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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第八章

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136、もう一度⑤

「っ――ぐっっ!!?」

「ぇ――?」

 頭の上で響いた苦悶の声に、ミレニアは間抜けな声を上げて振り返る。

「ロロ……!?」

 見れば、入口へと足を向けたヒュードの背後へと迫ったロロが、しっかりと後ろからヒュードの首にその逞しい腕を巻き付け、頸動脈を的確に締め上げていた。

「っ……落ちろ……!」

「ガ――……は……」

 どしゃっ……

 容赦ない締め技に、ヒュードは成す術なくすぐに意識を失い、地面へとその身体を頽れさせた。

「ロロ――お、お前、なんてことを――!」

「殺してはいません。少しの間、意識を失うだけです」

 蒼い顔でミレニアが声を上げるのを聞きながら、短く答えてロロは片手で頭を掻きむしる。

「クソッ……結局、こうなるのか――!」

 言ってから、ガッとミレニアの腕をつかむ。

「来てください。――こいつが意識を取り戻せば、すぐに応援を呼んで、俺たちへと報復をしてくる。俺に対しては武力制圧をしかけ、貴女へは凌辱しようとしてくるでしょう」

「な――!」

「ここにいては危ない。ヒュードが意識を失っているうちがチャンスです。どうせ、待機している軍人たちは、こいつがアンタとよろしくやっていると思ってしばらくは様子を見に来ない。――その間に、可能な限り遠くまで逃げます」

 言いながら、意識を失い痙攣しているヒュードを捨て置いて、ミレニアの腕を引っ張り外へと導く。

 星が瞬く夜空の下、キャンプは半分ぐらいが眠りに落ちているのだろう。やけに張りつめた静寂が、外には広がっていた。

「こちらへ」

 ミレニアの腕を引っ張り、ロロは周囲を警戒しながらキャンプの中を駆け抜ける。どうやらロロは、ミレニアを連れて再び森の中へと逃げようとしているらしかった。

(馬――は、駄目だ。さすがに目立ちすぎる。クソッ……物資を何一つ持ち出せず着の身着のままで逃げ出す羽目になるか……一度、帝都に戻って、ラウラを頼って物資を提供してもらうか?だが、ここから先は、今までの”記憶”がない分、帝都の中での巡回兵の動きがわからない。リスクが高すぎる――)

 頭の中をぐるぐると色々な考えが巡る。

 纏まらない考えにチッ……と大きく舌打ちをして、何とかキャンプを抜け出し、森へと逃げ込むことに成功した。

 高温多湿の密林の中を、かき分けるようにしてミレニアの手を引き走り抜ける。

(”前回”の記憶で姫が森へ逃げ込んだのも、これくらいの時間だった。ということは、森の中にクルサールの手の者がいることになる……!)

「ロロ――」

(姫はきっと、あのとき泉にまっすぐ向かっただろう。その途中で攫われたとして――ならば、違うルートを通れば――)

「っ……ロロ!!」

「!」

 少し大きな声で呼ばれて、ハッと我に返って足を止める。振り返れば、肩で息をして今にも倒れ込みそうなほどの少女が目に入った。

(そうか――姫の体力の問題も考慮しないと――)

「っ、クソッ……!」

 唾を吐き捨て、苛立ちと共に叫ぶ。髪をかき混ぜるようにして頭を押さえ、大きな舌打ちをした。

 考えることが多すぎて、何から考えていいかわからない。

 『運命』はそうやすやすと変わらない。意識を取り戻したヒュードがけしかけてくる軍人たちも、ミレニアを密林まで追いかけてくるクルサールの手の者も。どちらに捕まったとて、最悪の未来しか待っていない。

「ろ……ロロっ……お、ちつい……て……」

 暴言を吐いた従者を咎めることもなく、ミレニアは膝に手を当てて、荒い息の合間に必死に言葉を紡ぐ。

「落ち着きなさい……っ、一つ一つ、話して……一体今、お前は何を考えて――」

「アンタを助ける方法だっ!」

 ぐしゃぐしゃになった頭と感情を制御できず、口から飛び出たのは、飾る物のない粗野な言葉だった。

「”分岐”を間違えた、もう既定路線に入ってしまった――!どう足掻いてもここから先、イラグエナム勢力かクルサール勢力によって森林の中で俺たちは襲われて、その果てに、アンタは命を落とす!」

「え――?」

「ヒュードに危害を加えた時点でこの未来は確定した!だが――だが、じゃあ、あのままアンタを何も言わず差し出せばよかったって言うのか!?冗談じゃない――!」

 いつも、全く仕事をしない男の表情筋が、これ以上なく苦悶に歪んで、恨み言をまき散らす。

「お、落ち着いて!未来なんてわからないわ。ここにクルサールの勢力がいるかどうかなんて――」

「いるんだっっ!!!」

 頭を抱えて叫んで、ロロは絶望に頽れるように地面に膝をつく。

「俺にはわかる……()()()()んだ……この狭い森の中に、クルサールの手の者がいて……アンタの首を狙ってる……」

「ロロ……」

 翡翠の瞳が困惑するように揺れて、力無く膝をついた護衛兵を見下ろす。

「お前、やっぱり、様子がおかしいわ。それが、お前の『隠し事』なの……?"分岐”とは何……?既定路線……?お前は一体、何を言って――」

「――俺には、もう、何十回と人生をやり直した記憶がある」

 ぼそりっ……

 俯いた黒衣の護衛兵から洩れた声は、驚くほど低く、昏い響きを持っていた。

「頭がおかしいと思われるだろう。それでもいい。俺だって、可笑しいと思う。狂ってるとしか思えない。だが――確かに、あるんだ。何十回と繰り返した――アンタと出逢って”やり直し”た記憶が、この頭の中に」

 ハッ……と力のない笑いが漏れる。漏れた吐息は、自嘲の響きを持っていた。

「最初の人生では、俺は()()()、予定通り作戦遂行ポイントにいて――様子がおかしいことに気づいてアンタの元に駆けつけたら、クルサールがアンタを剣で叩き斬るところだった」

「――!?」

「アンタを攫うようにして追手から逃げまどい――やっと撒いた東の森の中、馬からおろしたアンタはもう虫の息で、そのまま俺の腕の中で、息を引き取った」

 こんなことを口にして、何になるのだろう。

 急に気が触れてしまった男だと思われるだけだ。

 だが、それでも――もう、限界が、近づいていた。

「絶望していたら、東の森に棲む魔物の声がした。魔物が言うには、帝都を襲い、民に恐怖と絶望を与えれば、それを糧に時間を巻き戻せるという。到底信じられるものじゃなかったが、アンタを失わない未来を紡げる可能性があるのならと、俺はその言葉に乗った。帝都中を火の海に沈めて、クルサールとその側近の心臓を貫いて、俺の人生は終わった。――”次”の人生が始まった」

「――――……」

 ミレニアは、信じられないものを見るような目でロロをじっと凝視している。

「それから、何度も――何度も、何度も何度も何度も、気が狂いそうになるくらいやり直した。紅玉宮からアンタを無傷で逃がせるようになるまで数回かかった。やっと逃げ出せたと思ったら、帝都を抜けられるようになるまでで何十回とやり直した。それも乗り越えて、やっと”前回”、ここまで来た。ゴーティスを訪ねて、キャンプに来て――ヒュードに犯されそうになっているアンタを助けたら、ヒュードは俺に軍人をけしかけた。アンタを先に逃がして合流ポイントへ急いだが、そこに来るまでにアンタは森にいたらしいクルサール勢力に捕らえられ、次の日には城門に首が晒されていた」

「――!」

 ひゅ――とミレニアが小さく息を飲む音がする。妄言としか思えぬ発言でも、さすがに気味が悪かったのだろう。

(もういい……もう、疲れた……)

「何回やり直しても、何度助けようとしても、ほんの小さな隙をついてアンタは狙われて、命を落とす。こっちが驚くくらいあっさりと、無情に、俺を置いて逝ってしまう。そのたびに俺は、次の人生ではいっそアンタと出逢わなければいいと願いながら、罪のない人々を阿鼻叫喚の地獄絵図へと叩き落して、クルサールへ復讐を果たし、人生をやり直す。だが、何度繰り返してもアンタと出逢って、同じようにアンタは死んでいく。もう――どうしたらいいか、俺にもわからない」

 肩が落ち、項垂れる。ゆっくりと、瞳を閉じた。

 帝国最強と呼ばれた武を誇る男は、力無く首を晒して、ミレニアへと心の底から懇願する。

「頼む――もう、終わりにしたい。どうか、俺を――」

 ――アンタの手で、殺してくれないか。

 告げようとした言葉は、喉の奥に引っ込んだ。

 ふわり……

 鼻腔を擽る、花の香りのような何か。

 嗅ぎ覚えのあるその香りに、思わず瞳を開く。

「しっかりしなさい、ルロシーク。お前は私を守る『騎士』でしょう。こんなところで頽れて、項垂れている場合ではないわ」

「――――姫――?」

 目の前に、夜空のような美しい髪があった。

 ――少女に優しく抱きしめられているのだ、と気付いたのは、そのあとだった。

「クルサールの勢力がこの森にいるというのなら、なおのこと。ヒュード殿の勢力もそのうち追ってくるのでしょう?では、立ち上がり、迎え撃つ準備をしなければ」

 迷いのない強い声が、耳元で響く。

 自分一人では走って逃げることすら満足にできない少女の、凛とした強い声音。

 ――兵士を奮い立たせる、『女帝』の言葉。

 ミレニアは抱きしめていた腕をゆっくりと解放し、ロロの瞳を覗き込む。

 従者に目線を合わせて膝を付き、優しく包み込むように抱き締めたせいで、少女の衣服は土で汚れてしまったが、ミレニアは微塵も気にした様子がない。

 女神の、慈愛に満ちた微笑みが、そこにあった。

「今まで、ずいぶんと長いこと、たった一人で抱え込んでいたのね。辛かったでしょう。――でも、もう大丈夫。一緒に、何が出来るかを考えましょう」

「――信じる、の、か……?こんな……荒唐無稽な、話を……」

 ロロの方こそ信じられなくて、ミレニアの翡翠の瞳を驚きと共に見返す。

 しかし、女神は、初めて出逢ったときから何十年も変わらない美しさで、にこり、とロロに笑い返した。

「勿論。――お前、私がどれだけお前と一緒にいると思っているの。お前が嘘をついているかどうかなど、すぐにわかるわ。随分と信頼が無いようね?あまり私を、見くびらないで」

「――――……」

「確かに荒唐無稽な話だとは思うけれど、今このタイミングで口から出まかせを言う意味はないし……何よりお前は、そんなことで私を偽ったりしないわ」

 それは、ロロに絶対の信頼を置いているからこその、ミレニアの本心だった。

 紅玉の瞳が、何度も驚きに瞬かれる。

「何にしても、情報が足りないわ。お前が言っていることが本当だとしたら、気になることが沢山……そもそも、クルサールが革命を起こすことは必然として、私は毎度クルサールと出逢っているの?」

「あ、あぁ……毎度、アンタは<贄>に選ばれて、クルサールが監視者として任命されると同時に求婚する。どの人生でも、最初は突っぱねるんだが、色々な理由で最後はあいつと結婚することを承諾して、脱走計画を練る……」

「それで、当日になって裏切られて、革命が起こるのね?」

 ふむ……と唸りながら、冷静に情報を整理し始めるミレニアに、ロロは面食らいながら声をかける。

「何を……考えている?」

「え?……勿論、この現状を打破する方法を考えているのよ」

 あっさりと答えるミレニアは、既にロロの話を事実として受け入れてしまった後のようだ。

 絶対に信じてもらえないと思っていたことをあっさりと信用され、ロロの方が困惑する。

 そんな護衛兵の微妙な顔に気が付き、ふっ……とミレニアは可笑しそうに笑った。

「ねぇロロ。知っている?」

「……?」

「私ね。……一人では、まともに走って敵から逃げることも出来ないの」

「……はぁ……」

 それは良く知っている。おかげで、何度もクルサールの兵士の毒牙にかかって、あっさりと命を落としていった。

「馬にだって一人では乗れないし、ダンスだって一曲踊れるようになるまでに何年もかかるわ」

「……はぁ」

「正直、執拗に命を狙ってくる敵がいるなら、こんなにも殺しやすいターゲットはいないでしょうね。今まで、何度も私があっさり殺されたというのも良くわかるわ」

 うんうん、と自分の言葉に頷くミレニアに、ロロが怪訝に眉を寄せる。一体この少女は、何を言っているのか。

「でもね、ロロ。私、運動神経はからっきしだけれど――頭脳だけは、ちょっと目を見張るほど優秀なのよ?」

「――――……」

 茶目っ気たっぷりに微笑んで、挑発的にロロの瞳を下から覗き込む。

 ぱちぱち、と紅玉の瞳が何度か瞬き、風を送った。

「お前は最初から間違っていたのよ。こんな、ただ抱えて逃げるだけならこれ以上なく狙いやすいお荷物を、荷物として抱えて逃げるなんて、非効率にも程があるわ。――お前が抱えて逃げようとしていた荷物は、もっと有効活用する術があったのに」

「…………」

「さっさと事情を話して、協力を仰いでいればよかったのよ。そうすれば、お前は私を『お荷物』ではなく、逃亡生活における『頭脳(ブレーン)』として有効に活用できた。まったく……お前が紅玉宮に来た日に、ちゃんとホウレンソウをしなさいと教えたでしょう」

 少し呆れたような顔で言われて、ぽかん、と間抜けな顔を晒す。

 そこには、確かに今までの人生で見てきた、『全力で守るべきか弱い少女』はどこにもいなかった。

 ただただ強く、美しく、魅力的な――ロロが"最初"の人生からずっと、一途に惹かれ続けた女がいた。

「お前はよく私に、勝手に人のことを決めるなと言うけれど――そのままそっくり、お前に返すわ」

「…………」

「私を勝手に『無力な少女』にして、ただお前に守られるだけの女だと決めつけないで。確かに私は剣も振るえないし、魔法も使えないけれど――でも、お前とは違った武器がある。お前を助けることも、お前を導くことも出来るのよ。あまり、見くびらないでほしいわ」

 ふん、と胸を張る姿は、威風堂々としていて。

 勝ち気な微笑みは、初めて出逢った頃と変わらず、キラキラと美しく輝いていた。

 清く、美しく――清廉潔白な泉に住まう、高潔な美しさを持った少女。

 地の底で足掻く虫けらには、到底手が届かない存在で――それでも、ずっとずっと、惹かれてやまない存在。

「さぁ、立ちなさい、ルロシーク。私の騎士。――言ったでしょう。お前が嫌だといっても、手放してなんかやらないわ。ずっとずっと、私の傍で、私を守りなさい。……その代わり、私は必ずお前を幸せへと導いてみせるから」

「っ……」

 蕩けるような女神の微笑で言われれば、もう、何も言えることはなかった。

 ただ、再び――ミレニアのためなら、身体も命も、何もかもを全力で捧げる『騎士』が生まれただけ。

「……アンタの傍にいることが、俺の幸せだ」

「えぇ」

「それ以外、何もいらない。だからずっと、手放さずに傍に置いてくれ。――約束だ。……何度やり直そうと、必ず、どんなものからも守ると約束するから」

「ふふ……ありがとう。頼むわね、ルロシーク」

 この女神は、本当に、奴隷を心酔させるのが得意らしい。

 胸の底に燻る灼熱に浮かされながら、ロロはしっかりともう一度、最上位の礼を取ったのだった。


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