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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第六章

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100、【断章】幸せを追求する権利

 柔らかな日差しが降り注ぐ、冬の入り口――

 カサ……と置いた花束が、少し冷たくなってきた風に揺らされ、音を立てた。

「もう……一年になるのね」

「……はい」

 『勇敢な守り人』――そう刻まれた墓標を前に、ポツリ、とミレニアがつぶやく。

「全く……”妖精”さんは存外頻繁に出入りしているようね?」

 墓標には、ミレニアとロロが今手向けたもののほかに、既に花束がいくつも置かれている。おそらく、マクヴィー夫人やファボットがやってきて置いて行ったものなのだろう。

「……庭師のデニーとヴァイオレットが協力して、”妖精”たちの通用口を作っているようです。時間帯によって皇城を守る兵士たちの目をかいくぐれる場所があるようで、必ずデニーかヴァイオレットが協力して魔法でその瞬間だけのトンネル状の通路を作り、毎度使い終えたら封じるのだとか」

「まぁ。……聞かなかったことにしておくわね」

「はい」

 ”妖精”の通用口の存在を知っているのは、紅玉宮の防衛の責任を担うロロだけだ。普段からぽっかり空いているような道を作られては、護衛を預かる身として堪らないが、優秀な土魔法の使い手たちが、彼らの責任の下、人一人分の大きさの穴を移動の数分間だけこっそり作ることを厳しく管理するつもりはない。場所と時間は把握しているため、万が一のときも対応が出来るようにしている。良かれと思って過去の紅玉宮の従者たちが出入りすることまで目くじらを立てることはなかった。

「あと半年――……ねぇ、ロロ。やはり、私、エラムイドに行かなければいけないかしら?」

「はい」

「ふふ、即答しないでほしいわ」

 ミレニアは、クルサールの元へ嫁ぐことを了承したことを、未だにこうして冗談めかして往生際悪くロロや従者に問いかける。そのたび、間髪入れずに否定され、曖昧に微笑むのだ。

(わかっている……姫は、やはり、帝都の防衛が叶うかどうかが心配なのだろう)

 <贄>という制度に懐疑的な態度は変わらないが、それでもこの半年程度、東の森に送られた<贄>のおかげか、魔物の帝都内への侵入の報はピタッと止まっている。

 ミレニアに資格があるのなら、その責務から逃れるようにエラムイドに嫁ぐことで、再び恐怖に震える帝都民が出るのでは――と心配なのだろう。

 そのために、<贄>の秘密を暴こうと日夜必死になっているのだが、時にミレニアは『名誉ある死』とやらに心惹かれているようなそぶりを見せるときがある。

「姫が、おっしゃっていたのです。クルサールは、悪い人間ではないと」

「それは――そうだけど」

「地位も、帝国の有力貴族と結婚するのと変わらない。思想は姫と通づるところがある。見目形もいい。剣の腕は間違いなく優秀で、いざというとき姫を守ってくれる力があるでしょう」

「ふふ。夫にそんなものは求めないわ。――お前がいるでしょう」

「…………そう、かもしれません、が」

 当たり前のように言われて、一瞬言葉に詰まりながら返す。

 ゆっくりと夜空のような黒髪が舞い、翡翠の瞳がじっとロロの瞳を見上げた。

「……何でしょうか」

 何か物を問いたげな様子を感じ取り、静かに尋ねる。その程度の意思疎通であれば、言葉がなくともわかる程度の間柄だ。

「お前、最近、何か悩んでいるでしょう」

「は――?」

「気になることがあるなら言いなさい。ちゃんと、聞いてあげるから」

「――――……」

 すぃっと紅い瞳が左下へと動く。

 二人の間を、冷たい木枯らしが吹き抜けていった。

「いえ……姫にご心配をしていただくようなことは、何も」

「……そう」

 ロロの言葉に、ミレニアはそれ以上問いを重ねることはなかった。

 蒼く晴れた空を見上げ、軽く小柄な身体を伸ばす。

「……ロロ」

「はい」

「お前には、幸せを追求する権利があるのよ」

 唐突な言葉に、紅の瞳が瞬きを早める。

 冬が近づく空を見上げ、穏やかな口調でミレニアは続けた。

「初めて奴隷解放施策を考えようと思ったときも。公子との婚約を破棄したときも。ゴーティスお兄様にお前を明け渡そうと思ったときも。クルサール殿の求婚を断ったときも。――私は、いつだって、お前に幸せになって欲しいと思っていたわ」

「それは――」

「お前には、人の幸せを勝手に決めるなと叱られてしまったけれど」

 クスクス、と鈴が転がるような美声で笑う少女に、微かに渋面を作る。主に対して不敬なことを言った自覚は確かにあったからだ。

「だから――だからね、ロロ。お前が幸せになりたいと思って行動する全てのことは、正しいことなの。誰が何を言っても関係ない。誰にもそれを止める権利などないのよ」

「――――……」

「やりたいと思ったことには何でもチャレンジすればいい。紅玉宮の皆も、趣味を見つけているでしょう?……お前は人一倍自己肯定感が低くて、すぐに自分を押し殺してしまうから、心配なの。――お前が自由に、何物にも捕らわれずに、心の赴くままに生きることを咎める存在などないのよ。上流階級の人間も、奴隷商人も、ここで働く者たちも――勿論、私自身も」

「!」

「ね?――どうか、それを、決して忘れないで」

 ザァ――

 木枯らしが吹き抜け、夜空の色をした髪を揺らす。

 穏やかな翡翠の瞳が、優しく従者を見つめていた。

「――はい……」

 ともすれば木枯らしに掻き消されてしまいそうな程小さな声で、ロロは呻くように返事をしたのだった。


◆◆◆


 テキパキと書斎に整えられていく午後のティーセットを見ながら、はぁ、とミレニアは憂鬱なため息を漏らす。

「ミレニア様……?どうかなさいましたか?」

「えぇ。ちょっと、聞いてくれる?レティ」

 少し憮然とした表情で漏らし、同い年の従者に向かいの席に座るように指示する。

 恐縮したように礼をしてから、レティは貴婦人のように優雅に促された席に腰掛けた。

 レティを雇い入れてから数ヶ月――最初にミレニアが提案したとおり、二人はこうしていつも一緒に茶を飲む時間を設けている。レティが怖がるという理由で、ロロ以外の男の奴隷は部屋に入らず外で待機したまま護衛任務に当たるため、二人きりの部屋でまるで友人にするかのように気安い会話をミレニアは楽しんでした。

 ロロは今日、午前中だけミレニアの護衛を務めたあと、午後からは軍務につくことになっている。部屋の中には、いつものようにレティとミレニア二人だけだ。

「例の件、今朝、水を向けてみたのだけれど――駄目ね。全く口を割る気配がないわ」

「それは――ロロさんにも、何か事情があるのでは……?」

「そうかしら。私には、ロロがまた持ち前の奴隷根性を発揮してうだうだしているだけに思えるのだけど」

 紅茶にトプトプとミルクを入れながら、小さな唇を可愛らしく尖らせてぼやく。

「第一、どうして隠すのかしら。まさか、反対されるとでも?そんなに私は信用がないの?」

「そういうことでは無いでしょうが……」

 レティは困った顔で笑ってそっと砂糖の壺をミレニアが取りやすい位置へと移動させる。この主人は、ストレスが溜まると急に甘いものを摂取したくなる傾向があることはこの数ヶ月で熟知していた。調理の担当者にもその情報は共有しているので、今日お茶請けとして用意されている菓子も、基本的に甘ったるい物が多い。

 憮然とした顔のまま、砂糖の壺からカップへとミレニアは中身を移していく。

「いやぁ、単純に二の足踏んでるだけじゃねぇか?アイツがお嬢ちゃんにゾッコンなのは誰が見ても明らかだろ」

「!――ジルバ!」

「ひゃぁ――!」

 音もなく現れて声を掛けてきた長身痩躯の護衛に驚いて顔を上げる。

「悪いな、話が盛り上がってるようだったから水差すのはどうかと思ったんだが……外で手紙を預かったから、早めに嬢ちゃんに届けた方がいいかと思ったんだ。――あぁ、そう怖がらなくていいヴァイオレット。すぐに立ち去るさ」

「もう……びっくりさせないで」

 飄々とした様子のジルバを窘めながら手紙を受け取る。

 封筒の差出人はゴーティス。ロロを軍務に駆り出す要請だろう。ゴーティスも焦っているのか、最近は要請が頻繁になりつつある。

「そういえば、ジルバ。お前はロロと昔から知り合いなのよね?」

「ん?あぁ……確かに剣闘場で何度やりあったか知れねぇな。血生臭いくされ縁、て奴だ」

「そう。……ロロは昔からあんな感じなの?」

 ミレニアの問いかけに、ジルバはククッと喉の奥で笑いを噛み殺す。

「まさか。冷めた顔して何考えてんのかわからんのは昔からだが、その分人間味なんざ皆無な男だったさ。今は随分"人間"らしくなった」

 思うのと違う回答が返ってきて、ミレニアはむ、と口を尖らせ考える。

「ではなぜ、幸せを追求するのを躊躇うの?私は、ロロに幸せになって欲しいのに――」

「なんでも何も――色恋ってのはそう単純なもんじゃないんだろ」

 クックッと喉を震わせ、いつものように皮肉げに頬を緩める。

「でも――奴隷小屋にいたころからの恋人なのよ?どうして私に言ってくれないのかしら……」

 眉根を寄せて考え込むミレニアに、ジルバは苦笑する。

 ロロが何か悩んでいるらしいということに気づいたのは少し前。

 お茶の時間にレティに相談を持ちかけると、実は掃除担当の者が気になるものを見つけたという報告が上がっています、と告げられた。

 ロロの部屋で見つけられたもの――それは、ロロの署名さえあれば完結する養子縁組の契約書と婚姻届だった。

「奴隷時代に恋人がいたなんて初耳だな。どうせ、嬢ちゃんが思うような相手じゃないだろう」

「でも、今も定期的に逢ってるみたいだわ。困ったときは一番にその女を頼っているみたいだし――」

「そうは言っても、嬢ちゃんがいるのに他の女に現を抜かすか?」

「もしかして、恋愛の意味合いで言っているのかしら。予想を裏切って悪いけれど、ロロは私に、そんな感情は微塵も抱いてないわよ。好きとか嫌いとかそんな次元ではないんですって」

 面白くなさそうに軽く嘆息して告げる。

「第一、既に記入済の用紙があるということは、女の方は本気ということでしょう。戸籍も得られる絶好のチャンスなのに、どうして私に隠しているのかしら」

「隠すとかじゃなく、普通に突っぱねてるんじゃねぇか?それなら、嬢ちゃんに報告する義務も――」

「もしそうなら、その場で用紙を突き返すなり破り捨てるなりする男よ、ロロは。――持ち帰って後生大事に保管してるのが、ロロも満更ではないという証拠なの」

「……どうだかねぇ……」

 ジルバはフッと吐息で苦笑する。

「第一、嬢ちゃんはいいのかい?アイツが、女を作っても」

 ジルバの問いかけに、ミレニアは二つほど瞬きをしてから、ミルクと砂糖たっぷりの紅茶のカップへと視線を移し、こくりと喉を潤した。

「……私は、私の我儘のせいで、ロロの人生を滅茶苦茶に振り回している自覚があるの」

「ほう……?」

「だから、昔から――ロロが自分から、『こうしたい』と言ったことについては、何よりも優先して叶えてやりたいと思っているわ」

 滅多に我儘など言うことがない、自己犠牲精神の塊のような男だからこそ、ずっと決めていた。

「相談さえしてくれれば、何でも力になってあげられる。恋人も連れてエラムイドに行けるようクルサール殿に交渉することも、帝都に居を構えてエラムイドに通って勤務をすることも――相談さえしてくれれば、どんな手を使っても、ロロが望む形で、ロロが望む世界を実現できるようにしてあげるのに……」

 ミレニアの長い睫毛がふっと物憂げに影を落とす。

 何年も前から、ずっと覚悟してきたことだった。

 いつか、ロロが心から添い遂げたいと思う女性が出来たら、必ず背中を押すのだ、と――

「ま、アイツもいい歳したオトナだ。自分のことは自分で決めるさ。嬢ちゃんは変に気を回さず、ドンと構えてりゃいい。それが良い主ってもんだろ?」

「それは……そうかもしれないけれど……」

「そろそろヴァイオレットが可哀想だから俺は退散するぜ。二人とも仲良くな」

 ヒラリ、と手を振って踵を返したジルバの言葉で、先程から一言も話さず蒼い顔で震えていたレティの存在を思い出し、ハッと息を呑む。

「ご、ごめんなさいレティ!ついジルバを引き止めて長話をしてしまったわ」

「い、いえ、お気になさらず……じ、ジルバさんも、こ、こここ怖くない、です、から……!」

 震える声音で告げられるのは、どう考えても痩せ我慢の発言だ。ミレニアは痛ましげに眉を下げて心から反省する。

 冷めてしまったカップに口を付けて喉を潤し、ひと息ついてから、レティは口を開いた。

「私も……ロロさんは、何かお考えがあるんだと思います」

「え……?」

「ミレニア様を信頼していないわけではないと思います。心配しているのはそんなことじゃなくて――きっと、もっと、別のことだと思います」

「別のこと……?」

 怪訝に聞き返すミレニアに、はい、と微笑を湛えて返す。

「ミレニア様こそ、ロロさんを信じて、彼が自分から何かを言ってくるまで待ってみてはどうでしょうか」

「ん……ま、まぁ……そうね」

 確かに、主としてのあるべき姿を思い描けば、従者を信頼することも大事な要素だ。第一、結婚だのなんだの、かなり込み入ったプライベートの話に、主という立場でズカズカと踏み入るのもおかしな話ではある。

(私はダメね……ロロのことになると、どんなに取り繕っても、やっぱり冷静になれない)

 いつもなら、従者の婚姻話に関して首を突っ込むことなどありえない。仮に紅玉宮で働く者同士が恋仲になり結婚をするとなっても、当人たちから話を持ちかけられるまでは知らんふりを決め込むはずだ。

 それを、自分から水を向け、話してくれないと不満を漏らすなど、主としての行為を逸脱していると言っても過言ではない。

「そういえばレティ。デニーにもらった菫の花は今、どんな感じなのかしら」

 ミレニアは、取り繕うようにさらりと話題を切り替えて、問題を頭の片隅へと無理矢理追いやったのだった。

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