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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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161、エルム様⑩

 ふ……と瞼を押し上げると、そこは見慣れた天井があった。

 天でも地獄でもない光景に、ぱちぱち、と何度か瞬きを繰り返す。

 むくり、と起き上がり、周囲を見渡す。

 そこは見慣れた――教会の地下に造られた牢獄。人生の最期を過ごしたはずの部屋。

「あれ……?俺――」

 事態が上手く把握できない。記憶が混濁している。

 ふと、身体を見下ろす。

「足――ついてる……」

 ぽつり、と口の端からこぼれた言葉に、一気に地獄の光景がフラッシュバックした。

「っ――ぅああああああああああああああああああ!!!」

 臭い息をまき散らして迫る、鋭い牙が生え揃った真っ赤な涎塗れの顎。ドンッドンッと何度も繰り返される重たい衝撃。ひしゃげる鉄の鳥籠。

 それが、ばくりと無情に右足へと齧りつき――

「ぅっ……ぅぉえっ……ガハッ……」

 ぐちゃぐちゃと腹の中を食い荒らされる感覚すら蘇り、到底我慢など出来ずに胃の中を全てぶちまける。

「ネロ!大丈夫ですか!?」

 様子がおかしいことに気付いたのだろう。カッカッと上階から石の階段を駆け下りてくる音が響いて、見覚えのある青年が顔を出した。

「クル……サール……?」

「気が付いたのですね!?」

 クルサールは急いで鉄格子に駆け寄ると、そのまま大きく扉を開け放った。どうやら、鍵は最初から掛けられていなかったらしい。

「俺――俺、いったい、どうなって――」

「大丈夫。――大丈夫ですよ。もう、貴方の命を脅かすものはありません」

 最期にネロがクルサールにかけた言葉をなぞるようにして、クルサールは安心させるように少年の背中をさすりながら穏やかな声を出す。

「もうすぐ、迎えが来ます。――もう、あんな恐ろしい風習は、無くなるのです」

「む……かえ……?」

 嘔吐を繰り返したせいで体力が失われたのか、ぼんやりとした頭で聞き返す。

 真夏の空の色をした瞳は、まるで慈悲の塊である”神”を思わせる優しさで笑みの形に緩んでいた。

「貴方は信じないでしょうが――『神の奇跡』が起きたのです」

「は……?何を言って――」

「貴方の絶叫を前に、”神”が私に囁きました。もう、このような儀式は必要ないと。私が、神の手足となり、人々に奇跡の御業を授けよと」

「クルサール……?アンタ、一体何を――」

「貴方は、神が初めて助けた<贄>です。神の慈悲を受けた貴方を、虐げる者はもういません」

 背中をさする手は、温かい。

 張り付けられたように、クルサールの美貌には完璧な笑顔が浮かんでいた。

 ドンドン

 上階で、重い扉を叩く音がする。

「あぁ――迎えが来たようですよ、ネロ」

「な……ん、だって……?」

「貴方の集落の方です。いつまでもここにいるわけにはいかないでしょう?ネロ、貴方はもう――<贄>ではないのだから」

 ネロの瞳が揺れる。

 そこに浮かぶのは、戸惑いと――……

「さぁ、ネロ。立てますか?一緒に行きましょう」

 クルサールは完璧な笑顔で手を差し伸べる。

 ――もう、迷わない。

 慈悲を与える微笑みと裏腹に、その心は凍てついたように感情を凍り付かせてしまっていた。


 ◆◆◆


 クルサールが描いたシナリオは、ある種単純なものだった。

 大筋は、ネロに話した通りだ。

 ネロが捧げられたあの日、どこからともなく神の声が聞こえた。

 神はクルサールに『神の奇跡』を起こす力を授けるので、人々を苦しみから救えと告げた。最初の奇跡として、<贄>として捧げられたネロを蘇らせる力を与えられた。

 本当は、命が途切れるギリギリで治癒しただけなのだが、ただの治癒よりも”死者の蘇生”の方が明らかに話題性がある。エルムの伝承ですら、”致命傷の治癒”までだった。死者を蘇らせたとなれば、エルムと同等以上の奇跡だともてはやされるのは容易に想像が出来た。

 供にいた司祭は、よい証言者になってくれた。国一番の権力者の言葉は非常に強力だろう。

 ――だから、司祭も、欺いた。

 本当に神の声が聞こえるようになったと。哀れな人々を救うため、”奇跡の御業”を行使することが出来るようになったと。

 己の剣で己を傷つけ、額の聖印を見せつけるようにしながら治癒して見せれば司祭も目をむいて信用せざるを得なかった。

 まるで、人が変わったように、司祭に教わった通り慈悲を与える神のごとき微笑みを湛えて振舞えば、その印象はさらに強くなった。

「もう、<贄>は必要ないと、神は仰せです。……神は、少年エルムが<贄>に捧げられたときから心を痛めていました。神の化身たるエルムが――私と同じく、神の声を聴くことが出来た己の分身たるエルムが、人々の平和を願い、光魔法の奇跡を与えた。悪夢のような<贄>の風習から解放するために、神がエルムを通じて与えた方法でしたが――人々はそれを信じないどころか、エルムを<贄>に捧げよと言い出す始末。特に神の寵愛を得ていたエルムを死に追いやった人々に、神は失望されました。光魔法の奇跡すら、人々から取り上げようとも考えましたが――エルムの命を賭した高潔な振る舞いに慈悲の心を示され、エルムがそこまでして人々の未来を守るならば、と光魔法の奇跡だけは残してくださった」

「そんな――」

 ぺらぺらと、帰りの馬車で、口が勝手に『新しい真実』を語り出す。生来、自分にはペテン師の才能があったのかもしれない。

「あれから何百年――長い月日の中で、たくさんの尊い命が<贄>として捧げられました。神は、もう十分に我らの祖先がエルムに強いた罪は贖ったとお考えです。悪しき風習を断ち切り、人々が正しく平穏を築くことを望んでおられます」

「だが――で、ですが――過去、<贄>に捧げられた子供を持つ親たちが、受け入れるかどうか――」

 司祭は、完全にクルサールの言葉を信じたようだった。口調さえ変えて、膝をつき、その言葉を待つ。

 クルサールは、慈悲の笑みを浮かべて、司祭に許しを与えた。――神が、そうするように。

「よいのです。人の愚かさを、エルムの時代から、神はよくご存じです。――神はおっしゃっています。まずは、国内の不幸を取り除けと。私に授けられた『神の奇跡』で、より多くの人々を救えと。そして――どうしても、という場合は、私の命を捧げ、人々の目を覚まさせよ、と仰せです」

「な――なんと――!」

 司祭は大きく眼を見開いて言葉を失う。

 クルサールは、緩く頭を振って、にこりと笑った。

「私も、神の言葉に異論はありません。――人は、愚かです。過ちを繰り返す生き物です。ですが、私の命一つで、未来の尊いたくさんの子供らの命が救われるなら――どうして私が、命を惜しむことなどありましょうか」

 それは、初めて六歳の時に翁から聞かされて以来、何度も何度も繰り返し聞かされた『神の化身(エルム)』の思想だ。

 彼らが思い描く、理想のエルムを、クルサールは微笑みと共に演じて見せる。

(こんなもの――ネロや、今までの<贄>が味わった苦しみと恐怖に比べれば、なんでもない)

 今でも瞳を閉じれば、耳を塞ぎたくなるようなネロの絶叫が聞こえるような気がする。

(今までの司祭は皆、次の世代に『真実』のバトンを渡すその瞬間まで、気が狂いそうになるこの恐怖と、戦い続けたのか。……なんとも、愚かで、誇り高い一族だろう。――故に、エルムの両親が犯した罪は、許しがたい)

 だが、それももはや贖われるべきだ。

 たった独りで、この国を守る責務を担い、誰にも告げることのできない『真実』を胸の内に秘めて、<贄>の子供たちが惨たらしく死んでいくのを見据え、罪悪感に絶望しながら必死に”神”に縋り生きていた。

 彼らなりに、正義はあった。無属性の子供を光属性と偽ることはしなかった。生きている方が辛い子供を優先的に<贄>として送るよう結果を左右しながら、金銭援助をして子供らがせめて最期の時を安らかに過ごせるように計らった。

 神の教えを一番熱心に説きながら、最も地獄に堕とされる所業をしていると自覚して――そこから逃げずに、歩み続ける苦しみを味わい続けた。

 それこそが、全ての元凶であるエルムの両親が犯した罪を贖うために、神が一族に課した罰だったのかもしれない。

 あるいは、無念の内に死ぬしかなかったエルム少年が残した、呪いだったのか。

(だが、それも今日までだ。――この国の人々の業は、全て私が背負って、死後の世界に持っていく)

 馬車の中、眠っているネロの黒髪をそっと梳いて、クルサールは密かに胸中で覚悟を決める。

『――大丈夫だよ』

 少年の言葉が、耳の奥で蘇る。

 もう――あんな表情を、幼い子供にさせないために。

 たとえ、死後に地獄へ堕とされるとわかっていても――クルサールは、『稀代のペテン師』になると決めたのだ。


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