付録(四)我儘
本編終了から数ヶ月後の土佐での二人で、岡田以蔵さん視点です。
短め・甘めです。
部屋に入ると、お雪が窓辺に足を崩して座っていた。
夕暮れ間近の黄色がかった光が、その身体を照らしている。
いつもは髷に結っている髪は、細い背中を覆うように流れて、毛先が腰にかかるあたりで揺れていた。
俺がでかけていた間に、髪を洗ったようだ。
背を向けたままのお雪は、近づいても動かない。
横に片膝をついてのぞきこむと、窓枠にもたれて眠っていた。
髪を一房指先に取ると、まだわずかに湿っている。
「……お雪」
そっと呼ぶと、お雪はびくりとして目を開けた。
俺を見上げて、何度か瞬きする。
ようやくはっきり目がさめたのか、あわてたように座りなおして、頭を下げた。
肩から落ちた髪が、ざあっと流れる。
「お、お帰りなさいませ。
お出迎えしなくて申し訳ありません」
「今戻った。
出迎えはかまわないが、そんなところで寝ると風邪を引くぞ」
「すみません……日差しがきもちよくて、つい……」
恥ずかしそうに言ったお雪は、俺を見上げて、何かを思いついたような表情になった。
「……なんだ?」
「あ、あの、いえ、なんでも、ありません……」
「…………」
お雪の前に胡坐をかいて座り、顔をのぞきこむ。
夫婦になって数ヶ月が経ち、土佐での暮らしに慣れてきても、お雪の遠慮癖はなかなか治らない。
だから、その小さな迷いを見つけられた時は、問いかけて言わせるようにしていた。
「言え。なんだ?」
優しい声を作って問うと、お雪は何度かためらってから、小さな声で言った。
「……あの、……我儘を、言ってもいいですか……?」
めったにない言葉に内心驚きながらも、小さくうなずく。
「ああ。なんだ?」
「あの、えっと、……そのまま、じっとしてていただけますか……?」
「……ああ」
意図がわからないながらもうなずくと、お雪は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
お雪は髪をはらって立ち上がると、俺の背後に回って座りなおした。
言われた通り動かずにいると、しばらくの間を置いて、背中にやわらかな重みがかかった。
細い腕がおそるおそる前に回される。
腹のあたりにふれる手が少しくすぐったい。
「……ふふ」
かすかな笑い声とともに、背中のまんなかあたりで、何かが動く。
感触からして、おそらく頬を押しあてているのだろう。
「……以蔵様の背中、広くて大きいから、ぎゅってしたいなあって、前から思ってたんです。
でも、髷を結ってると、ぴったりくっつけないから……」
「……確かにな」
女の髷は顔を囲むように丸くふくらませているから、背中に頬を押しあてたら、つぶれてしまう。
洗い髪の今だからこそ、できることだろう。
「…………」
この時代の女は、相手が夫であっても、自分から男にふれることはあまりない。
お雪はこの時代の生まれではないが、性格のせいかこの時代の女以上に遠慮がちで、同衾している時でさえ自分からふれてくることはめったにない。
なのに、背中とはいえぴったり抱きついてくるのは、意外だった。
だから『我儘』なのかもしれないが、こんな我儘ならいつでもかまわない。
「あったかい……」
ひとりごとのような小さな声で、お雪が言う。
土佐の冬は京に比べればかなり暖かいとはいえ、窓辺で風に当たっていたから、身体が冷えているのだろうか。
だが、背中に感じるお雪の身体は暖かいから、寒いわけではないようだ。
「以蔵様は、いつでも、あったかいですね……」
腹の前に回った小さな手が、そっと俺を抱きしめる。
そのはかない感触に、おちつかなくなる。
「……少し、動いてもいいか」
「え、あ、はい、すみません、苦しかったですか?」
とたんに離れたぬくもりを惜しみながら、ゆっくりとふりむいて、座りなおす。
不安そうな表情をしていたお雪をそっと抱きあげて膝に乗せ、横抱きにした。
「苦しくはなかったが、おまえの顔が見えないから、こっちのほうがいい」
頬を包むように手を添えて言うと、お雪はほっとしたように笑う。
「……わたしも、以蔵様の顔が見えるほうが、嬉しいです」
力を抜いてよりかかってきたお雪は、今度は俺の胸に頬を当てる。
それも、今だからできることだ。
「……こっち向きだと、心臓の音が、よく聞こえますね。
なんだか、安心します……」
「そうか」
「はい……」
嬉しそうな表情を見つめながら、抱きあげた時に腕にからんだ髪を、そっと横に流す。
「……長いな」
目を閉じていたお雪は、俺を見上げて苦笑する。
「これでも、こっちの女の人に比べたら、短いほうなんです」
「そうなのか」
「はい……。
えっと、未来では、髷を結わないから、ほとんどの人は、髪が短いんですけど、わたしは長いほうでした。
それでも、こっちの女の人に比べたら短くて、最初の頃は、髷を結う時にかもじを足してたんです」
「おまえはなぜ長くしていたんだ?」
「長いほうが首筋があったかいから、子供の頃からずっと伸ばしてました。
わたしの故郷の秋田は、冬はすごく寒くなったので、ちょっとでもあったかくしたかったんです」
「そんなに寒いのか」
「はい。
冬の夜に外で寝たら、朝になる前に凍って死んじゃうぐらい寒いです」
物騒なことをさらりと言われて、言葉に詰まる。
土佐なら、真冬に外で一晩明かしたとしても、風邪を引く程度で、死にはしないだろう。
凍死するほどの寒さがどんなものなのか、想像もつかない。
「土佐は、冬でもあったかいから、嬉しいです。
……そのぶん、夏の暑さは、こたえましたけど……」
「……そうだな」
暑さにやられたお雪は、食欲がなくなって寝込んでしまい、どんどんやつれていった。
名前の通りに溶けて消えてしまいそうで、毎日不安だった。
敵が人ならば追い払えるが、暑さではどうしようもなく、団扇であおいでやるぐらいしかできない自分が情けなかった。
ようやく丸みが戻りつつある頬をそっと撫でると、お雪はくすぐったそうに首をすくめる。
「……土佐は、あったかいけど、以蔵様は、もっとあったかいです。
以蔵様と一緒なら、秋田の真冬でも、大丈夫な気がします」
嬉しそうな笑みで見上げられて、ざわりと熱が動いた。
「……髪結いは、いつ来るんだ」
「え……?」
お雪はきょとんとして首をかしげる。
「えっと、明日の朝来てもらうように、頼んでありますけど……」
「……なら、今夜は、気にしなくていいんだな」
頬を撫でていた手を滑らせるようにして、髪の中に指をさしいれる。
そっと上向かせると、お雪はようやく意味がわかったのか、一気に真っ赤になった。
元が白いから、耳どころか首まで赤くなっているのがよくわかる。
「……っ」
お雪は顔を隠すように、俺の胸元に額を押しつけてきた。
いまだに恥ずかしがる初々しさが、かえって熱をあおるのだと、教えてやるべきだろうか。
内心苦笑しながら、そっと抱きしめた。
初投稿:2013.08.07
時系列で並べ替え:2014.07.03




