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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第七章

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115/183

115、逃亡の日々②

「おい、そろそろ始まるらしいぞ!」

「本当か!?早く行こうぜ!」

 バタバタバタ……

 慌ただしい足音が次々と遠ざかっていくのを、じっと息を殺して物陰から伺う。

 辺りに人の気配が無くなったのを確認してから、ロロはそっと後ろを振り返った。

「大丈夫です。――参りましょう、お嬢様」

「え、えぇ……」

 きゅ……とロロに借りた黒マントのフードをしっかりと目深に被って、こくりと頷く。

 ロロに手を引かれ、導かれるがままに通りを全力で駆け抜けた。

「はぁっ……はぁっ……」

「辛いですか?……もう少しです」

「だ、大丈夫よ……」

 運動はからきしで体力のないミレニアは、少し全力疾走しただけで息を上げてしまう。何度も小休憩をはさみながら、少しずつ街を進んでいた。

 帝都への侵入経路は、東からだった。過去の襲撃で壊滅させられた地域は、復興が進み切っていないところも多い。瓦礫や、今にも倒壊しそうな建物も多く、不用意に近づく者は少ない上に身を隠せる場所が多いため、ロロはここから帝都に入ることを決めたようだ。

 危なげなく壊滅地域を通り抜けた後、人通りが多くなってくる区画に差し掛かると、こんな事態でもなければ生涯決してミレニアは近寄ることなどなかっただろう薄暗く汚い路地裏を選んで、人目や巡回の兵士の目を盗みながら目的地を目指して駆けて行く。

(意外と見つからないものね……ロロには、隠密の才能もあったのかしら)

 まるで、いつ、どこから兵士がやってくるか熟知しているかのように、ロロはすいすいと迷うことなく順路を選んで絶妙なタイミングで移動していく。

 今まで知らなかった護衛兵の才能に舌を巻きながら、息を整えて、ロロを見上げた。

「そういえば……さっきから、皆、どこに向かっているのかしら。何かが始まると言っていたけれど――」

「――……お嬢様にとっては、あまり、愉快なものではないでしょう」

 ロロの頬が苦く歪む。その表情で、何となく察した。

(あぁ――…そうか。皆が笑顔で駆けていくあの方向は――)

 少女が生まれ育った、この国の権威を示すようにそびえる城――昨夜、今までの歴史と栄光を全て道連れにして、地獄のような業火の中に沈んで行った、皇城だ。

(もうすぐ、正午の鐘が鳴る……それと同時に、発表するのね)

 きっと、集まった民衆を前に、クルサールが朗々と声を張り上げるのだろう。

 長く民を苦しめてきた、悪の一族は死に絶えたと――これからは、”神”の声を聴く”救世主”がこの国を治めるのだと。

 そして、あの、高い高い見慣れた城門には――昨夜討ち取られた、兄姉や彼らを取り巻く貴族たちの首が、無残にさらされているはずだ。

 ふるっ……と思わず身震いすると、紅い瞳が静かに見下ろしてきたのが分かった。

「……大丈夫。行きましょう」

「……はい」

 気遣わし気な視線に気丈に微笑み返すと、ロロはそれ以上何も言わずに頷いた。

 再びミレニアの細い手を掴み、路地裏を飛び出す。

 チラリとフードの下から視線をやれば、街中に、今日は建国祭かと疑いたくなるほど、あちこちに華やかな飾りが施されている。

 そして、その飾りの中に、デカデカと一緒に掲げられている、見覚えのある紋様があった。

(”聖印”――こんなにも、あちこちに……)

 街の住宅や店先のほとんどすべてに、その紋様が掲げられている。それを掲げている家の住民は皆、クルサールが唱える教えを信仰しているということだろう。

(たった一晩で、こんなにもたくさんの飾りを用意は出来ないはず……きっと、ずっと前から計画されていたことだったのね。……知らなかったのは、私たち皇族だけ。民を顧みることをしなくなった報いね)

 タタタッ……と少し長い距離を駆け抜けて、再び路地へと入り、身をひそめる。

 なんだか、酷く惨めな気分だ。

 自分や、自分の家族の死を、ここまで強烈に願い、神に縋ってまで救いを求めていた民がいた。着々と皇族を廃し、貴族を追い出し、国を再建するのは自分たちだと立ち上がる民がいた。

 知っているつもりだった。だが――甘すぎた。

 こんなにも、深刻だったのか。――我が国の、窮状は。

 無辜の民への懺悔と謝罪の念に駆られながら、ミレニアは必死にロロの後ろをついて行く。

 いっそ、断罪されたいとすら思う。――それで、民の心が救われるならば、命など惜しくはない。

 だが――

(……ロロは、決してそれを許さない。今、城に捕らわれている紅玉宮の従者たちも……)

 愛すべきたくさんの国民に報いたいという気持ちと、目の前の従者を哀しませたくないという気持ち。

 両者がせめぎ合って、結論が出せない。

 結果、答えを出すのを先延ばしにして、ただ言われるがままに、凄絶な覚悟を持った瞳でミレニアを導くロロについて行くことしかできないのだ。

 そのまま何度も走っては隠れ、走っては隠れを繰り返し――

「ろ、ロロ……っ……お前、どこへ行こうとしているの……!」

 ぜい、ぜい、と肩で息を吐きながら我慢の限界に達して尋ねると、当然のような顔で息一つ荒げることなく冷ややかな顔をした護衛兵が答える。

「もう着きます。――着きました」

「へ……?」

 そこは、帝都の路地裏にひっそりと構えている目立たぬ店。

 看板に描かれている文字と絵から察するに――

「お香の、店……?」

「はい。……ですが、表からは目立つので――こちらに」

「ぇっ……」

 手を引かれて、隣の建物との狭い隙間へと誘導され、面喰う。壁に背を預けるようにして横向きに進まないと窮屈なほどの隙間に、ミレニアは目を白黒させていた。

「お嬢様は、少しここでお待ちください」

「へっ!?……え、えぇ、わかったわ……」

 身動きを取りたくてもあまりとれない場所で言われ、なす術もなく頷く。ロロはそのまま一人でずんずんと先に進んでいった。

 確かにここなら、仮にミレニアの手配書を目にした人間が表を通りかかったとしても見つかるまい。追手がいたとしても、容易には危害を加えられないだろう。

 そこまで考えてのことなのだろうが、予定調和のように当たり前にことを運んでいくロロに、むっと口をとがらせる。

(ちょっとくらい相談してくれたりとか――というか、異常事態に順応し過ぎじゃないかしら?私は、現状を理解して頭を整理するだけで精いっぱいなのに)

 神童と呼ばれた頭脳よりも早く状況を察してことを運ぶ従者に、少し面白くない感情がよぎる。

(今や「姫」より「お嬢様」の方が呼びやすそうなくらいだわ。最初は、あんなに呼び辛そうにしてたのに。順応が早すぎる――いえ、それとも、そんなに名前を呼ぶのが嫌なのかしら)

 少しいじけた気持ちで進んでいく逞しい身体を睨むように見送る。やり場のない思いを発露するように、ぷくっと頬を軽く膨らせた。

 自分と同じく黒マントのフードを目深に被った青年は、少し進んだ先で足を止め、軽く手を上げる。そのまま、傍にあった窓をコツコツ、と軽く音を立てて叩いた。

 しばらくして、カチャ、と鍵が開く音がする。

 建付けが悪いのか、ガタガタと音を立てて窓が上に引き上げられた。

 中から、豊かな黒髪を湛えた美女がゆっくりと顔を出す。

「一体、何――」

 ドッ

「え!?」

 驚愕の声を上げたのは少し離れたところからそれを見ていたミレニアだった。

 何もないつるりとした目の前の壁を足場にするように蹴り上げたかと思うと、黒いマントが空中を踊る。そのまま、一瞬顔を出したように見えた女の首関節を極めるようにして動きを制限しながら、狭い窓へと女の身体を押し戻すようにして無理矢理室内へと侵入したのだ。

(なっ――な、な、何が起きたの――!?)

 余りの早業に声を失ううちに、ドサッ……と二人分の体重が部屋の床に落ちたらしい音が聞こえ、ハラハラしながら耳を澄ませる。

「あらイヤだ。誰かと思ったら――随分ハードなプレイをお好みなのね、オニイサン。嫌いじゃないわよ?」

「今お前の減らず口に付き合っている暇はない。今すぐ建物の中にいる全員を追い出せ」

「嫌ぁね、営業妨害?――っ、つ――!」

「このまま利き腕を折られたら、しばらく調香作業は出来ないな。今日一日の売り上げと、数か月の店仕舞い、どっちがいいか考えろ」

(こ……怖い……)

 窓から漏れ聞こえてくるロロの声は、どこまでも冷酷で無慈悲だ。これをいつもの無表情で言っているのだとしたら、それはそれは凄みがあることだろう。

 いつもぴったりとすぐ傍にいても、視界に入ってくることすら稀で、そのまま気配も消すことがある寡黙な護衛兵の、普段あまり見ることのない一面を垣間見て、ソワソワしながらぎゅっと胸元の首飾りを無意識に握り締める。

「ふふ……余裕のない貴方も素敵。ゾクゾクしちゃうわ」

「言うことを聞くのか、聞かないのか」

「腕をミシミシ言わせながら言う言葉じゃないわね」

(な、なんでこの女の人、そんな状況なのに余裕たっぷりなの――!?)

 会話しか聞こえないミレニアは、理解の及ばない状況に頭を抱える。

 なんだかねっとりとした喋り方の女は、色気すら漂う余裕の声音だ。とても、腕を折られそうになっている状態とは思えない。

「貴方らしくもない……わかっているでしょう?私に言うことを聞かせたいなら――”痛み”なんて全く意味はない。……もっと、有効なのが、あるでしょう?」

「チッ……!」

 熱っぽい声音で囁かれ、苛立たし気なロロの舌打ちが聞こえる。

「結局こうなるのか――!」

「あら、わかっててやってたの?随分と焦らすのが上手く――んっ……」

 ドサッ……

(……ぁれ……?)

 再び何か物音がしたかと思うと、急に二人の会話が途絶える。

 時折何かくぐもった声がしたかと思えば、衣擦れらしい音が聞こえた。

(――――んんんんんんんんんん??????)

 ひくり、と頬が引き攣り半眼になる。

 何だろう。

 深窓の令嬢として大切に育てられ、男女の情愛には疎いミレニアでも、女に備わる第六感が囁く。

 ――さすがに、何か、おかしい。

「ちょ――ちょっと、一体何して――!」

 思わずビキッと額に青筋を浮かべて足を踏み出そうとすると、部屋の中でやっと会話が再開された。

「これでいいだろう、さっさと行け――!」

「ふふ、最高だったわ。後で続きをしてくれる?」

「クソが……!」

 再び盛大な舌打ちが部屋に響く。クスクス、と艶めいた吐息で笑う声がして、パタン……と扉が閉まる音がした。

 チッ……ともう一度行儀の悪い舌打ちが響いた後、足音が窓の方へと近寄ってくる。

 少し不機嫌な顔をした見慣れた美青年が、ぬっと窓から顔を出した。

「お……お前、今、一体何を――」

「申し訳ありません、お嬢様。人目につかぬうちにこちらへ引き上げますので、両手を上げてください」

「へっ!?」

 ミレニアの恨めし気な問いかけなど無視して言ってくるせいで、思わず目を瞬く。つい、言われた通り万歳をするようにロロに向けて両手を差し出した。

「――失礼します」

 ロロは窓から身体を乗り出し、ぎゅっとミレニアの身体を抱きしめるようにして優しく包むと、そのままひょいっと持ち上げる。

「――――ぁ――」

 抱き上げられ、身体が密着した途端、ふわりと香る、どこかで嗅いだことのある香り。

 甘ったるくて、ほんの少しでも鼻につく、男を惑わせる人工的な香の匂い。

 ――――いつも、ロロが”お遣い”に行く度に、その身に纏って帰ってきた香りだ。

「ひとまず、ここはしばらく安全です。敵にこの居場所が漏れることもないでしょう」

 小柄な少女を恭しく部屋の中へ降ろしながら言い、ふと、ミレニアの表情に気づいてロロは首をかしげる。

「……お嬢様?どうかされましたか?」

「――――――――――いえ。別に。……なんでもないわ」

 ぷぃっ

 不機嫌そうにむくれながらそっぽを向いて言うセリフではない。ロロの眉が怪訝そうに寄る。

(何よ……何よ、何よ、何よ……!)

「お嬢様……?」

「随分と信頼している相手のようね?」

「はい。今まで、ラウラの情報が誤っていたことは一度もありません。裏切られたこともない。今、この状況で、一番信頼のおける人物です」

「~~~~っ……あっ、そう……」

「……???」

 何やらますます不機嫌になった主に、疑問符を重ねる。

(名前で!!呼ぶのね!!!!その女のことは!!!!)

 悔しい。――悔しい。

 あまり人を頼ることをしないロロから、この緊急事態に真っ先に頼られるくらいの、絶大の信頼を得ていることも。さも当たり前のように、さらりと名前を呼び捨てで気軽に呼ばれていることも。

(でっ……でも、私の方が美しい、って言っていたわ……!そう、そうよ、確かにあのデビュタントの夜、ロロははっきりとそう言っていたわ……!)

 少なくとも、美貌だけは負けない。”第二の傾国”と呼ばれた母譲りの顔に自信を持って、キッと気丈に顔を上げる。

 自分ももう、十五歳になった。つい昨日、なったばかりだが、一応、帝国では十五を過ぎれば成人として認められる。自分も、一人前の女になったのだ。

(私だって、す、少しずつ、女性らしくなっているはずだもの……!いつまでも子ども扱いされる歳ではないし、む、胸だって、だんだん大きくなっているんだから――!)

 ロロと初めて出逢ったときの自分の外見がつるぺた幼女だったことが恨めしい。今はあの頃よりもぐっと大人っぽく成長したはずなのだ。ロロも、美しいと言ってくれた。自信を持っていいはずだ。

 ミレニアは、唯一ロロが明確にラウラよりも優れていると告げてくれた一言に縋り、必死に自尊心を保つ。先ほど窓から覗いた横顔は一瞬だけしか見えなかったが、あのお世辞が苦手なロロがはっきりと言い切ってくれたのだ。信じてもいいだろう。


 ――その後、部屋に帰ってきたラウラの大人の色香をむんむんに漂わせた、世界中の男を虜にするような美貌と完璧な身体つきに、ミレニアの最後の自尊心すら粉々に打ち砕かれるのは、時間の問題だった――


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