付録(一)会話
本編終了直後で、会話のみで短いです。
◇以蔵とお雪(一)
「おまえの見た目を、気にはしないが、細すぎるのは心配だ。
もっと飯を食え」
「……でも、あの、わたし、毎回おなかいっぱい食べてるんです……」
「あれで腹いっぱいなのか?
おまえが食う量は、俺の半分以下だろう」
「……あれでも、わたしには多いぐらいなんです」
「がんばってもっと食え」
「でも、あの、わたし、前はずっと一日二食だったから、三食食べるだけでも、大変なんです。
それに、毎日三食いい物をおなかいっぱい食べさせてもらってるから、こっちに来てから、かなり太ったんです……」
「おまえは元が細すぎだ。もっと太れ」
「……でも、あんまり太ったら、以蔵様に抱っこしてもらえなくなります……」
「……何?」
「子供の頃に、誰かに抱っこしてもらったことなんてなかったから、以蔵様に抱っこしてもらうの、嬉しいんです……」
「…………そうか」
「え、あ、あの、別に、今してほしいってわけじゃ……」
「してほしいなら、いつでもしてやるから、もっと食え」
「…………はい」
◇大久保様とお雪
「よりによって岡田君か。
もっとも向いてない相手を選ぶとは、物好きだな」
「……わたしが、以蔵様にふさわしくないのは、わかってます。
でも」
「逆だ」
「……え?」
「岡田君が、おまえに向いてない。
おまえには、もっと穏やかな相手が合うはずだ」
「……そう、ですか……?」
「そうとも。
岡田君は、猟犬だ。
唯一絶対と定めた主人以外には尻尾を振らず、主人の命令なら仲間でも殺す。
主人がかわいがっている子兎でさえ、主人の邪魔になると思えば、ためらいなく牙を突きたてるだろう」
「……だから、です」
「何?」
「兎には、猟犬のような牙も爪もありません。
主人のために戦うことはできません。
でも、主人を慕うきもちは、猟犬と同じなんです。
主人のためなら、喜んで猟犬の牙の前に身を投げ出します」
「…………そうか、おまえも武市君の崇拝者だったな。
似たもの同士ということか」
「はい」
「だったら、せいぜい二人して武市君に尽くすがいい。
だが、子供はできれば数年は待て。
冷徹な者でも、孫ができると丸くなると言うからな。
今武市君に好々爺になられては困る」
「…………はい」
◇大久保様と以蔵
「君に聞きたいことがある」
「なんでしょうか」
「もし武市君とお雪が危険な状況に陥って、どちらかしか助けられないとなった時、君はどちらを助けるんだ?」
「お雪です」
「……即答するとは意外だな」
「先生は、『お雪を助けろ』とおっしゃるでしょうから」
「確かに、武市君ならそう言うだろうが、ならばお雪を選ぶのは君の意志ではないということか?」
「いいえ」
「だが、武市君の命令が優先なのだろう」
「はい。先生のために、お雪を助けます」
「……意味がわからんぞ」
「俺がお雪を助ければ、先生はご自分のことだけを考えて行動できますから、危険な状況を打破できるでしょう。
ですから、先生を助けるためにお雪を助けることを選びます」
「……詭弁だな」
「本心です」
「…………」
「あえて詭弁を弄するならば、どちらかしか助けられないような状況になるまで待ったりせず、危険になる前にお雪を助けます」
「……そうか。
私は君を、主人にだけ忠実な猟犬だと思っていた。
主人がかわいがっている子兎でさえ、主人の邪魔になると思えば牙を突きたてるだろうと。
だが……違ったようだ」
「いいえ、その通りです。
ただ、兎は決して主人の邪魔をしませんから、牙を突きたてる必要がないだけです」
「…………なるほどな。
君とお雪では合わないと思っていたが、実は似合いのようだ」
「ありがとうございます」
◇龍馬と以蔵
「納得いかない!」
「何がだ」
「武市ならともかく、以蔵にお雪さんを取られるなんて、納得いかない!
顔も頭も剣も度胸も財布の重さも女の扱いも、俺のほうが上なのに!」
「……斬るぞ」
「おっと、冗談だって、だから刀から手を離せ、な。
しかし、おまえとお雪さんじゃ、大人と子供ぐらい体格差があるだろ。
おまえがのしかかっただけで、お雪さんつぶれちまうぞ」
「……もっと飯を食えと、言ってある」
「なんだ、一応気にしてたのか」
「…………」
「それに、おまえ、女を悦ばせる方法なんて知りもしないだろう。
痛いだけじゃあ、嫌がられるぞ」
「…………」
「よし、今から遊郭に行くぞ!」
「……なぜそうなる」
「まあ話は最後まで聞け。
遊郭でお雪さんに似た身体つきの遊女を探すんだよ。
いわば、ならし稽古だな。
慣れてる遊女でも痛がるようじゃあ、生娘のお雪さんは絶対無理だぞ。
ついでに女を悦ばせる方法を教えてもらえ」
「……………………」
「で、その間に俺が、お雪さんに男を悦ばせる方法を手取り足取り腰取り」
「斬る!」
「ぅわっ、待て待て冗談だ、だから刀を置けえっ!」
◇以蔵とお雪(二)
「おまえは、自分がかわいいということをもう少し自覚しろ」
「……はい、申し訳ありません……」
「……意味をわかってないだろう」
「……え? えっと、あの、『ちっちゃい』って、意味ですよね……?」
「違う。言葉どおりの意味だ。
かわいいから、外に出るとすぐ男が寄ってくるんだ。
今日も、門の前を掃除してただけで、くどかれてただろう」
「ぇっ……でも、あの人達は、道を聞かれて答えられなかったわたしを、からかってただけで、そもそも、あの、わたし、くどかれたことなんて、一度もないです……」
「一月に龍馬が来た時にくどかれてたし、大久保様にも側女になれと言われたんだろう」
「え、あ、でも、あれは、お二人とも、わたしをからかってらっしゃっただけで……」
「確かに、大久保様がどこまで本気だったかはわからない。
だが龍馬は、半分は俺をからかうためでも、半分は本気だったぞ」
「……で、でも……」
「おまえの顔見せに藩邸に行った時に、若い奴らがやけに俺にからんできたのも、俺が先生の義理の息子になるからだけじゃなく、嫁になるおまえがかわいいからだ」
「でも、あの、………………………………」
「……お雪」
「ぇっ、あ、す、すみません、あの、混乱、しちゃって……」
「……つまりおまえにとって『かわいい』は、からかいの言葉であって、褒め言葉ではないんだな」
「…………はい。
自分で使う時は、褒め言葉として使ってますけど、誰かがわたしに言う時は、からかわれてるとしか、思えなくて……。
子供の頃から、『馬鹿な子ほどかわいいって言うけど、あんたは馬鹿すぎてうざい』とか、『ちっちゃいものってかわいいけど、あんたは全然かわいくない』とか、言われてたので……」
「…………そうか。
確かに、出会った頃のおまえは痩せ細った貧相な子供だったが、今は肉付きが良くなって髪や肌にも艶が出て、娘らしくなった。
ここに来る前のおまえとは、もう違うんだ」
「……そう、ですか……?」
「そうだ。
今のおまえは、かわいいんだ。
……言うのが俺でも、信じられないか?」
「ぇっ、でも、あの、それは、えっと、……お世辞、ですよね……?」
「俺は世辞など言わない」
「で、でも、あの……、……っ」
「……首まで赤いぞ」
「……すみません……」
「信じてくれるのか」
「だ、って、以蔵様が、そんな嘘言って、わたしをからかうはず、ありませんから……」
「ああ。嘘でもからかいでもない。本心だ」
「……っ」
「おまえはかわいい。
それを自覚して、男が寄ってくる隙を見せないよう気をつけろ」
「で、でも、わたし、以蔵様以外の男の人に寄ってこられても、いやなだけです」
「わかっている。
だが、おまえにいやな思いをさせたくないし、おまえを恐がらせる男は殺したくなる。
だから、ひとりでは決して外に出るな」
「…………はい」




