121、逃亡の日々⑧
ぐるりと野営を全て見回り終えて、そろそろミレニアのテントへと向かおうかと思ったとき――
通りかかったテントの中から、その会話が聞こえてきた。
「おい、まだかな」
「馬鹿言うな、さっきヒュード殿が向かったばかりだろ。いくらあのお坊ちゃんでも、そんな早くねぇだろ」
「ぅ~~~~、早くしてくんねぇかな。もう俺、我慢出来ないんだけど」
(……?)
下品な声で数人の男たちがガハハと下卑た笑い声で笑っている。何の気なしに、足を止めて会話を聞いた。
「俺、実は皇城にいたころから、密かにずっといいなって思ってたんだぜ」
「そりゃ全員同じだろ。肌と瞳の色はちょいと可笑しいが、どこからどう見ても絶世の美少女だ。カルディアスとの縁談が反故になって、冷遇されてるお姫様を見て、じゃあ俺にくれって思ってるやつはそこら中にいたはずだ」
「あぁ。成長するにつれてどんどん美人になってくしな」
(――――!?)
テントの中の下卑た会話の中心が、己の敬愛する主であることを知り、ロロは驚愕に目を見開く。
「くっそー……ヒュード殿も酷いぜ。自分ばっかり楽しみやがって」
「まぁそう言うな。あのお方の不興を買えば、すなわちゴーティス殿下の不興を買うことにもなる。どんなにバカ息子でも、大事な血統だ。俺たち下っ端は、大人しく言うこと聞くしかねぇだろ」
「でも、いいのか?さすがに今回の件、元帥閣下にばれたら、俺たちも処罰されるんじゃ――」
「なぁに、大丈夫さ。元帥閣下がミレニア姫を嫌っているのは公然の秘密だろう。後からばれたって、見て見ぬふりをされるだけさ」
何やら会話の流れが不穏だ。
じっとテントの外で聞き耳を立てるも、ドッ……ドッ……と心臓が嫌な音を立てて暴れ始める。
「ちょうどイライラしていたとこだ。長期遠征に慰安の娼婦を同行させるのは常識だろ?」
「違いねぇ!家族のいない独り者のはけ口に、あんな美女がなってくれるとしたら、そりゃたまんねぇな!」
「あんな極上の、初物だけはヒュード殿に献上っていうのが納得いかねぇが、なぁに、一回終わればすぐに声をかけてくれるらしいから、俺たちはここでしばらく待ってれば――」
最後まで聞いてはいられなかった。
全力でミレニアに割り当てられたテントに向かって駆け出す。
(甘かった――甘かった、甘かった、甘かった――!)
先ほどの舐るようなヒュードの視線を思い出し、ギリリッと奥歯が軋む。
血気盛んな軍人たちには、欲望のはけ口が必要だ。
だが、ここに追従している女たちは皆、誰かの妻か娘なのだろう。きっと、身分が高い上官の家族ばかりのはずだ。そんなものを、下っ端の独り身の男たちが性欲解消のために抱けるはずがない。
そんなところに――格好の獲物が転がり込んできたのだ。
若くて、目が覚めるほど美しくて――どれ程雑に扱おうと、立場上、決して男たちに逆らうことが出来ない、哀れな獲物が。
「っ――姫!!!!」
口をついて出たのは、呼び慣れた方の呼び名だった。
無我夢中で、転がるようにミレニアのテントへと突入し――
「――――!」
我が目を疑う。
「んんんーーーーー!!!!」
そこには、猿轡を噛まされ、衣服を乱されながら男に馬乗りになられた状態で必死に抵抗する少女がいた。
「チッ……黙れよ、クソ女!」
ガッ
馬乗りになった男――ヒュードは、力任せに拳で少女の顔を殴りつける。
「!」
ぶちんっ……
脳裏で、何かが弾け、一瞬で脳みそが沸騰するのが分かった。
「貴様――!」
ゴッ
「な――ぐはっ……!」
細かいことなど、何も考えられなかった。ただ、目の前の状況に、脊髄反射で反応する。
馬乗りになっていたヒュードを渾身の力で蹴り飛ばし、追いすがって二度、三度と頬を殴りつける。
手加減などしている余裕はなかった。振り下ろした拳に、男の顔の骨が砕ける感触があったが、関係なかった。
「ぐっ――ガハッ……」
ヒュードも全力で抵抗を示す。さすがに鍛えられた軍人だ。バタバタと暴れて、ロロの下から無理矢理抜け出した。
「クソっ……覚えてろ――!殺してやる――!」
ぼこぼこに殴られた顔のまま捨て台詞を吐き、這う這うの体でテントから逃げ出す。
追いかけようとして――ハッと我に返り、ミレニアを振り返った。
「姫!!!」
「っ、ぅ……ひっ……っく、ぅ……」
ボロボロと泣きながら、必死に乱された衣服をかき集めて蹲る少女に駆け寄る。
猿轡を外して、己のマントでぐるりと身体を覆った。
「申し訳ありません――!」
「ろ、ロロっ……ロロっ……ひっく……ぅっ……」
ガタガタと震えながら、真っ青な顔で号泣する少女を安心させるように抱きしめる。
「大丈夫です……!大丈夫です、俺がいます。二度と、こんなことにならぬよう、決してお傍を離れません」
マントの上からきつく抱きしめると、肩口にボタボタと熱い涙が染みていく感触があった。
いつだって気丈な顔を崩さなかった少女を、こんな風に泣かせてしまった罪悪感に胸が締め付けられる。
「嫌……嫌……もう、嫌――!」
「姫――っ!」
「もう嫌――こんな、こんな扱いを受けるなら、もう、死んだ方がマシだわ……!」
「姫っ……!」
少女の言葉に胸が刺し抜かれる痛みを感じながら、ぎゅぅっと抱きしめた。
「必ずお守りします……!だから、どうか――」
「嘘つき!!!」
ロロの言葉を最後まで聞かず、ミレニアは叫んだ。
「た、助けてって言ったのに!叫んだのに!守るって言ってたくせに――来てくれなかったじゃない!」
「それは――」
「我慢しろって、言うんでしょう……!?生き残るために、男たちの慰み者になれって、お前も、言うんでしょう!?」
「違う!!!そんな――そんなことは――!」
「どうせお前も――お前も、一番大事な時に、私を独りぼっちにするんだわ!」
紅い首飾りを渾身の力で握り締めて、翡翠の瞳に涙を浮かべながらミレニアが叫ぶ。
自分を真に守ってくれるのはこの首飾りだけだというように、しっかりと――
「っ――違う!!!!」
ぎゅぅっと渾身の力で少女を抱きしめ、反論する。
その言葉は――ロロの弱いところを、的確に射抜いた。
一番痛くて、弱くて――触れられたくない、傷。
「違うっ……違う――!俺は、絶対に離れない……!何があっても、絶対に、アンタを守る、守り抜く……!生涯、ずっと、俺が息絶えるその瞬間まで、傍にいる――いさせてくれ――!」
懇願するように、縋りつくように、少女の身体を抱きしめる。
初めて出逢った日から、ずっと、ずっと、それだけを胸に生きてきた。
このか弱い少女を守って、守り抜いて、いつか彼女の盾になって死ぬのだと――それだけを胸に生きてきた。
「叶えさせてくれないのは――アンタじゃないか――!」
「ぇ――……?」
激しい慟哭のような声に、ミレニアは思わず聞き返す。
「ロロ……?」
折れるほど強く抱きしめられた力に困惑しながら、そっと名前を呼ぶと――
「!」
サッと護衛兵の顔色が変わり、ミレニアを離して立ち上がった。
すぐに、腰に帯びている双剣へと手を伸ばす。
「な、何……?どうしたの……?」
「囲まれている――!」
「え――!?」
「あのクソ野郎……!腹いせに、軍人どもを使って包囲しやがったか……!」
きっと、先ほどテントの中で、ヒュードが終わったら次は自分たちだとせせら笑っていた軍人たちだろう。
すらり、と剣を抜き放ちながら、入り口に向けて構える。
「お嬢様。立てますか」
「え……え、ぇ……」
「もう、ここにはいられない。――奴らは、鬱憤を晴らす対象として俺たちを選んだようです」
きっと、ここにいる者たちのフラストレーションはとんでもないものだっただろう。一人の女を寄ってたかって力任せに犯そうとするくらいには。
国を追われ、家族を失った者もいるだろう。家を焼かれ、財産を亡くした者も多いだろう。
高温多湿の森林に逃げ込み、昨晩から一睡もせず行軍を続けてきたはずだ。敵に背を向けて逃げるしかない現実は、帝国軍人としての誇りをズタズタにされたことだろう。
その、鬱憤を――とにかくどこかに、吐き出したいはずだ。
その対象が、ミレニアであり――鼻持ちならない剣闘奴隷なのだろう。
(姫を犯されるくらいなら、俺を袋叩きにされる方が、何百倍もマシだ)
鬱憤が自分に向くのは好都合だ。それでミレニアを守れるなら、どんな虐待も喜んで受けよう。
「お嬢様。――落ち合う場所を覚えていますか?」
「え、えぇ」
「合図と同時に飛び出して、森へと逃げてください。俺が外の連中を引き付けます。気配から察するに、かなりの数がいるようです。普段から訓練されている軍人たちに、巧みな戦術を駆使して襲い掛かられれば、俺一人ではさばききれない。――貴女がここに留まっていては、その隙に、誰かが貴女をとらえて、また御身が危険にさらされる」
「っ――!」
先ほどの恐怖を思い出したのか、顔を青ざめさせてひゅっと息を飲む。
「完全に敵を蹴散らし、追っ手を撒いたら、俺も合流地点へと向かいます。必ず、向かいますから――それまで、安全な場所で、隠れていてください」
「わ、わかったわ」
こくり、とミレニアは緊張した面持ちでしっかりと頷く。ぎゅっとロロに着せてもらったマントを掴み、気丈に心を奮い立たせた。
「それでは、行きます。――――っ、今だ!」
合図とともに、テントから飛び出す。すぐにミレニアも飛び出した。
外に出た瞬間、ミレニアが駆けていく方向に向かって、無差別に炎を生み出し、一瞬ですべてを灰へと変える。
「走ってください!!!」
炎が通り過ぎた後をもたもたと一生懸命走り行くミレニアを背に庇うようにして、一斉に躍りかかってくる兵士たちを双剣で叩き落す。見れば、兵士たちの一番奥に、ぼこぼこに殴られ腫れあがった顔のまま、瞳に憎悪に満ちた光を宿したヒュードがいた。
「貴様だけは許さん――!」
ごぉっ!!!
ロロの感情に呼応するように、炎が軍団を飲み込む。慌てて水の魔法使いが消火するが、それを上回る勢いで業火をまき散らしていった。
急に始まった戦闘に、寝ようとしていた関係のない軍人たちも起き出してきたようだ。異常事態を見て、ロロが敵だと判断し、手に武器を構えて突っ込んでくる。
「ぁああああああああああああああああああっ!!!!」
泣く子も黙る軍国主義国家イラグエナムの、精鋭部隊を構成している軍人たち。
それをたった一人で相手にしながら、ロロは主を守るため、闇夜に向かって喉から咆哮を迸らせた。
――そして物語は、ふりだしへ――――……
第七章はこれで終わりです。
ここまで読み終わったら、一度プロローグを読み返すことをおススメします。
第八章は、プロローグ後の時間軸から始まります。




