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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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149、【断章】幸せを運ぶ妖精②

 ふわふわと、真綿でくるまれているような心地よい感覚。

 つい先ほどまで感じていた激痛も、ぞっとするほどの寒さも、今は夢のようになくなっていた。

「――ここは……?」

 ぐるりと、周囲を見渡す。――ような、感覚。

 そこにあるのは、意識だけ。呟いたと思った声も、鼓膜を震わせることなく、思念として空中に霧散していった。

『ようこそ。我が愛し子――光の権化よ』

「……ぇ……?」

 身体があれば、ぱちり、と瞬きをしていただろう。

 ミレニアは、不意に意識に直接響いてきた声に驚き、周囲を探る。

『無駄だ。今、ここにあるのはただの思念。我を知覚することは出来ない。ただ、感じよ。それだけでよい』

「あなたは……?」

『ふむ……説明するのは難しい。ある者は”神”と呼ぶ。ある者は”精霊”と呼ぶ。またある者は、”妖精”と呼ぶ。――”悪魔”と呼んだ者もいたかな』

「……ふざけているの……?」

 むっとした感情が思念に宿る。

 脳裏に響く声が、ひそやかに笑い声をあげたような気がした。

『すまない。お前を揶揄っているわけではないのだ、愛し子。選ばれし光の権化よ』

「その……なぁに?光の……権化?って」

『そのままの意味だ。――ごくまれに、我の力の片鱗を強く受け継ぐ個体が生まれる。我が子のようなそれを、便宜上、光の権化と呼んでいる』

「……全く意味が分からないんだけど――」

 ぼやくミレニアに、再び謎の声は笑った。

『わからなくても良い。どうせ、ここでの記憶はなくなってしまう』

「?」

『お前たちの世界では――消滅の門、と言っていたか。それをくぐると、消えるのだろう?何もかもが、跡形もなく』

「!」

 ハッとミレニアは息を飲む。

 そうして、思い出す。――つい先ほどまで、自分が置かれていた境遇を。

「私は――死んだ、の……?」

『あぁ。哀れなことに』

「……そう……」

 予想していたこととはいえ、衝撃がないと言えばうそになる。ミレニアは少し沈んだ声で返事をした。

『基本的に、我は人の世界に不干渉を貫いている。だが――時折生まれる権化だけは、特別だ。我が一部を分け与えし愛しい我が子のようなその存在にだけは、”例外”を適用することにしている』

「例外……?」

『そう。――”未練”を叶えてやる。可能な範囲で、な』

「!」

 ハッ……

 再び息を飲む少女に、謎の声は続ける。

『さぁ、お前の”未練”を告げよ。お前は飛び切り哀れな人生だった。それでいて、誇らしく、気高い生を生きた。だから、少し色を付けてやろう。何でも言ってみるがいい』

「……未練……なんて……」

 ぎゅっとミレニアの思念体は、眉間のあたりに力を籠める。

 十五年の人生が、走馬灯のようによみがえる。

 色々なことがあった。――本当に、色々なことが。

 決して長くはない人生だったが、毎日精一杯生き抜いた。最後は、迫りくる死を覚悟して、笑顔で最期の時を迎えた。

 あぁ――だけど、もしも、一つだけ――

 一つだけ、未練があるとしたら――

「……ロロ……」

 あの青年のこと以外に、あるはずがない。

 ぎゅっと己の手を握り締めるようにして、最期の時を思い出す。

 絶望に紅い瞳を揺らしていた。泣きそうに顔を歪めていた。

 必死に、ミレニアの命を繋ぎ留めようと、何度も何度も縋るように呼びかけていた。

「ロロは……どうなったの……?」

『どう、とは?』

「ちゃんと――私がいなくなった後も、独りで、生きて、行ける……?」

 問いかける声は、震えていた。

 謎の声は、一瞬沈黙した後、そっと言葉を紡ぐ。

『――いや』

「!?」

『お前が気にしている青年は、お前を失った絶望を、闇に付け入られて、利用される。そのまま、決して解放されることのない地獄のような運命のループに巻き込まれていく』

「な――なんですって……!?」

『闇の力で時間を巻き戻したところで、結末は変わらない。――変わるわけがないな。魔物は、あの男の絶望を永遠に摂取するシステムを闇の力で構築しただけだ。それを”運命”などという言葉で偽り、過程が多少変わるだけで、結末だけは決して変わることのない時間を何度も何度も繰り返させる。……そのうち、あの男もそれに気づくだろうが、気づいたところでどうしようもない。闇によって定められた”運命”に抗うということは――お前を救うことを諦めることと、同義だ。天地がひっくり返っても、あの男は決してそれを諦められない。もしも、そんな時が来るとすれば――それはきっと、あの男が心を壊したときだけだろう』

 それもまた魔物の愉悦に違いないのだが、と謎の声は続ける。

 ごくり……とミレニアは唾を飲み込んだ。

「じゃあ――ロロをっ……ロロを、助けてっ……!」

 未練を叶える、というならば、もうそれしか思いつかない。

 少女の必死の訴えに、しかし声はしばし沈黙した。

『……ふむ。そればかりは、少し、難しい』

「どうして!?なんでも叶えてくれるんでしょう!?」

『可能な範囲で、と言ったはずだ。……闇の力と我の力は、相性が悪い。我の力を受け継ぐお前たち愛し子を媒介にすれば、それを打ち破ることも出来ようが――この思念体の状態のままで、それを叶えることは難しいな』

「そ、そんなっ……」

 ミレニアは絶望に打ちひしがれた声を出す。

「誰かっ……誰か、いないの!?ロロを救ってくれる『光の権化』――あなたの『愛し子』っていうのは、私のほかに――」

『……一人だけ、いるな。お前の世界に。……愛し子が二人、同じ時代、似た場所に生まれ出でるのは珍しい』

「そ、それじゃあ――!」

 希望にぱぁっと声を輝かせたミレニアを、謎の声はすぐに制す。

『だが、無理だろう。――他でもないその男が、唯一残された希望たる光の権化の命を奪う』

「え――……?」

 呆然と問い返す。

 謎の声は淡々と続けた。

『何度もやり直すループの中で、何度も何度も権化を殺す。相手に反撃の隙など与えず、一方的に、無慈悲にその命を奪う。……やがて男は、権化を殺すことこそが目的になっていく。魔物からしてみれば、光の権化を殺せばとりあえずの脅威はなくなるのだから、願ったり叶ったりだな。やり直すたびに、相手への憎しみを募らせるような細工をしているはずだ』

「そんな――……」

 一瞬見えた希望すら掻き消え、ミレニアは絶望に肩を落とす。

 ――ロロには、幸せになってほしかった。

 ミレニアのことなど忘れて良いから、他でもない己の人生を歩んでほしかった。

 それは、もう二度と叶わない夢だというのだろうか――

『……お前が』

「え……?」

『新しく始まる時間軸の中で、お前が媒介すれば、あるいは男を救うことも出来よう』

「!?」

 驚きに目を見張り、顔を上げる。

 謎の声は、淡々と事実を告げるようにして言葉を紡いだ。

『闇の力に捕らわれたループの中では、お前は何度も無情に殺されていくだろう。お前自身が、闇の力が脅威の元であると認識し、それに己が持つ光の力で対抗すると強く意思を持たねば、すぐに飲み込まれてしまう」

「光の……力……?」

『闇に対抗しうる、唯一の力であり――お前が使うのは我の一部でもある。それを使って対抗すると心に決めたなら、初めて地獄のループから逃れ、新しい選択肢を選び取ることが出来るだろう。――お前の愛する男も、苦しみの連鎖から解き放たれるはずだ』

「あっ、愛っ――!?」

 肉体を持っていたならば、ボボボッと頬が燃えるような熱を発していただろう。動揺して、思わず思念体が揺れるような気配がした。

 しかし、謎の声はそんなミレニアの様子に構うそぶりすら見せず、淡々と話を続ける。

『さて、どうする。――他の願いを願えば、叶えてやろう。もしも、あくまであの男を救いたいと願うなら――そうだな。あの男を救うための舞台を準備することだけは、毎度の人生で手を加えてやろう』

「準備……?」

 問い返すミレニアに、あぁ、と短く謎の声が返事をする。

『男が捕らわれる闇からは、お前か、もう一人の権化しか救えない。だが――男は、きっと、心を守るために、お前と出逢わない人生を歩みたいと願い、魂にその記憶を刻んで”やり直し”を始めるはずだ』

「!?」

『だが、それでは男は救われない。……永遠に、闇の力からは逃れられない』

 仮に、ミレニアと出逢わない人生を歩めたとしても――

 記憶がよみがえり、全てを理解した瞬間、後悔が襲ってくる。

 もう一度ミレニアに逢いたいと願い――そして、絶望する。

 今度は、場所が奴隷小屋からのスタートだ。まずはそこから脱出するところから始めなければならない。

 奴隷小屋を脱出し、奴隷商人の手配する追っ手から逃れて、東の森まで行かなければならない。

 奴隷小屋から脱出しようにも、武器も馬もない。当然、金品などがあるはずもない。――ラウラの助けは借りれない。

 東の森まで一直線に向かうことは出来ないだろう。情報を収集し、脱出計画を周到に練って――そうしていくうちに、遡らなければならない年月だけが無慈悲に流れていく。

 きっと、再びミレニアと出逢うより前に戻り、出逢いからやり直そうと思えば、帝都を火の海に沈めるだけでは、足りないはずだ。

 そう――全て、魔物の掌の上。

 どんな風に転んでも、一度、闇に付け入られ、それを受け入れてしまえば、”光”の力無しには決してそこから逃れることは出来ないのだ。

『だから、ミレニア。お前を必ず、あの男に逢わせてやろう。そして――もう一人の権化とも、必ず出会うように、お膳立てだけしてやろう』

「――!」

『だが、我に出来るのはそこまでだ。お前が、”光”の力を自覚し、全ては”闇”の陰謀なのだと暴くまで――哀しい運命は繰り返される。その途中、先に男の心が壊れることもあるだろう。残念だが、そこまでの責任は持てん。それでもいいなら――』

「いいわ」

 きっぱりと。

 ミレニアは、謎の声を遮って言い切った。

(そうよ……そもそも、間違ってたわ。見知らぬ誰かに頼ってロロを助けてもらおうなんて、冗談じゃない)

 そんなことでは納得できない。

 ――あの瞳が、闇に沈むところなど、想像するだけで我慢がならない。

 初めて出逢ったとき――自由を得たと思って、美しく輝いた、宝石のような紅玉の瞳を思い出す。

 あの時与えたのは、『まやかしの自由』だったかもしれないが――

 ――あの輝きだけは、本物だった。

「あの、一番美しい瞳を最初に見るのは、私なの」

『……?』

「ロロには自由に生きてほしいと思ったし、私以外の誰かを主として頂くのも、彼の意志なら仕方ないと思っていたけれど――魔物なんかに支配されるなんて、許せないわ。しかも、詐欺じゃない。ロロの優しさに付け込んで、ロロを騙して不幸にしているんでしょう?――あ。駄目。絶対に許せない』

 めらめらと、ミレニアの胸の奥底で怒りの炎が燃え始める。

「今度こそ――今度こそ、必ず、私の手で、ロロに『本当の自由』を与えるの。誰かに騙されて人生を歩かされる生き方じゃない。今度こそ、ロロが、ロロの人生を自分で歩める道を、与えるの。――奴隷だからといって、何かを諦めないでほしい。従者だからと言って、遠慮なんてしないでほしい。好きなものを好きといって、楽しいものを楽しいと言って、嫌なことを嫌だと言って――毎日毎日、色々な光を宿すあの美しい瞳を、私が一番傍で眺めるのよ。――そうよ。そうだわ。それが、私がやり残した本当の『未練』――!」

 キッと眦を吊り上げる。

 そこに、運命に翻弄されるか弱い少女は、どこにもいなかった。

『そうか。では、お前の『未練』を叶える手伝いをしてやろう。……必要なタイミングで、お前にしか見えない合図を出してやる。光の粒が見えたら、迷わず従え』

「えぇ、わかったわ」

 しっかりと頷くミレニアに、空気が微かに震える気配がする。どうやら、謎の声が笑ったようだった。

 どうせ、現実世界に戻れば、ここでの記憶はなくなってしまう。口約束など何の意味も成さないが――それでも、魂の片隅に記憶として引っかかれば、問題ない。

『お前が真に納得できる人生を歩めるまで、お前は何度も何度も凄絶な最期を迎えるだろう。痛くて、辛くて、苦しい最期ばかりだ。――いつでも、やめたくなったら言えばいい。愛し子の願いは、叶えられる範囲で最大限聞いてやることにしている。その時点でお前が願う他の『未練』を叶えてやろう』

「そう。ありがとう。――でも、無用な心配だわ」

 何度やり直しても、きっと同じだ。

 ロロが、ミレニアと出逢わないことを望んでいるなら――ミレニアの方から、逢いに行くまで。

 何度だってあの美しい瞳を覗き込み、「ルロシーク」と愛しい名前を呼びかけて、彼を縛る全ての物から解き放つ――

 それが、ミレニアの唯一絶対の望みなのだから。


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