113、運命の夜⑦
硬い地面を感じながらの微睡みの中。
夢か現か、よくわからない世界を揺蕩っていた、その時だった。
「っ……ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
「――――――!!!?」
耳を劈く絶叫に、一瞬で意識が覚醒する。
バチッと目を開いて慌てて体を起こすと、驚くべき光景が目に飛び込んできた。
「ロロ!!?」
「ぁあああああああああああああああああああああ――!」
いつだって寡黙で、滅多に声を荒げることなどない男が、喉から絶え間ない絶叫を迸らせ、身体を折り曲げて頭を抱えている。
バチバチッ バチッ
感情に煽られているのか、眠る前は穏やかな最低限の炎を宿していた薪が、何度も小爆発を起こしては紅蓮の舌を立ち上らせるようにして業火を揺らめかせる。
「ど――どうしたの!!?」
尋常ではない様子に、慌てて跳ね起きて傍へ近寄る。
頭を掻きむしるようにして絶叫する青年の顔色は、尋常ではないほど真っ青だ。
「っ、ぐ――ガハッ――ぉぇっ……!」
びしゃっ……びしゃびしゃっ……
「ロロ!」
絶叫が止んだと思ったら、胃の中の物を盛大に吐き出し、再び苦悶に喘ぐ。
「ぁ……ぁああああ……」
「ロ――きゃぁ!」
ボボボボッ
ロロの周り、何もない空間に、炎が一瞬で顕現する。近寄ることが出来ず、ミレニアは小さな悲鳴を上げた。
何度か吐瀉物を吐き出しながら、それでも苦悶の叫びをやめない護衛兵に、ミレニアもさぁっと青ざめる。
(何――どうしたの……!?毒……!?まさか、クルサール殿の剣に、何か塗られていた……!?)
あの我慢強いロロが、ここまで藻掻き苦しむ様は、もはやそれしか考えられない。最悪の事態に、ミレニアは混乱する頭を必死に動かした。
(何の毒――!?症状は、嘔吐と――頭を押さえているから、頭痛……!?遅効性で――あぁ、この距離ではわからない……!)
「ロロ!炎を消して!近寄れない!」
「ぁ……ああああああ……ぐっ……っ……ガハッ……」
自分の絶叫と、凄絶な頭痛のせいでミレニアの声も耳に入らないのか、ロロはもがき苦しむばかりで揺らめく炎の障壁は消える気配がない。
それは、彼が話してくれた、労働奴隷から剣闘奴隷に堕とされた原因となった障壁。
命の危機に瀕して、まるで自分を守るように――幼いロロが無意識に作り出していた炎の障壁。
誰一人信じず、誰一人近寄らせない、という意思表示にも似たそれを眺め――ミレニアは一瞬ごくりと唾を飲んだ後、バッとロロから手渡され身に纏っていたマントを脱いで、広げた。
「ロロっ――――っ、ルロシーク!!!」
「――――!」
バサッ
マントで障壁を鎮火しながらロロを包み込むようにして、身体ごと青年の上へ倒れ込む。
「落ち着いて――落ち着きなさい、ルロシーク……っ!ルロシーク、お前を助けたいのっ……」
「ひ……め……?」
マントの下から、掠れた声がつぶやく。絶叫で、喉がやられたらしい。
ロロと出逢ってから五年――今まで聞いたことがないような、弱々しい声音。
やっと、こちらの声が届いたことに安堵して、ミレニアは体を起こしてロロを解放する。
マントの下から、生理的な涙を流していた紅玉の瞳がこちらを向いた。
焦点の合った瞳を見て、ほっと安堵の笑みを漏らす。
「よかった。落ち着い――キャッ!?」
ぐいっ
言葉の途中で、力任せに腕を取られ、抵抗する間もなくロロの胸の中に倒れ込む。
「ロロ――!?」
「っ……!姫――っ、姫、姫――!」
ぎゅぅぅううっと身体が折れてしまうのではないかと思うほど強い力で抱きしめられ、何度も、その存在を確かめるように身体のあちこちを武骨な手がたどる。
「姫――っ……」
はぁっ……と熱い吐息が耳元で漏らされ、困惑する。気のせいでなければ、吐息が湿っているようだ。
「ろ、ロロ……?ど、どうし――」
「――っ、守る――」
「ぇ?」
耳元で、押し殺したような声がして、思わず聞き返す。
ぎゅぅっと身体を抱きしめる腕が、ひと際強くなった。
「必ず、守る――絶対に――絶対に守る――!」
「ろ……ロロ……?ほ、本当に、どうしたの……?」
何度も口の中で唱えるようにして囁くロロの様子に、ミレニアは困惑する。先ほどまでの頭痛と嘔吐など忘れてしまったように、ただひたすらに「守る」と繰り返しながらミレニアを抱きしめるばかりなのだ。
しばらくして、やっと落ち着いたのか、ロロはゆっくりとミレニアを解放した。
「ロロ……?」
「姫――お嬢様」
「へ?……あ、え、えぇ」
先ほどまで、あんなに呼びづらそうにしていた呼称で呼ばれ、驚きながらうなずく。
「お前、身体は大丈夫なの?尋常ではない苦しみようだったけれど――」
「大丈夫です。少し――悪い、夢を、見ただけです」
「ゆ……夢……?」
とてもそんな様子ではなかったが。
苦しそうに言うロロは、ゆっくりとミレニアの頬に手を伸ばした。
まるで――その存在を、掌でしっかりと確かめるように。
「はい。――お嬢様をお守りできず、失う夢でした」
「え――」
「よかった。――よかった……」
はぁっ……と熱いため息は、安堵によるものなのだろう。
ミレニアは、困った顔で少し考えた後――ゆっくりと、己の頬を辿る手に、自分の掌を重ねた。
「大丈夫。大丈夫よ、ロロ。ルロシーク。……私はちゃんと、ここにいるわ」
「……はい。――はいっ……」
掠れた声が、震えながら返事をする。
紅の瞳の奥に、熱く燃える熱が宿っていた。




