姪と友
「ねぇ、ジャックさん、アタシどうしたらいいと思う?」
そう告げるアンナの視線は液体窒素のように冷たかった。
なぜだろう、スナオをダンジョンに連れて行く前に、一応念のためにアンナに事情を説明しようとしただけなのに、スナオが視界に入ってからアンナの態度が硬化している。
「どう、とは?」
「犯罪を目撃したら通報すべきでしょ? でもさぁ、血縁関係のある人がケーサツに捕まったら、犯罪者の身内になっちゃうでしょ、アタシが」
すぐにでも通報するかのように、アンナがスマホを手にする。
「……うん? ちょっと、待とうか。大いなる誤解がある気がするから、一度、冷静になろう。落ち着いて、ボクの話を聞いてくれないかな」
というか、ボクが落ち着きたい。
アンナの犯罪という言葉で、ボクのなかから冷静さが流出して混乱が溢れている。
ボクが犯罪者?
確かに、クズでダメ人間の自覚はあるけど、犯罪に手は出していない……はずだ。
なにしろボクには法から逸脱する覚悟なんてない。
「話……話ねぇ。うん、聞くよ、ジャックさんの自白を」
「頼むから、一度ボクが犯罪に手を染めているという前提を止めよう」
「ジャックさんはさぁ、生活力と行動力のないクズでダメ人間だけど、犯罪に走るような人間じゃないと思ってたんだけどねぇ、ホント残念」
アンナには、是非とも落胆するようにため息をつくのを止めてもらいたい。
身に覚えがないのに、物凄い罪悪感で胸が痛くなる。
「その評価は嬉しいから、維持して大丈夫。ボクは犯罪なんてしないから」
「……じゃあ、そっちの怯えている少女はなに? ジャックさんが無理やり未成年の少女を連れているようにしか見えないんですけど」
「えっと、こちら古い友人でスナオ。それに性別は男性だよ」
確かに、アンナに対して人見知りを発動して、ボクの体で視線を遮ろうとしているスナオは怯える少女に見えなくもない。
けど、スナオは自分の意志でここにきていて、なにより彼は間違いなく男性だ。
「……ジャックさん。ジャックさんに友人がいるわけないでしょ。それに、こんなに可愛いのに、男性なんてありえない」
「いや、友人いるから。……スナオ、一人だけだけど」
ボクの言葉に、なぜかアンナは若干引き気味に応じた。
「…………そ、そう、ならジャックさんの友人事情は信じてあげるけど、彼女が男性ってありえるの?」
「ええ、えっと、あ、ああ、あの、私、こんなに小さいけど男性です」
スナオが震えながら前に出て、自分で言ってくれた。
けど、こんなに人見知りでスナオは人の多いダンジョンで探索者なんてやれていたのだろうか?
……まあ、ダメだったから、ボクに連絡がきたのか。
「…………マジで?」
珍しくアンナが驚きで目を見開いている。
気持ちはわからなくもない。
というか、ボクもスナオのいまの姿に感覚が慣れていない。
「マジです」
ボクの言葉を肯定するようにスナオが小さくうなずく。
「はぁ……まだ、信じられないけど、ジャックさんの実在する友人で、男性だって一応納得する。それで、どうしてアタシに引き合わせたの?」
「スナオもそこのダンジョンに一緒に探索するから、事前に伝えようかと。報連相は大事だから」
ようやく当初の目的を果たすことができた。
「ええ、そうねホーレンソーは大事だね。……って、そうじゃなくて、二人でダンジョンに行くの?」
アンナが喋っている途中で慌てたように、こちらへ詰め寄ってくる。
「行くっていうか、しばらくダンジョンに寝泊りすることになるかな」
「いや、ダメでしょ」
「大丈夫だよ、もう事前にゲートで申請することを覚えたから」
いくらボクでも同じような失敗をしたりしない……と、思う。
「そうじゃなくて、二人きりで寝泊りなんて、間違いがあったらどうするの?」
アンナの言葉の意味がわからず、首をかしげる。
「間違い?」
「彼女……彼と二人で、一緒にいてジャックさんがイロイロと我慢できるって言い切れる?」
少し言いにくそうに告げたアンナの言葉に、少しうんざりした気持ちになる。
「…………あの、だから、スナオは男性だよ? 中年の男性がダンジョンに二人いても、間違いなんて起こりようがないよ」
断言するボクの言葉を聞いても、アンナの疑いの眼差しが消えない。
「……えっと、スナオさん?」
アンナに声をかけられて、スナオはヘビに睨まれたカエルのように体を硬直させている。
「は、はは、はい、スナオです」
「ささいなことでも、なにかあったら正直に言ってね。なにがあってもあなたを傷つけない形で、しっかりとそこの人に責任を取らせるから」
アンナの初対面の人を思いやれる優しさに感動すればいいのか、欠片もボクを信頼していないことを悲しめばいいのか、判断に迷う。
「ええ、えっと、はい。でも、大丈夫です。彼は私の唯一の友人で、恩人ですから」
「恩人?」
「はい」
スナオがつっかえながらなんとか、マウザーと呼ばれる探索者になった経緯と、ここにきた事情をアンナに説明する。
けど、他に探索者がいないダンジョンへ連れてきただけで、恩人は言いすぎな気がする。
「そんなに自分を卑下することはないですよ、スナオさん。スナオさんはいまがダメって感じられて、変えようって行動できる人です」
「そそ、そんな、私は家族に追い出されて、妥協でマウザーに落ちぶれて、疎遠だった友人にすがる醜い存在なんです」
「それでも、疎遠な友人にすがってでもいまを変えたいって行動した一歩まで醜いって思うことはないと、アタシは思います」
ボクが知る普段に比べて、アンナの表情と口調が柔らかい気がする。
「なんか、スナオに優しい?」
別に、不満とか嫉妬とかはないけど、不思議ではある。
まあ、初対面の人にいきなり厳しい発言をするほどアンナが非常識だとは思っていないけど、当たり障りのない無難な対応をすると思っていたから意外だ。
「弱っていて、それでも行動しようとする人に厳しくする理由ある? まあ、最後まで自分で一歩を踏み出さないで、勝手に自分から弱ってる人に優しくする理由もないけどね」
「……はい、その通りです」
ボクの場合、ダメな現状維持が、ましな現状維持に変わった程度かな。
「ああ、あの、ジャックってなんですか?」
スナオの言葉に、言い淀んですぐに返答できない。
まあ、過去にスナオの前でジャックなんて名乗ったことないから、疑問に思うのは当然か。
けど、説明するには直近の黒歴史をさらすことになる。
「それは……」
「その人が自称、黄昏の狩人ジャックって名乗ってるだけで、とくに意味はないですよ」
なんとか誤魔化そうと考えていたら、アンナが容赦なく暴露してしまった。
しかも、黄昏の狩人まで詳細に。
「いや、名乗っては……」
「名乗ったよね、ジャックさん」
「……名乗りました」
観念してボクはうなだれているのに、なぜかスナオは目をキラキラさせている。
ボクの黒歴史が、スナオの枯れた中二心を刺激したのかもしれない。
「ああ、あの、私もジャックさんって呼んでいいですか?」
「全然ヘーキですよ」
「どうして、アンナが答えるの?」
「なにか、問題あるの?」
「いや、ないけど」
「じゃあ、いいじゃない」
「……あの、ジャックさんこれからよろしくお願いします」
スナオが嬉しそうにヒマワリの花のような明るい笑顔を浮かべている。
この笑顔に向かって、ささいな自尊心を理由にダメとは言えない。
「ああ、うん、気楽にね」
次の投稿は三月二七日一八時を予定しています。




