108、運命の夜②
(一体、何が起きている――!?襲ってきたのは、どの勢力だ――!?)
慣れ親しんだ紅玉宮の中を、ロロはジルバに教えられた通り、レティの部屋をめがけて一直線に走る。頭の中は、混乱で極まっていた。
クルサールとの逃亡計画が露見し、皇族の誰かが、逃がすくらいならとミレニアを殺そうと刺客を送ってきたのか。だとしても、青布並の実力を持つジルバや、数々の建設現場などの労働にも耐え抜いた屈強な身体を持つ労働奴隷たちを一方的になます切りにするほどの強敵を揃えられるとは思わない。
ならば魔物の襲撃か――と思えば、傷口は確実に、剣によるものだった。この線は消えるだろう。
(まさか、完全なる第三勢力だとでも――!?)
青布並の剣闘奴隷すら容易く凌駕する実力者となれば、自分もやすやすと切り抜けられるか怪しくなる。
状況がわからないまま次の一手を考える苛立ちに歯噛みしながら、ロロは目的の部屋を見つけて転がり込んだ。
「!」
ひゅぉ――
菫の鉢植えが揺れるその部屋は、既にバルコニーの窓が開け放たれ、冷たい夜風がカーテンを揺らしていた。
「レティは――!」
「大丈夫。きっと、ここを逃走経路にしたと言うことは、レティや、あそこにいなかった他の奴隷たちは、ジルバの指示で、ここから逃げおおせたはずです」
ジルバは風の魔法使い。己の危機に陥った時、風が届く範囲に残っていた奴隷たちに、風に乗せて声を届け、この抜け道を作って逃げるように指示したのだろう。
一番屋敷の奥にいた、一番声を届けたかっただろうミレニアとロロに届かなかったことは、皮肉としか言いようがない。
「しっかり捕まっていてください」
「えぇ……!」
ミレニアを抱き直すと、しっかりと頷きが返ってきた。
小柄な身体を抱きかかえ、バルコニーへと躍り出る。
ひゅぉおおおおお
まるで、深い渓谷の淵に立っているのかと錯覚するほどの風圧が二人を襲う。魔法で造られた人工的な風は、下から上へと吹き上げられており、落下の速度を軽減してくれるらしかった。
「行きます……!」
「っ――!」
ロロは、躊躇うことなく風の中へと身体を躍らせる。
ふわり、と奇妙な浮遊感が身を包み、吹き荒れる暴風が身体を支えて地上まで誘導してくれた。
トッ……と器用に着地の衝撃を足元で殺しながら、ロロは危なげなく地面へと降り立ち、ミレニアを降ろした。
そこは、いつか、彼女の父ギュンターが、彼女の母を想って作ったと言う、色とりどりの花が咲き誇る庭園だった。
「いいですか、姫。決して――決して俺の傍を離れないと約束してください」
「えぇ……」
こくこく、とミレニアは蒼い顔で頷く。次々と襲い来る現実に混乱しているのは、彼女も同じなのだろう。
「大丈夫です。――俺が生きている限り、貴女には傷一つ付けないと約束します。どんなことがあっても、命を賭けて、御身を必ずお守りすると、誓います」
「ロロ……」
ミレニアが、くしゃり、と顔を歪めそうになり――ハッ……と息を飲んで空を見た。
「?――何か……?」
「あれは――な、に……?」
ミレニアにつられるようにして、空を見上げて、ロロも絶句する。
日がとっぷりと暮れて、星が瞬くこの時間――
ミレニアが見上げた方角は、まるで、夕焼けか朝焼けの時間帯なのかと錯覚するほどに、赤々と夜空が照らし出されている。
「あの――方角、は――!」
「皇城――……!」
ミレニアは、ただ茫然と空を見上げる。
彼女の家族が住まう、その方角が、赤々と燃えている。
夕日と錯覚するほどの光量は――おそらく、城の殆どを包み込むほどの、火災だろう。
「そんな――どう、して……?」
「姫!」
腰を抜かしてへたり込みそうになったミレニアを、ロロが咄嗟に支える。
「どうして……城が、燃えて――お兄様たちは――」
「姫……!お気持ちはわかりますが、心を強くお持ちください!今は、どこに敵が潜んでいるかわかりません……!まずは、一刻も早くクルサールと合流して、逃走経路を確保し――」
「――そうですよ、ミレニア姫。そんなところでへたり込んでいる場合ではありません」
不意に。
男の声が、響いた。
「「――――!」」
バッ
双剣を一瞬で抜き放ち、ミレニアを背に庇う。声のした方角を睨み据え――虚を突かれて、一瞬、目を瞬く。
煌々と燃える皇城の灯りに照らされるようにして、ゆっくりと闇の中から歩み出てきたのは、真昼の太陽と見紛うばかりの見事な金髪の男。
「クル、サール……殿……?」
ミレニアの呆然とした声が響く。目の前の状況が、上手く脳みそで処理できない。
この一年、何度も和やかに会話した未来の夫は、いつもの感情の読めない完璧な笑顔を湛えて――その手に、血に濡れた抜き身の愛剣を携えていた。
「全く……貴女の人心掌握術は、本当に見事ですね。”仕様書”を見る限り、是非とも手下に引き入れたいと思った実力者が何人もいたのですが、この一年、ここへ足を運ぶついでに、何度それとなく誘いをかけても、誰一人『ミレニア様以外を主に頂くことはない』といって聞き入れてもらえませんでした」
「な……何、を……言って……?」
「挙句、圧倒的実力差を前に武力で蹂躙し、投降を募れば――反対に、徹底抗戦の構えを取って、命を捨てる無謀な特攻を繰り返すことで無理矢理前線を押し返し、肉のバリケードを作って籠城まで決め込む始末……流石にここまで来れば、私もあきらめざるを得ません」
言いながら、美しい顔で、残念そうに一つため息を吐く。
そして、ふっ……と剣を持つのと逆の手を掲げると、それを合図にしたのだろう。ザザッと奥から無数の兵士が現れる。
帝国の黒い軍服とは違う――白を基調にした、簡素な鎧を纏う兵士たち。
現れた兵士たちは、血まみれの男たちを魔封石のついた枷で拘束し、見せつけるかのように引きずってきた。
「っ……ジルバ!皆!」
見覚えのあるその血だるまの人影に、ミレニアの悲痛な声がこだまする。
「とても残念ですが――もはや、心変わりを望めぬなら……ここで命を散らしてやる他ないでしょう」
「貴様――!」
ごぉ――!
ロロの怨嗟の声と共に炎が渦巻き、瀕死の奴隷たちを引きずる白い兵隊へと迫る。
ジュヮッ……
しかし、寸でのところで、水の障壁に阻まれ、ロロの炎は掻き消えた。
「水の魔法使い――!」
「はい。貴方が、規格外の炎の使い手だと聞いていましたので、少し多めに用意しておきました」
クルサールは、穏やかな笑顔のままで語り掛ける。
視線を巡らせば、いつの間にか、ロロをに向かって手を掲げるたくさんの兵士たちが目に入る。彼らが水の魔法使いなのだろう。
「どう、して……クルサール殿――最初から――!」
ミレニアの呆然とした声に、クルサールはくすり、と笑みを漏らした。
「そうですね。――最初から、計画していましたよ。皇城に夜襲を仕掛け、この国の皇族の全ての首を討ち取り、国家転覆を狙う、絶好の機会を」
「――!」
「貴女の監視という名目で、公的に一年もの間、皇城に留まることが出来たのは幸運でした。おかげで、堂々と城の中を歩き回り、貴女のお兄様方の居住区や有している兵力までしっかりと把握することが出来ました」
ミレニアの顔が真っ蒼になる。
二の句が継げぬ少女に、クルサールは穏やかな笑みのまま口を開いた。
「何を驚くことがあるのですか、ミレニア姫。貴女がおっしゃったことでしょう。――自分の一族は、近い将来、必ず滅びる、と」
「ぁ――……」
いつか、クルサールとした問答を思い出す。
そう――確かに、そんなことを、言った。
「ミレニア姫。黒玉の君。――貴女は、今の国の現状を、正しく理解していらっしゃいますか?」
「ゎ……私、は……」
「民は飢え、嘆き、理不尽な上流階級の支配に怯え、魔物の脅威に震えている。腐敗しきった貴族社会では超えた醜い豚たちが、己の欲を満たすためだけにあさましい行為を繰り返す。頂点に君臨する皇帝が、その象徴たる愚かな男だ。国の行く末など何一つ顧みず、民の存在など目にすら入らぬと、暴虐の限りを尽くしている」
「っ……」
「神に見放されし大地と名付けられた国家で、人々は”神”に縋り――今や、誰も彼もが、唯一己を救ってくださる”神”に傾倒し、毎日敬虔に祈りを捧げています」
「そんな――」
「そうして、彼らが言うのです。――悪の一族を滅ぼせ、と。血筋の一欠けらも残すことなく、悪逆の限りを尽くした悪魔の一族を、最も残虐な方法で殺し、蹂躙し、彼らから全てを奪い尽くせと――そう、国民が、望むのです」
「ぁ……あぁ……」
ザッ……とクルサールが一歩、庭園の緑を踏みしめ、足を進める。
一年前、膝をついて少女に愛を乞うた緑を、無惨に踏みしめて。
「貴女はおっしゃった。――時が来たら、誇り高く、首を差し出せと。……さぁ、今がその時です。ミレニア姫。貴女の一族が犯した罪を、神の名の元に、断罪する日がやってまいりました」
言いながら、もう一歩、足を進める。そのままゆっくりと、手にした剣を掲げた。
その鋼に滴るのは、彼女のためにとその身を晒した奴隷の誰かの血だろう。
「さぁ、どうか。――貴女の首を、私に下さい」
ニコリ、と完璧な笑みを湛えて言う青年は、どこか狂気をはらんでいた。
一瞬、ミレニアは身体を震わせ、胸元の首飾りを握り締める。
剣に滴る真っ赤な血潮を呆然と見上げると――視界の端で、黒い風が、うねった。




