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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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151、【断章】“影”の生き様②

「……あります。”神”の御業で、それらを払ったことも、何度も」

「そうか。――では、お前は、知っているか」

 蹴り上げられて腫れあがった頬で、ザナドは低く呻く。

「魔物に食われて、断末魔の絶叫を上げながら死していく、人間の姿を」

 ひゅ――と、クルサールの喉が小さく音を立てる。

「俺は、何度も見たことがある。若いころから、何度も戦場に立った。魔物の討伐任務にも、当然何度も立ち会った。――特にエラムイド侵攻は、酷いものだった」

 当時、まだ、ザナドは毒を盛られて体調を崩す前だった。ギュンターの配下で、彼はゴーティスの影として、片割れを支えながら自身も指揮官として目覚ましい戦果を挙げ続けた。

「腕に覚えのある兵士たちが――対魔物の訓練を血の滲む思いで積んできた兵士たちが、次から次へと襲い来る魔物を前に、ほんの一瞬の隙を突かれて、なす術もなく、死んでいく。完全武装の、鍛え抜かれた軍人が――それでも、最期の最期、魔物に食われたその瞬間、聞くもおぞましい断末魔を上げるんだ」

 それはまさに、地獄の底のような光景だった。

 ――あの戦のあと、無事に帰ってきたにも関わらず、もうあの恐怖に立ち向かうことは出来ないと退役する軍人が続出するくらいに。

「貴様らは、あのときの、あの魔物の群れに――無垢な子供を、無防備な姿で、枷を嵌めて放り出すのだろう」

「っ……」

「それが――”神”への生贄、だと?”神”はそれを捧げられて満足し、慈悲の心で、土地を守る、だと?――とんだ邪神にもほどがある」

 ハッ……と鼻で嗤い飛ばす。

「偉そうな口を利く前に、一度でもいいからお前たちが<贄>と名付けた子供らが、魔物に食われていくのをすぐそばで眺めてみろ。どうやってあいつらが人間を食うか、知っているか?――ひと息に殺してなんかもらえない。奴らは、血と、肉が好みだ。臓腑を特にうまそうに食い漁る。まだ温かく、うごめく臓腑を、それはそれは旨そうに」

「ぅっ……ぉぇっ……」

 ザナドをとらえている兵士のうちの一人が、口を押さえて呻く。

「奴らは獣だ。集団行動をする。一匹が致命傷を負わせたら、あとは一瞬だ。餌に食いつく空腹のピラニアのように、一斉に一人に集って身体のいたるところを食い漁る。骨も奴らの前では粉々に砕かれ、四肢はブチブチと音を立てて千切られる。――生きたまま、それを、眺めるんだ。自分の四肢が引き裂かれ、臓物を引き出され、ぽっかり空いた腹に頭を突っ込んでぐちゃぐちゃ言わせている音を聞きながら、絶望の中でそれを眺めて命を落とす」

「ぐっ……ガハッ……ぅぇっ……」

「おい、しっかりしろ!」

 遠巻きにしていた別の兵士が吐瀉物をまき散らし、傍にいた男がそれを叱咤する。

「誇り高き、泣く子も黙るイラグエナム帝国の屈強な軍人でさえ、涙を流して命乞いをするその最期を見て――責める奴なんか、誰もいなかった。次は自分かと怯え、共に戦った戦友の見る影もない無残な肢体に涙し、強大な敵に立ち向かう勇敢な心を奮い立たせた。俺たち指揮官は、皆、必死に部下を鼓舞し続けた」

 二度と決行したくはない、地獄のような侵略戦争。

 その結果が――フェリシア一人を差し出されて終わり、では、納得しない軍人が多かったのも無理はない。

「心に刻め。――貴様らは、そんな地獄のような絶望と恐怖を、無垢な子供に強いていたんだ。枷を嵌めて、牢獄に閉じ込め、最期に足掻くことすら許さなかった。そして何百年も、誰一人――それを異常と思わなかった。自分たちの命を守るため、といって、わが身可愛さに未来を作る子供たちを捧げ続けた。――言葉通り、生贄として」

 ガタガタと、白い服の兵士たちが蒼い顔で震えているのを視界の端に捕らえながら、ザナドは目の前の青年を睨み据える。

 きっと、震えている兵士は、エラムイド出身の兵士なのだろう。安全な結界の中で、残酷な儀式の事実に目を瞑って、平和を享受し生きてきた民なのかもしれない。

 逆に、苦い顔をしながらも覚悟を持った顔つきをしている兵士は――イラグエナム出身なのかもしれない。家族を魔物に奪われ、住処を奪われ――いつまで経っても救いを与えてくれない皇族に反旗を翻そうと、白装束を身に纏い、反逆の剣を握ったのかもしれない。

「”神”を信じるのは自由だ。だが、それが邪神かどうかを見極める目だけは失うな。――俺たちが守った民を統べるなら、それだけは決して忘れぬと誓え。邪神が囁く言葉で治めた国は、すぐにまた別の誰かがお前を殺して玉座を奪うだろう」

「……わかりました。貴殿の言葉は、しかと頭に刻みつけましょう」

 予想に反して、クルサールは静かに、従順に、それを受け入れた。

「――他に、何か、言い遺すことはありますか」

 ぐっと剣を握り直し、クルサールはザナドへと問いかける。

 処刑を前にしての言葉に、相手を侮る響きはない。

 むしろ、どこか――敬意を払う響きが感じられた。

「そうだな……ミリィは、まだ、生きているのか」

「……不思議な方ですね。なぜこの期に及んでそればかりが気になるのか――そんなに子供好きだったという報告は上がっていませんが」

 むしろ、ゴーティスは家庭を顧みなかったせいで、ヒュードの教育に失敗している。違和感を感じながら、クルサールは軽く眉根を寄せた。

 それは正しい。ゴーティスは、決して子供に特別愛情を注いだような人物ではなかった。

 だが――ザナドは、別だ。

(俺は、”影”だ。……家族を持つことなど、生涯、叶わない)

 妻を持つことは出来ない。誰かに気軽に秘密を打ち明けることも出来ない。

 ザナドが”家族”と呼べるのは、全て、血の繋がった兄弟たちだけだ。

 決して、己の子を得ることなど出来ないと、わかっているからなのだろうか。――親子ほど歳の離れたミレニアのことを、他の弟妹よりも気にかけていたのは事実だ。

 立場上、公の場では決して味方をしてやることは出来なかったが――それでも、中立の立場を保とうとするくらいには、気に入っていた。

(あいつには、寂しい思いをさせてしまった……)

 フェリシアの件は、いわば父であるギュンターの愚行でしかない。生まれてくるミレニアに罪などあるはずもないが、彼女は生まれながらにしてその出生のせいで、血を分けた兄たちからの愛を得ることはなかった。

 それでも、必死に自分も皇族の一員であると認めてほしいのか、兄たちと対等に会話が出来るようにと男のように帝王学を学び始めた。皇族としてのあるべき姿を論じ、励行し、誰よりも素晴らしい皇族であろうと努めていた。

 だが、誰もそんな彼女の努力を認めようとはしなかった。――溺愛していたはずの父でさえ、本当の意味では認めていなかった。

 ザナドも、ミレニアに対し、何も思わなかったわけではない。戦友たちが散って行ったあの地獄のような戦争の果てに得たものが、美しい無力な女一人なのかと思えば、気持ちの置き所がなかった。敬愛する父に苦言を呈したことは数えきれない。

 更に最悪なことに、その女が残した娘は、女に瓜二つの容姿をしていた。敬愛する父が、女の忘れ形見たる娘を、周囲の目も憚らずに溺愛してのめり込んでいく様は、再び国を惑わせる気か、と苛立ちを覚えたこともある。

 だが――同じように考えたゴーティスと異なる点があるとすれば、ただ一つ。

(家族の誰にも”己”の存在を認めてもらえない孤独は、俺にも馴染み深いものだった)

 生まれてすぐ、第七皇子ザナドは死んだと発表された。そして、”影”の人生が始まった。

 その瞬間から、永遠の孤独は約束された絶対のものだった。愛を注ぐ己の妻子を得ることは叶わず、ただ、ゴーティスの優秀な”影”であることだけを求められる日々。

(俺にはまだ、ゴーティスの馬鹿がいたからいいが――ミリィには、誰も、いなかった)

 幼いころから、ザナドをザナドとして見てくれる存在などいなかった。ただ、『ゴーティスの”影”』というレッテルでしか見られなかった。自由に外を歩くことすら叶わず、常に人目を気にして、自分の人格を表に出すことなど許されなかった。

 唯一自分の片割れであるゴーティスだけが、ザナドをザナドという一人の人格として認識してくれた。時に下らない喧嘩をしながらも、そうして共に人生を歩んできたのだ。

 あの存在がないまま人生を歩めと言われたら――それは、どんなに辛く苦しいものだろう。

「……まだ、生きていますよ。優秀な護衛兵が、命からがら助け出しました。――が、捕縛も時間の問題です。すぐに後を追わせてあげますので、ご心配なく」

「そうか……」

 ザナドはゆっくりと瞳を閉じて、頭を巡らせる。

 色々な出来事があった人生だった。

 最も言葉を遺したいとすれば、魂の片割れと言っても差し支えないゴーティスにだ。きっと、ゴーティスも、ザナドの言葉を欲しがる。

 今も、本当はすぐさま踵を返してザナドを助け出したいと思っているのを、必死に理性で留めているはずだ。自分に従う部下の、己に縋るような顔を見て、鋼の精神でその誘惑に打ち勝っているだけだ。――少しでも刺激すれば、噴火するさまがありありと浮かぶ。

(だが、アイツには遺せない……今、ここにいる俺こそがゴーティスだ。ギリギリまで、アイツが生きていることを悟られてはいけない……)

 ザナドに、妻や子供は存在しない。愛した女がいても、真実を打ち明けることなく、ゴーティスの仮面を被ってしか愛してやれなかった。きっと、責任を持って、片割れがあとを引き継ぎ面倒を見るだろう。

 大切な部下は、ゴーティスが率いてきっと守ってくれる。それ以外はきっと、もう既にここで命を散らしたはずだ。――元帥より後に死ぬことなど耐えられぬ、と仮に絶体絶命の状況でも、命がけの特攻を仕掛けるような連中ばかりだ。捕縛されて意識を失わされた者を除き、もう、城に残った部下は誰一人生きてはいないだろう。

 城にいた馴染みのある兄弟姉妹は、皆討ち取られたことだろう。最期の最期、自分たちは逃走経路が隠されている軍の施設に籠城してクルサール勢力を迎え撃っていたのだ。優秀な軍人たちで耐えていたここが落とされた今、それ以上の防備が出来る兵力を持つ兄弟たちに心当たりはない。――唯一、帝国最強の男を従えていたミレニアを除いて。

 それならば――言葉を遺す先は――

「三つ、聞き入れてもらおう」

「はい。聞きましょう」

「一つは、残された我がイラグエナム帝国の民へ。……民には、我ら一族が不甲斐ないばかりに、申し訳ないことをした。我ら一族の首が晒されるのを見て、脅威は去ったと安心してほしい。お前たちを不当に脅かす君主はもういない。どうか、安らかに、健やかに、幸せな日々を築いていってほしい」

「っ……ゴーティス様っ……!」「馬鹿っ、黙れっ……!」

 白装束を着ているはずの兵士から、涙にぬれた声が飛ぶ。すぐに別の兵士から叱責が飛ぶが、その声もまた濡れていた。

(あぁ――ゴーティスよ。俺たち一族は、道を誤ったかもしれないが――それでも、こうして俺たち個人を慕ってくれる者はいた。もう、それで、いいじゃないか)

 きっと、今頃、祖国復興を心に誓い、復讐の鬼となっている片割れを想い、ザナドはこっそりと笑みを漏らす。

 どこか、晴れやかな気持ちだった。

「もう一つは、貴様ら革命軍へ。――残していく我らの大切な民を、二度と惑わせることなく統治すると誓え。それが、前勢力を暴力で討ち取り、玉座を掠め取る者の宿命だ。失敗は決して許されん。覚悟を持って責任を全うすると、貴様らの信じる”神”とやらに誓え」

「――わかりました。誓いましょう。我らがエルム様の御名のもとに」

 スッと片手で印を切り、クルサールは誓いの言葉を口にする。その瞳には、確かな覚悟が宿っていた。

(――あぁ、大丈夫だ。きっと、この男の元で、民は正しく導かれる)

 紺碧の瞳に宿る光は、確かに王者の風格を纏っている。彼が、生半可な覚悟でここにいるわけではないことを悟り、ザナドは安堵の吐息を漏らした。

「……最後の、一つは」

「あぁ――そうだな。それでは、唯一まだ生き残っているという、ミレニアに」

 それは、きっと――このような状況下でしか、遺せない言葉。

 生まれて初めて口にする――ザナドとして発する、公の言葉。

「お前には幼いころから孤独を強いて、無体な行いをしてきた。愚かな兄たちを、許してくれとは言わないが――お前が必死に生きて、学び、我らと対等であろうとした努力は、決してお前を裏切らない。父の才を受け継いだ()()()は似た者同士だ。時間を掛ければ、いつか、わかり合える時も来ただろう。お前の諦めない気持ちだけが救いだった」

 それは、彼女への言葉であり――表立って遺すことが出来ない、片割れへの言葉。

「俺の、唯一血を分けた家族に、よろしく伝えてくれ。俺は一足先に、死出の旅路に向かう、と」

 この言葉が、ミレニアに届けばいいと思うと同時に――決して届かないでほしいとも思う。

 この言葉が届くとき――それは、クルサールの前に、ミレニアが現れた時だ。

 きっと、平和な対面ではないだろう。

「唯一の家族――あのような愚かな息子でも、血の繋がりというのは、そんなにも尊いものですか」

「ふっ……さぁな。少なくとも俺には、何より尊いものだったよ。血の繋がり、という存在(モノ)は」

「……わかりました。伝えたところで、彼女がヒュード殿と言葉を交わすことはないでしょうから――ヒュード殿を捕えた暁には、私から伝えましょう。勿論、ミレニア姫への言葉も、確実に」

「あぁ、頼む」

 きっと、ヒュードを捕らえるときは、ゴーティスの存在に気付く時だ。その時、クルサールは初めて知るだろう。今聞いた言葉の真意と――ここで首を刎ねた男が、本物のゴーティスではなかったことに。

(それでいい。これが、ゴーティスの”影”である俺の役目だ)

 静かに瞳を閉じて、ザナドは兵士に促されるがままに首を差し出す。

 周囲を取り囲む白装束の兵士たちの半分程度から、すすり泣く声が聞こえていた。

「――惜しいことです。貴殿に、エルム様のご加護があらんことを」

 誇り高き最後の皇族に敬意を示して聖印を切った後、クルサールは静かに剣を振り上げる。

 ――せめて、最期は、苦しませることの無いよう、一息に。


 ザンッ……


 こうして、決して歴史に存在を残すことのない第七皇子ザナドは、革命の夜に打ち取られた最後の皇族として、首を落とされたのだった。


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