ニート、バイバイする
「これ領収書ね、ジャックさん」
アンナは渡した一〇万円に驚くこともなく、淡々と領収書を差し出してくる。
まあ、そうだよね。
家賃を払った。
当たり前のことを、当たり前にしただけで、特別に褒められるようなことじゃない。
マイナスだったものがようやくゼロになっただけ。
こんな矮小なことで、姪に評価されようとする自分が気持ち悪い。
「はい、確かに受け取りました」
ないと思うけど、後日払った払ってないでもめないために、この領収書は大切に保管しよう。
「これで、あのバカが少しでも冷静になればいいんですけど」
「バカ?」
一瞬、自分のことかと思ったけど、すぐにアンナに否定された。
「そっ、ジャックさんは覚えてないかもしれないけど、アタシにはトキヤっていう弟がいるの」
「いや、いくらボクでも甥のことを忘れたりしないよ」
没交渉になっているけど、親族の家族構成ぐらい覚えている。
「なら、トキヤが今年受験だって知ってた?」
「……ごめん、知らない」
もっと言うなら、高校生だとは知っているけど、正確なアンナの年齢や学年も知らない。
「別にいいよ、アタシもジャックさんの年齢とか興味ないし」
「……だよね」
「……はぁ、まあ、いいけど。それで、そのおバカなトキヤが、高校受験しないで、探索者になるって言い出してるの」
「へぇ」
「ジャックさんをこの離れから追い出して」
アンナの言葉に頭が真っ白になる。
この離れから追い出される?
そこまでの愛着はないけど、いまはまずい。
数ヵ月後なら、資金も溜まって追い出されても、大丈夫かもしれないけど。
「えっ、なんで?」
「あんなヒキニートにできるなら、自分でもできるだろうってことらしいよ、ホントにバカでしょ」
「えっと、ボクはここを出て行かないといけない……のかな」
だとしたら、執行猶予をお願いしないといけない。
「さすが、本家大バカ、少しは考えないと、もっとバカになるよ。トキヤの年齢、考えなよ。今年は無理だし、来年でも保護者の同意がなければ探索者の資格を取れないでしょ。あのパパが同意するわけないじゃん」
探索者資格は、一六歳以上で保護者の同意があれば取得可能。確かに、一六歳未満のトキヤがすぐに探索者になることはできない。
「なるほど、でも、それとボクの家賃にどんな関連が?」
「ジャックさんに、家賃の支払い能力があるってわかったら、離れを追い出す口実が一つ減るでしょ」
「でも、そこのダンジョンなら本宅からでもすぐだから、トキヤが探索者を諦めることにはならないんじゃないかな?」
本宅と離れはそこまで距離がないから、トキヤが離れにこだわる理由がわからない。
「大丈夫じゃない、別に。あのバカ、ホントに探索者になりたいわけじゃなくて、ただ、あの家から出たいんでしょ。あれよ、反抗期。パパに受験に専念しろって好きだったサッカー辞めさせられて、彼女にフラれて、勉強がうまくいかなくてストレス溜まって、それが爆発してパパに反抗してるわけ」
「大丈夫なの?」
ボクにはとても大丈夫なように、聞こえなかったんだけど。
「別に、大丈夫よ。パパは融通がきかなくて、口うるさいけど、手を出すようなタイプじゃないから、毎回雰囲気最悪で夕食がマズくなるだけ。トキヤも非行に走るタイプじゃないし、受験が終われば合否はわからないけど、少しは落ち着くでしょ。トキヤはさぁ、家族に期待しすぎなんだよねぇ」
「期待?」
「ジャックさんが潰れた、原因にもなった家族からの期待」
アンナの何気なく放った言葉に、無音の静寂のようにボクの心臓が凍てつく。
「……ボクは」
「成功体験ゼロで、失敗体験するたびに、ハードル高くされて、躓き続けて自滅した。適当なところで、他人の期待に見切りをつけて、家族に期待するのを辞めれば、潰れなかったんじゃないの? でも、別に、ジイさんやパパのせいで、ジャックさんが潰れたわけじゃないからね。そこは勘違いしないでね。ジャックさんは自分で自分の生き方模索しないで、家族の用意した自分に合わないレールを進み続けて磨耗したのは自業自得」
アンナに淡々と、ボクの深部を暴かれたようで、口がカラカラになって、呼吸が意思の管理を受け付けず、無慈悲に心の在り方を追いつめる。
「そう、だね。でも、アンナは大丈夫なの?」
不意に出たこの言葉は、アンナを思いやってなのか、同類なんじゃないかと望んでいるのだろうか。
「アタシ? アタシはずっと前から家族に期待しなくなったから、全然平気。人生の選択や決断を全部パパに預けるママの生き方、楽だとは思うよ、全然楽しそうじゃなくて、マネようとも思わないけど。ジイさんやパパみたいに、大名や公家でもなくて、起業する才能を生み出したこともない、ちょっとした大地主の血筋を誇りたいとも思わない。近くにいた親戚は生産性ゼロのヒキニートだったし、家族に期待なんてしようがないでしょ。まあ、育ててもらってるから、最低限、遅刻しないで、良い成績取って、犯罪に手を出さないけどね」
こんな風に、強がりでもなく言えるアンナが少し眩しく見える。
「良い成績?」
ボクの言葉に、アンナの視線が険しくなる。
「アタシ、学校でトップ一〇から落ちことないんですけど」
「なら、その格好は?」
「ただ好きでしてるだけ。今しかできないでしょ、こんなカッコ」
「そう、なの?」
アンナは五年後も似たような格好をしていても、違和感ないけど。
「社会人どころか、大学でこのカッコだったら、ただの痛い人でしょ。別に、家族に期待しないって言っても、家族に反抗したいわけじゃないから、楽しく生きる上で家族に遠慮しないってだけよ。だからさぁ」
「だから?」
「ジャックさんは、くれぐれもいまさら家族に期待しないでね。ジャックさん、ダンジョンにいるときウチの家族のこと考えた?」
「いや、考えたことはない」
ダンジョンのなかで、家族なんて余剰なことに思考を費やしている暇なんてない。ダンジョンのなかでボクは常に全力だ。
「それで、アタシはいいと思う。ジャックさんは、家族からの期待なんて考えないで、家族に期待しないで好きに生きればいいよ。いまさら、期待されても、いろいろ無駄にぐちゃぐちゃになるだけだからさ」
やがていつかはと、未練がましい幻想を一度も抱かなかったとは言えない。
でも、アンナに、ちゃんと家族に期待しないことを許された気がして、秋空のように少し寂しくて、鉛の鎖が切れたように軽くなった。
「そう、だね」
「それじゃ、また、来月取りにくるから、バイバイ、叔父さん」
「バイバイ、アンナ」




