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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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147、聖なる印⑥

「代表者の一族は、<贄>として選ばれたことがない――」

「?」

「<贄>の系譜を調べたときにわかったのよ。確かに考えてみれば、集落一の権力者一族の子供を、そんな酷い殺し方で失っていいはずがない。イラグエナムと違って一夫一妻制だと言っていたから、一族の血を引く子供は貴重なものだったでしょうし」

「忖度して水鏡を光らせないようにしていた、という話ですか?」

「ええ。――あるいは、光っても記録には残さなかった。ただの無属性として、候補に名を連ねさせることはなかったのでしょう」

 そうなれば、話が変わってくる。

「もしかして――お母様は、光の魔法属性を持っていたけれど、表向きは無属性と儀式結果を偽られた方だった……?」

 ぽつり、とミレニアは信じられない気持ちでつぶやく。

 もしもそうなれば、水と光で、異属性同士の掛け合わせとなったミレニアの属性は、完全にランダムで決まる。――地水火風光無の六分の一の確率だ。

 決して高いとは言えないが、ミレニアが光魔法の属性を持って生まれることも十分に考えられる。

「ということは――本当に、私の儀式は如何様ではなかった……と、言うことかしら」

 きゅっと眉根を寄せてミレニアは当時のことを思い出す。

 事前の計画では、クルサールが意図的に光らせる手はずだったことは間違いがないだろう。そうでなければ、ギークもカルディアスも、まともな帝国民からすれば眉唾物としか思えないあんな儀式をミレニアにけしかけるはずがない。

 だが、恐らくクルサールが光魔法を放つ前に、ミレニアの魔力が反応して光を放ってしまったのだ。言われてみれば、儀式のときに、誰かの呆然とした声が聞こえたが――あれは、クルサールの声ではなかっただろうか。

「儀式の後に、私の儀式は如何様ではなかったと語ったクルサール殿の表情が、気になっていたのよ。あれは、とても嘘を吐いていたようには思えなかった」

「そういえば、貴女が<贄>になった後に効力が続くと想定される期間など、やけに具体的に話していましたね」

 ロロも当時を思い起こしながらつぶやく。きっと、クルサール自身も、ミレニアに資格があるとは思わず驚いていたのだろう。

 ロロの言葉に一つ頷き、ミレニアは言葉を続ける。

「確かあの時、クルサール殿は、儀式の光の強さで、期間の長さを推し量っていたわ。神の化身と呼ばれた伝説の存在と同じだと言って、敬意を示してさえいた」

「神の化身――あの男が言いそうなことですね」

 ロロが吐き捨てるようにして言う。

 確かに、クルサールならば、自身のことすら神の化身と言い放ちそうだが――

「いえ。本当に、いたのよ。過去のエラムイドに、一人――『神の化身』と呼ばれた<贄>が」

「?」

「お前が持ってきてくれた、過去の<贄>の情報にあったわ。記録は随分と昔だったけれど――『神の化身』と呼ばれた少年の存在が」

 ぱちぱち、とロロの瞳が何度か瞬きを繰り返す。

「ん……思えば、その少年の存在はすごく怪しいわね……普通、数か月から一年程度しか続かないとされる<贄>の効力が、その少年の時だけは五年から十年続いたとクルサールは言っていたわ。<贄>の効力というのが、つまるところ光魔法の魔力暴走に過ぎないのだとしたら――」

「――その少年は、尋常ではない光魔法使いだった、と……?」

「そうなるわね。……その少年も、人ならざる力としか思えない奇跡をいくつも起こして見せた、と伝承が残っていたわ。そして、そんな奇跡の力を持ちながらも自ら進んで<贄>になり、その尊い行いに周囲が感銘を受け、少年の一族が”司祭”の役割を担っていくことになった――」

「その少年とやらが意図的に”奇跡”を起こして見せたならば、それが魔法であることに気付いていたはず……一族の人間にその秘密を打ち明けていたならば、”司祭”の一族だけが光魔法の存在を知り、人々を謀ってきたという話の筋が通りますね」

 ロロが継いでくれた言葉に、えぇ、と一つ頷き返してミレニアはゆっくりと繋がってきた話を頭の中で整理していく。

「あまりにも信じられない上に、かなり記録が古くておとぎ話のようだったから、つい少年が起こした奇跡というのは全て眉唾だと思っていたけれど――仮に、あれらが全て本当だとしたら、光魔法で叶えられる現象がどんなものか、想像がつくわ。えぇっと確か……」

 瞳を閉じて、脳裏に思い描く。

 書物を一度見ただけで、一瞬で内容を記憶出来てしまう、昔からの特殊能力。

 何十回とやり直した期間で得た――ミレニアが惨たらしい死を経験した回数分の期間で得た、ミレニアだけの能力だ。

「まず、大きな奇跡として描かれていたのは、不治の病を治したとか、致命傷をすぐに回復させたというものね。ちょっと、俄かには信じがたいけれど……治癒の力がある、ということかしら……?」

 ぎゅっとミレニアは眉根を寄せる。薬師の知識もある彼女は、容易にそれを信じられはしなかった。

「――”おまじない”」

「え……?」

 ぽつり、と呟かれた言葉に顔を上げると、ロロはまっすぐにミレニアの瞳を真剣な表情で見つめていた。

「貴女の、”おまじない”――あれは、光魔法の結果ではないでしょうか」

「へ……?」

 ぽかん、とミレニアは口を開けて間抜けな声を出す。

「な……何を言っているの、ロロ。あくまであれは子供だましの――」

「俺は、何度となくその”おまじない”に助けられたことがあります。あれは、とても”おまじない”なんていう気休めではない」

 ぱちぱち、と翡翠の瞳が何度も瞬きを繰り返す。

「初めて出逢ったとき、貴女はおっしゃっていました。――”おまじない”は、効くときと効かない時がある、と」

「え、えぇ……でも、てっきり、私が皇女だから、おべっかを使っているんだとばかり――」

「放っておけば命すら危うくなりそうな傷から一瞬で痛みを取り除き、尋常ではない速さで回復させる効果を、”子供だまし””おべっか”で済ませていた貴女の考えの方がわからない」

 眉間に皺を寄せてロロが呻く。

「貴女は言っていました。何回かに一回効くのか、貴女が本気で治ってほしいと願ったときだけに効くのかはわからないが、と」

「えぇ――というより、お前、よく覚えているわね。五年も前の、たわいない会話でしょう」

「――忘れるはずがありません。あの日のことは、貴女が発した一言一句、その時の表情や息遣いまで、決して生涯忘れることはないでしょう」

 驚いたようにミレニアは瞬きをした。

 何度も――何度も、何度も、やり直した。

 いっそ出逢わなければいいと思ってやり直す癖に、必ず毎回、その日は訪れた。

 そして――不思議なことに、何度やっても、何回繰り返しても、その日の出逢いだけは、必ず毎度、同じやり取りをする。

 初めて見た奴隷に驚いているように見えるのに、じぃっと不吉と呼ばれた紅い瞳を真正面から覗き込んできた。剣闘が終わって重傷のロロに駆け寄り、美しいドレスが奴隷の血液で汚れるのを厭わず、手を差し伸べて手当てをした。

 そして、ロロを縛り付けていた一枚の紙きれを掲げて、名前という宝物を与えて、堂々と宣言するのだ。

『命令よ。お前は、一生、ずっと、私の傍で、私をずっと守りなさい』

『今日から、お前は私の物よ。勝手に傍を離れることは許さないわ』

(――忘れるわけがない……)

 『口を利く道具』から初めて『人間』になった日だ。

 汚泥を啜って醜く生きる虫けらに、真に”生きる”とはどういうことかを教えてくれた、尊い日だ。

 きっと、”やり直し”などしなくとも――ロロは、あの日のことを、忘れることはなかっただろう。

「もし、貴女が言った通り、貴女が本気で治ってほしいと願ったときだけ効力を示すというならば――なおのこと、魔法である可能性が高い」

「え……?」

「貴女には、薬師の知識がある。……魔法の発現は、イメージがより鮮明に紡げるかどうかで決まる。貴女が本気で治癒をしたいと願えば、当然薬師の知識を持って治癒に当たる前であることが殆どでしょう。怪我に対して、治癒の過程から完治後まで、一般人などよりよほど鮮明にイメージを描けるはずです」

「で、でも――私は、傷薬や包帯にキスをしているだけで――」

「……魔法、ならば。――物体に効果を授けることも可能です」

「!」

 ハッとミレニアが息を飲んで目を見張る。確かに、言われてみればつじつまが合う。

 その昔、ミレニアをあまり好いていないくせに、彼女に媚びを売ることでギュンターに取り入ろうとしている醜い貴族が、彼女の”おまじない”の効果を聞きつけ、披露してくれと言ってきたことがあった。酷くやる気が出なかったものの、有力貴族ではあったから、無碍には出来ずに傷薬に唇を付けて渡してやったが、その後、ミレニアの前では「非常によく効いた」とべらぼうに褒めたたえていた癖に、裏で「あんなのは眉唾だ、全く効果などありはしない」と吹聴していたのを知っている。

(目の前に怪我人がいるわけでもなく、ただ傷薬に力を込めてくれと言われても、その人間がどういう意図でどういうときに使うかわからない物に関しては、治癒のイメージなど沸かせようがない。まして、私自身、進んでやりたいことでもなかった。……だから、魔法は発現しなかった……?)

「俺が、貴女に”おまじない”をかけていただいたときに、効力が発揮されなかったことはありません。……ディオも、ガント大尉も。皆、貴女に近しい者で、”おまじない”を掛けてもらった経験がある者は、貴女のそれは不思議な効果があることを信じて疑っていなかった。貴女が、伝承にある”神の化身”と呼ばれた少年と同じくらいの強力な光魔法遣いならば――俺のように、有している魔力が膨大で、ちょっとしたことで魔法が顕現する、という可能性が高いのでしょう。貴女が必死に、治ってほしいと真剣に願うほど、無意識に実現したい世界を描いて魔力を練っていたのではないでしょうか」

「そ、そんな――」

 今までずっと、自分は無属性だと思い生きてきたミレニアにとって、俄かには信じがたい話だった。

「第一、裸を見られた程度の羞恥と混乱で紋様が浮かぶなら、やはり俺と同じく感情の起伏で魔力暴走するくらいの魔力が――」

「お前今、裸を見られた『程度』って言ったかしら!!?」

「……は……いえ……」

 失言だった。咄嗟に口を噤む。

 そのまま気まずげに口を開いて、言い訳を口にする。

「その……俺にとって貴女は、神にも等しい存在なので――」

「だから何!!?」

「いえ、その――仮に裸を見たところで、芸術作品か何かを目にした程度の感想しかありません。性的で汚れた目を向けるなど、ありえなく――」

「それはそれでムカつくわ」

 何やら再びプンスカ怒り出した主に困り果てる。この件に関しては、少女の地雷がよくわからない。

「全く……光魔法に記憶を消すような魔法は無いものかしら」

「……どちらかと言えば、それは対極にある闇魔法に近いでしょう。他者の精神を操れる訳ですから」

 むぅ、とミレニアが唸る傍らで、ロロはじっと考え込む。

「……疲労の回復、も、大きな括りでは治癒なのでしょうか……?」

「え……?」

「市街で魔物に襲われた日です。貴女は、俺の首飾りに、「再び一騎当千の力を得るように」と願って口づけをしました。――その瞬間、それまでの疲労が嘘のように回復しました」

「……それは、お前の奴隷根性がそうさせたのではなくて……?」

 先程の発言然り、普段が普段なので、少し疑いのまなざしを向けてしまう。ロロの性格であれば、女神と崇めているミレニアが、虫けらのごとき自分の持ち物に清らかな唇を寄せて鼓舞してくれたと、それだけで疲労すら忘れて死地に飛び込む狂戦士になりかねない。

 しかしロロは緩く首を振った。

「士気の高さだけで、あそこまで体力は回復しません。……その、神の化身とされた少年の逸話に、体力や魔力を回復させた、という物はないのですか」

「ん……えっと……そういえば、出兵前の戦士に祈りを捧げたら、百戦錬磨の部隊が出来た、という表現があったわね」

 資料に記載されていた一文を思い出しながら答えるが、すぐにミレニアは頭を振った。

「いいえ、違うわね。出兵した後に激戦区の戦士に祈りを捧げたら――というなら、疲労回復というのも理解できるけれど。出兵前、というならば、体力は万全でしょう。第一、体力を回復させたところで、結局元の能力は変わらないわ。あの記述では、本来の実力の数倍の部隊が出来上がった、というような書き方だった。ただ体力を回復させただけで、あんな書かれ方はしないでしょう」

 ミレニアの言葉を聞きながら、ふと、ロロの脳裏に光景がよみがえる。

 陽光を跳ね返すようなシャンパンゴールドの前髪の隙間から、光の紋様を浮かび上がらせて、人知を超える身体能力で剣術を繰り出す、『救世主』を名乗ったペテン師の姿だ。

「元の能力が――上がる、としたら……?」

「え……?」

「今での人生で、貴女を助け出すため、あの夜に何度もクルサールと剣を交えました。そのたび、あの男は光の紋様を浮かび上がらせて、とても信じられない剣技で俺を追い詰めます」

「そ、それは――クルサール殿が、すごい剣豪だ、という……?」

「いくら何でも、人間である以上、能力の『限界』があります。クルサールのそれは、通常の人間が出し得るリミッターを薬で無理やり解除された剣闘奴隷のようだ、と思っていましたが――もしも、身体能力そのものを向上させるような効力が光魔法にあったなら――伝承の、『百戦錬磨の部隊』という表記も納得できます」

「た、確かにそうね……待って、それでは、もしかして、あの日、大男を一瞬で昏倒させたのは――ただ一瞬で、眠らせただけなのかしら」

「?」

「伝承に記述があったのよ。誰がなだめても聞かぬ赤子を瞬座に眠りにつかせた――あまりに小さすぎて、何よこれ、と思った記憶があるのだけれど。もし、本人の意思を無視して強制的に眠らせるようなことが出来るのだとしたら――!」

「辻褄が合います。――なるほど。確かに、俺がどんなに強力な力を持っていても、自分なら無力化できる、と豪語する理由が分かった」

 忌々し気に舌打ちしながら口の中で呻く。

 そう――彼は、ロロを『止められる』、と言ってのけた。

 決して、『倒す』とは言っていない。『殺す』とも言っていない。

 即座に眠らせることが出来るのであれば――確かにそれはロロを『止められる』と言って差し支えないだろう。

(あの夜は――俺が、”嫌な予感”でそれを避けた上に警戒したせいで、同じ手は使えないと、能力向上の魔法で倒す方に切り替えたのか)

 どちらにせよ、光魔法の効果が不明瞭だったせいで、必要以上に警戒して振り回されてしまったことは否定できない。悔しさに歯噛みし、次があれば必ず殺す、と心の中に固く誓う。

「何というか……光魔法って、地味ね」

 ぽつり、とミレニアは思ったままの感想を漏らす。

「軍隊で言えば、完全に『後方支援部隊』の能力に特化した魔法、とでも言えばいいのかしら。救護テントにいて、負傷兵の治癒をしたり、体力や魔力を回復させたり――そうね、指揮官の指示に従って、ここぞというタイミングで、突撃を掛けたり奇襲を掛けたりする部隊に能力向上の魔法を掛けたりするのもいい。自分自身で魔法を武器に戦うことは出来ないけれど、兵士に襲い掛かられたときに咄嗟に眠らせて逃げることは出来る、というくらいかしら」

「……ならば、今すぐ睡眠の魔法を覚えてください」

 『侵略王』の娘らしく生粋の軍略家としての考察を述べるミレニアを前に、ロロの目は洒落にならないくらいに本気だ。

 しかし、ミレニアは肩をすくめて護衛兵を見る。

「そうはいっても、今、この場でお前を相手に実験するわけにもいかないでしょう。眠らせた後、起こせるかどうかが不安だわ。魔法で強制的に眠らせるということは、お前の意志で起きることは難しいでしょう。もしもお前が深く寝入ってしまったら、私の身を誰が守るの?」

 正論を言われ、ぐっとロロは言葉に詰まる。

「でも、おかげで”光魔法”で出来ることが何なのか、大体わかってきたわ。体力の回復が治癒に含まれるというなら、かなり色々なことが”治癒”の範囲に含まれそうね。……解毒や鎮静といったことも出来そうだわ」

「加えて、魔物を追い払ったり、魔物の侵入を防ぐ結界を張ることも出来ます」

「そうだったわ。それが一番大きいわね」

 うんうん、とミレニアは頷いて目を輝かせる。

「私が光魔法使いだというのなら――そして、クルサールと同じ文様が浮き出る特殊体質なんだとしたら、打てる手が変わってくるわ」

 儀式を担当した以上、ミレニアが光魔法を使えることは、クルサールも知っていただろう。強大な魔力を秘めていることも想像がついたはずだ。

 だが――彼が唯一知らない事実。

 ――ミレニアの身体にも”聖印”が浮き出る、ということ。

「相手が知らない情報こそが、交渉ごとにおいては突破口になるはず。――ロロ、行くわよ!」

 宣言して、ザッと元気に立ち上がる。

「ラウラの元に、ですか」

「えぇ。まずは、そこに向かいましょう。――クルサール殿と、お前に酷いことをさせた東の森の魔物を、必ずぎゃふんと言わせるわよ!」

 キッと吊り上がった翡翠のまなざしは、強い光を宿してきらめいていた。


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