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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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153、エルム様②

 少しひんやりとした空気が充満する部屋の中、椅子に腰かけた翁は、口髭がたっぷりと蓄えられた口をゆっくりと開いた。

「その昔――エルム、と呼ばれる少年がいた」

 しゃがれた声が、物語を紡ぐ。まるで、幼子に昔話を聞かせるように。

 それは、事実”昔話”だったのだが――クルサールを青ざめさせるには十分な内容だった。

 その昔、エルムと呼ばれる少年がいた。少年は、右の掌に謎の光る紋様が浮かび上がる特殊な体質だった。

 当時から名も無き”神”の教えは当たり前に息づいており、大人たちは少年を『神の化身』と呼んだ。

 エルム少年は、大きくなるにつれて、数々の『奇跡』を起こして見せた。大人たちは感激し、やはりエルムは神の化身だと崇めて敬うようになった。

 だが、エルム少年は、いつまで経っても地水火風のどの魔法属性も発現しなかった。

 いかに『神の化身』と言えど、無属性ならば古くから国家に伝わる神聖な儀式を受けないわけにはいかない。

 なぜなら――今までの<贄>に捧げられた子供と、その遺族に申し訳が立たないから。

「当時は、今のような見極めの儀を行っていなかった。神による事前の選別はなく――ただ、無属性であれば構わず魔物の群れへと送られた」

「ぇ――?」

「<贄>として送られた子供が神のお気に召せば、結界が張られる。お気に召さねば、次の無属性の子供を送る。――魔物の襲撃が無くなるまで、ただ無差別に、十歳になった無属性の子供を送り続ける。それが、当時の”見極め”の方法だった」

「そ――んな……」

 ぞくり、と背筋が震える。いくら幼いクルサールと言えど、その残酷性は理解出来た。

 今まで、温かく慈愛に満ちて人々を見守っていると信じていた”神”の存在が、急に恐ろしく思えてきた。

「当時、生まれた子供が無属性であることは、親にとって絶望と同義だった。神のお気に召して結界となり、死していく子供はまだ良い。だが――神のお気に召さず、ただ魔物に惨たらしく殺されただけの我が子を持った親の気持ちの置き所は、どこにもなかった」

 ごくり、とクルサールは生唾を飲み込む。

「故に、いかに奇跡を起こす『神の化身』たるエルムであろうと、例外として扱うことは許さぬ、とする者も多かった。――わかるだろう。子を<贄>として死地に送り込み、神に選ばれなかった親たちの怨嗟だ」

「――…」

「子供が無属性と判明した時点で、親たちは覚悟をする。……当時の司祭の役目は、見極めの儀を行うことではなく、無属性の子供を探し出して魔物の巣へと送ることだった。無属性の子供を何らかの魔法属性があると偽る親も多かった。それらを暴き、引き立て、死地に送る。逃げようとする者には容赦せず、教会の地下牢に閉じ込めてでも<贄>候補としての役割を全うさせる――それこそが、司祭の一族の役目であった。いくら国を守るためとはいえ、無属性の子を持つ親からは詰られ、石を投げられる――そんな、嫌われ者の役割だった」

 今とは全く異なるその扱いに、クルサールは信じられずにふるっ……と頭を振る。

「今から考えれば異常な世界だろう。――その異常な世界に、一石を投じたのが、少年エルムだった」

「ぇ……?」

「彼は『神の化身』と呼ばれるに相応しい、高潔な魂を持つ少年だった。利他の精神に溢れ、世界をよりよくするにはどうしたらよいかを考え、数々の奇跡を起こして見せた。――その一つが、『見極めの儀』の開発だ」

「す、すごい……!エルム少年のおかげで、事前に神様にお伺いを立てられるようになったのですね!」

 ぱぁっとクルサールの顔が輝く。

 さすがは『神の化身』である。彼ならば、神と交信し、事前に伺いを立てることも――

(……あれ……?)

 ふと、違和感が少年を襲う。

 エルムが事前に神に伺いを立てるのは可能だろう。何せ、神の化身だ。神の声の一つや二つ、聞けたとしても違和感はない。

 だが――今、儀式を取り計らい、神にお伺いを立てているのは、目の前にいる司祭だ。

 彼らの一族が、脈々と、その役割を繋いでいるのだ。

 呆然と翁の顔を見やると、皺の間から覗いていた鈍色の瞳が、ふっと伏せられる。

「その通り。エルムは、『見極めの儀』で事前に神に伺いを立てる方法を編み出した。そして、彼はどこまでも素晴らしい魂の持ち主だった。――神の化身たるエルムにしか取り計らえぬはずのその儀式を、己の一族の人間であれば取り計らえるように、最後の『奇跡』を起こして見せたのだ」

「な、なるほど……!すごい――!」

 さすがは神の化身だ、と手放しで喜びそうになって、ふと我に返る。

「し、司祭様……その……()()の奇跡、とは……?」

 少年の問いかけに、司祭はふるふる、とゆっくり頭を振った。

「それが、少年エルムの最期の『奇跡』だった。……彼は、高潔な魂を持っていた。いくら便利な儀式を編み出したとしても、それまでの歴史で子供を無為に失った親たちの無念が晴らされるわけではない。どうしてもっと早くに、この儀式があれば我が子は無為に死なずに済んだのに、というどこにもぶつけ先のない哀しみと怒りが渦巻く。その哀しみと怒りを、エルムは真正面から受け止めた。――己だけが特別扱いされることはあってはならない。そう言って、自らが編み出した『見極めの儀』を、エルム自身が受けてみせたのだ」

 ひゅ――とクルサールが驚きに息を飲む音がした。

 しん……と静寂が部屋に満ちる。

「結果――水は、光った。神は、エルムを<贄>として選ばれたのだ」

「そ、んな……」

「エルムは自ら教会の地下牢に入った。お役目の時まで、そこで従順に時を過ごし――最期は立派に<贄>としての役目を果たした」

「……」

「エルムは神に特別愛されていたのだろう。通常半年から一年程度しか効力を発揮しないはずの<贄>の結界だが、エルムの結界は、なんと、五年以上も続いた。大人たちは、『神の化身』と呼ばれるに相応しい行いに感動し、今まで無為に子を失った親たちも涙を流して、新しい儀式の形を受け入れ、前を向いて生きることを誓った。それまで、暴れる子供や親を押さえつけるため、集落の屈強な大人から選ばれていた司祭という役割も、エルムの『奇跡』の結果、同じ一族――今の我らの一族が担うこととなった」

 ぱちぱち、とクルサールの紺碧の瞳が何度も瞬かれる。

「神の化身として崇められるエルムの手に浮かんだとされる紋様を、彼の誇り高き最期に敬意を表して、”神より賜りし印”として、”聖印”と呼び、教会に掲げるようになった。――これが、我が国の大人たちならば誰もが知っている、昔話だ」

「そ、そうだったんですね……」

「あぁ。十歳になると、子供たちは全員教会に集められ、この話を聞く。見極めの儀を受ける者も受けない者も、全員、な。そうして、過去のエルムの素晴らしい行いに感謝するとともに、神に愛されれればより長くこの国を守る結界となれると知り、皆、神に祈りを捧げて儀式を受ける。――今や、教会の地下牢は、形式的に設けられているにすぎず、<贄>として選ばれた子供が逃亡を図ったり、親が子供を隠したりすることはなくなった。皆、エルムが切り開いた道を信じ、神の選別を信じ、残された時間を親や大切な者と共に精一杯生きるようになった」

 鈍色の瞳がゆっくりと閉じられ、しばしの沈黙が降りる。

「あの……司祭様。その……皆が十にならないと聞けない話を、どうして僕にされたのですか……?」

 沈黙に耐えかねて、恐る恐る疑問を呈する。

 たっぷりと数呼吸置いた後、司祭はそっと鈍色の瞳を開いた。

「クルサールよ。……お前の親は二人とも、無属性だったな」

「は、はい。見極めの儀で、<贄>候補にも入らず、神様に選ばれなかったと言っていました。両親とも無属性なので、僕も無属性ですが、十歳になったら必ず見極めの儀を受けるようにと――それが脈々と受け継がれてきたこの国に生きる者の責務だからと――」

「受けずとも良い。――いや、受ける前から結果はわかっている、と言おうか」

「え……?」

 すぅっと司祭はまっすぐにクルサールを見据える。

 皺だらけの顔の奥に光る鈍色の瞳が、鋭く細められた。

「クルサール。……お前には<贄>の資質がある」

「!?」

「もっと言えば――お前の両親はどちらも、<贄>の資質があった」

「えっ――!?」

 衝撃の事実を明かされ、思わず思考が停止する。

 司祭は、眼光の鋭さを緩めぬまま、言葉を続けた。

「ここから先は、我ら一族の中でも、正式に”司祭”の役割を担うものにしか明かされない事実だ。私の次は息子、息子の次はそのまた次の息子――エルムの時代からこの重く苦しい責務を背負うことを課された者にのみ伝わる、この国の『真実』だ」

「な……ん、です……って……?」

 司祭が言っていることがよくわからない。

 なぜ――どうして、司祭はそんな話を自分にするのか。

 だが、決して外に会話が漏れぬ部屋に通された理由だけは、正しく理解した。

 自分は、これから――決して他言することの許されぬ秘密を打ち明けられるのだ。

「神に誓え、クルサール。これから見聞きすること、生涯決して、誰にも口外せぬと」

「な――」

「誓え。――誓えねば、ここから出ることは叶わん」

 ドクン……と心臓が音を立てる。

 司祭の鈍色の瞳は、凄絶な光を放っていて、子供と言えど決して容赦せぬ、という覚悟が垣間見えた。

(ち……誓う……?神様、に……?)

 神への誓いは、絶対を意味する。

 神に誓ったことは、決して違えてはならない。違えるならば、誓ってはいけない。

 それは、この国に生まれた者であれば誰もが理解している常識。当然クルサールも、”誓い”の重要さは嫌というほど知っていた。

 しかし、目の前の翁の顔は厳しく、とても逃れられるようなものではない。

 ぞくり……と背筋が寒くなり、早くここから出たい、という欲求が強まる。

「……ち、誓い……ます……」

 クルサールは、静かに印を切り、神への誓いを口にした。


 ◆◆◆


 外界との繋がりを拒絶するような冷たい扉の中で聞かされたのは――幼い子供には容易に受け入れがたい、”司祭”の一族にだけ伝わるこの国の『真実』だった。

「そ――んな――……」

 ガタン……

 思わず椅子から腰を浮かし、クルサールは呆然とした声を出した。

 司祭の口から語られた『真実』は、純粋に神の教えを信じていた少年の幻想を粉々に打ち砕くに十分なものだった。

 ――<贄>は無属性の子供から神が選ぶのではなく、未知の魔法属性『光』を持つ子供が役割を担っているだけだということ。

 司祭の役割は、光魔法を練り込んだ聖具である水鏡を用意することだけ。光魔法の使い手が水鏡に魔力を放てば、魔力に反応して水が光る。光の強さは神の加護の強さではなく、単純な魔力の強さ。魔力が強いものから順番に、<贄>として魔物の巣へと送り込んでいく。

 だが、長い歴史の中、この狭い国家の中、人口の大幅な減少は考えものである。特に、代表者の一族から光魔法使いを何人も輩出しては、すぐに血が途絶えてしまう。故に、一定の数以上に一族が増えすぎていない限りは、代表者の一族だけは子供に目を閉じさせて儀式を遂行し、結果の如何によらず「光らなかった」と告げて<贄>候補から外していた。

 逆に、貧困に喘ぐ苦しい家庭から光魔法使いから出たときは、他の候補の方が光が強かったとしても、優先して苦しい家庭の子供を<贄>にする。

 民にとっては、あくまで神による公正な選抜。

 口減らしを公に実行できない親は、「神様に選ばれたのだから、仕方ない――」そう言って最期の一年を、子供と共に過ごす。<贄>として選ばれれば、最期の時をせめて不自由なく暮らせるように、といくらか教会から援助を出せる。親たちは最期まで『良い親』として子供を見送ることが出来る。

「そんな――それは――それでは、『見極めの儀』は全て、如何様ではありませんか――!」

「違う!!!」

 クルサールの非難の声に、司祭は大きく声を荒げた。

「違いません!もしも今の話が本当なら――あっ、貴方たち一族がしてきたのは、”神”の名を騙ったペテンだ!儀式という名のもとに、罪のない子供を魔物に――!」

「違う!!!我らは、誓って、本当の『無属性』を魔物に食わせたことはない!!!」

 ギッと翁の奥歯が音を立てた。

「この外界と隔絶された閉塞的な小さな国で、人々が平和に生きていくには限界がある!ほんの少しの手を加えることはあるが、より沢山の平穏が、より沢山の人々の手に渡るよう、神に誓って我ら一族は誠実に儀式を執り行ってきた!少年エルムが描いた思想を受け継ぎ、この国を守る役割を担ってきたのだ!」

「で、ですがっ……ですが、<贄>の結界が死に瀕した子供の魔力暴走によるものならばっ……!大人たちが魔法を研究し、解き明かし、結界を張る魔法を覚えれば、子供の命と引き換えにする必要など――!」

「では、お前が説明してみろ!!!身体中を食い破られ、臓物をまき散らし、恐怖に引き攣った死相のまま返ってきた、見るも無残な我が子の遺体と対面した過去の<贄>の親たちに――今までやってきたことは無駄だったと!お前たちの子供らが死する必要などどこにもなく、お前らの子供らは”神”に選ばれ結界になったわけではなく――大人たちが枷を嵌めて檻に閉じ込め送り出した先で、魔力暴走を起こすくらいの恐怖と絶望を味わいながらただ無為に死んでいっただけなのだと――お前が、その口で、説明してみせろ!!!」

「っ――!」

 激昂した司祭の言葉に、息を詰めて言葉を飲み込む。

 それは――長い時を生きた翁が、きっと、ずっと誰にも打ち明けることすら出来ず、己の中の正義との間で戦い続けた結果の慟哭だった。

「クルサール……一度でいい。<贄>として送られる子供を見ろ……その子供が、どのようにして食われ、命を落としていくか、しかと見届けろ……その子供の遺体が返ってきた後の、遺族の反応を、目を逸らさずに見続けろ……それが、この『真実』を知った者の宿命だ。そうすれば、軽率にそんな発言は出来ぬはず――」

「そ、んなっ……そんな――でも――でも――!」

 クルサールは涙を浮かべて頭を振る。

 確かに、過去の子供たちはもう、救えない。我が子を失った親たちの心はきっと、救えない。

(それでも――過去の子供は救えなくても、未来の子供は、救えるのに――!)

 そこでやっと、司祭が最初になぜエルムの逸話を打ち明けたのか、理解した。

 そう――今の状況は、エルムの時代と、本質は変わらない。

 『神の化身』と呼ばれようと、例外は許さない。新しい儀式によって、これから先の未来の子供らが沢山助かると示されていても――誰かだけ特別扱いされて、自分と同じ不幸から逃れる道を用意されるのは我慢できない。

 そんな世論を、エルムは――己が魔物に食われることで、制して見せた。

 そこまでしないと――世論は、今の『見極めの儀』すら、受け入れなかったのだ。

「し、さい、さま……司祭様、ぼ、僕は――僕は――」

 賢い少年は、これから先の話の展開に予想がついて、視界に涙をためていく。

「クルサール……お前は、光魔法使いだ。――魔法は、遺伝だ。哀しいが、神による選別ではない。地水火風と同じく、何の神秘もなく、ただの遺伝法則で決まる。……お前の両親は、どちらも光属性だった。だから――お前は、百パーセント、必ず、絶対に、光属性を持っている」

 司祭はゆっくりと少年へと近づく。

 ぽん、と両肩に手を置いた。

「伝説のエルムと、同じなら――お前ならば、己の意志で『神の奇跡』を起こせるかもしれん。そうすれば、クルサール……お前は、光属性だ。<贄>の資格を、持っている」

「ぁ……あぁ……」

 ガタガタと震える。紺碧の瞳から、ぽろぽろと後から後から涙がこぼれた。

「クルサール。……後生だ。お前のような幼子に背負わせるには重すぎる荷とわかっているが――」

 しゃがれた声が、震えている。

 肩に乗せられた司祭の手も――震えて、いた。

「十になるまで、とは言わん。お前の覚悟が出来てから、でいい。そこまでの悪魔に、私は成れん。だが――だが、クルサール。お前だけなのだ。お前だけが――断ち切れるのだ。この、狂気の風習の、悪しき鎖を」

 皺の奥にある鈍色の瞳が光り、つぅ――と涙が一筋、零れた。

 クルサール、と呼びかける声は、涙に濡れて、か細く響いた。

「どうか、どうかクルサール。……お前が第二の『神の化身(エルム)』となり――『神の奇跡』でこの国に光魔法を授けたと宣言し――そして、最期はエルムのように()()()()で<贄>となり、我が祖国の未来の子供らを、救ってくれないか――」

「っ――――!」

 それが意味するのは、どんなに綺麗な言葉を使ったとしても、たった一つで。

 残念ながら、それがわからないほどにクルサールは愚かではなかった。


 ――祖国のために、人身御供となって、死んでくれ――


 六歳になったばかりの幼子に、司祭は涙を浮かべて、そう、懇願したのだった――


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