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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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156、エルム様⑤

 最初は鼻高々で得意げだった自分も、あまりにも長く大人たちが持ち上げるせいで、徐々に、少しずつ、怖くなっていった。物事の分別がついてくるころ、自分の名前すら呼ばれない現状がおかしいように感じられた。

 やがて、成長と共に始まる”魔法”の訓練。

 だが、当然成果など出せるはずがない。地水火風の属性ではないのだから。

 自分の属性は”光”なのだ、と進言すれば良いのかもしれないが――それはつまり、今までの行い全てがペテンである、と認めることでもある。

 最初はそれが怖くて、言い出せなかった。

 周囲は自分を、無属性の子供だと結論付けた。――それでもよかった。今までのペテンを暴かれるくらいなら、それでよかった。

 だが――事態は、予期せぬ方へと転がり出す。

「……<贄>の……しきたり……」

 ぽつり、とクルサールはつぶやく。想像通り、そこには、エルム少年の葛藤が描かれていた。

 大人たちは、『特別扱い』で不幸を免れる存在を許せなかった。たとえそれが『神の化身』でも関係ない。神に愛されているならば、さぞや強力な結界となってくれるだろう。

 無属性である以上、長年続くしきたりは、必ず遂行されねばならない。それが、世論の最終判断だった。

 ぞくり、とエルムの胸に恐怖が沸き起こった。幼い日、初めて『神の奇跡』を起こして魔物を撃退したときのことを思い起こす。――あの、黒い恐ろしい獣の群れへと、放り込まれるというのか。

 想像するだけで絶叫したくなる恐怖に、家族に縋り、打ち明けた。どれほど厳しい折檻が待っていてもいい。あの魔物の餌になるくらいなら、折檻などどうでもよかった。

 自分は『神の化身』などではない。”神”の声など聴くことは出来ないし、起こしてみせた『奇跡』は全て魔法を使ったペテンだった。

 魔物の脅威を払う必要があるなら、自分が責任を持って魔法で結界を作ると約束する。生涯、魔物の脅威から必ずこの国を守ると誓うから――だから、魔物に食わせるなんて、言わないでくれ。

 我が子の涙ながらの告白に――両親は、顔面を蒼白にさせて驚いた後、ゆっくりと告げる。

『駄目だ。それでは、誰も、納得しない。仮にお前の言っていることが本当だとして――お前が死ねば、再び<贄>が必要になる。結局お前を『特別扱い』したことに変わりはない。お前が死した後の子供は、再び<贄>の制度を続けるしかない。――恒久的ではない解決策を、人々は決して望まない』

 両親のその言葉を聞いたときの絶望は計り知れなかった、と手記には書かれていた。

「だから――生み出した、のか……『見極めの儀』を……」

 歴史の真実を知り、クルサールは呆然と宙を仰ぐ。

 司祭から聞いていた話とは、違った。

 エルムは、決して『世界をより良くするために』などという利他の精神から『見極めの儀』を生み出したわけではなかった。

 ――すべては、自分が<贄>にならないため。

 自分が死んだ後も恒久的に効果を発揮する解決策を編み出すことで、自分が『特別扱い』で<贄>の責務を逃れるわけではないと証明しようとしたのだ。

 そこから先は、少年の血の滲むような努力が書かれていた。

 地水火風の魔法を使うための訓練で学んだ知識を応用し、光魔法にも通じる法則が何かを探し出した。すぐに、<贄>の結界は魔力暴走であると思い至る。それなら、無属性を無作為に食わせるのではなく、光魔法の属性を持つ人間だけを選別すればいい。そこで、地水火風の魔法が物体にも効果を発揮することに着目し、水に光魔法を練り込むことを思いついた。魔力に反応する不思議な水が完成し、それが『見極めの儀』の原型となった。

 だが、このとき――少年は、当たり前のように<贄>の風習そのものを廃止しようと画策していた。

 当たり前だ。そもそもの発端は、彼自身が<贄>から逃れるための研究だったのだから。

 光魔法の存在を公にし、『見極めの儀』は魔法属性を知るためだけに使って、己が光属性だとわかった人間には退魔の魔法を優先的に覚えさせ、祖国の防衛に当たらせる――それが、少年が描いた『恒久的な解決策』であり、当然の未来だった。

 だが、いきなりそれを公表しても誰も信じることはない。

 まずは、最初に相談した両親に打ち明けた。『見極めの儀』の詳細も話し、自分の魔法で水が光ることを示した。彼の両親はともに無属性とされていたため、試しに彼らに魔力を練らせると、父が光って、母は光らなかった。――儀式の正当性が証明された。

 両親は驚きながら――それでも、エルムに言った。

 軽々しく自分が光魔法使いだなどと言ってはいけない。ペテンだと打ち明ければ、エルムの立場が悪くなる。全てが上手くいくように取り計らうから、部屋で大人しく、誰にも逢うことなく待っていなさい――

 エルムは大人しく待った。

 もはや、自分の本当の名前すら呼んでくれなくなった両親だが、それでもやはり自分は愛され、大切にされていたのだ。最初に打ち明けたときに、無情なことを言われたのも、全ては自分を想ってのことだったのだ。きっと、国民全員が納得してくれるような話を考えてくれる。だって、両親は()()だ。何でもできる、信頼できる、()()なのだから――

 それから、何日が経ったことだろう。

 国中が騒がしいことは、何となく知っていた。しかし、親の言いつけを守って、誰にも逢うことなく一人で屋敷に籠っていた。

 そして、やっと両親が迎えに来た。

 ――なぜか、綺麗な白装束を纏っていた。

 胸元には、自分の掌に浮かぶ紋様を象ったような金細工が光っていた。

 そして、ニヤリと父の顔が歪む。

 見たことのないくらい、醜く。

『さぁ、エルム様。迎えに参りました。――”神”の化身よ。我らを救いたまえ』

 そうして、大きな手を掲げる。

 一瞬、頭を撫でてくれるのかと思った。――もう記憶にないくらい昔、まだ『神の化身』と呼ばれる前に撫でられたきりのその掌を、期待した。

 だが、それは幻想だった。

 父は、ニタリとした醜い笑みを浮かべたまま――掌から、魔力を放つ。

 ――そこで、少年エルムの意識は途絶えた。

「……ま、さか……」

 クルサールは、図書館で読んだ「赤子を眠らせた」というエルムの『奇跡』を思い出す。

 もしもエルムが、両親に洗いざらい話していたならば――光魔法で出来ることも、話していただろう。父親が光魔法使いだったならば、それを再現することは容易だったはずだ。

「どうして――なんで、父親が――」

 ドクン ドクン

 心臓がうるさく脈打つのを聞きながら、そっとページを捲る。

 次にエルムが目覚めたのは――この、牢獄の中だった。

 最初は意味が分からなかった。しかし、下卑た笑顔を浮かべる父親が来て、あらましを説明してくれた。

 大人たちは、仮に光魔法という存在を明らかにされたところで、過去の哀れな子供たちを思えば決して認めることは出来ない。それが恒久的な解決策であったとしても。『見極めの儀』すら、『特別扱い』を生むシステムとして、反発が予想される。

 そんな中――『神の化身』たるエルムが、本来エルムしか使えなかった『奇跡』の一部を司祭の一族に継承し、”神”の教えに従って人身御供になれば、人々も新しい儀式の形に納得するだろう、ということだった。

 だが、エルムは賢い子供だった。『神の化身』と崇められ、沢山の大人たちの醜さを知っていた。

 だから――すぐに、理解した。

 自分は、利用されたのだ。

 父が、謎の白装束を纏っているのが全てを物語っている。

 もともと”司祭”は、<贄>の運命を受け入れられない親子の詐称を暴き、無理矢理この牢獄に引き立ててくる役割でしかなかった。――世襲制などではない。”一族”などは存在しない。

 それを、儀式を行う『奇跡』の一部を、”司祭の一族”という新しい一族に明け渡す――その筆頭が父であり、自分の血族なのだろう。

 この、目に見えぬ名も無き”神”を信奉し、至上の存在と置いて、当たり前のようにその存在を疑わない国の人々は、きっと、『奇跡』の一部を引き継いだ一族を崇める。国内での地位は揺らがぬものとなるだろう。

 信じられなかった。

 そんな――そんなくだらない一族の権力(モノ)のために。

 これから先の、何百人という哀れな子供の未来を、奪ってみせるのか――

 ――――己の、血を分けた子供すら、惨たらしい死地に送り込んで――――

「ぁ……ぁぁ……」

 ガタガタと、手記を持つ手が震える。

 少年の筆跡は、荒々しく震えている。

 ――怒りか。哀しみか。絶望か。諦めか。

 いったい、この手記を、齢十歳の少年は、何を思いながら書いたのだろうか。



 ――この手記を読んでいる者は、おそらく儀式で光の属性が判明した者だろう。

 きっと、この牢獄に入れられているということは、少なからず”神”の存在を疑い、己の運命を呪い、足掻こうとする者だろう。

 だから、伝えたい。――すべては、”司祭”の一族のペテンから始まったことだ。

 今も、僕が生きている時代と変わらないなら、<贄>の出立は盛大に行われるだろう。枷を嵌められ、檻に入れられ、国中の人々に見送られながら、進むはずだ。

 その時は、叫べ。叫べ、叫べ、叫べ。

 すべてはペテンだと。神など存在しないと。自分は誇るべき大義などなく、ただ惨たらしく魔物に食われるだけなのだと。

 国中に喧伝しながら死地へ赴け。それが、<贄>に選ばれた人間に出来る最期の悪あがきだ。

 きっと僕は、余計なことを喋らぬようにと、父の魔法で眠らされたまま、送られるだろう。

 真実は闇に葬られ、虫唾の走る美談へと変えられて、僕は無為に死地へと送られる。

 これを読んでくれている者だけが頼りだ。

 頼む。君一人の叫びでは、何も変わらないかもしれない。だが、何もしなければ、何も変わらない。

 哀しい運命に翻弄される最中、ただ黙って運命を受け入れる前に、狂気の風習の悪しき鎖を断ち切る一助となってくれ。

 そして、最後に一言。

 僕と、僕の一族の不徳のせいで、まだ見ぬ君たちに残酷な死を与えてしまうこと――謝っても謝り切れないが、心から申し訳なく思う。

 最期の最期、魔物を前に命を落とすその瞬間まで――僕たち一族を、心の底から呪ってくれ。

 それだけが、ただ手記を遺すことしかできない、僕が差し出せる贖罪なのだから――


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