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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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142/183

142、聖なる印①

 パチ……パチ……

 魔法による炎が、静かに音を立てている。

 薄っすらと青み掛かった空が、鈍色に移り変わるころ、ロロはミレニアに全てを話し終えた。

「そう……えぇと……うまく、飲み込めないことも多いんだけれど……」

 ぎゅっとミレニアは眉間に皺を寄せながら俯く。

「信じられないのも無理はありません。……俺が、貴女の立場だったら、気が触れたとしか思えないでしょう。ですが――一つも嘘は、言っていません」

「えぇ。それは、お前の瞳を見ればわかるわ。……わかるからこそ、混乱しているのよ」

 ロロは嘘をついていない。だから、今、ロロから語られたのは全て事実なのだろう。

 ミレニアは額に手を当てて瞼を閉じ、ゆっくりと考える。

「クルサール殿が、巷を騒がす救世主で、未知の属性であることをいいことに、光魔法を『神の御業』と称して民衆相手にペテンを行っていた張本人。そして、代表者ですらない可能性があって――彼は、自分が司祭の一族の出であることと、光魔法を使ったペテンを暴露されないために、私をどの時間軸でも執拗に狙ってくる……?」

「はい」

「ゴーティスお兄様だけが生き残っていて――だけど、助けを求めても待遇は最悪で、野営地点ではヒュード殿に無理やり襲われ、それから逃れても結局命を奪われる……?」

「はい」

「お前は東の森の高位魔物と契約を交わし、今まで何度も帝都を焼き尽くし、クルサール殿へ復讐を果たしてから、時間を巻き戻してやり直していた……?」

「……はい」

 静かに肯定する護衛兵に、ミレニアは憂鬱なため息を漏らした。

(ここで過去の経緯についての是非を問うても意味はない……まずはこれから、何をすべきか考えるべきでしょうね)

 特に帝都を炎に沈めた過去に関しては思うところがあるのか、いつもの青年の無表情の中にも少し反省の色が見える。ミレニアは、己が知るロロの本質が善であり、どこまでも優しいその心根を信じ、それ以上の追及をやめた。

「これから取れる手についてだけれど……過去の紅玉宮の従者は頼れない。捕らえられた奴隷たちを解放するのも難しい。唯一頼れるのは、金で言うことを聞いてくれる、お前の”昔馴染み”だけ」

「そうなります。……ですが、ラウラはビジネスに感情を挟みません。依頼内容を明確にしなければ、こちらの意図を組んで良しなに回答してくれるなどということはありませんし、依頼内容によって金額が変わるため、持っていく宝石はなるべく多い方がいい」

「……あっ、そう。ラウラ、というのね、その女性は」

「?……はい」

 急にむっとした様子で棘のある声音を出され、疑問符を上げながら肯定する。あっさりと肯定したロロに、再びミレニアは不機嫌になった。

(――随分と、気安い呼び方をするのね。私のことは決して呼ばないくせに)

 むむむ……と口をとがらせる。

 ミレニアは、ラウラのことを奴隷小屋にいたころのロロの恋人だと思い込んでいる。実際はそんな綺麗な関係ではないのだが、皇族として蝶よ花よと育てられたミレニアに、彼らの爛れた関係を想像することなど出来なかった。

「……奥の手が……ないことも、ないのですが……あまり、使いたくはありません」

「奥の手?」

「はい」

 珍しく苦悶に顔を歪めるロロに問いかける。

「ラウラは、何がいいのかわかりませんが、やたらと俺を気に入っています。……ビジネスの関係を、プライベートの関係にしようと持ち掛ける程に」

「!」

 苦み走った声で言うロロの言葉に、はっとミレニアは息をつめた。

「――結婚、の話をしているの……?」

「……どうして貴女がそれを?」

 きょとん、とロロが驚いたように目を瞬いてミレニアを見返す。

 あっさりと肯定されたことに、やはりロロに書類を渡したのがラウラだったのだと確信し、ミレニアは気まずそうに視線を外す。

「掃除担当の従者が、お前の部屋で書類を見つけたと言っていたのよ。それで――お前も、その気なのかと」

「ありえません」

 言い辛そうに告げたミレニアに、呆れたように即座に否定する。ぎゅっと眉間に皺を寄せて、心の底から心外だと言わんばかりの表情だ。

「で、でも、お前の性格なら、少しもその気がなければその場でつき返すでしょう」

「あれは、何やら重要な秘密を握っていることを匂わせながら、情報提供を報酬ありきではなく、無制限でして欲しいなら結婚しろと迫られただけです。今から思い返せば、クルサールが救世主と同一人物であることや、革命の計画が進行していることなどを掴んでいたのだと思いますが――それらを全て聞き出そうと思えば、報酬はとんでもない額になる。結婚すればタダで教えてやる、と言われて、貴女の御身に関わることなら無闇に突っぱねられない、と渋々持ち帰っただけです。……感情だけで返事をするなら、何をふざけたことを、とその場で破り捨てたかった」

 吐き捨てるように言うロロに、ぱちぱちと翡翠の瞳を瞬く。

 ミレニアは知らないが、ラウラに結婚を持ち掛けられたのは、この時間軸だけではない。記憶が正しければ、直近の時間軸で三回ほど、ラウラから結婚の話を持ち掛けられている。

 最初は何の冗談だ、と思っていたが――おそらく、彼女もまた、何度も人生をやり直させられる中で、無意識のうちに何かを感じ取り、彼女の矜持に反しない範囲で、ロロを助ける方法を模索していたのかもしれない、と思うようになった。

(……だが、それとこれとは話が別だ。あの快楽主義者の性格破綻女に生涯縛られるなんざ、死んだ方がマシだ)

 それはそれは面倒くさい結婚生活が待っているに違いない。

(今回の件で頼るにしても、せめて、”都度払い”で何とかなるならいいんだが――)

 何度もやり直したせいで、何となくラウラの”報酬”の基準は知っている。皇城に残された奴隷を解放するための準備や情報を得るためには、革袋二つ分の宝石。これは、身体の関係一回分に相当すると言っていた。

 ゴーティスの野営地点の場所を知るのには、革袋五つ分。関所を抜ける準備を手伝ってもらうのにはもう一つ分が必要だった。

「一度に持ち運べる宝石の量には限界があります。何度か往復するとしても、重要な情報であればあるほど価格は跳ね上がるので、クルサールのことや、他の誰も知らないような重大な秘密は相当値が張るでしょう。こちらが払えないとなれば、足元を見て、宝石以外で支払えと言ってくる可能性もある」

 過去の経験上、往復するとしても安全に持ち運べるのは六つまでだ。それ以上は、やったことがないので、慎重にならざるを得ない。ざっと計算して、革袋二つ分が行為一回分に相当するなら、革袋六つ以上の超過分は、結婚だのなんだのという面倒を避けて、”都度払い”として身体で払うことが出来れば楽なのだが――

(……流石に、この方にそんな汚い世界を見せるわけには……)

 ぎゅぅっと眉間に深い皺がくっきりと刻まれる。

 別室で待機してもらうにしても、その間の安全の確保が心配だ。仮に安全だったとしても、感情を伴わずに快楽だけを追い求めて男女が絡み合う行為は、ミレニアの清らかな美しさとは対極に存在する。なるべくなら、この美しい泉を住処にする女神には、そんな虫けらの世界の浅ましい行為は死ぬまで知らないままでいてほしい。

「……ラウラの報酬については、後で考えましょう。とりあえず、持っていけるだけの宝石を持っていきます。まずは、依頼内容を明らかにしなくては」

「そ……そうね」

 睫毛を伏せて、ミレニアは頭を切り替える。今は、くだらない嫉妬や独占欲に支配されている場合ではない。

「まずは、ゴーティスお兄様を頼らない方向で考えてみましょう。二回も頼って、二回とも同じような流れになったなら、きっとそれを防ぐ手立てはないでしょう。……私だって、みすみすそんな目に遭いに行くのは嫌だわ」

「はい。俺もそれが良いと思います」

「帝都を抜け出すこと自体は、ラウラという女性に頼れば、可能そうよね。西の民族の衣装を借りられるんでしょう?」

「はい。奇抜な色合いをした珍しい衣装なので、衣装の印象が強く、俺たちの外見特徴の印象が薄れます。ラウラに頼めば、貴女の肌の色を褐色に偽ることも出来る。たくさんの荷を馬に積んで出る理由も、婚礼の儀に必要なものを仕入れたからだ、と告げれば怪しまれることはありませんでした」

「…………随分楽しそうなことをしているのね。過去の私たちは」

 半眼でミレニアが呻くと、ロロは少し気まずそうに視線を外した。

「……全て、貴女が考えたことです」

「そう。……何となく、そんな気はしていたわ」

 幼いころ――まだギュンターが存命だったころに、国内の公務に共に連れて行ってもらったことがある。その時、街の中で、西の民族が歌と踊りで人々から喝采を浴びている場所を遠目に見たことがあった。幼いながらも鮮明に残っているのは、あの時の色とりどりの衣装が子供心にとても美しく感じられ、一度でいいから着てみたいと思ったためだろう。どうやら、別の時間軸の自分は、その夢を予期せず叶えて、ロロと恋人同士という設定まで作って楽しんでいたらしい。――羨ましい。

 すべてが解決したら、個別にラウラに衣装を調達するよう依頼しよう、と密かに心に決めて、ミレニアは頭を巡らす。

「でも、ただ帝都から逃れたところで、根本的な解決にはならないでしょうね。『第六皇女ミレニア』の手配書は瞬く間に国中に広まるでしょう。闇の魔法の影響がどれほどあるかわからないけれど、今はあまり影響を受けていない人物――例えば、ラウラのような――まで、そのうち術中にはまってしまうかもしれない。そうすれば、私たちに打つ手はないわ。……旧帝国領を出たところで、他の集落にたどり着くまでには、魔物の巣の傍を横切る必要がある。お前ひとりならともかく、私というお荷物を抱えて切り抜ける難易度は高いでしょうし、長期の逃亡生活になるなら、軍資金をはじめとした物資の枯渇は死活問題よ」

「はい。……クルサールも馬鹿ではありません。きっと、国内を落ち着かせれば、大陸全土に貴女の手配書を広げるだけです。逃げ延びた先が安全である保障など、どこにもない」

「そうよね……となれば、やはり、直接クルサールを何とかしてしまいたいところだけれど――ギークお兄様はもちろん、帝国の有力貴族たちは、全員処刑されるかゴーティスお兄様を頼って亡命してしまって、残っていない。民の間には既に新興宗教『エルム教』が浸透していて、クルサールを神の声を聴く『救世主』と信じて崇めている。……今や、革命を成功させたクルサールは、救国の英雄よ。これを弑逆したとて、民の感情は付いてこないでしょう」

 ミレニアは額を抑えて呻く。

 主君の良し悪しは、ただ、民の幸福だけで判断されるべきである――そう、クルサールに告げたのはいつだったか。

 今、ミレニアがクルサールから玉座を奪ったとしても、民の幸福にはつながらない。クルサールがこの国を治めていくことこそが、今の『エルム教』に心酔している民にとってはまぎれもない幸福なのだから。

「わが身可愛さで、無辜の民を惑わせるわけにはいかない……何とか、民に迷惑をかけない形で、クルサールを廃し……いえ、違うわね。彼が玉座に座ること自体はどうでもいいわ。彼が上手く民を導けるなら、敢えて私がそこに座りたいわけでもないもの。そうではなく――交渉を、すべきね」

 聡明な少女は、静かに、冷静に、未来を見つめて口を開いた。

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