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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第八章

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124、修羅の道③

 少女と二人、静かな夜に会話した。

 翡翠の瞳が、何度も何度も、昔のように、忌まわしいと言われてきた瞳を嬉しそうに覗き込む。

 ――時が止まればいいのに、と何度思ったかわからない。

「……姫」

「なぁに、ルロシーク」

 歌うように囀る声で呼ばれる名前が、嬉しかった。

 彼女の笑顔を曇らせるようなことはしたくなかった。しかし、いつまでもそうしているわけにもいかない。

 最後は、自分から切り出さずにはいられずに、ついに本題を口にする。

「何故――クルサールの申し出を、拒否されるのですか」

「お前――……知っていたの」

 翡翠の瞳が驚いたように瞬き――ふっと少しだけ笑顔が曇る。

 ズキン……と胸が、痛みを発した。

「……疲れて、しまったのよ。もう。色々なことに」

 窓の外の星空を見上げてポツリとこぼされた虚ろな言葉は、少女の隠されていた本音のようにも思えた。

 しん……と静寂が部屋を満たす。海の底に沈んだような、耳が痛くなるほどの静けさが充満していた。

「……内緒よ。お前は『特別』だから、教えてあげる」

 ふ、と少女の美しい面に宿ったのは、深い深い寂寥を湛えた笑みだった。

 ぎゅ……と固く拳を握り締める。

「どうして――……」

「だって――今の私に、生きていても楽しく愉快な事なんて、無いと思わない?」

 哀しい哀しい笑みのまま、力無く少女は語り掛ける。

 出逢ってから初めて――少女の本音を、見せてもらっているようだった。

「お兄様たちからは、これからもきっと、ずっと、恨まれる。――私が息をしている限り、ずっと、ずっと、私の首を落としたいと思うような方々ばかりよ」

「姫――……」

「クルサール殿と結婚したとて、結局女である私は物扱いだわ。彼はきっと、国を治めるよき助言者として私を欲しているだけ――私を愛しているわけではない。民に好かれ、民を良き方向に導くのに最適な妃という存在を欲しているだけよ。私個人を見てくれているわけではない」

「ですが……」

「クルサール殿がどれほど心を砕いてくれたって、私には”神”の教えを信じることも、広めることも出来はしない。”神”に守られ、”神”を敬い生きてきた歴史をもつ国の民は、”神”を軽視する妃を受け入れるかしら?――受け入れるはずがないわ」

 ミレニアはそっと手元に視線を落とす。長い漆黒の睫毛が、白い頬に影を作った。

「知り合いもいない遠い異国の地。逆立ちしても理解のできない風習。民の理解も得られず、生涯ずっと、針の筵に座らされることがわかっているそこに嫁いで――私は、何を”幸せ”として生きればよいのかしら」

 ぽつり、ぽつりと弱音が零れ落ちていく。

 きっと、十五年間――誰にも零すことのできなかった、彼女の弱音。

「紅玉宮の皆は、素晴らしい従者ばかりよ。昔から仕えてくれていた者たちも――今、仕えてくれている者たちも。生きる意味がわからなくて、人生に疲れてしまった私に、必死に毎日を豊かにしようと努力してくれる。一生懸命、私の笑顔を作ろうと、毎日毎日努力してくれる」

 そう言って、寂しげな笑みを浮かべる。

「でもね。……どうしても、心から笑うことが、出来ないの。彼らのためにも笑わなくては、と思うのに――出て来るのはいつも、”主”としての笑みばかり。――――お前が傍にいてくれた頃のように、心から笑えることは、無くなってしまったわ」

「!」

 クス、と吐息だけで笑みを漏らす。

 翡翠の瞳が、揺れていた。

「国のため、民のため、私に仕えるたくさんの従者のため――そう思って、これが最善なのだと、断腸の想いでお前をお兄様の元へやったのに。――今更、毎日後悔するわ。お前のこの美しい瞳を見られなくなって、私の毎日は彩を無くしてしまったの」

 ドクン……と心臓が音を立てた。

「だから私は、『誇り高い死』を受け入れたいの。国のため、民のため――私の我儘のために、ここで、彩を無くした日々を、終わらせたいのよ」

 言い切って、カップの中を飲み下す。冷え切った紅茶が、身体に染みわたって行った。

「……駄目ね。従者の前で、弱さを見せるなんて、主失格だわ」

「姫――」

「ゴーティスお兄様の元はどうかしら。少し短気なところは玉に瑕だけれど、ああ見えて、一度懐に入れた人間に対する情は、驚くほど篤い方よ。ゴーティス殿下のためなら、と言って戦場で命がけの特攻をするのも厭わぬ、という兵士が沢山いる方だから――」

 にこり、とミレニアは笑いながらロロを見る。

 ――見慣れた”主”の微笑み。

「私などより、よほど優れた”主”だわ。資質もある。能力もある。私のところにいたときよりも、お前も己の力に合わせた仕事をもらえているでしょう。東の森の魔物討伐で目覚ましい成果があったと聞くときは、大抵お前が出兵したときだと聞くわ。素晴らしいお兄様の元で、たくさんの活躍の場を与えられ――お前も、働き甲斐があるでしょう」

「っ……そんなはず――あるわけがない――……」

 ぐっと頬を苦悶に歪め、ミレニアの言葉を否定する。

 少女にそんなことを言われるのは、苦痛以外の何物でもなかった。

「ぇ……?」

「俺の”主”は――姫だけです」

 ぎゅっと無意識に、胸の首飾りを握り締める。

「俺は、ゴーティス殿下のために死ぬことは出来ない。泥水を啜って、醜く足掻いて、ただ生き残るために毎日必死に息をします。虫けらのように、醜く、汚く、生きるしかできない」

「ロロ……?」

「俺が、”人”として生きることが出来るのは――アンタの傍にいるときだけだ――」

「――――!」

 ミレニアの瞳が、大きく見開かれる。

「勝手に俺の幸せを決めないでください。俺の幸せは、俺が決める。――俺は、ゴーティスのために死ぬことは出来ないが、アンタのためなら命を捨てることも厭わない。アンタのために生きて、アンタのために死ぬ。――それが、俺の、幸せであり、俺の生きる価値だ」

「ロロ……」

「……笑ってくれ。頼むから――生きて、幸せそうに、笑っていてくれ。アンタを失ったら、俺も、生きる意味を失う」

「!」

「どんな形でもいい。――俺は、アンタに、生きていてほしい」

 後悔をしているとしたら、自分の方だ。

 どうして、あの時――自分から、少女の元を離れるなどと言ってしまったのか。

 日常から彩が無くなったのは、自分も同じだ。少女が傍にいない毎日は、ひどく味気なくて、つまらなくて――生きている意味すら、よく分からない。

「……私、ね」

 しばしの沈黙の後――そっと、吐息に音を乗せるようにして、ミレニアが息をひそめて囁く。

「亡くなったお父様に、約束したの。お前を手に入れるとき――これが、人生で、最初で最後の我儘だと」

「……?」

「だから、私にはもう――我儘を言う資格は、残されていないのだけれど」

 ぎゅっと小さな手を握ってから、ゆっくりとロロを見上げる。

 今にも泣きそうに、翡翠の瞳が揺れていた。

「もしも、一つだけ――あと一つだけ、我儘が許されるなら――私、やっぱり、お前が欲しいわ」

「――!」

「もう一度、お前を傍に置きたいの。――今度はもう、手放さないと、約束するから。ずっと、ずぅっと、お前と一緒に生きていきたいの」

「姫――」

「お前が毎日傍にいてくれるというのなら――針の筵にも、笑いながら座ってみせるわ。愛のない結婚も、お兄様方からの憎悪も、何もかも受け入れて見せる。――お前が、私の人生の”幸せ”になってくれるなら」

 吐息を震わせ、少女が声を紡ぐ。

 身体が勝手に、動いていた。

 ミレニアの足元に膝をつき、最高位の礼をする。

 五年前のあの日と同じ――生涯違えぬ、忠誠を誓う。

「貴女は一言、命じればいい。俺は、貴女の――貴女だけの、騎士です。姫が命じれば、俺はどんなことも、命を賭して叶えてみせる」

「ロロ――」

「どうか、命令を。――また、あの日のように、俺に命じてください。それが、俺にとって、何よりの喜びであり、幸せなのだから――……」

 瞳を閉じて、首を垂れる。

 今すぐ少女に首を討たれても構わない、という全幅の信頼と忠誠の証。

「っ……生涯ずっと、私の――傍に、いて」

「はい」

「一生、ずっと、私の傍で――ずっと、ずっと、私を守りなさい」

「はい」

「もう二度と――傍を離れたりしないと、約束して」

「――はい。必ず。――――いついかなるときも、必ず、貴女の、お傍に」

 静かに星が瞬く夜――

 誰もいない二人の世界で、固い約束が交わされた。


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