150、【断章】“影”の生き様①
東の空が白み始めるころ――革命軍は、ようやく、最後の一人を捕らえることに成功する。
「ぐっ……貴、様……なんだ、その、技は……!」
「こちらこそ、驚きますね。――帝国軍の元帥閣下は、自身もとんでもない剣豪だとお聞きしていましたが、正直、想像以上でした。指揮官の椅子に座らせておくには惜しい逸材ですね」
あちこちで、ぶすぶすと音を立てて焦げ臭いにおいが立ち込めている。
クルサールは、額に浮いた汗を拭って、ふぅ、とため息をついて剣を振るい、刃についた血糊を払った。
かねてから着々と準備を進めていたはずの革命は、予期せぬ事態が起きたことで、急ごしらえの決行となってしまったが、十分成功させるだけの算段はあった。
ミレニアを、彼女の非常に優秀な護衛兵ともども、城外へと取り逃がしてしまったことだけは悔やまれるが、配下の精鋭たちに後を追わせている。一晩、二晩――長くても数日以内には、無力な少女の一人くらいたやすく討ち取れるだろう。
今回の計画における、最大の懸念はロロの存在だった。間違いなく帝国最強の称号を恣にする彼を、どれだけ無力化できるかだけが注意すべき点で、それ以外に関しては何一つ憂慮すべきことはないと思っていたのだが――
(まさか、元帥閣下御自らが、ここまで粘られるとは……)
魔封石の枷を嵌められて、地面に転がされている男を見て、クルサールはすぅっと目を細める。
炎に城が飲み込まれ、すぐに異常事態を察したゴーティスの動きは迅速だった。
すぐに兵舎にいる部下を叩き起こし、一糸乱れぬ指令を下して、物資を運んで逃走する部隊と皇城に残り逃走が完了するまで持ちこたえる部隊とに分けたのだ。
「事前調査では、貴殿の指揮官としての能力は目を見張るものと聞いていましたが――後進育成には失敗していたと。息子は愚息という言葉を絵にかいたような人物で、補佐官であるガント大尉がいなければまともな指揮など出来ぬと思っていましたが――」
(正しい調査結果だな)
地面に組み敷かれた屈辱的な体勢で、ゴーティス――の名を名乗るザナドは、ふっと相手に気付かれぬように口の端に苦笑を刻む。
「まさか、逃走する部隊ではなく、城に残る部隊に、当の元帥閣下が残るとは思いませんでした。おかげで、ゴーティス閣下を殺されるわけにはいかぬ、と、どの兵士にも、とんでもない抵抗をされましたよ。――さすがは、エラムイド侵攻における英雄ですね。『軍神』と綽名されるのも最もです」
「はっ……心にもないことを……!」
ゴーティスの口調を真似て、ゴーティスのように怨嗟を宿した瞳でクルサールを睨む。
もはや、息をするように自然に切り替わる、ゴーティスとザナドの意識。どちらがどちらか、など、ずいぶん前に考えることをやめてしまった。
「貴殿が、そこまで部下想いだったのは想定外ですが――その分、逃走部隊はすぐに捕まると思っていました。貴殿の愚息に、こんな大役が務まるはずがない。唯一の頼みの綱である、優秀な補佐官ガント大尉は、肝心のヒュード殿を守るため、城に残りました」
(ガントが……これは、ゴーティスは今頃相当荒れているだろうな……)
侯爵家の出身とはいえ、五男であるガントは、どれほど優秀でもそれ以上の昇進が叶わなかった。本人の強い希望があればまた話は別だったのだろうが、当の本人が、出世など興味がない、といって憚らない変わり者だった。ゴーティスに特別に目を掛けられるほどの優秀な男だったからこそ、彼は愚息の補佐官に、と任命したのだろう。
ヒュードがどれほど愚かでも、ガントが傍にいれば後を任せてもいい――それくらいの期待を抱いていたはずだ。
それが、ガントがここに残り、今やあの愚かなヒュードが独りでゴーティスの傍にいると思えば、双子の片割れたるザナドは、彼の心中を想って苦い顔をせざるを得ない。部下は皆、終始ピリピリとしている鬼神の形相のゴーティスを持て余していることだろう。
「それなのに、逃走する別動隊は、恐るべき統率力で動いていました。まるで――」
「……まるで?」
にやり、と頬が歪みそうになるのを堪えながら聞き返す。
クルサールは少し言葉を飲み込んだ後、告げる。
「――まるで、貴殿が二人いるかのように」
「ふっ……まさか、貴様が言う”神”の御業とやらには、分身の術でもあるのか?とんだ大道芸だな」
馬鹿にしたように嗤うと、クルサールは軽く頬を顰めた。自分でも、荒唐無稽なことを言ってしまったという自覚があるのだろう。ふるふる、と己の失言を打ち消すように頭を振った。
(だが――なかなか、鋭い着眼点だ。こいつ、どうやら、頭は悪くないらしい)
冷静にザナドは頭の中で計算する。
”神”などという意味不明な存在を諳んじ、その言葉に従っただけだ、と革命を正当化する行いは、国家の主として立つつもりならば覚悟が足らないと小一時間説教してやりたいところだが――とても残念かつ情けないことに、どうやら愚かな長兄ギークよりはよほど頭の回るまっとうな人間らしいことだけはわかった。
(このまま、この男に国家を明け渡したとして――民は、どうなる……幸せを享受できるのか……)
ザナドが気に掛けるのは、ただ一点――それだけだった。
「執政の場では、冷静沈着で切れ者の貴殿が、戦場では『軍神』と呼ばれている理由がわかりました。――正直、かなり、惜しい。貴殿が、皇族の血を引いてさえいなければ、我らに下らないか、と説得するところなのですが」
「ふ……なんとも、貴様らの”神”は慈悲深いことだ」
あまりに滑稽な物言いに、ザナドは素で笑いを漏らす。
「冗談を言っているつもりはありません。――私は、玉座になど興味はない。”神”の言葉に従い、世の中を正しく導くだけです。故に――貴殿が、現皇帝を廃し、国を正しく導こうとしていたならば、今日の悲劇は起こらなかったかもしれません」
「はっ……それは、俺に言われてもどうしようもない」
所詮、ザナドは”影”だ。それを交渉するなら、”ゴーティス”本人にすべきだ。
だが――彼は、決して頷くことはしなかっただろう。
「こう見えて、意外と情に厚い人間でな」
「ほぅ……どれほど愚かでも、血を分けた兄に刃を向けるのは気が進まない、と?」
「いや。――抱えている配下が多すぎる。俺は、上の権力争いなんぞどうでもいいが、俺を信じて付き従う奴らを見捨てることだけは出来ん。――どれも、家族同然の奴らばかりだ」
ゴーティスの性格を思い出しながら、ザナドはきっぱりと言い切る。
ゴーティスは、不器用で短所もたくさんある男だが――それでも、一度懐に入れた者への慈悲は海より深い男だった。
未だに、エラムイド侵攻で散って行った戦友たちの英霊に顔向けが出来ないと、何度も墓に参っては遺族たちへの援助を惜しまないくらいに。
それこそが、苛烈で短気な性格のゴーティスが、部下や一部の民からの人望を決して失わなかったただ一つの理由だったのだから。
「なるほど……皇帝に歯向かえば、その最中で、敵対勢力の毒牙にかかる人員も出て来る。勿論、失敗したときの痛手は、大きすぎるものだ。……それを思えば、極端な手には出られなかったと、そういうことですか」
「あぁ。――だが、そのせいで、今日、散らせてしまった命がある。次世代へと命を紡がせるために、犠牲となった英霊たちがいる。……残された俺に出来るのは、救ってやれなかった奴らに報いるために、皇族としての責任を果たすことだけだ。――ここで、誇り高く、首を討たれることだけだ。それで救われる民の心があるなら、喜んでこの第六皇子ゴーティスの首を晒そう。――心して、受け取るがいい」
「…………どこかで聞いたようなことを、おっしゃる方ですね……」
目の前に迫る死を見ても、一切怯むことなくギラリと光る漆黒の眼光を見て、クルサールは口の中で呻く。
今日、皇城でたくさんの皇族の首を刎ねた報告が上がっている。有力貴族も沢山追い落とし、歯向かうものは全て命を絶った。
そのどれもが、醜い最期だったと聞いている。
我先にと逃げ出そうと後ろを向いているところを背中から切りかかった。膝をついて命乞いをする言葉を無情に切り捨て、首を刎ねた。現皇帝ギークですら、現実を受け入れられないのか、最後まで醜く足掻き続けたと聞いている。
こんな風に――堂々と、振り下ろされる刃を睨んで、民のためにと首を差し出す者は、いなかった。
「貴殿も――ミレニア姫も。どうして、この国は、優秀な人材を抱えていながら、それを活かすことが出来なかったのでしょうか。皇族という血筋のために命を奪うしかないこと、心より残念に思います」
「!」
ハッとザナドは目を見開く。
「ミリィも――殺したのか――!?」
クルサールの冷ややかな視線に、カッと頭に血が上る。
「貴様っ……あれは、女だぞ!!それも、まだ子供だった!貴族社会との繋がりも持たず、城内で冷遇され続けた無力な幼子ごときを、なぜ――!」
「おや……意外ですね。元帥閣下は、ミレニア姫とは犬猿の仲と聞いていましたが」
「関係あるか!そもそもっ――あれの半分は、貴様らの祖国の血が入っているはずだ!」
ザナドの主張に、ぐっとクルサールが少しだけ頬をゆがませる。
「……知っていますよ。ですが、半分は、憎き帝国の、それも皇族の血です」
「だからと言って、殺すのか!放っていても無害な、幼子を!」
「……無害ではないから、殺すのです」
「現時点で、あいつにどんな罪がある!?そもそも、他でもない貴様自身が、ギーク兄上やカルディアス公爵と手を組んで、あの子を訳の分からん理由で死地に追いやろうとしたのだろう!」
「っ……」
「それをあいつは、受け入れていた!たかが十四歳という身の上で、文句ひとつ言わず、実の兄による私怨で、正当な理由もなく死地に送られるとわかっていながら、『民のためになるならば』と堂々と死を見つめて弱音の一つも吐かなかった!その幼さで、現存する誰よりも皇族らしい『誇り』を持っていた!」
「黙りなさい……」
「無実の幼子を、問答無用で腹をすかせた魔物に食わせる狂気の儀式に、勝手に人の家族を巻き込んでおいて――貴様の信じる”神”とやらは、そんな行いを良しとするのか――!?」
「っ――黙りなさい!」
ガッ……
激昂に任せて、クルサールはザナドの顔を蹴り上げ、黙らせる。
漏れそうになった苦悶の声を最後の意地で飲み込み、ザナドは代わりにペッと血が混じった唾を吐き出した。
「やはり俺は、どれほどご高説を聞かされようと、貴様らが語る”神”とやらとは相性が悪いらしい」
「よくこの状況で、憎まれ口が叩けますね」
「――貴様、魔物と相対したことはあるか」
ギラリ、と漆黒の瞳が鋭く光る。
その光に気圧され、ドクン……と心臓が一つ戦慄いた。




