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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第七章

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112、運命の夜⑥

 森の深い深いところにたどり着くと、ロロは馬を止めた。

「ここまで来れば、大丈夫でしょう。……大変申し訳ないのですが、今晩はここで夜を過ごしても良いでしょうか」

「えぇ、勿論。贅沢なんか言わないわ。ありがとう、ロロ」

 最初にロロが馬から降り、ミレニアの手を取ってエスコートするようにして地面に降ろす。乗り慣れていない馬上に長時間いたせいか、尻と腰が痛い。

「ここは……もしかして、東の森……?」

「はい。ここなら、追っ手もそうやすやすと追いかけて来られません」

「で、でも……魔物は――」

「このあたりの魔物は、度重なる出兵で殲滅されています。……仮に残党が残っていても、蹴散らします。森ごと焼き尽くしてでも。……ご安心を」

「そ……そう……」

 どうやら、この男の傍にいる限りは安全なようだ。ミレニアは気を取り直して、ロロの顔を見上げる。

「何か、手伝えることはある?」

「いえ、姫の御手を煩わせるような――」

「『姫』ではないでしょう」

 間髪入れず指摘され、ぐっとロロは言葉を飲み込む。

「――…お嬢様」

「ふふっ……ちょっと残念だけど、新鮮だから良しとするわ」

 これ以上なく苦い顔で呻くように告げる青年に笑ってしまう。よほど慣れないらしい。それでも、頑なに名前も愛称も呼べないと拒否するのはさすがの下僕根性だった。

「それで?……もう、私の身分は姫ではないのだし、これからはこうして野外で夜を過ごすことも出て来るでしょう。……でも私、本当に何もできないの。だから少しずつ、覚えて、慣れていくわ。だから、教えて、ロロ」

「……はい……」

 主の手を煩わせるなど、言語道断とでも言いたげなロロを先回りして黙らせると、男はしぶしぶうなずいた。馬に積まれていた荷から、シャベルを取り出す。

「……これには、レティがかけた魔法がかかっています」

「まぁ」

「穴掘りを土魔法使いのように楽にする魔法です。土が空気のように軽くなります。……これで、このあたりに、二人が寝られるくらいの穴を掘ってください。俺は、周囲を散策して警戒しつつ、薪を拾ってきます」

「えぇ、わかったわ」

「……このあたりには、獣の気配も敵の気配もなさそうですが――万が一何かあれば、全力で叫んでください。遠くには行かないので、すぐに駆け付けます」

「もう。……お前は本当に心配性ね」

 過保護な従者に呆れながら、クスリと笑う。

 ロロは、逃走用にと用意していた愛馬に事前に括りつけていた荷物から、漆黒に染め上げた針金を取り出す。木と木の間に渡して、鳴子の罠を仕掛ければ、仮に敵が接近したとしても気づくことが出来るだろう。夜の森で、この細く黒い糸を視認できる者などいない。

 周囲を警戒しながら、万が一の時の逃走経路まで考えつつ、罠を仕掛けながら薪を拾う。ふと振り返れば、ミレニアも慣れない作業に四苦八苦しながら、何とか穴を掘っているようだ。

(確か……このあたりに)

 ふと、見覚えのある抉れた木を見つけて、その下を手で掘る。ミレニアにシャベルを渡してしまったため、少し時間はかかったが、ほどなく埋められた革袋を見つけた。

 ほっ、と一息をつく。どうやら、今日まで誰にも見つからず掘り起こされることはなかったらしい。ずるり、と穴から革袋を取り出し、ミレニアの元に戻ると、ちょうどミレニアも穴を掘り終えたところだった。

「これでいいかしら?」

「はい、十分です。ありがとうございます」

 言いながら、穴の中央に薪を配置し、視線一つで火をつける。穴の中なので視認性は低いだろうが、念のため暖を取れる最小限の、小さく目立たない火にしておく。今が冬でなくてよかった。

「あの、ロロ……ここを掘っていたら、何か出てきたんだけど……」

「あぁ……それは、俺が事前に埋めたものです。危険なものではないので、ご安心ください」

 革袋を手にミレニアは目を瞬く。

「でも……結構重たいわ」

「まぁ……中身は、宝石類がほとんどですから」

「えぇ!?」

 びっくりして思わず手の中の袋に視線を落とす。そっと革袋の口を開くと、キラキラと眩い宝石類と傷薬が見えた。

「な、何故こんなもの――」

「逃走中に不測の事態が起きたときのことを考えて、念のために用意した物です。いくつか掘り起こされる可能性も覚悟していましたが、このあたりに埋めたものは無事だったみたいですね」

 言いながら、重たいと言われた革袋をひょいとミレニアから受け取り、自分が掘り起こした革袋も一緒に乱暴にドシャっと堀った地面に置く。金属がこすれる音がして、こちらも宝石がぎっしり詰まっていることが予想された。

「まさか、こんな事態になるとは思いもしませんでしたが――今となっては、不幸中の幸いです。しばらく軍資金には困らない」

「そ、そうかもしれないけれど……」

「腹は空いていますか?保存食なので、決してうまくはないですが、腹を満たせるものも少しはあります」

「い、いえ……結構よ」

「そうですか。では、明日の朝の食料にしましょう」

 どうやら、二つの革袋の内どちらかには保存食も入っているらしい。抜け目のないロロの事前準備が功を奏したらしかった。

 ロロはミレニアを火の傍へと誘導すると、バサッと一息に纏っている黒衣のマントを脱ぎ捨てた。

「ロロ……!?」

「お召し物が汚れます。汚くて申し訳ないですが、これを纏って寝てください」

「そんな、お前が寒さに凍えてしまうわ!」

「凍死するような季節ではありませんし、起きているつもりですので、大丈夫です。火も、朝まで絶えません」

「な――お前、眠らないの!?」

「?……はい」

 黒いマントを差し出すも受け取ってくれない主に疑問符を浮かべながらロロは頷く。

「そんな――今日は、お前の方が体力を使っているでしょう!」

「それはそうですが……もともと、不眠不休で働くのには慣れています」

「そんなの、五年前までのことでしょう!?」

「万が一があってはいけない。寝ずに番をするくらい、どうということもないです」

 いつも通りの無表情でどうということもなく言ってのけるロロに、思わず近寄る。

「馬鹿なことを言わないで。これから毎晩、そんなことを続けるつもり?そんなことでは、すぐに体力を消耗してしまうわ」

「ですが――」

「薬師の言うことを聞いて。診察するわ。屈んで、目を見せなさい」

 言いながら、ロロの腕を取ってぐいっと引っ張る。

「っ……」

「!――ちょっと!怪我してるじゃない!」

「……かすり傷です。こんなもの、舐めておけば治る」

「馬鹿!」

 おそらく、クルサールの猛攻をしのいでいた時についたものだろう。確かに深い傷ではないようだが、血が出ているのは確かだ。服に微かに血がにじんでいる。

 ミレニアは叱責しながら革袋を漁り、傷薬を取り出すと、迷うことなく唇を付ける。

「言ったでしょう。お前は、私の物よ。私の許可もなく、勝手に傷つけられたりしないで」

「…………はい」

 一瞬紅い瞳が何度かしばたたき――ふ、と緩んで頷く。

(全く……束縛されるような発言を聞いて嬉しそうな顔をするなんて、どこまで被虐趣味の塊なの……)

 普段、滅多に動かない表情筋がふわりと緩んだせいで、一瞬心臓がドキリと音を立てる。

 ごまかすように胸中でぼやきながら、傷薬の缶を開けた。

「傷口を見せなさい。他にもあるかもしれないから、服を脱いで」

「……本当に、大したことはないのですが」

「お前は、私を守るんでしょう。いざというときに傷が痛んで動けない、となったら困るのは私だわ」

 そう言われてしまっては反論は出来ない。小さく嘆息してから、一息に服を脱いだ。

 服の下から出てきた褐色の身体は、焚火にうっすらと照らされ芸術作品のように無駄のない筋肉美を晒していた。

「たっ……焚火に当たりながら、手当をしましょう。暗くては傷が見えないわ」

 普段見ることのない男性の身体にドキリとしてしまったことをごまかすように促すと、ロロは大人しく従ってくれた。

 ほ、と息を吐いて頭を薬師としての自分に切り替え、見事な身体を眺める。案の定、大小いくつかの紅い線が細々と入っているようだった。

「動きが阻害されそうなほどの大きな傷はないようね」

「はい」

「傷薬だけ塗っておくわ」

 人差し指に軟膏を取り、そっと傷口を辿るように指を這わす。パチパチと、穏やかな焚火の音だけが響いていた。

「……あの人、は」

「?」

「……お前より――強い、の……?」

 ぽつり……とミレニアの口から弱々しい声が漏れる。『あの人』が誰を指すか理解し、ロロは少し考えた。

「わかりません。……戦いにくい相手であることは間違いないです。特に、剣術は――妙な薬でもやっているのかと疑いたくなるほど、強い」

 過去、剣闘場で、商人によって薬漬けにさせられ、力の制御のリミッターを外されたような常軌を逸した相手と戦わされたことがある。クルサールと対峙したとき、その時の記憶がよみがえったのだ。

 クルサールの速さも、力も、まるで人類の限界を超えているようだった。

「そう……」

 ミレニアは長い漆黒の睫毛を伏せて、最後の傷に傷薬を塗り終える。

「……大丈夫です。俺がいるかぎり、貴女には、決して、傷一つ付けさせません」

「でも――でも、それじゃあ、お前が……」

「平気です。……俺の命は、貴女を守るためにある。貴女を守るために死ねるなら、本望だ」

 笑みすら湛えて言う青年に、ミレニアはぎゅっと唇をかみしめる。

「……お前は、私の物だわ」

 服を身に纏い始めたロロに、ぽつり、と小さくつぶやく。

「最初に言ったはずよ。勝手に傍を離れることは許さないわ」

「……はい」

 答える護衛兵の表情は、先ほどと同じく、穏やかに緩んでいる。

 ミレニアが彼に執着することが、そんなに嬉しいのか。

「さぁ、もう寝てください。体力は、回復出来るときに回復しておいた方がいい。次にいつ寝られるか、わからないのだから」

「それなら――やはり、お前も、寝るべきだわ」

 促される手を握り、ミレニアはまっすぐに紅い瞳を見上げた。

「先ほど、森に罠を仕掛けていたでしょう。敵の接近にはそれで気づける。だから、お前も少しでもいいから必ず眠りなさい」

「ですが――」

「命令よ。熟睡しなくてもいい。でも、お前も、必ずこまめに体力を回復させなさい。……私よりも、お前の方が、圧倒的に体力を使うことになるのだから」

「……はい」

 主の心配そうな顔を受けて、少し困ったような顔で、仕方なく頷く。ミレニアは見るからにほっとした顔をして、ゆっくりと固い土の上に横になった。

 パチパチと静かに焚火が燃える音がする。どこかで再び、フクロウが鳴いていた。

 今まで、ふかふかした布団でしか寝たことがなかったミレニアだが、さすがに色々なことがあって疲れていたせいだろうか。瞳を閉じると、焚火の温かな熱を感じるとともに、ゆっくりと睡魔が訪れる。

「おやすみなさい……ロロ」

「はい。……良い夢を」

 護衛兵の穏やかな声を聴き、すぅっと眠りの世界へ引き込まれていく感覚。

 真っ暗闇の森の中――小さな穴のなかで、焚火が燃える音だけが小さく響いていた。


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