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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第八章

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127、修羅の道⑥

『――助けてやろうか』


 脳裏に響いた声に、息を詰める。

 一瞬、絶望のあまり、気が触れて頭がおかしくなってしまったのかと疑った。

 ぎゅっと冷たくなっていく亡骸を抱え、ゆっくりと顔を上げる。

『お前に語りかけている。物言わぬ躯を抱え、世界に絶望しているお前に、だ』

「――――……」

 鼓膜を震わすような音ではない。脳裏に直接響くような、不思議な声。

 月の光すら届かぬ鬱蒼とした森に相応しい、仄暗さを湛えた声音だった。

『お前が抱える絶望は、とても甘美だ。そして何より――極上の身体を持っている』

「な……ん、だと……?」

 得体のしれない声に警戒し、ジャッ――と音を立てて右手で即座に剣を引き抜く。視線を周囲に巡らしながら、左手は――深く深くミレニアの身体を抱え直した。

『ふっ……躯すら守ると、言うか。――愚かな』

「黙れ――」

 頭がおかしいことはわかっている。

 今までの人生で、他者の死に触れたことなど、何度もある。そのうちの大半が、己の手で相手の命を無情に奪ってきたせいだった。

 だから、知っている。――今、左腕の中にいる少女は、確かに”死”を迎えたのだ。

 人の”死”とは――こういうものだ。

(だが、それでも――!)

 受け入れられない。

 もう、二度と、あの大きく美しい翡翠の瞳が、下から嬉しそうに覗き込むことがないなんて。

 「ルロシーク」と歌うような美声で囁く声を、聴くことが出来ないなんて。

 現実をうまく受け入れることなど出来ず、力無く横たわる躯をただ何者からも守るしかできない。

 ――生前の彼女にしたかったことを、ただ、何も考えずになぞるしか出来ない。

 この少女の朽ち行く身体を土に埋め、その死をただ悼むことなど――今のロロには、愚かと言われようが、狂っていると言われようが、到底出来るはずがなかった。

『良いだろう。その狂気すら、我には美味だ。……躯を抱えたままで良い。声のする方へ来い。お前の望みを、叶えてやろう』

 クックッ……と笑うように声を震わせ、仄暗い声は言葉を紡ぐ。

 ミレニアの冷たい身体を抱きかかえたまま、鋭い視線を巡らし、ロロは考える。ピリピリとした空気が満ちていた。

『どうした。……望みを叶えたくはないのか』

「望み……だと……?貴様に、何が――」

『わかるさ。――お前に、”やり直し”の機会を与えてやると言っている』

「――!?」

 ドクン……

 心臓が、大きく飛び跳ねた。

 仄暗い声は、優しささえ感じさせる穏やかな調子で、ゆっくりと音を紡ぐ。

『我には、時を操る力がある。お前が望むなら――お前の人生を、”やり直す”機会を与えてやろう』

「な……ん、だと……?」

 ドクン ドクン

 冷静に考えれば、そんな方法などあるわけがない。冗談も大概にしろと突っぱねるのが普通だ。正常な精神状態のときに言われれば、間髪入れず跳ね除けたはずだ。

 だが――今の自分は、とても正常な精神状態とは、言えない状態だった。

『さぁ――来い。声のする方へ――』

「――――……」

 頭の片隅で、警告する声がする。得体のしれない存在に惑わされるなと、叱責する声がする。

 だが、それでも、ロロはゆっくりと立ち上がった。

 ――ミレニアの躯を、守るように大切に横抱きにしたまま。

『そうだ。それでいい。こちらだ――』

 鼓膜を震わせる類の音ではないのに、不思議と声がどちらから響いてくるのかはわかった。ゆっくりと、真っ暗な光のない森で、足を進める。

 冷静な警告の声は脳裏に絶えず響いていたが、心は不思議と凪いでいた。

 もしも、これが、何者かの陰謀だったとして――それが一体、何なのか。

 声に導かれるままに歩みを進めた先で、命を奪われたとして――ミレニアのいない世界で生きていく意味などない自分には、何の未練もない。

 この声が、嘘をついていたとして――それなら、声の主を叩き斬ればいい。返り討ちにあったとしても、どうでもいい。ミレニアのいない世界に、未練などないのだ。

 だが、もしも奇跡が起きて――本当に、”やり直し”が出来るなら――そのときは、自分が持ちうるどんなものも捧げると誓おう。

 もう一度――愛しい少女を、今度こそ守り抜く機会が得られるならば――

 パキッ……

 足元で、小枝が折れる音がする。

 声に導かれた先は、森の中に自然に出来たらしい洞窟だった。わざわざ探さなければ決して見つからないような、奥まった目立たぬ入り口に立ち、中を見る。

 夜ということを差し引いても、洞窟の中は黒々とした漆黒が満ちていて、春と言うのに中はぞくりとするほど冷たい。

『我は闇の化身。――お前たち人間が、”魔物”と呼ぶ存在だ』

「――…魔物……」

 軍務で何度も討伐した漆黒の獣を思い描く。闇に紛れて定かではないが、この洞窟の先に、あの魔獣がいるというのか。

『ある一定の力を持った魔物は、血と肉以外の食事を好む。――お前たち人間の、恐怖と絶望だ』

「――――……」

 ロロの脳裏に、帝都を半壊させた魔物襲撃の惨状が蘇る。当時は紅玉宮にいて、全てが終わった後に報告を聞き、現地を見ただけだったが、目を覆いたくなるような惨状だった。

『そう。勘が良くて助かる。……あの襲撃を指揮したのは、我だ』

「……そうか」

 ぽつり、とロロは言葉少なく頷く。――心は不思議と、凪いだままだった。

『あれは、甘美な夜だった。人間どもが逃げ惑い、恐怖と絶望に街中が支配され――我は満足した』

「……」

『我ら魔物にとって、生物の血と肉は、身体を動かすために必要なただのエネルギーだが、恐怖と絶望は――人間が持つ、負の感情は、我らに特殊な力を与える』

「何……?」

『どのような力になるかは、個体差があるが――我の場合は、”時”を操る力になる』

 ドクン……

 核心に迫る話に、胸がざわめいた。

『だが、小癪な人間どもは、我らの追撃を恐れ、目に見えぬ結界を張った。……忌々しい光の結界だ。あれがある限り、我らは人間を襲うことが出来ぬ』

(エラムイドから連れて来られたという<贄>、か……)

 皇城で一度見かけた、鳥籠に入って震える少女の姿を思い描く。ミレニアの考察が正しければ、彼女は未知の魔法属性である光を宿していて、死の間際に恐怖によって魔力暴走を引き起こし、結界を張ったということになる。

『それが先日、やっと掻き消えた。丸一年もご馳走を取り上げられ、ちまちまと眷属を討伐され、イラついていたところだ。すぐに再び人間どもを駆逐してやろうとしたが――我の縄張りに、妙な気配がある』

「妙な……気配……?」

 ロロの眉が怪訝にひそめられる。闇の奥から、不機嫌そうな声が響いていた。

『そうだ。――我らは縄張りを持って生きる。基本的に、互いの縄張りへの干渉は許されない。だが、本来我の縄張りとしていた帝都に、謎の結界が張られ、我の力が及ばぬうちに――別の魔物がやってきたようだ。帝都の中央に陣取り、ここは自分の領域(テリトリー)だと主張せんばかり』

「……?」

 ぎゅっと眉間に皺を寄せて考える。

 <贄>が捧げられてからの一年間、帝都の中に魔物が出たという話は一切聞かない。そんな報があれば、真っ先にゴーティスに知らせが届き、ゴーティス直属の遊撃兵として使われていた自分に出撃命令が下っただろう。

 怪訝な顔をするロロに、魔物は説明を続ける。

『あの気配は、”北”の魔物だ。魔物の力自体は、我に比べれば酷く脆弱だが――我らの掟を想えば、縄張りを不用意に犯すことは出来ぬ。あの、人間どもがひしめく宝の山を前に、指をくわえて見ているしかできない』

「……北……」

 いつか、ミレニアの書斎の壁にかかっていた大陸地図を思い出す。

(大陸の北には、何があった……?)

 一番最初に思い浮かんだのは、帝国領土のさらに北にあるという、永久凍土と呼ばれる真っ白く塗りつぶされた土地。――だが、そこには魔物が出現しないと言っていた。

 ならば、帝国領の中だろうか。ミレニアは、一番太い線で囲われた中が、全てイラグエナムの領土だと言っていた。

 その線の中の、北に位置していた目立つものは――

「――――エラムイド……?」

 真っ黒く塗りつぶされた、『魔物の巣』に取り囲まれるようにして位置している、小さな属国。

『”北”の魔物が、わざわざ己の領域(テリトリー)を離れ、何の意味もなく我の領域(テリトリー)まで来ることはないだろう。――人と契約を交わし、我の力が及ばぬ間に、掠め取ったに違いない』

「――!?」

 ロロの紅い瞳がハッと見開かれる。

『人が介入した時点で、我らの掟は崩れ去る。本来であれば、横から掠め取る行為は禁忌だが――人による行為であれば、我らは干渉できん。こちらも、人を介さねば』

 魔物はゆっくりと、暗い声で誘う。

『故に、お前に声をかけた。哀れな男よ。――我と契約を交わし、帝都に陣取る不届き者を蹴散らせ』

「なん……だと……?」

『お前にも利はある。我と契約を交わせば、お前は生来の炎の魔力に加え、新しく”闇”の魔力を得る。人の感情に作用し、人を意のままに操ることが出来る』

「人を――操る――?」

 ドクン……

 点と点が、少しずつ繋がっていく。

 <贄>の結界が張られる隙にやってきた、エラムイドの魔物と契約していた人間。

 首謀者のクルサールがミレニアの監視という名目で皇城に留められていても、変わらずあっという間に市井の人々の心の隙間に入り込んで行った、新興宗教。

 これから先、ここまでの大掛かりな政権交代劇を仕掛けておいて――ただ、『神の声』が聞けることだけを理由に、これほどの大国が治められるものだろうか。

 だが、もしも――もしも、人の心を操る術を持った人間が、クルサールの傍にいたならば――

『新しく得る魔力は、既存の魔力許容量(キャパシティ)に比例する。――お前のそれは、途方もないな。単純に、倍になると思えばいい』

「…………」

『炎と闇は、相性がいい。新しく得た魔力で、より強力な炎を扱うことも出来るだろう。契約が成されれば、だいぶ数を減らされてしまったが、我の眷属を操ることも出来る。不届き者を蹴散らすのに、好きに使えばいい。あの宝の山を取り返してくれるというならば、我はお前に”やり直し”の機会を与えると約束しよう』

 鬱蒼とした森に、仄暗い声が響いた。


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