動きを止めた。

「一体どうし――」

 ぐるん……

 瞳が回転し、意思のある光を失う。

「!?」

 ただならぬ様子に、クルサールは警戒を高め――

 バッ

「ぇ――?」

「ぎゃぁあああああああああああああ!!!」

 男は、振り被った剣を――そのまま後ろの味方に振り向き様に振り下ろした。

(な――にが、起きた……!?)

 ぞわっ……

 理解のできない事態を前に、本能が恐怖に震えて全身に怖気が立つ。

「ま、待ってくれ!長!な、何を――ぅわあああああ!!!」

「やめろ!落ち着け!!俺が一体何をし――ぐはっ……」

 ブン ブン

 棒切のように剣を振る様子を見れば、どこから見ても素人の剣だが、丸腰の相手を襲うには十分すぎる。

 虚ろな瞳を湛えた男は、次々と己の集落の男たちへと剣を手に襲い掛かり、容赦なく刃を振り下ろしていった。

「まっ――待ちなさい!」

 一瞬遅れて我に返り、クルサールは男の剣を受け止める。ガィンッと小さく刃が耳障りな音を立てた。

「な、何をしているのですか――!?貴方の大切な民でしょう!?」

「……殺ス……殺ス……」

「!?」

 ギリギリギリ、と全体重を掛けて押し込んでくる力は、加減を知らない。焦点の合っていない瞳は、目の前のクルサールすら映していないようだった。

「ひ、ひぃ――悪魔だ――!」「助けて――助けてくれ――!」「神様……!」

 怪我を庇うようにして、這う這うの体で逃げ出す男たちを見て、ネロは「ハハッ」と愉快そうに笑った。

 そのまま、指を別の男に向けて――

「っ、ぐっ!?おま……な、にを――」

「!?」

 長の剣を受け止めたまま、不穏な声が響いた方角に目をやれば、負傷した男の一人を、別の負傷した男が首を絞めて押し倒しているのが目に入る。

「な――んだ、これは――何が、起きている――!?」

「ひ、ひぃっ……神様、神様、神様――!」

 クルサールの絶望的な声と、蹲ったまま神への祈りを捧げる男。

「くっ……眠れ!」

 カッ

 ダメもとで、エルムの伝説に書いてあった記述の一つを思い出し、男が一瞬で眠りに落ちて昏倒するイメージを強く描きながら魔力を解放する。コォッと光が瞬いて、剣を手にした男は、一瞬で瞳を閉じて昏倒した。

(よかった――眠らせる魔法は有効か!)

 力を失って倒れ込んでくる男を地面に転がし、泡を吹いて今にも窒息しそうな男の方に駆け寄りながら、再び魔力を練り、馬乗りになっている男へと解き放つ。

「……ぅ……」

 ドサッ

 襲撃者が眠りに落ちて地面へと倒れ込むと同時、今にも絞殺される寸前だった男は盛大に咳き込み、まだ息があったことにほっとした。

「何だよ、邪魔だなぁ……」

 ぼそりっ

 ネロの昏い声が響き――

 ヴンッ……

「!?」

 何か――得体のしれない力が、身体に纏わりつく感覚。

 一瞬、身体が重くなったような錯覚があり――脳裏に何か、黒々とした霧のような靄がかかって――

「っ……効きません!」

 パンッ

 咄嗟に、クルサールはその黒々とした霧を、己の持つ光で打ち払うイメージを持ち、強く心を保つ。小さな破裂音と共に、一瞬で靄が晴れ、視界も思考もクリアになった。

「?……へぇ。あんたには、効かないんだ。それが、もしかして”神の御業”ってやつ?」

「っ……ネロっ……どうして、こんな――」

「ま、いいや。じゃぁ、こうしよう」

「!?」

 指が、跪いて神に祈りを捧げていた男に向く。

 男は、瞳から光を無くすと同時に傍らに落ちていた長の剣を拾い上げ――

「やめなさい!」

 パァッ

 クルサールが、必死に眠りの魔法を展開するのより、一瞬早く――

 ぶしゅぅ――

「ガ――…ハ……」

 何一つ躊躇うことなく、男は己の首筋に刃を立てて、全力でそれを引いた。

「くっ……治れ!」

 パァアアアッ

 イメージを眠りから癒しへと切り替え、必死に男を治癒する。どうやら男は即死を免れたようで、虫の息から少しずつ回復していくのが見られた。

「ひぃ……た、助けてくれ――助けてくれ、俺たちが悪かった――!」

 正気を保つ最後の一人になった咳き込んでいた男が、息も絶え絶えに膝をついてネロに懇願する。

 ネロは、闇を宿した瞳で、冷ややかにその様子を見下ろしていた。

「ネロっ……貴方が何をしたいのか、実際に今何をしているのかは、わかりませんっ……ですが――ですが、もう、いいでしょう!この者たちはこうして己の行いを悔いて、十分に罪を償い――」

「ハハ……何を、言っているんだよ」

 瀕死の重傷を負った男を抱きかかえ、白装束が鮮血に染まるのも厭わず治癒をするクルサールに、ネロは力無く口を開く。

「クルサール。……俺、”人間”なんだ」

 口の端には、力のない笑み。ネロの言葉がわからず、クルサールは怪訝な顔を返す。

「罰を与えるのも――罪を許すのも、”神様”の仕事だろう?俺は、人間だ。……人間なんだよ、クルサール」

「な――にを、言って――」

「愚かで、ちっぽけで、欲に塗れた、醜い人間だ。”神様”みたいに高潔に生きることは出来ない。俺は、罰を与えたいわけでも、罪を償ってほしいわけでもない。――俺は、ただ、自分が与えられた恐怖と苦痛を、そっくりそのまま、そいつらに同じだけ感じてほしいだけなんだ」

「!?」

「だって――理不尽、って、そういうことだろう?」

 ぞくり……と背筋を冷たいものが伝うのと同時、ネロは指を跪き恐怖に涙を流す男へと向けた。

「助けて――」

「ハハッ……そいつは、アンタたちが大好きな”神様”に言ってくれ」

 ヴン……

 不可視の闇の波動が指の先から解き放たれ――

「っ……眠れ!!」

 全力で、クルサールが叫び声をあげる。闇の波動がたどり着く直前で、跪いた男はぐったりと地に伏した。

「……悉く、邪魔してくれるね、クルサール」

「っ……こんな――こんなことは、辞めなさい、ネロ……」

「ハハ……面白いことを言う。相変わらず、偽善の塊だね、あんたは」

 苦悶の表情で説得を試みるクルサールに、少年は力無く嗤って見せる。

 そして、そっと目の前の不可視の壁に手を掛けた。

 ジュッ……と小さく、皮膚を焼くような音がする。

「!?やめなさい!手が――!」

「こんな時まで、何言ってるのさ。俺は、アンタのことも操ろうとしたんだよ。心の弱さに付け入られて、魔物の力を借りて、自分が育った集落を阿鼻叫喚の地獄絵図へ変えようとした。――神様を信じるアンタにとっちゃ、絶対に許すことのできない敵だ」

「っ、関係ない!」

 ジュゥゥ……と皮膚を焼く音を聞いていられず、クルサールは男の治療を終えてネロの元へと駆け寄ると、躊躇うことなく手を伸ばした。

 ネロや魔物の侵入を阻んだはずの不可視の壁は、何故かクルサールの手を阻むことはなかった。

 そのまま、しっかりとネロの手首をつかむ。

 痩せ細り、折れそうな手首は、小さく震えているようだった。

「貴方が、言ったのです……!自分は、”人間”だと!」

「!」

「貴方は、悪魔でもなければ魔物でもない……!貴方は、私が守るべき”民”……!祖国に生まれた、未来を担う、かけがえのない、尊い子供です!」

 パァッ――

 力任せに手を結界から離させたあと、温かな光がネロの掌を覆う。

 ゆっくりと治癒の効果が焼けた肌を包んで行った。

「クルサール……」

「はい」

「ねぇ、今度こそ教えてくれ。アンタは――”神様”を、信じてる……?」

 縋るように震える声は、少し湿り気を帯びていた。

 以前は答えることが出来なかった問いかけに、クルサールは今度は意志を持って口を開く。

「はい。信じています」

「!」

 ネロの顔が、苦し気に歪む。

 ならば、どうして自分は――そう問いかけようと唇が開く前に、クルサールは言葉を続けた。

「ただし、全く頼りにならない、酷く都合の良い存在だと思います」

「ぇ――?」

「全ては虚構の中の存在だからです。貴方が言う通り、どれだけ神に祈っても、縋っても――空腹は満たせないし、理不尽はなくならない。迷いを晴らして正しい道を説いてくれるわけでもない」

 それは、六歳の時、生まれて初めて”神”の存在を疑い、許容できない”理不尽”を突き付けられ続けてきたクルサールだから伝えられる言葉。

「人間の世界の問題に、直接的に介在できるのは、結局、その日その時、その場に生きている人間だけです。どんな綺麗事を吐こうが、この『真実』だけは偽れない」

 治癒が終わり、淡い光が空中に霧散していくのを見ながら、ぎゅ……とクルサールは幼い少年の手首をしっかりと握り締めた。

「だけど、人間は、弱い。――酷く、弱い生き物です。理不尽を前にすれば惑い、己で考えることを放棄し、責任から逃げ回る。集団に流され、慣習に思考を停止し、耳障りのいい言葉だけを信じ、己で困難に立ち向かうことなく、誰かに助けを求めては「誰も助けてくれない」と不満を口にし嘆くだけだ」

「だ、だったら――」

「だから、”神”がいて、その教えがあります」

 クルサールは、剣を携えていた手を解放し、ガラン…と地面に刃を落とす。そのまま、その手で、ネロの手を取った。

 両手で小さく震える手を包み込み、真摯な声音でクルサールは続ける。

「誰かのせいにしたいなら、同じ”人間”ではなく――”神”のせいにすればいい。理不尽を前に思考が停止するなら、”神”の言葉を笠に着て、正義を振りかざせばいい。人々が生きるために必要な知恵も、倫理も、全て”神”の言葉で考えればいい。馬鹿馬鹿しくなるくらいの綺麗事を説く”神”の教えを、一切の解釈の余地なく、全員が同じ思想の元に励行すれば――それは、理想の”天”のような世界だと、思いませんか?」

「そ……んな……」

「……大丈夫。全ての責任は、”神”が負います。道を誤ったのなら、それは民のせいではなく、誤った教えを説いた”神”のせい――弱い"人間"には、それが、限界なのですから」

 言いながら、優しい笑みを口の端にたたえる。

 司祭に言われて獲得した仮面ではない――心の底から浮かべた、慈愛に満ちた、笑みだった。

「ネロ。――”神様”が救ってくれないなら、私が貴方を救います」

「!」

「貴方が救いを求めて伸ばした”手”を、私が必ず取ると約束します。……”神様”は取ってくれないかもしれませんが、”神様”の代わりに、貴方の手を取ってくれる人々を、私が、"救世主"になり、増やします」

「そ――んな――そんな、こと――出来るわけがない――!」

「やります。どんな手を使ってでも――そのために、私自身が地獄へ堕ちることになったとしても」

 柔らかく緩んでいるはずの紺碧の瞳には、それでも壮絶な覚悟を感じさせる光があった。

「だから、ネロ。――ちゃんと、言ってください」

「ぇ……?」

「もの言いたげな顔で、言葉を飲み込まないでください。理不尽を前に、抗うことを諦めないでください。辛い、苦しいと――集落には戻りたくない、と、ちゃんと口に出して伝えてください」

「!」

「お願いです、ネロ。――”助けて”と、言って下さい。そうすれば、私は貴方を――貴方をはじめとする救いを求める民を、絶対に、どんな手を使っても必ず助けると約束しましょう」

 ふわり、と微笑む姿は――誰もが思い描く、本当の”神”の姿のようで――

「だって、私はあの日――貴方の”助けて”という言葉を、どうしても無視することが出来なくて、初めて”神”の存在意義とその役割を信じることが出来たのですから」

 クルサールの言葉を聞いて、ネロの頬に涙が伝う。

「クルサールっ……」

「はい」

「クルサール、クルサールっ……!」

「はい」

「俺――俺、死にたくない――!」

「……はい」

 熱い雫が握られた手に落ち、ぎゅぅっと初めて握り返された。

「本当は――神様だって、信じたい――!」

「はい」

「もう嫌だ――もう、辛いのも、苦しいのも、痛いのも、もう二度と嫌なんだ――!」

「はい。はい、ネロ」

 クルサールの微笑みと共に、パンッ……と小さく破裂音がする。

 視界の端に光の粒が散ったのを見て、ネロはクルサールが結界を解いたのだと理解した。

 それは、ネロへの信頼。

 魔物の軍団を制するというネロが、もう、それを己の復讐のためにけしかけることはしないという、絶対の信頼の現れだった。

 ひくっ……と少年の喉が鳴る。

 飲まず食わずで、乾き切ったと思っていた身体でも、涙は溢れて止まらなかった。

「っ――助けてよ、クルサール……!」

「はい。……約束です。貴方が、胸を張って幸せに生きられる世界を作ると――”神”の名において、誓いましょう」

 泣き崩れた少年を優しく胸の中に抱きしめて、クルサールは誓いの言葉を口にする。

 神の名を出して誓いの言葉を告げたのは、六歳のあの日以来だった。

 ――誰かに強要されたわけではなく、己の意志でそれを口にしたのは、人生で、初めてのことだった――


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