付録(五)冬の名物
本編終了から数ヶ月後の土佐での二人です。
短め・甘めです。
先生の御用で使いに出た以蔵様は、帰ってきた時、手に大きな籠を持ってた。
「お帰りなさいませ。
……なんですか?」
「ただいま。
出先でもらった。うるめの丸干しだ。
今年の初物だそうだ」
言いながら、以蔵様はわたしの前に籠を置いて、かけてあった油紙を取る。
おそるおそるのぞきこむと、銀色の細長いけどまるまるした魚が籠いっぱいに詰まってた。
「うるめって、えっと、いわしですよね?
こんなに大きかったんでしたっけ……?」
わたしが知ってる『いわしの丸干し』って、もっとちっちゃくて細かった気がする。
「春に獲れるものは小さいが、冬のうるめは大きいんだ。
釣ってすぐ天日干しにしているから、これでも少し縮んでいる」
「え……」
干物ってもっと固そうで乾いてるイメージだけど、これはやわらかくて艶々してて、全然干物に見えない。
「食ってみるか?」
「ぇっ」
わたしが不思議そうにしてたからか、以蔵様は籠をひょいっと持ちあげながら言う。
「一尾ぐらいなら、夕餉の前に食ってもいいだろう」
「あ……はい……」
籠を持った以蔵様の後をついて、母屋に向かう。
わたし達のために建ててもらった離れは、母屋と廊下でつながってて、食事は母屋の台所で作ってもらってた。
朝は離れで以蔵様と食べるけど、昼は母屋でたいてい奥様と二人で、夜は母屋で皆で食べる。
『新婚だからそのほうがいいわよね』って奥様に言われて、なんだか恥ずかしかった。
先生の家には何人かお手伝いさんがいるけど、まだ夕方にもなってないせいか、台所にいたのは、料理専門のお手伝いさんのお恵さんだけだった。
「あら、若旦那様と若奥様。
おそろいでどうなさったんですか?」
お茶を飲んでたお恵さんが、わたし達を見て驚いたように言う。
「うるめの丸干しの初物をもらったから、夕餉に出してくれ。
それとは別に、お雪に味見させてやりたいから、七輪を出してくれ」
「あらまあ、わかりました。
ちょっとお待ちくださいね」
以蔵様が籠を見せると、お恵さんはぱたぱた走りまわって、準備をしてくれた。
お手伝いしたいけど、普段台所に立たないわたしでは、邪魔になってしまうから、じっとしてた。
お恵さんは、今年三十一歳だけど、子供が五人もいる働き者のお母さんだ。
そのぶんの貫禄なのか、ぽってりした身体つきだけど、動きは素早い。
すぐに七輪を用意してくれた。
「はいどうぞ、お待たせしました」
「ああ」
お恵さんに渡された七輪と団扇を持って裏口から庭に出た以蔵様は、風向きを見てそれを裏口から少し離れた場所に置いた。
七輪の前にしゃがんで、団扇で軽くあおぐと、中の炭が赤く色づいて、炎が上がる。
うるめの籠を持ってその横にしゃがんで、様子を見てると、お恵さんが木箱を二つ持ってきてくれたから、以蔵様とそれぞれ木箱に座った。
炎が安定したところで、以蔵様は籠から出したうるめを網の上に三尾並べる。
「どれぐらい焼くんですか?」
「これは弱火でじっくり焼いたほうが美味い。
表面の皮がふくらんだぐらいが頃合だ」
以蔵様は、団扇で軽くあおいで火を調節しながら言う。
「……慣れてらっしゃるんですね」
「子供の頃に、母親の手伝いをして焼いてたからな」
以蔵様はあまり自分のことを話してくださらないから、子供の頃の話を聞くのは嬉しい。
どんなお手伝いをしてたのかを話してもらいながら、焼きあがるのを見守る。
「そろそろいいか。
お恵、皿をくれ」
「はいどうぞ」
お恵さんがさしだした小皿に、以蔵様が焼きあがったうるめを乗せると、お恵さんが箸を添えてわたしに渡してくれる。
以蔵様は残り二尾もそれぞれ小皿に入れて、ひとつをわたしの横にしゃがんだお恵さんに渡した。
「これは焼きたてが一番美味いんだ。
火傷しないように気をつけて食え」
「え、っと、これ、どうやって食べるんですか……?」
わたしの手の平より長い魚は、半分ぐらい皿からはみだしてる。
「そのまま頭から丸かじりしろ。
栄養があるから、全部食え」
言いながら、以蔵様は箸でつまんだうるめをがぶっと丸かじりして、あっという間に食べてしまった。
「美味いな」
「ほんと、美味しいですねえ。
塩加減もちょうどいいし」
お恵さんも同じように丸かじりして食べてた。
「…………」
こんな大きな魚、丸かじりしたことないけど、覚悟を決めて、そっと箸を持つ。
うるめをつまみあげて、ぱくっとかぶりついた。
予想以上に熱くて大きくて、口の中がいっぱいになる。
「ん……あつ……おっきぃ……ん……ぅ……っ」
喉に詰まらせそうになったけど、なんとか半分ぐらいで噛みきって、がんばって噛む。
干物っていうわりには、やわらかくて、頭のあたりは苦かったけど、身の部分はなんとなく知ってる味がして、薄めの塩味がちょうどよかった。
「……ん、ふう……、ほんとだ、美味しいです……」
ようやく全部飲みこんで、ほっと息をついて顔を上げると、以蔵様が困ってるみたいな我慢してるみたいな、よくわからない顔で、じいっとわたしを見てた。
「なんですか……?」
食べ方がへたで、呆れられたのかな。
おそるおそる聞くと、以蔵様ははっとしたように瞬きして、目をそらす。
「……いや、なんでもない」
「……?」
困って隣のお恵さんを見ると、お恵さんはなぜかにやにや笑ってた。
「若旦那様、若奥様はまだ本調子じゃないんですから、無理させちゃだめですよ」
「……わかってる」
以蔵様は、目をそらしたまま、小さな声で答える。
「……あ、あの、これぐらいなら、だいじょぶです、夕餉も、食べられると思います」
わたしは元から少食だったけど、土佐に来てすぐ夏の暑さにやられて、ほとんど食べられない時期があって、お恵さんはちょっとでも食べられるようにって、色々工夫して作ってくれた。
涼しくなって、だいぶ食欲が戻ったけど、それでもわたしが食べられる量は、以蔵様の三分の一ぐらいだ。
しかも普段間食しないから、夕餉の前にこんな大きな魚を食べたら、夕餉が食べられなくなるって、心配してくれたんだろう。
「あ、でも、あの、ご飯を、ちょっと減らしておいてもらえますか?」
お恵さんはわたしを見て、にっこり笑う。
「わかりました。
うるめもお出ししますけど、まるごと食べられそうですか?」
「あ、えっと……たぶん……」
わたしが残すのを気にするってわかってるから、お恵さんは最初からわたしが食べきれるぐらいの分量で盛りつけてくれる。
「じゃあ、半身にしておきますから、それは食べちゃってください」
視線で皿に残った半分を示されて、小さくうなずいた。
「はい……ありがとうございます」
「いいええ、じゃあ私はそろそろ夕餉の支度を始めますね。
若旦那様、ご馳走様でした」
立ち上がったお恵さんは、以蔵様に近寄ると、中腰になって、耳元で何か囁いた。
とたんに以蔵様は、ものすごく渋いものを食べたみたいな顔になったけど、小さくうなずく。
「……頼む」
「はい、かしこまりました」
にっこり笑ったお恵さんは、以蔵様の背中をばんばんっと叩いて、中に入っていった。
「どうしたんですか……?」
おそるおそる言うと、以蔵様は目をそらしたまま言う。
「……『明日のお二人の朝餉は半刻遅らせて用意しますね』、だそうだ」
「え、と、……どうしてですか……?」
「……………………」
以蔵様は大きくため息をついて、わたしが持つ皿をちらっと見た。
「……とりあえず、それを食ってしまえ」
「え、あ、はい……」
残り半分をちょっとずつ食べる間、以蔵様はずっと目をそらしてたけど、そばにいてくれた。
翌朝、わたしはいつもの時間に起きられなかった。
お恵さんが朝餉の時間を遅らせてくれた意味が、ようやくわかった。
ありがたかったけど、すごく恥ずかしかった。
Web拍手で『以蔵様が料理』というコメントをいただいて、土佐の郷土料理を調べながら色々妄想してたら、なぜかこうなりました(笑)。
初投稿:2013.08.22
時系列で並べ替え:2014.07.03




