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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第七章

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119、逃亡の日々⑥

 ラウラの情報はどこまでも正確だった。日が暮れるころにたどり着いた野営地点には、見覚えのある軍服姿の者たちも多く、彼らの家族らしき女子供も散見された。

 誰も彼も目は落ちくぼみ、悲壮感を漂わせ、世の中への怨嗟がその場所にはじっとりと渦巻いているようだった。

「……生き残ったのか。……よりによって、貴様が」

 案内された先――野営キャンプの一番最奥で再会した血を分けた兄は、酷く憎々し気に呻いて見せた。

「はい。……他の兄姉たちは、皆、城門に首を晒されているか、順次捉えられている最中でしょう。私たちの首も、いつそうなってもおかしくありません」

「っ……」

 ギリッ……とゴーティスは固く拳を握り締める。威厳のある帝国軍元帥は、祖国を追われおめおめと逃げざるを得ない現状に、今にも触れればざっくりと斬れるような空気を纏っていた。

「それで……肌の色を偽り、我らの仲間になろうと、浅ましくすり寄ってきたわけか、貴様は――!」

「……これは、帝都から逃亡するために必要だっただけのこと。お兄様に受け入れてほしくてやっているわけではありません。普段の肌の色の方がよいというのであれば、すぐに戻します」

 ガンッ

 簡素な即席の机を力任せにゴーティスの拳が叩く。

 大きな舌打ちをして感情を発露させた後、大きな深呼吸をして、ゴーティスは努めて冷静になろうとした。

「……いいだろう。どれほど憎い血が入っていようと、確かにお前は、残り少ない我が皇族の血を引いた女だ。――帝国最強の武人をこの野営まで引き連れてきたことは、褒めてやってもいい」

 睨むようにロロを見る視線は、王者の風格だった。ギークなどよりよほど、玉座が似合う男だろう。

「優秀な軍人を、何人も失った。今は、猫の手でも借りたい。――貴様を、イラグエナムの末席に加えることを許してやろう」

「……もったいないお言葉ですわ」

 ミレニアは、瞳を伏せて全く嬉しそうではない表情で呟く。

 それが、女であるミレニアの正しい扱われ方だ。蛇蝎のごとく嫌われているだけのことはある。

「ザナドは俺を逃がすため――ガントは息子のヒュードを逃がすため、卑劣な敵の手に堕ちた。もはや、綺麗事は言っていられん。俺がこの手で、最強の軍国主義国家イラグエナム帝国を再興し、必ず憎きあの男の策略の前に散って行った者たちの無念を晴らす」

「そうですか……ガント大尉も……」

 もともと、ミレニアの護衛の任を務めていた熊のような大柄な男を思い描いて、ゆっくりと瞳を閉じる。

 父と違って愚かなヒュードの補佐官に任じられていたガントは、それでもあの正義感の塊のような性格で、最期の最期まで任務を果たしたのだろう。

 かつての部下の勇敢な最期を思い描き、ミレニアは小さく震える吐息を吐いた。

 本当に――この世は、生きているのが嫌になるようなことばかりが起きる。

「安全地帯にまで逃げ込んだら、お前の処遇を決める。――しかるべき男と、死ぬまで奴隷のように我が血統の子供を産み続け、その血を絶やさぬことだけを心掛けろ。良いな」

「…………」

 およそ妹に掛ける言葉とは思えぬ言葉を発し、ゴーティスは踵を返す。

「お嬢様……」

「いいわ。わかっていたことだもの」

 控えめに、気遣わし気な声を上げた護衛兵を手で制し、ミレニアも立ち上がる。

 ミレニアの安全を保護してもらう代わりに、ゴーティスの目的を叶える。誇り高きイラグエナム帝国の皇族の血を後世に伝える。

 子供を産む道具のように扱われることなど、ここへ来る前からある程度想定はしていた。

 それでも――今のミレニアにとって、一番安全なのは、この場所だ。曲がりなりにも血を分けた兄がいる、この野営だけなのだ。

「行きましょう」

 気丈な横顔に、全ての感情を押し殺して、ミレニアはゴーティスのテントを出る。

 外には、屈強な軍人たちが何人もいて、周囲を見張り、常に警戒しているようだった。これだけの厳重な警戒態勢であれば、クルサールの手の物がやってきても、撃退することも十分可能だろう。統率の取れたよく訓練された精鋭の軍人ばかりが、ここには残っている。

 ミレニアのために割り当てられたテントに向かう途中――

「おい。止まれ、小娘」

「――――」

 威圧的な言葉が飛び、足を止めてゆるりと振り返る。

 つい先ほどまで対面していた兄の面差しが感じられる男が、キラキラの階級章を付けた軍服を身に纏って、ニヤニヤとこちらを眺めていた。

「……ヒュード殿」

 嫌な奴に見つかった。――そう思いながら、ミレニアは従順に振舞い、軽く礼をして見せる。この一段の中で、ゴーティスとヒュードは、絶対の権力を持つだろう。彼らに逆らっても良いことはない。

「祖国を穢した異民族の血が入った小娘が来たと聞いてきてみれば――なんだ、その肌は?」

 クスクスと侮蔑の感情を込めた笑い声が飛ぶ。ミレニアはじっと耐えて頭を下げ続けた。

「顔を上げろ、小娘」

「……はい」

 すべての感情を押し殺した無表情で、言われた通り顔を上げる。

 ニヤついた顔のまま、ヒュードはミレニアのすぐ目の前までやってきて、くいっと顎を持ち上げた。褐色の肌を、至近距離から眺められる。

「ほう……?そうしていれば、お前もまるで帝国民の一人のようだな」

「……光栄です」

「ふん……さすがは国を傾けると言われた悪女から生まれた女だ。こうして帝国民に扮していれば、我ら帝国貴族の寵愛も得られるだろうに」

 ヒュードの下卑た視線が、ミレニアの顔を、身体を、舐め回すように這いまわる。

 腹の底から湧き上がってくる不快感を必死に顔に出さないようにしながら、ミレニアはぎゅっと奥歯を噛みしめた。

「くく……賢い女だ。そう。それでいい。我らに逆らえば、お前の命はない。皇族の血を引くというならば、俺も、姉上方もいる。別に、お前だけが特別なわけじゃないんだ」

「……はい」

「せいぜい、娼婦のようにあさましく男に媚びを売って生きることだな」

 ぶんっと乱暴にミレニアの顔を離し、去っていくヒュードの後ろ姿を、ミレニアは悔しそうに睨みつける。

「……ロロ」

「はい」

「私は――これから、こんな惨めな人生を余儀なくされるのかしら」

「――まずは、生きることが、全てです」

 苦い顔で、低く呻く。

 いつもなら、顎を掴まれた時点ですぐに間に入ってくるロロが入ってこなかった。

 ――それが、ロロの考えた、立ち位置なのだろう。

「そう。……そう。わかったわ」

 ミレニアは、ぎゅっと眉根を寄せてうつむく。

「お嬢様――……心中はお察ししますが、それでも――」

「いいの。――お前の考えは、わかったから」

 ぴしゃり、とロロの言葉を遮る。

「……ごめんなさい。しばらく、一人にして頂戴」

「――――…はい」

 苦悶に満ちた表情のまま、ロロは静かに頷く。

 ミレニアは、強い女の仮面をかぶったまま、一人で己に割り当てられたテントへと向かって行った。


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