表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第八章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

128/183

128、修羅の道⑦

 ドクン ドクン

 悪魔のような囁きに、ぎゅっとミレニアの躯を抱きしめる手に力がこもった。

「やり直し――とは、どういうことだ。時間を巻き戻す、と……?」

『そうだ。お前がこの生を終えた瞬間、時を巻き戻す。その時点で、我が持っている時を巻き戻せる力の限界まで、巻き戻してやろう。……お前が死ぬまでに、人々により多くの恐怖と絶望を与えれば与えるほど、巻き戻る時間は多くなる』

 ごくり、と喉が小さく音を立てた。

「……記憶は、継承されるのか」

『基本的に、継承されることはない。ただ――魂の奥底に刻み込まれたものは、無意識下に残っていくだろう。既視感を感じることが多くなるかもしれん』

 ロロの瞳が揺れ、視線が伏せられる。

 完全に記憶を継承して戻ることが出来るならば、最初からクルサールを信頼したりしない。そもそも、<贄>の候補になることすら防ぐだろう。ミレニアの傍を自分から離れ、軍属になるようなこともないはずだ。

 だが、魔物の口ぶりでは、それは叶わないという。どこまで残るかわからない『魂の記憶』とやらに縋るしかないのか。

『とはいえそれも、我が干渉した時間までのことだ。……何度繰り返そうと、我が初めてお前に声をかけた日、同じ時間になれば、お前がそれまでに繰り返した時間すべての記憶が戻る』

「――!」

『一度や二度なら、耐えられるだろう。だが、三度、四度となれば、膨大な記憶と感情の奔流に、脳が沸騰するような感覚に陥るはずだ。五度以上ともなれば――気が触れてしまっても文句は言えん』

「……何度でも……繰り返せる、のか……?」

 問いかけた声は、押し込められたように低かった。

 目の前の闇が震える。――まるで、声を殺して嗤ったかのように。

『勿論。……新たな時間軸では、我もお前との間にあった出来事を忘れているだろうが――お前が再び契約を望めば、過去の力の波動から、起きた出来事を悟ることが出来る。何度でも、お前の望みに応えると約束しよう』

「……お前が、何度も俺の望みに応えるメリットがわからない」

『ふっ……簡単なことだ』

 闇は、愉快そうに声を響かせる。

 昏い昏い、絶望の声。

『何度時間を巻き戻そうと――”運命”というやつは、そう簡単には変えられぬ。勿論、過去の時間に巻き戻り、誰かが何かの行動を少しでも変えれば、未来は勝手に書き換わっていく。全く同じ結果になることはないだろう。だが――大きな流れ、というものを書き換えるには、至る所に存在する様々な”分岐”を全て間違えることなく選び取る必要がある』

「分岐――…」

『時間を巻き戻したところで、その人間の思考や性格が変わるわけではない。同じ出来事を前に、同じ言葉を聞けば、同じような行動をするものだ。わずかな違いが生じたところで、お前が望むような、大きく運命を捻じ曲げるほどの違いを生むことは出来ないだろう。記憶の継承は、魂の底にしか存在しないのだからな』

「――――…」

『おそらく、多少の”分岐”があれど、大まかな出来事はこの時間軸と変わらない。我がこの森に生まれ出で、帝都を壊滅させ、それに対抗するように光の結界が張られる。その間に、北の魔物と契約をした人間が入り込み、我の領域(テリトリー)を荒らすだろう。我はそれを指をくわえて見ているしかなく――そこにお前がやってきて、契約とともにその不届き者を蹴散らせてくれるというならば、我としても旨味は大きい。何度でも、お前の望みをかなえてやろう』

 ロロはじっと何かを考える。

 視線を落とすと、二度と動くことのない少女の躯が目に入った。

『きっと、その女は、何度繰り返しても、形を変えてはこの陰謀に巻き込まれて死ぬ運命なのだろう。繰り返すうち、どこかでお前の精神が壊れれば、それもまた一興。我にとってはその狂気も甘美な馳走に違いない』

「…………」

『究極の”分岐”は簡単だ。――その女に、出逢わなければいい』

「――!」

 ハッ……と瞳を見開き、顔を上げる。

 闇は、愉快そうな声で、仄暗く、心の隙間に語りかける。

『ほんの小さな言葉一つ、行動一つで、”分岐”が生じる。……お前がこれから、夥しい数の人間を地獄の底に叩き落し、世界に恐怖と絶望をまき散らせば、お前が死んだとき、お前と女の出逢いの前まで時間を戻せる。そうすれば――行動によっては、お前と女は出逢うことがないまま、お前は今日の時を迎え、記憶を蘇らせる』

 ざわりっ……

 胸の奥がざわめき、ぎゅっと少女の身体を抱きしめた。

 もしも、少女と出逢うことがなかったなら――どんな人生を、歩むだろうか。

 皇族でもなければ、あの法外な金額を支払い、ロロを買い上げる人物などいないだろう。きっと、今日この日まで、世界の肥溜めと呼ぶに相応しいあの奴隷小屋の中で、ただ毎日息をして、心臓を動かすだけの日々を過ごすはずだ。

 そして、ある日突然記憶がよみがえる。

 愛しい少女と過ごした夢のような日々。生まれて初めて知った、”生きる”ということの、本当の意味。

 すべてを思い出したその時――きっと、革命は成った後で。

 少女の首は、城門に晒された後なのだろう。

『女と過ごした日々など、その時間軸では、あくまで”どこか遠い日々の出来事”でしかない。その時間軸の中で過ごした二十年余りの人生の記憶も、お前に当然備わっているからだ。記憶が蘇ったところで、現実が何か変わるわけではない。そんな自分の人生もあった、と、まるで嫌な夢でも見ただけだと言わんばかりに、少女の死を受け入れて生きていくことも出来るだろう』

「……受け入れ……て……」

 そんなことが、出来るのだろうか。

 冷たく硬い躯を、今もこうして手放すことすら出来ない自分が――この少女の死を、遠い出来事と、受け止めることが、出来るのだろうか。

『我は、何度でもお前に付き合おう。気が狂うほどに何度も繰り返される時間軸の中、お前が運命を変えるのが先か――お前の精神が壊れるのが先か。それを楽しむのも、また、一興だ』

 闇が震える。人間の負の感情を、己の力に代えて生きていくという生物の精神構造を理解することは出来ないが、彼にとってそれは何よりの道楽なのだろう。

 ロロは、ゆっくりと瞳を伏せて考える。

(姫と、出逢わないこと――それこそが、唯一の救い――……)

 それは、ある種、真理かもしれなかった。

 きっと、出逢ってしまえば――惹かれることを、止められない。

 思考も性格も変わらぬ少女に出逢ってしまえば、時を重ねるごとに、惹かれて、惹かれて、彼女を失うことを決して受け入れられなくなる。

 きっと、それは――何度時間を巻き戻そうと、魂の奥底に刻まれていく感情だから。

『契約は簡単だ。右手を我に掲げ――”闇を受け入れる”と宣言すればいい』

 魔物は、ロロが契約することを信じて疑っていないようだった。

 ロロは静かに瞳を開く。禍々しい血の色をした瞳が、漆黒の闇を見据えた。

「一つだけ聞く。……彼女との出逢いは、五年前。五年以上時を戻すには、どれだけの負の感情を集めればいい?」

 ふるり、と洞窟の底が震えた。

 それはきっと――愉悦の、笑み。

『そうだな……かつての我の帝都侵略。最低でも、あれ以上の絶望と恐怖があれば、五年程度は巻き戻せるだろう』

「わかった。――ならば、必ずそれをお前に与えると、約束しよう」

 紅い瞳に、昏い闇が宿った。

 ――簡単だ。ひどく、簡単な話だ。

 今のロロには――失うものなど、何もないのだから。

 すぅっと迷うことなく右手を掲げる。

「お前に、極上の恐怖と絶望を与えると約束しよう。そのかわり、必ず俺との約束を果たせ。――闇を受け入れよう」

 ヴンッ――

 周囲の空気が、一瞬重たい振動音を響かせる。

『いいだろう。――契約成立だ』

 真っ黒に塗りつぶされた闇が、嬉しそうに、囁いた。



 そして、ロロは闇の力をその身に宿し、再び帝都に舞い戻る。

 帝都を半壊させた、前回の襲撃と同等以上――ならば、帝都の全域を火の海に沈めれば、十分すぎる功績だろう。

「きゃぁあああああああ!」「なんだ!!?」「助けて!!!助けて」「お母さん!!お父さん!!!」「熱い!熱い、熱い熱い!」「嫌だ、死にたくない!」「神様!神様、助けて――!」

 増幅された魔力をもってすれば、帝都を焼き尽くすことなど造作もなかった。

 罪もない人々が、恨み言を残し、懺悔の言葉を残し、命乞いをしながらもがき苦しみ、地獄の業火へ飲み込まれていく。

『ハハハハハハ!!!!!最高だ!!!!!最高だ、人間!!!!まさか、これほどとは思わなかった!!!』

 脳裏でうるさい声が、歓喜の叫びをあげている。

 煩わしさに軽く眉を顰めてから、ロロはゆっくりと灰になっていく帝都の中を、堂々と歩みを進め、一直線に目的地を目指した。

 それは、帝都の中で、最も目立つ場所に鎮座する――かつて、大陸最高の栄華を極めたイラグエナムの皇族が住んでいた、広大な城。

 ゆっくりと灰が舞い散る石畳を歩きながら、スゥ――と音もなく双剣を引き出す。

 血と炎が宿る禍々しい瞳には、感情らしい感情は見られない。――ただ、底なしの闇が渦巻くだけだ。

「クソ……!化け物だ!」「一斉にかかれ!」「恐れるな!エルム様のご加護は、いつも我らと共に!」

 ミレニアを取り囲んでいた純白の装束を身に着けた兵士たちが、次々に襲い掛かってくるが、全て剣と魔法で叩き伏せる。

 魔力の温存など、考える必要はなかった。

 全て、何も考えずに、注ぎ込めばいい。どうせ、明日まで生きるつもりはない。

 ミレニアを失ったこの時間軸の世界では、一分一秒だって、鼓動を動かす意味がないのだから。

「なん――ですか……これは――……」

 次々と襲い掛かってくる兵士たちの奥――炎に呑みこまれていく街の様子を見ようとしたのか、見覚えのある男が顔を出した。

 太陽を跳ね返すような、華やかな金色の髪と、真夏の空のような紺碧の瞳。

 あの、悪夢のような夜に――愛しい人を、奪った元凶。

「――――――クルサール……!!!!」

 ゴォオオオオオッ

 その姿を視界の端に認めた瞬間、ロロの感情に煽られ、顕現していた全ての炎の勢いが一気に倍増する。

 脇目もふらず、兵士の間を駆け抜けた。立ちふさがる者は、全て容赦なく斬り捨てて。

「クルサール様っ……!危険です、お下がりください!」

 少し高い声が響いて、クルサールを背に庇うように立ちはだかる男がいた。

 声変りもしていない――少年兵。

 短く刈り揃えられた黒い髪に――純白の肌。

 まるで、ミレニアのような、色合いの――

『そいつだ!そいつが、”北”の魔物の――』

「邪魔をっ――するなぁああああああああああああああああああっっ!!!!」

 脳裏に響く声が何かを言っていたが、全てを聞く前に絶叫が喉を割る。

 ドンッと地面を割り抜くほどに強く蹴り出し、全身の力を使って少年の身体を刺し貫いた。

 ズッ――

「ぁ――……」

 肉を裂く、手になじんだ感覚。

「クル、サール…さ……ま……」

 身体の中心をまっすぐに貫かれた少年が、絶望と共に背に庇う男に視線をやる。

 ロロの渾身の一撃は――目の前の少年ごと、後ろの男の心臓を、貫いていた。

「「「クルサール様!!!!」」」

 周囲の兵士が一斉にロロに襲い掛かる。人を二人も貫いていては身動きが取れず、すぐに無数の剣撃を受け、地に倒れ伏すようにして捕らえられた。

 貫かれた少年兵の瞳から光が失われると同時に、その身体が崩れ落ちる。ズルリ……と少年の身体に合わせて、刺さったままの剣が、クルサールの身体からも抜け落ちていく。

「ガッ……ハ……」

 剣が抜け落ちたところから、夥しい量の血液が噴き出し、口からも鮮血が伝う。

「クルサール様!」「しっかりなさってください!」「すぐに加護付きの”聖印”を持ってこい!早く!」

 バタバタと慌ただしくなる周囲を置き去りに、拘束されたロロにも兵士の刃が迫る。

「貴様――よくも、よくも我らが救世主を――」

 兵士の瞳には、涙が光っている。

 救いを求めて、誰にも縋ることが出来ない人間が、皇族の代わりに縋る先として求めた『救世主』――

 それを失ったときの、人々の恐怖と絶望は、いかほどだろうか。

(これで、満足だろう――?五年以上、必ず巻き戻してみせろ――!)

 地面に伏せるようにして拘束された状態のまま、上から、狙い違わず首に向かって迫る刃の気配がする。

 しかしロロは、抵抗することなく――ただ、一点を睨みつける。

 胸を鮮血に染め上げ、力無く頽れ、倒れ伏していく『救世主』。

 ――世界で一番、憎い男。


「貴様だけは許さない――何度でも――何度でも、必ずこの手で、息の根を止めてやる――!」


 地の底まで響くほど、低い声で恨みを残す。


 ザンッ

 首に衝撃が走り、意識が途切れた。


 

 ――耳の奥に、満足げな愉悦の嗤い声が響く、錯覚を聞いた――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ