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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第七章

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120、逃亡の日々⑦

(あれで、良かった――良かったんだ……俺は、間違っていない……)

 去っていくミレニアを見送った後、ロロは自分の足で野営地点を見て回りながら考える。

 もしも今、クルサールの手の者たちが襲撃してきたとき、どこから逃げ出すべきか――自分が考えるべきは、まずはそれだ。

(敵は、クルサールだ。イラグエナムの生き残りではない。まして、姫の――お嬢様の、血縁じゃ、ない)

 ぐっと拳を握り締め、ゆっくりと野営を見て回る。長期遠征用のテントは、雨風をしのぐには十分すぎる造りだ。混乱の最中、よくぞこれだけの数を持ち出せたと感心する。おそらく、ゴーティスは着の身着のままで逃げ出しただろうが、後から合流した部下たちが、精一杯の整備を揃えてやってきたのだろう。

(お嬢様がゴーティスに保護されれば、とりあえずは安心だ。ここの兵士たちは皆精鋭ばかりで、クルサールの戦力を持ってもそうやすやすと突破は出来ない……)

 一騎打ちであれば、あの謎の身体能力を持ったクルサールを打ち破るのは難しいだろうが、集団戦となれば、大陸最強の名を恣にする、ゴーティスが指揮する帝国軍が負けるとは思えない。それは、魔物討伐で何度も共に出兵したロロが一番よくわかっていた。

(彼女の意にそぐわぬとしても――それでも、生き残るのが、まずは最優先なのだから――)

「っ……」

 脳裏に先ほどの光景が蘇り、思わず足を止めて拳を握り締める。

 ミレニアを差別の対象として蔑み、汚らわしい獣のような情欲に塗れた視線で舐め回すように眺めていたヒュード。

 本音を言えば、すぐにでも、蹴散らしたかった。

 清廉潔白な泉に住まうミレニアに、穢れ切った眼差しを向けること自体が、ロロの嫌悪を呼び起こした。敬愛する主を邪な視線で嬲られることに、とても耐えられなかった。

 それでも――断腸の思いで、耐えきった。吐き気を催しそうになりながら、必死に耐えた。

 どんな綺麗事を言おうとも、今のミレニアに、縋れる先は、兄のゴーティスしかいないのだ。

 ゴーティスが興す新しい国でしか、クルサールの執拗な魔の手から逃れる術はない。

 それを――ロロは、誰よりもよく、理解していた。

(大丈夫だ……ゴーティスは、短気でお嬢様を嫌っていることは確かだが、阿呆な息子と違って優秀だ。帝国を乗っ取ったクルサールとやり合うのに、俺という戦力を手に入れる機会を棒に振ったりしない。お嬢様をそれなりに地位のある軍人と結婚させて、俺を意のままに操ろうとするだろう。……あのバカ息子のように、お嬢様を娼婦のように扱うことなど、しないはずだ)

 きっと、感情の面だけで言えば、ゴーティスはミレニアを娼婦扱いしたところで何の異論も示さないだろう。血統を残すために男たちにかわるがわる慰み者にされたとしても、同情の一欠けらさえ持たないに違いない。

 だが、ミレニアが泣いて嫌だと叫べば、ロロが黙っていないことを、彼はよくわかっていた。

 ロロは、愛国心など欠片も持っていないのだ。かつての上流階級である貴族たちに、憎らしい気持ちすら持っている。

 ロロが従順に従うとすれば、ミレニアを大切に保護すると約束されているときだけだ。ミレニアをゴーティスが外敵からしっかりと保護するという約束の代償に、ロロはゴーティスの望み通りに動く。

(だから、耐えろ――耐えるんだ……ゴーティスが言っていた、”安全地帯”とやらまでお嬢様の命を紡げれば、全ては解決する。その間、多少あのクソ野郎から下品な視線を投げられようと、関係ない。心を無にしてやり過ごせ。不興を買わず、このキャンプを追い出されぬように――)

 ギリギリと握り締める掌に爪が食い込んで痛みを発する。

 ここを追い出されれば、ミレニアに行く当てはない。帝都に戻ることも出来なければ、ゴーティスの元に身を寄せることも出来ない。どれだけ大陸を逃げ回ったとて、物資が尽きれば街に降りざるを得ない以上、いつまでも根無し草のように放浪していては、あのミレニアを殺すことに掛けて尋常ではない執着を見せるクルサールの魔の手を逃れることなど出来ないだろう。 

『いいの。――お前の考えは、わかったから』

 ミレニアの、冷たい声が耳の奥で蘇る。

 胸が、刃で刺し抜かれたように痛んだ。

 ミレニアにとって、ロロは、いつだって彼女を守ってくれる存在だった。どんな時も、ミレニアを守る最強の盾であり、剣であるはずだった。

 そのロロが、ヒュードに不遜な態度で言い寄られても、口出しをしないと意思表示をしたのだ。

 あの冷たい声は――失望、だろう。

「っ――……!」

 ギリッ……と奥歯を噛みしめる。

『――貴方は、ミレニア姫の『騎士』になれますか?』

 いつか聞いた、この世で一番憎い男の声が脳裏に響く。

「黙れ――っ……いつか、必ず――刺し違えてでも殺してやる――クルサール……!」

 呻きながらぎゅっと服の下に仕舞い込んだ翡翠の首飾りを握り締める。

 ミレニアを安全地帯へと匿い、後顧の憂いを断ったならば。

 ゴーティスの指示などあってもなくても、ロロはあの男の首を取るため、一人あの皇城へと舞い戻るだろう。

 あの男を殺さない限り、ミレニアの安全は絶対とは言えない。

 主の安全を”絶対”のものにするため、ロロは、かつて”ミレニアの色”と称したこの胸元の宝石だけを死出の共にして、単騎でも過酷な敵地のど真ん中を駆け抜ける。

(――――大丈夫だ)


 ――――彼を仕留めるやり方は、もう、嫌というほど、知っているから。


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