138、もう一度⑦
巨木の影に隠れるようにしながら、二人で顔を見合わせ、一つの解へとたどり着く。
「そう――そうよ、ロロ……!きっと、あの時から、全ての計画を練り直したんだわ……!」
頬を上気させ、興奮気味にミレニアは言い募る。
あの時のクルサールの様子は、誰が見てもおかしかった。驚きに目を見張り、青ざめ、最初は「にわかには信じがたい」と言ってミレニアの主張を突っぱねていた。そして、ミレニアの論に反論できぬとなれば、急にひざを折って、不正により<贄>に貶めたミレニアに許しを請うた。長い歴史の中で国民を欺いてきた”司祭”の一族への怒りを露わにし、調査報告書を原本かどうかの確認をして持ち帰り――
「――――あれ……?」
ふと、違和感が生じる。美しい眉を怪訝そうにひそめたミレニアを見て、ロロが視線だけで問い返した。
「……おかしい、わね……どうして、光魔法の存在が明らかになったら、クルサールが困るのかしら……」
順を追ってあの日のことを思い返せば思い返すほど、わからなくなる。
間違いなくクルサールがミレニアを殺そうと思い至ったのはあの日が原因だろう。<贄>の秘密が、神による選別ではなく、光魔法という未発見の属性によるものであるということを暴いたミレニアが生きていることは、彼にとって何かしらの不都合があったのだ。
だが、冷静に考えれば、その理由はよくわからない。
彼は、エラムイドの代表者だ。そもそもミレニアは、エラムイドに嫁ぐことを前提に考えていたため、エラムイドの民を救うためにも、と調査に没頭し、報告書を書いた。
しかし、<贄>の秘密が光魔法だった、ということが世間に明らかにされて、クルサールが困ることなど何もないはずだ。革命後に取り込む、旧帝国の市井の民は、魔法によって魔物への有効な対抗策が得られると知れば、喜びこそすれ、何かの悪感情を生むことはない。
あるとすれば、昔からのエラムイドの民が、今までの犠牲は何だったのかと嘆き、代表者であるクルサールを糾弾するという顛末だが――
「そう言われてみれば、クルサールは、貴女の主張を全面的に受け入れつつ『知らなかった』と言っていました」
「えぇ。だから私も、彼に罪はない、と告げたわ。私を玉座に、と考えていたならば、万が一民が悪感情を持ったとしても、私が「クルサールに非はない」と民に説明するとわかっていたでしょう。だから彼は、光魔法の調査書が出て驚きながらも、咄嗟に状況を判断して、知らぬ存ぜぬで責任を逃れようとしたはず――罪があるならば<贄>選抜を意図的に企画している『司祭』の一族であって、代表者の一族であるクルサールは関係ない。彼もそれで一度は納得を――」
ふと。
ミレニアは、あの日の光景を思い出す。
すべてが明らかになり、クルサールは全力で責任を『司祭』の一族に擦り付けた。調査報告書を見せたときの表情から察するに、本当はクルサールも知っていた可能性は高いが、あの時点ではミレニアもロロも、そんなことを疑ってはいなかった。だから、彼はそれでやり過ごしたと思ったはずだ。
責任の所在を自分以外のところに置きたがる彼の嫌らしい性格がよくわかる行いだが、今はそれを追及している場合ではない。
(あの日、全ての話が終わった後――クルサールは、青ざめるよりももっと、変な顔をしていた……)
そう。本題が終わって、これからやるべきことが山積みだと言って、一息ついた、その時。
ミレニアは、喋り疲れてスコーンを手に取りながら、どうでもいい雑談を、した。
「――――救世主――」
「?」
ぽつり、と呟かれた単語に、ロロは疑問符を返す。
全ての点と点が線になっていく感覚に、ミレニアは大きく眼を見開いて、ロロを見上げた。
「クルサールは……結局、『救世主』だったのよね……?」
「?……はい。紅玉宮で相対したときにも、明確に言っていました。自分は神の声を聴けるのだと。妄言としか思えませんが、人体に浮かぶ謎の光の紋様を神から与えられた聖なる印だと嘯き、見たこともない妙な技を使うときには、それが『神の御業』だと言って――」
「――――『神の御業』なんかじゃない」
ぽそり、とミレニアはつぶやく。目の前の紅い瞳を見上げ、はっきりと言い切った。
「あれは――あれこそが、きっと、”光魔法”の力。あの男が、『神の御業』と称して民の前で起こして見せた”奇跡”の全ては、ただの光魔法を使ったペテンだった――」
「!」
「だから、私を殺さないといけなかった。彼は、新しい国は、王が誰であれ、”神”の教えの元に作られるべきと考えていたから。クルサールは、まだ世の中に発見されていない、未知の属性である光魔法を使って人々の心を掴み、存在するはずもない”神”を信じさせ、”神”の教えを民に広めて、教義をもとに国を治めようとしていた。今更――”神”の存在を信じさせる根幹の『神の御業』が、全て魔法を使ったペテンだったと、露呈させるわけにはいかなかった」
ハッとロロが息を飲む。
ミレニアは呆然とした表情のまま、ロロを見上げる。
「私は、あの人に雑談で伝えたわ。『司祭』の一族に連なる者が、新興宗教の『救世主』を名乗っているはずだと。光魔法をペテンに利用していると、張本人であるあの人の前で、暴露してしまったのよ」
「だから、貴女を、口封じのために殺そうと……?」
「えぇ。でも、待って……そうなると、おかしなことになる」
混乱する頭を押さえ、ふるっと一つ振り払った。漆黒の髪が、緩く宙に舞う。
桜色の唇が、信じられぬ仮説を音に乗せ――呟いた。
「あの人は――そもそも本当にエラムイドの代表者なの――?」
「――!?」
クルサールは、エラムイドの『代表者』であり、『司祭』の一族ではないため、いったんの責任を逃れる道筋を見出した。
だが、ミレニアはその逃げ道を用意した口で、悪気なく、逃げ道を塞いでしまったのだ。
――『救世主』と『司祭』は同一人物であると。
そして、クルサールが『救世主』であるとわかった今――矛盾が生じるとしたら、最初の前提。
「クルサールは、代表者ではなく――司祭の一族、だと……?」
「そう……なってしまうわ、ね……本当は司祭という身分だったのに私たちイラグエナムの皇族を偽っていただけなのか、司祭の身分なのにエラムイドの民を騙して代表者に成り代わったのかはわからないけれど――」
それならば、最初に責任逃れをした理由もわかる。
『司祭』という身分を廃せば、残るのは『代表者』の自分だけだ。『司祭』が<贄>を不当に選出していたことがミレニアによって明らかにされた今、クルサールがその身分だった事実は徹底的に闇に葬り去りたい過去だろう。『司祭』に連なる彼以外の一族を全て弾圧し、処断することは、彼のペテンを完遂するためにも好都合だったはずだ。
だからこそ、ミレニアの勘違いをいいように利用し、自分を被害者に仕立て上げることで、計画を修正しようとした。
だが――『司祭』と『救世主』は同じだと言われてしまえば、その計画は破綻する。
――ミレニアを口封じする以外の道はなくなってしまったのだろう。
「では、あの『見極めの儀』も、クルサールによる如何様だった、ということですか……?」
「えぇ。きっと、ギークお兄様とカルディアス公爵に詰め寄られ、如何様を強要されたのでしょう。――あの水鏡が、光魔法に反応して光を発するという仕組みなら、私が魔力を練るタイミングに合わせて彼がこっそりと水鏡に魔法を発すればいい。クルサールの魔力に反応して、勝手に水が光るはずだわ」
「なるほど……では、あの、仮面は」
「”聖印”と呼ばれる、額に浮かぶあの謎の紋様を隠すためでしょうね。フードも目深に被っていたし、かなり念を入れて隠そうとしたのでしょう」
無辜の民に、わかりやすく人知を超えた能力を持っていると示すのに最適だったであろう”聖印”。それをお守りとして象るほどに、市井の間では浸透していたはずだ。神の声を聴く『救世主』には、神の御業を使うときに不思議な紋が額に浮かぶ、というこれ以上ない話題性のあるトピックスを、布教において利用しない手はない。万が一その噂が皇室の誰かの耳に入れば、儀式で謎の紋様を浮かべたクルサールこそが『救世主』と同一人物であるとすぐに気づいただろう。
そもそも、大規模侵略を経て、既にマクヴィー夫人のように、貴族の中にも『エルム教』への信仰を見せ始めていた者がいた。あの儀式の場にいた者たちの中にも、その印を見たことがある者がいないとも限らない。あの時点で、既に革命を計画していたならば、クルサールは、己が『救世主』であることを徹底的に隠しておきたかったはずた。
「クルサールが、どうして執拗に貴女を狙うか、やっと謎が解けました」
「えぇ。でも、現時点では、全て仮説の域を出ないわ。実際に起きた現象から考えられる可能性を辿ったに過ぎない。それに、理由が分かったからといって、次の打ち手をどうするか……少し、考える時間が欲しいわ。――ゴーティスお兄様はもう頼れない。頼ったところで、私の意見を聞くような方ではないでしょうから」
少女は、漆黒の長い睫毛を哀しそうに伏せて、頬に影を落とす。
「わかりました。とりあえず、夜を無事に明かせる場所を探して――」
言葉の途中で、紅い瞳が一瞬鋭くなる。
ジャッ――!
「きゃ――!?」
神速の抜剣と共に白刃がひらめく。驚いて小さな悲鳴と共に頭を屈めると、一瞬置いて、地面に真っ二つになった矢が落ちてきた。
「っ――頭を屈めて、洞から出ないようにしてください!」
ミレニアの蹲る洞を背に庇い、白刃を手にロロは森へと鋭い視線を投げる。ミレニアは、ぎゅっと手足を縮こまらせてすっぽりと洞の中に入り込むようにして身を屈めた。
ひゅんっ
「チッ……!」
バシッ
風切り音を頼りに剣を振るい、狙い違わず飛んできた矢を打ち落とす。
(飛んで来る矢は一本ずつ――まだ、複数人に見つかったわけじゃない……!)
おそらく、偵察中の兵士がロロ達を見つけ、怪しいと睨んで試しに矢を射かけてみただけだろう。結果、大当たりだったわけだ。今頃、応援を呼ぶための合図をしているに違いない。
(どこだ――どこだ――!)
うっすらと明け行く夜の闇に目を凝らしながら、矢が飛んでくる方向へと目を凝らす。飛んできた角度から、辺りを付けて――
「っ――そこか!」
「――!?」
少し離れた樹上に息をひそめて隠れていた兵士を見つけ、魔力を解放する。
ごぉおおっ
「ぐぁああああああっ!」
一瞬で火達磨にされた兵士が、断末魔の叫びを上げながら木から落ちてくる。
(白装束――!クルサールの手の者か!)
もう一本の剣を抜き放ち、全神経を尖らせて周囲の気配を探る。まだ応援が駆けつけてくる気配はないが、時間の問題だろう。
(どうする――このまま、姫を連れて逃げるか?……いや、敵に襲い掛かられながら逃げるには、姫の足の遅さは致命的だ。庇いながら逃げるにしても、すぐに取り囲まれて、きっとまたいつかの繰り返しになる)
今まで何度も経験してきた苦い記憶が、冷静に選択肢を消していく。
(逃げるなら姫を抱え上げて走ることになるが、複数人で矢を射かけられれば終わりだ。きっと、”運命”とやらが邪魔をして、すぐに姫に命中する。……ここで、姫を庇って戦うのが一番いい)
ぎゅっと剣の柄を握り直す。手汗が滲み、心臓がうるさく鳴り響いた。
「――お嬢様」
「な、なぁに……?」
緊迫感が滲む背中に、震える声が返事を返す。
ロロは静かに、言葉を掛けた。
「御命令下さい」
「え……?」
「命を賭して、ここを守れと。――最期の最期まで、御身を守りぬけと、命じてください」
ロロの言葉に、ミレニアはゆっくりと目の前の青年の背中を見上げる。
振り返ることもない背中は、凄絶な覚悟を背負っているように思えた。
「きっと、”運命”はすぐに貴女の命を奪おうとする。俺が、ここから一歩でも動いた瞬間、どこからか弓兵が貴女を射抜くか、兵士が死角から駆け込んできて貴女の命を奪うでしょう。――だから、俺はここから、一歩も動かない。命尽きるまで、そこを動くなと、命じてください」
たとえ、矢の雨が降ろうと、無数の剣が押し寄せようと。
このままここで、少女を背に庇い、立ち尽くしたまま往生できるなら、それがロロの本懐だった。
「そう。……では、命じるわ、ルロシーク」
ひゅんっ
バシッ
次の兵士に見つかったのだろう。飛んできた矢を叩き落しながら、高揚する気持ちを抑えきれずに、ロロは主の言葉を待つ。
やっと――やっと、何十年も願い続けた悲願が、叶えられ――
「――お前の身体に傷一つ付けることは許さないわ。どんな大群が来ようと、無傷で切り抜けなさい」




