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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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155、エルム様④

 コツン……コツン……

 もう何年も使われていない地下に続く階段は酷く寒々しくて、一歩一歩足を踏み進めるごとに、気温が下がっていくような感覚がした。

 手にしたランプを掲げるも、窓一つない地下室は、薄暗くて視界が悪い。

(ここに入れられていたのは、<贄>になる運命を受け入れられず、反抗的な態度を取っていた子供たち……)

 きっと、「どうして自分が」と世の中を恨みながら、この寒い地下牢に年端の行かぬ子供たちが閉じ込められていたのだろう。そして、その中には、<贄>の資格がない――正真正銘の無属性の子供もたくさんいたはずだ。

 もう、この一画が使われていたのは何百年も前だというのに――未だに、当時の少年少女や、ここに面会来たであろう家族たちの怨嗟が渦巻いているようで、ぶるり、と背筋が一つ震える。

 ここが使われなくなり、掃除の一つもされずに放置されていたのは、司祭の一族が今の役目を担い、誰にも打ち明けられぬ『真実』を知ってしまったことで、その大きすぎる罪悪感に耐え兼ね、過去の過ちから目を逸らしたいと思ったからなのかもしれない。

 階段を降り切った先に、その牢獄はあった。

 凶悪な囚人を捕らえるような、頑強な鉄格子。備え付けられている簡易ベッドは、子供しか使わないためか、少し小さい。トイレやシャワーといった最低限の設備も備え付けられており、箪笥のような家具も見受けられる。鉄格子だけは仰々しいものの、あくまで人としての尊厳を無くすような生活を強いていたわけではなく、ここから一歩も出ずに来るべき日まで過ごせる環境が揃っていたようだ。長い時をここで過ごすためか、巨大な本棚が設置されており、埃を被った背表紙がずらりとたくさん並んでいた。

 壁際には机が設置されていて、インク壺とペンが置かれているのが遠目にもわかる。インクは乾ききって使い物にならないだろうが、机の上に乗せられている便箋のような紙の束を見るに、恐らくここでは、遺される親族たちへの手紙をしたためることが許されていたのだろうと予想された。

「……失礼します」

 ガチャン……

 誰にともなく断って、さび付いた錠前に鍵を差し込む。口をついたのは、恨み言を遺し、失意のうちにこの世を去った、哀れな子供たちへの断りだったのかもしれない。

 ギィィ……とさび付いた鉄格子と蝶番がこすれる耳障りな音が響いて、顔を顰めながらゆっくりと扉を開けて中へと入る。

 ランプを掲げて中に入れば、室内は外から見ていたよりも広く感じられた。

「ここで……少年エルムも、十歳のときに最期の時を――」

 ぐるりと牢獄の中を感慨深く見渡してから、ゆっくりと中を探る。

 最初に探したのは、机の引き出し。舞い上がる埃っぽい空気に顔を顰めながら、一つ一つ開けていく。部屋がうす暗かったため、ランプや蠟燭の一つでもないかと考えたのだ。

 結果的に、目当てのものは見つからなかったが――

「……ん……?」

 一つだけ、違和感を覚える引き出しがあった。

 外から見える深さと、実際の深さが合っていない。

 不審に思い、コツコツ、と引き出しの底を叩いてみると、返ってきた音は、そこに空洞が存在することを示していた。

「……二重底……?」

 きっと、こんなところをこんな風に調べる大人はいなかっただろう。掃除すらおざなりにされていた場所だ。歴代の司祭は、罪悪感からここに立ち寄ることすら嫌がっただろうし、そうでない者も、過去の哀れな子供たちの境遇を思えば、最期の怨嗟が渦巻いていそうなこの空間に長時間滞在したいと思うまい。

 クルサールは、すぐに引き出しの底を取り外しにかかる。どうやら簡単な造りになっていたようで、存外簡単にパカッと底板が外れた。

「これは――」

 中から出てきたのは、一冊の書物。

 机の上に放置されていた便箋を沢山集めて、紐で括って表紙を付けた、簡易の書き物のようだった。

 表紙に書かれているのは、ただ一言。

 ――『未来の哀れな子供たちへ』――

「……誰かの……手記……?」

 手に取り、ポツリと呟く。

 誰かが、自分の次にこの牢獄に訪れるであろう子供宛に書いた手記なのかもしれない。そう考えれば、大人が見つけにくい場所に隠したのも理解できる。隠し方も、十歳の子供が考えそうな、比較的すぐに見つかる場所だった。

 じっ……とそれを眺め、しばし躊躇する。

 これを読む資格が、自分にはあるのか。

 ここに書かれているのは、過去の<贄>となった少年少女の生の言葉だろう。見極めの儀すら受けることなく、無属性というだけで死地に送られる、絶望の毎日を過ごす中でつづった言葉だ。とても、愉快なものが書かれているとは思えない。

 『見極めの儀』が生み出され――その『真実』のせいで、今日、不当に<贄>となる運命から逃れた自分に、これを読む資格が――

「いや……読む、べきだ。これは、誰かが――読まなければ、ならない」

 ふるっ……と頭を振って、クルサールは自分に言い聞かせる。

 悪しき風習を断ち切ろうとする己こそが、読むべきだろう。

 読んで、当時を知り、正しく<贄>の制度の残酷さを学び――そして、後世に伝える。それは、謎の紋様が浮かんだ己に課せられた責務のように思えた。

 息を飲み、決意を固めて、パラリ……と表紙を捲る。


 ――”神”の名のもとに、残虐な運命を強いられる哀れな子供たちへ。

 最初に伝えよう。

 ”神”など、この世に存在しない。

 『神の化身』と呼ばれた僕、エルムがそれを、断言する――


「――!?」

 埃を被ってところどころ掠れた文字で綴られた手記は、そんな書き出しから、始まっていた。


 ◆◆◆


 そこに書かれていたのは、まさに、この世の中の『真実』だった。

 前半は、幼き日に懺悔室で司祭が語ってくれた『真実』と同じ。

 世の中には未知の魔法属性『光』が存在し、<贄>が結界として作用するのは、死の恐怖を前にした魔力暴走の果ての結果でしかないこと。

 光魔法の存在を明らかにし、属性を持つ者たちが協力して結界を張れるよう訓練して事に当たれば、<贄>などという制度は必要なくなり、尊い犠牲などなく祖国を守れるようになること。

 だが、とにかく村八分を恐れ、頭が凝り固まった保守的な大人たちの「過去に死んでいった<贄>に申し訳が立たない」という理不尽かつ愚かな感情だけで、悪しき風習は繰り返されていること。

 今、この手記を読んでいる存在が迎えようとしている運命は、神が与えた試練でも誇り高き運命でも何でもない。ただ、大人たちの愚かな感情による狂気の果てに強いられた残酷な仕打ちに過ぎない、ということ。

「――――……」

 クルサールは、ドクドクと脈打つ心臓を感じながら、ページを捲る。

 それは、意外な告解だった。

 エルムは、『神の化身』として、様々な奇跡を起こして、”神”の教えを体現するような行いを実現し、誰も彼もに崇められ尊ばれて生きて死んだとされている。

 きっと、彼自身は、顔も見たことのない未来の祖国の子供たちのために、自己犠牲すら厭わぬ”神”の精神を持った高潔な人物であり、それを説いた少年だと、勝手に思い込んでいた。

 だが――手記には、正反対の内容が書かれている。

 ”神”など存在しない、と断じた上で、祖国の大人たちを愚かと明言し、<贄>の風習を批判する。

 自身が生み出した『見極めの儀』すらも軽んじるかのような書きぶりだ。

「エルムの名を騙った別人の手記――?いや、そんなはずはない……ここを使った最後の<贄>こそ、エルム本人だったはずだ。それ以降、ここに入る<贄>はおらず、ずっとここは放置され続けていた……」

 それより前に、エルムの存在を知っていた<贄>がいたとは思えない。まして、現在でさえ、代々”司祭”の称号を受け継ぐ者にしか教えられることのないこの国のトップシークレットを、一般の<贄>が知っているはずもない。

(これは――正真正銘、エルムの手記――……)

 ドクン、と心臓が脈打つ。

 ページを捲る指が小さく震えた。

 手記の中のエルム少年は、書き殴るようにして世の中の『真実』を書き記す。

 その論調は、全てに対して批判的なものだった。

 祖国の大人たちにも。自分の一族にも。――”神”の存在にすら。

「――…」

 ごくり、と唾を飲み込んでページを捲った時だった。

 ――信じられない、新しい『真実』が書かれていた。

「ぇ――?」

 思わず、何度も目を瞬く。ランプを引き寄せ、しっかりと明かりの元で文字を追った。

 そこには、エルム少年の懺悔に等しい告解と慟哭が並んでいた。

 もともと自分は、エルムという名前ではなかった。しかし、掌に光る紋様が浮き出るという謎の体質が判明した瞬間から、神を信奉するこの国の大人たちは勝手に『神の化身』と言って崇め奉り始め、大陸古語で『神聖なるもの』を意味するエルムと呼ぶようになった。――本当の名前は、あっさりと人々の中で忘れ去られ、今この手記を書いている時まで誰にも呼ばれたことがない。

 最初は、気分がよかった。大人たちがこぞって頭を垂れて、敬語を使い、誰一人自分に逆らわない。まるで、自分が本当の”神”になったかのようだった。そのように振舞うと、大人たちは涙を流して祈りを捧げた。

 大人たちが勝手に信じ込んだのは、紋様が浮かぶためだけではない。『神の奇跡』を、大人たちが望むのに合わせて起こしてみせたせいだ。大人たちは、タネも仕掛けもない”神”の御業としか思えぬ未知の現象に感動し、より妄想を加速させていった。特に、自分の一族は、『神の化身』を生んだ一族なのだと吹聴し、鼻高々だったようだ。家族も皆自分を褒めたたえ、持ち上げてくれた。幼いときは、それが何より気分がよかった。

 だが――他の誰も知らなくても、自分だけは偽れない。

 世界中の誰が知らなくても――自分だけは、知っている。

 人々の前で得意げに起こしてみせた”神の御業”は、『神の奇跡』などではない。

 ――ただの、光魔法の、延長だった。

「――!?」

 息を飲み、夢中でページを捲る。

 少年の懺悔はまだまだ続いた。

 紋様が浮かぶ瞬間は、まさに『神の奇跡』を起こす瞬間だ。人々は、そのせいで紋様を”神”の印と連想したのだろうが、自分だけはその法則を自覚している。

 ――魔法だ。

 魔力を練り上げるたび、自分の掌にその紋様が浮かぶ。

 何が出来るのかは、手探りでしかわからなかったが、なんでも試してみた。どうやら、治癒と退魔の効果に優れているらしい。治癒の適用される範囲は広大で、怪我も、病気も、どちらにも効くようだった。退魔の効果は、文字通り――魔物を払う力があるようだった。

 そもそも、最初に『神の化身』だと言われたのは、<贄>の効果が切れて、自分が住むエリアに魔物の襲撃があったせいだった。襲われそうになり、必死に「立ち去れ」と念じたところ、光が走って魔物が去った。――それが、『奇跡』の始まりであり、『神の化身』エルム誕生秘話だった。

 いい気になって、色々と試してみた。何せ、自分は『神の化身』だ。この土地を守る”神”に人々が願いそうなことは何だろう――そう考えて、実現できないか、試したのだ。

 実現出来たものもある。出来なかったものもある。大きなものから小さなものまで、様々な『奇跡』がきっと、この手記を読んでいる君の耳にも届いていることだろう。

「そんな――……」

 それは、恐らく司祭も知らない事実。

 司祭すら、光魔法は魔を払う力があるだけだと思い込んでいるが――なんと、光魔法こそが、『神の奇跡』の正体だったというのだ。

 ごくり、と生唾を飲み込み、震える吐息を落ち着かせるように大きく深呼吸をしてから、クルサールはもう一度ページを捲った。

 そこから先は――少年の後悔と慟哭が続いていた。

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