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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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154、エルム様③

 クルサールに、事実上、選択肢など与えられてはいなかった。

 ただ、覚悟を決めるまでの猶予だけが与えられているだけ、慈悲深いと感謝すべきだった。

 少年は、懺悔の間から出ることなく三日三晩泣き明かし、己の運命を呪った。過去の慣習を呪った。悪しき風習をくだらぬ感情で断ち切れぬ祖国の人々の愚かさを呪った。

 世の中の様々なものを呪い、恨みつくして――最後は、己に課された役割を、受け入れた。

 幼い頃から父が話してくれた"神"に恥じぬ人生を歩め、という言葉が、最後に少年の背中を押した。

「ありがとう、クルサール。正式な歴史に残すことは出来ずとも――お前の誇り高き決断を、必ず後世に伝えると、我が一族が”神”に誓おう」

 神への誓いは絶対だ。司祭の言葉に、クルサールは複雑な顔を返すことしかできなかった。

 国家の最重要機密を知ってしまったクルサールは、もはや実家に戻ることなど出来なかった。司祭の家に養子として貰われることになったが、それ自体はクルサールにも異論はなかった。

 どうせ、国のために死ぬことが決まっている人生だ。きっと、大好きな両親と一緒に暮らしていては、最期の最期で決心が鈍ってしまうかもしれない。この世に残す情は、全て斬り捨ててしまいたかった。

 敬虔な信者でもあった両親は、聖印が浮かんだことを機に、自分もエルムのように己の意思で神の奇跡を起こして人々を救えるようになるべく、教会に身を置き神に生涯を捧げたくなったと伝えれば、幼いながらに誇り高い決断をした我が子を褒め称えてくれた。少年の後見人になると約束して一緒に頭を下げてくれた司祭の手が、最後まで固く握り締められ小さく震えていたことは、クルサールだけが知っていた。

 全ての準備が整えば、クルサールは『神の化身』になるための努力をしなければならなかった。

 まずは、少年エルムが起こしたと言われる『奇跡』の内容を知る必要があった。

「何か、手記などが残っているわけではないからな……大人たちの口伝が殆どだ。どこまで本当かは疑わしいが――図書館に行けば、おとぎ話としてかもしれないが、ヒントがあるかもしれない」

 司祭の言葉に従って、大人に聞いたり図書館に赴いたりしてみたが、不治の病を治しただの赤子を眠らせただの、大きなものから小さなものまで、結局何が出来るのかよくわからない『奇跡』の情報が集まった。――当然、自分にもそれが出来る、という実感は一切わかない。

 時折、なんの拍子かわからないが、規則性もなく浮かぶ聖印に混乱し、クルサールは途方に暮れた。

 そんな最中――初めて、国家の危機が訪れた。

 刃を携え、夥しい血液の匂いを身に纏う、褐色の肌をした鋭いまなざしの漆黒の軍人たちが、祖国の土地を軍馬で荒々しく踏み荒らしていった。

 父をはじめとする、剣を使える大人たちが精一杯の抵抗をしたが、『侵略王』の前には赤子同然だった。そもそも、魔物以外に祖国を荒らす脅威があるなど、考えたこともなかったのだ。何一つ、備えなどあるはずがなかった。

 そうして、殆ど無抵抗に等しく国交を開かされ――初恋の人が、人質として送られていった。

(僕が――僕が、もっと、強ければ――)

 ただ黙ってそれを見ていることしかできなかった少年は、ぐっと拳を握り締める。

 ――『神の奇跡』とは別に、幼いころから習っていた剣技を、もっと磨こう。

 自分は将来、祖国のために命を散らす運命。

 ならば、この国で、誰よりも祖国を愛し、祖国を守れる人間になろう――と決意した。


 ◆◆◆


 フェリシアが一人、敵国へと嫁いで数年――祖国は変わらず敵国への悪感情を高めていた。

 そもそも、若く、美しく、聡明なフェリシアは、昔から誰に対しても分け隔てなく優しく、国民の人気が非常に高い娘だった。誰もが少女を己の娘のように――あるいは姉のように――思い、心から慕っていたのだ。

 それをこちらの言い分など聞く気もなく、まるで物扱いで「寄こせ」と言われたことは勿論、いざ手に入れた途端フェリシアに前後不覚になるほど入れ込んで執政を疎かにする『侵略王』の振る舞いも、国内では悪評が高かった。性愛に溺れることを良しとせず、生涯ただ一人に愛を誓い、操を立てることを当たり前とする祖国の習わしと異なり、フェリシアを第七妃に据えるという待遇は勿論、執政を疎かにするほど色欲に支配されるギュンターの行いは、到底理解できるものではなかった。

 そもそも、建国当初から幾百年、鎖国を貫き通して多様性の受容とは縁遠い歴史を歩んできた国に、文化の違いを受け入れろというのは、土台無理な話だったのかもしれない。

 せっかく歴史上初めて、大国との国交が正式に開いたというのに、入ってくる物資についての不買運動が盛んになった。特に、帝国を連想させる色である黒は忌避される傾向になり、悪の象徴とされ、国の中からどんどん廃絶された。狭いコミュニティーの中で、村八分にされる恐怖は計り知れない。誰もがどこまで本気なのかは読めないが、誰一人その風潮に否を唱える者はいなかった。

 やがて、政治にも帝国侵略の余波が現れる。常識の通じぬ、神すら信じぬと豪語する異国の王に、愛しい娘を人質として取り上げられた上、帝国の属国となり下がった現状を国民になじられ、代表者は心を病んで、とても執務をこなせるような状態ではなかった。娘を人質に取られた状態で、祖国を第一に考える交渉が出来ると思えぬ、と国内でも代表者を廃せよ、という風潮が高まって行った。

(……帝国の侵略を機に、ずいぶんとこの国も殺伐としてしまった……)

 クルサールは幼いながらに、大人たちの雰囲気が尖り、攻撃的になっていく様を敏感に感じ取っていた。

 教会で暮らすようになって早数年――休日の度に礼拝に来る人々を眺め、その心を安らかにせんと苦心する司祭の苦労を見ながら、大人たちの心の変化を憂鬱に思っていた。

 そして、最後のとどめとばかりに、フェリシアが産後の肥立ちが悪く亡くなったという報が駆け巡った時の国内の荒れようは凄まじかった。

 もしや、あの麗しく愛しいフェリシアを、半永久的に人質とされるのは都合が悪いと、国内の過激派が暗殺したのではないか――敵国で無体に扱われ、心労に耐え兼ね、憎き敵の子を産むなど現実を受け入れられずに自死してしまったのではないか――そんな根も葉もない噂が駆け巡り、責任を取れと言われ、代表者はその座を降ろされてしまった。

 空席に座ることになったのは、なんと、クルサールの実父だった。分家の中の分家であり、代表者一族をお守りする任を負うだけだった実家から、そのような人事は異例中の異例と言ってよかったが、この混乱した世の中を治めるのは誰であっても不可能だろう。

 それならば、と執政からは遠い所にいた中立の立場で、かねてより敬虔な信者であることで有名だった父に白羽の矢が立ったのだろうが、彼が代表者として何も期待されていないことは誰の目にも明らかだった。彼に出来るのは、ただじっと国民の悪感情を一時受け止め、嵐が去るまで針の筵の上に座り続けることだけだ。

(父上は、非常に胆力がある方だ。きっと、お役目を立派に勤め上げる。……その点、僕はどうだ……)

 己が置かれた境遇を想い、クルサールはぐっと拳を握り締めた。

 今の、大人たちが攻撃的になっているタイミングで、<贄>の秘密を暴露すれば、間違いなく反感を招き、暴動に近しい混乱が起きることは容易に想像が出来た。

 そう思えば、それを鎮めることが出来るのは、己が『神の化身』として人々の前に現れ、その名にふさわしく”神”の行いを体現し、己の命すら祖国のために民のためにと喜んで擲つ姿を見せることだけだろう。

 しかし、まだ十になるかならないか、という年齢のクルサールには、とてもその覚悟を固められるほどの勇気はなかった。

 そんな、時だった。


 ――クルサールが、誰も発見できなかった『エルムの手記』を手に入れてしまったのは。


 ◆◆◆


 その日は、まさに『見極めの儀』が行われる日だった。

 エルムの尊い行いを伝え、過去の哀しい犠牲を伝え、今を生きる尊さと神に選ばれる誇りを伝える司祭の高説は、何度聞いても吐き気がする。

 教会に集った少年少女たちは、クルサールと同年齢。毎年、司祭の隣で聞いていた話を、今年は聴衆側で参加して聞きながら、一人静かに拳を握り締める。

 ――これから行われる儀式は、予定調和なのだ。

 この閉塞的な社会は、特別扱いを嫌う。特に民が攻撃的になっている今はそれが顕著だ。聖印が浮かんだ子供と言えど、儀式を免れるなどあってはならない。クルサールも大人しく子供たちの列に並んだ。

 だが――儀式の結果は、関係ない。

 クルサールは光魔法遣いだ。必ず水は光るだろう。

 だが、その光がどれほど強かろうが関係ない。クルサールは、<贄>候補として名を連ねるが、決して<贄>として死地に送られることはない。

 彼が『神の奇跡』を起こして見せ、今までの儀式の全てを人々に打ち明けた後――自分にも資格がある、と言って、今までの子供らの無念を鎮めるために、と聖人君子の顔で赴く日まで、クルサールが<贄>の資格を行使することはないのだ。

(反吐が出る……)

 もしも伝承が正しく、エルムが五年以上も結界の効果を維持したというなら、相当強い光魔法の力を有していたのだろう。それは、神に愛されたが故なのか、自然発生的な何かなのかはわからないが――同じ紋様が浮かび上がる体質を持つクルサールも、同じく強い魔力を秘めている可能性はある。

 しきたりを優先するなら、自分が送られるべきだ。そして、五年以上の長い平和を祖国にもたらすべきだ。

 如何様をして民を偽るなら――そもそも、全てを明らかにすべきだ。司祭の心づもり一つで結果を偽れる、神の啓示など介入する余地のない儀式なのだと、公開すべきだ。

 そのどちらも取ることが出来ず――クルサールは頭を垂れて祈りの形を取る。

 そもそも、神は実在するのか。

 そんな考えすら、頭に過る。――大人たちには、決して知られては行けない思想だとわかっていても、己の運命を思えば、疑いたくもなった。

 そして、案の定、自分は今までにないほどの強烈な光を放ったにもかかわらず、結果を偽られて――

「お……お母さん……!」

「あぁ……!神よ……神よ……!」

 選ばれたのは、小柄な少女。蒼い顔で迎えに来ていた母の胸に飛び込み、母親もまた、蒼い顔で子供を抱きしめ、天を仰いで神へと縋る。

 毎年、毎年、同じ光景を目にする。

 エルムの逸話の高説を聞きながら、感動と興奮に頬を染めて、神に殉ずる尊さを理解した子供らも――まさか、自分が選ばれるとは、思っていない。心のどこかで、自分以外の誰かが選ばれると思っている。

 親も同じだ。――まさか、我が子に限って。そう思って、儀式が終わるのを待っている。

(異常だ……異常な、光景だ……狂っている……)

 その少女は――司祭が結果を偽らなければ、死ぬことはなかった少女だ。

 クルサールの<贄>としての効果は五年以上。――結界の効果が切れたときは、その年の十歳の子供が候補になる。そのとき彼女は既に十五を過ぎていて、幸せそうに結婚相手を探しているような年代だ。

 その、彼女の幸せを――奪った。

「っ……!」

 毎年、多かれ少なかれ結果を左右されるのを見ていたが、今年ばかりは自分が関わったせいで、今まで以上に受け止め難い。

 クルサールは、それ以上涙を流す親娘を見ていられず、ふぃっと顔を背けて、その場を離れた。

(一日も早く『神の奇跡』を使える様にならなければ――)

 こうして、不幸な子供と不幸な親が生み出され続ける。

 そのために自分が死んでもいいのか、と言われると、まだすぐには頷けなかったが、それでも今目の前で自分が責務を逃れたばかりに死ぬ運命を約束されてしまった少女を思えば、何かこの現実を変える手立てが欲しいという気持ちだけが湧き上がった。

(『見極めの儀』を生み出したエルムは、光魔法の存在に気付いていたはずなのに……いっそ、一足飛びに、その時に今までの<贄>は光魔法の有無だったと言って国防システムそのものを変えてくれれば――)

 教会の中を歩きながら、考えても仕方のないことを考える。

 当時はきっと、今よりも”神”の名のもとに様々なことが取り計らわれていた。”神”を軽んじるようなことは、発言することも思い描くことも、今以上に禁忌とされていたはずだ。いきなり、”神”の存在の有無すら揺らがしかねないその事実を、国民に伝えるわけにはいかなかったのだろう。

 まして、当時のエルム少年が『奇跡』を起こしたのは、十歳よりも前だったという。

 社会的にも弱い立場の少年が、大人たちを納得させるように立ち振る舞うことなど不可能だったのかもしれない。

(少年エルムは、一体どういう気持ちだったんだろう……?最期まで神を信じていられたのか?それとも、神の存在を疑いながらも、将来の祖国のためにと命を擲てるものなのか?)

 自分と同い年の少年が、どういう心持ちでそれを決断したのか、酷く知りたい気持ちになった。

「そうだ……エルムが、最期に、過ごした部屋――」

 ふと、その存在に思い至る。

 エルムが入ったのを最後に、使われなくなって数百年――

 かつて、<贄>に選ばれた少年少女を、お役目の日まで閉じ込めておくために造られた、教会地下にある牢獄。

「自らそこに、進んで入ったエルム――」

 その場所に行けば、何か、当時の彼の気持ちをなぞることが出来ないだろうか。

 早速司祭に申し出て、鍵を受け取る。もうずいぶんと掃除すらされずに放置されているぞ、と脅されたが、それでも、と言ってねだった。

 ――そこで、クルサールは世紀の発見をする。


 ――――神の化身(エルム)もまた、ただの”人”であったことを、知るのだ――――


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