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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第七章

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111、運命の夜⑤

 どれくらいの距離を走ったのだろうか。ミレニアは、馬上で身体を支える逞しい腕に守られるようにして、ただ、見知った温もりの黒衣へと身体を預けていた。

 頬を寄せて、瞳を閉じる。馬が駆ける振動に紛れて、微かに響く、確かな鼓動が耳に届いた。

(――生きている……)

 ぎゅ……と黒衣を縋るように握り締めて、心臓の音を追いかける。

 肉の壁でバリケードを築くようにして折り重なっていた血まみれの奴隷たち。自分たちを逃がすため、己の命を賭してくれた、たくさんの従者がいた。

(ロロも――……)

 あのまま、もし、レティの助けがなかったら――同じように、命を散らすまで、ミレニアの前で剣を振るって倒れたのだろうか。

 考えるだけで、恐怖がその身を襲い、ふるっ……と小さく身震いした。

「もう少し、我慢してください。――簡単には追いつけない距離と場所に着いたら、炎で暖を取りましょう」

「……えぇ」

 決して、寒いせいで身震いをしたわけではなかったが、従者の気遣いに小さく頷いて答える。

 たった数刻の間に、たくさんの出来事があった。

 信じていたクルサールの手酷い裏切り。燃え盛る皇城。ミレニアを逃がすため殺され、捉えらえた従者たち。

(疲れた――……)

 心が疲弊しすぎて、もう、何も考えられない。

 何を間違ったのか。どこで間違ったのか。

 せめて、従者たちを救う手立てはなかったのか。家族に危機を伝えることは出来なかったのか。

『さぁ、どうか。――貴女の首を、私に下さい』

 笑みさえ湛えて言ったクルサールの声が、耳の奥でわんわんと響く。

 ()()を差し出せば、よかったのか。

 そうすれば――もっと、助けられる命が、あったのか。

「ロロ――……」

「はい」

 ぎゅ……と縋るように黒衣を握り締めれば、いつも通りの低い返事が返ってくる。

「皆――私の首を、狙うのね……」

「!」

「昔から……私の存在自体が気に入らぬと、誰も彼もに言われてきたわ」

「姫――!」

 クルサールを、愛していたわけではない。

 それでも――母の祖国に、興味がなかったと言えば、嘘になる。

 彼らの国の神を信じる思想は理解が出来ないが、それでも、肖像画でしか見たことがなかった母が、どんな場所で育ったのか――生まれて初めて、自分と同じ肌の色を持つ青年を見て、想いを馳せたのは事実だ。

 母の育った土地もまた、帝国の一部なのだと――そこに住まう人々もまた、大切な民なのだと思っていた。

 属国という立場では、悪逆非道なギークに逆らうことが出来ず、代々続く国防のシステムすら破綻させられそうになっていたのを哀れに思った。

 まだ見ぬ土地で、生贄と呼ばれて、理不尽に命を奪われていく幼子たちを救いたいと、心から願った。

 愛の果てにある結婚など、空想上の出来事でしかなかったミレニアに愛を囁き、熱烈に求婚した青年の力になりたいと思った。

 クルサールを、愛していたわけではない。

 それでも――ミレニアなりに、クルサールに、エラムイドに、心を寄り添わせてきたつもりだった。

『そうですね。――最初から、計画していましたよ。皇城に夜襲を仕掛け、この国の皇族の全ての首を討ち取り、国家転覆を狙う、絶好の機会を』

(最初から――私たちの間には、何も、信頼できる関係は、無かった)

 ミレニアに近づいたのは、皇城や皇族の情報を効率良く得るためだろう。来る日に向けて、着々と準備していた。そのためにミレニアに近づき、利用したに過ぎない。

 紅玉宮の監視役などというものに手を上げたのも、体よく一年間、革命の準備をするために帝都に、皇城にとどまるための口実だっただけだ。

 ミレニアに囁いた愛も、共に熱く語らった君主論も――すべては、まやかしだったのだ。

「どうしてかしらね……こんな、無価値な命――欲しいなら、いくらでも――」

「姫っ!!」

 ロロの鋭い声が、ミレニアの言葉を制す。

 ぎゅっ……と力強い腕が、ミレニアの身体を抱きしめた。

「ロロ。……痛いわ」

「っ……」

 馬のスピードが落ちる。ゆっくりと腕の力が緩められ、顔を上げると、辺りは月の光の一筋も差さないうっそうとした森だった。

 しばらく、静寂が落ちる。ホー……と遠くでフクロウが鳴いていた。

「……姫」

「なぁに?」

 不思議と、あんな出来事の後なのに、不気味なほどに心は凪いでいた。抵抗するでもなく身体を支える護衛兵に体重を預けながら、虚ろな瞳で見るともなしに暗い森を眺めていく。

「姫は――難しく、考え過ぎです……」

「……?」

 何度か口を開く気配を飲み込んで、たっぷり言葉に迷った後、掛けられた言葉は、予想外だった。

 てっきり、馬鹿なことを言うなと、いつものように叱責をされると思っていたのに。

 虚ろな瞳を数度瞬いて、ゆっくりとミレニアは身体を預けていた青年の顔を見上げる。

 大好きな、美しい紅玉の瞳が、そこに確かに存在していた。

「……哀しいなら、泣けばいい。悔しいなら、怒ればいい。――それだけです」

「ぇ――」

「自分の感情を整理する必要なんてありません。ただ、心の赴くままに――貴女が感じたことを、そのまま、発露すればいい」

 翡翠の瞳が何度も瞬く。

 少し迷った後――ロロは、ゆっくりと身体を支えていた手を動かし、ミレニアの頭に乗せた。

 夜空に溶ける漆黒の髪を湛えた小さな頭が、男の無骨な大きな掌に包まれる。

「今日の貴女は、大切な従者を、理不尽に奪われたのです。将来を約束した男は、貴女の心を弄び、立場を利用し、欺き、最低の形で裏切ったのです」

「ぁ――…」

「貴女が、口では色々と言いながらも――本当は、家族を愛し、大切に思っていたことを知っています。どれほど相手に憎まれようと――貴女は、いつも、最後まで逃げ出すことはしなかった」

「!」

 兄たちが送った刺客に事故に見せかけて命を狙われたこともある。露骨な陰口をたたかれ、直接的に憎しみの言葉を吐かれ、最後には無残な形での死を望まれていたけれど――

 それでも、ミレニアは最後までギークに『上申』をした。

 ゴーティスやザナドと渡り合うほどの、大人顔負けの弁舌で、果敢に兄たちの嫌がらせにも立ち向かった。

 ロロに命じれば、簡単に紅玉宮を逃げ出すことが出来ただろう。紅玉宮に籠り切り、最初からすべての交流を断ち切ると言う手もあったはずだ。

 十二人もいる兄たちから、憎しみの感情を向けられようと――ミレニアは、いつだって、彼らに認められたいと、背伸びをして生きてきた。大人のようにふるまい、立派な皇族としてふるまい――自分も君主になるに相応しい器を持つのだと主張して、彼らの仲間に入れてもらおうと努力し続けた。

 すべては――愛情に飢えた幼いミレニアが、心の底で、望んでいたこと。

「っ……」

 生まれて初めて心の内を暴かれ、見透かされ――ミレニアは息をつめた。

 言葉にならない感情がこみ上げ、目頭がぎゅっと熱くなる。

 サラリ、と不器用な手が、夜空の色をした黒髪を精一杯優しく撫でた。

「俺には、家族がいないのでよくわかりませんが――姫は、難しく考えることなく、もっと、感情を、素直に出せばいいのだと思います」

「っ……ぅ……」

 ひくっ……と喉奥に何かがつっかえた。

 言葉の代わりに、熱い雫が、眦を伝う。

 決していい思い出があったとは言えない。――それでも、最後まで、愛を求めた人たちだった。

 その彼らは――もう、あの、城を包む炎の中に消えて行ってしまったのだろう。

 クルサールは、決してその血が生きながらえることを許さない。一人一人、確実に顔を確認して、首を刎ね飛ばし、城門に晒して、国民へ革命が成ったと、その首の数を数えながら伝えるだろう。

 ――革命は、皇族の全員の命を以て成功と言えるのだから。

「お、お兄様たちがっ……お兄様たちがっ……!」

「はい」

「ぅ……ひっく……ふ……」

 生まれて初めて、しゃくりあげるようにして、子供のように泣きじゃくる。

「悔しいっ……悔しい、ロロっ……悔しいっ……!」

「……はい」

「返してっ……私の大事な人たちを、返してっ……!」

 ドンッと八つ当たりをするように、逞しい胸板に小さな拳を叩きつける。

 『大事な人たち』の中には、今日、紅玉宮で命を散らした奴隷たちも入っているのだろう。

 生まれて初めて、感情を発露して泣きじゃくることを覚えた主の頭をぎこちなく撫でながら、八つ当たりを全て受け止める。

 そのうち、恨み言も尽きたのか、ただ、静かな嗚咽だけが腕の中から響いてきた。

 ホー……とどこかで、フクロウがなく声がする。

「……仮に、世界中の全員が、姫の死を心から願ったとしても」

 静かに嗚咽を漏らす主の旋毛に向けて、ぽつり、とロロはつぶやく。

「俺だけは、姫に、心から生きていてほしいと願っている。――それでは、貴女が生きる理由に、なりませんか」

「っ……ふ……ふふ……もう……」

 理不尽に命を狙われ、憎まれることに慣れるような人生を歩んできた少女を、口下手な彼なりに励まそうとしているのだろう。ロロらしい不器用な言葉に、ミレニアは泣きながら思わず笑みを漏らす。

「いいの?……もう、私は皇女ではない。何のとりえも持たない、ただの『ミレニア』なのよ?」

「……それで、心変わりする理由がわかりません。――姫は、姫です。俺が唯一無二と頂く生涯の主です」

「ふ、ふふ……全く……私はもう『姫』ではないと言っているのに」

 クスクス、と自然と笑いが漏れてくる。もう、イラグエナム帝国は今夜を持って崩壊するだろう。次は、クルサールが作る、新しい国家が出来上がるはずだ。その歴史に――皇女ミレニアの名前は、一切残らない。

 どうしてだろう。

 こんなにも、最悪で、最低な、真っ暗闇の夜の底なのに――

 なぜか、今が人生で一番、心が晴れやかだ。

「ねぇ、ロロ」

「はい」

「もう私は、『姫』ではないわ」

「?」

「きっと、追っ手もかかっていることでしょう。革命を完全に成したと喧伝するために、彼らは皇族全員の首を欲するわ」

「――させません。そんなこと」

 ぎゅっと守るようにミレニアを引き寄せたロロに、ふわりと笑みを漏らす。

「これから、二人で逃亡生活を送ることになるわね」

「……はい。姫には不自由を強いることになるかもしれませんが――」

「もう。私は『姫』ではないと言っているわ」

 すっ、とロロの唇に細い人差し指を当てて、口を封じる。

 ぱちり、と驚いたように紅い瞳が瞬いた。

「『姫』なんてうっかり人気のある場所で呼ばれたら、追っ手に気づかれてしまうわ。別の呼び方を考えましょう」

「――――……」

 ぎゅっとロロの眉間に一瞬で皺が寄る。この後の展開に察しがついたのだろう。

 ふふっ……とミレニアは嬉しそうに笑って、歌うように口を開いた。

「ミレニア――は、さすがにそのまますぎて、危ないわね。やはり、愛称がいいわ。ミリィ、か、ニア、がいい」

「――勘弁してください……」

「あら、駄目よ。私の命をしっかりと守ってくれると言ったのはお前だわ。危険が及ぶ可能性があるようなことを、お前は決してしないのではないの?」

「それは――そう、ですが――…ただ、名前を呼ぶと言うのは……」

「駄目よ。『姫』はとにかく禁止。――そうね、設定を考えましょう。兄妹――というのは、さすがに無理があるわね。外見が違いすぎるもの。では……そうね、駆け落ちしてきた恋人、というのはどうかしら」

「は――?」

「身分違いの恋の果てに、手に手を取って逃げる恋人のことよ。それなら、お前が普段から敬語で話してしまう言い訳にもなるし――」

「……主と、下僕。それでいいでしょう。そもそも事実です」

「お前……せめて従者と言いなさい」

 呆れ返ったミレニアのツッコミが入る。

 結局、やいのやいのと言い合った結果、ミレニアが高貴な出自の国外のお嬢様で、ロロは彼女に雇われた用心棒、という設定に落ち着いたのだった。

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