ニート、危険物を渡される
契約は毎月、無理のない範囲で武具を納入するという緩いものになった。
店員曰く、この条件でもハイエナに情報を貪られる前に、ボクに利益が還元されるルートを確立するそうです。
熱くなっている店員には悪いけど、ボクは自分の発見した情報の価値に興味がない。極論、誰かが、魔力量を増幅する方法を自分が考えたものだと言い出して、巨万の富を築いたとしても、良かったねとしか思わない。
ゴブリン鋼をゴブリン合金から錬金術で分離するという偉業。発見したのは嬉しかったし、そのための試行錯誤は楽しかった。
でも、ただそれだけだ。
ボクが探索者であるために、それらは必要な手段だけど、それを目的にしようとは思わない。
だからと言って、店員の話をないがしろにするつもりもないし、作る武具も手を抜くつもりもない。
彼には彼の打算があるのかもしれない。けど、たった二度出会っただけの者の戯言のような話を信じて、高額なコンテナブレスレットを預けられる。
それだけ他人に認められて、ボクのような自己肯定すら不在な者が、喜ばないでいられるわけがない。
でも、気をつけないと、大金という過剰な養分で、自分を妥協して停滞させて、根腐れを起こしてしまうかもしれない。
大金で身の丈に合わない装備に身を包んで、ダンジョンを攻略しても、ただの虚しい蹂躙になるだけだ。生の実感なんて二度と感じることのない、メッキの檻のなかで薄霧のような囁きで言い訳し続けることになる。
確信がある。
危機感を失ったボクがダメになるのは一瞬だろう。
大金が入ったら、罪滅ぼしもかねて、あの家族に渡して盛大に浪費してもらおう。
だから、熱心に提案する店員を見ていると、罪悪感で少し胸が痛くなる。
店員をクールダウンさせるためにも、話題転換もかねて胸当ての相談をしてみた。
予算は家賃とポーションベルトとウィザードハットの代金を引いた六〇万円だと言ったら、店員は少し考えてすぐにいい笑顔で口を開いた。
「ポリカーボネイト以上で、そのご予算で可能な胸当ての素材となりますと……お客さま、虫は平気ですか?」
「虫ですか? 別に、大丈夫ですけど」
蜘蛛か、蠍の甲殻でも紹介されるのだろうか。
まあ、人によっては生理的嫌悪感があるかもしれないけど、結局のところモンスターで素材だ。
性能に問題なければ、気にするようなことじゃない。
「こちらの素材はどうでしょう」
店員が見せてくれたのは、長さ一メートル、幅三〇センチの鮮やかな光沢のある青黒い素材。昆虫の甲殻みたいだけど、前翅という部位の素材だろうか。
「昆虫型のモンスターですか」
「……アダマントコックローチの甲殻です」
言い辛そうに店員が口にした言葉を、頭のなかで何度も再生させてみる。
アダマント、これはいい。多分、本当にアダマンタイトが含まれているとかじゃなくて、頑丈だから比喩的な表現にすぎないだろう。
まあ、ダンジョンが比喩的な表現をするのか知らないけど。
それよりも、コックローチ。
どこかで聞いたことがあるんだけど、思い出せない。
ありきたりで、ごく一般的な昆虫のことだった気がするんだけど、なんだったけ?
「コックローチってなんですか?」
「……ブリです」
「ブリ?」
どうみても、これは昆虫の素材で魚じゃないだろう。
「いえブリではなく…………ゴキブリです」
「ゴキブリ?」
えっと、店員の言っている意味がわからない。
ゴキブリ?
あの部屋の隅をごくまれにカサカサしているゴキブリ?
「ゴキブリです」
二回も言われてしまった。
こいつ、正気か?
ゴキブリを防具にしろと言うのか。
黒いカサカサと動く昆虫に、全身を覆われる姿をイメージしてしまう。
想像しただけで、鳥肌がたってしまった。
「性能に問題はありません。オーガの革には及びませんが、中堅クラスの防具の素材としてはトップクラスの防御力です」
「中堅でトップクラスの性能なら、予算を超えてしまうんじゃないですか?」
「いえ、性能に問題はありません。確かに、革に比べてかなり加工しにくいという特性がありますが、お客さまなら大丈夫でしょう」
「それは、まあ、錬金術なら問題ないですけど……それだけで、そんなに安くなるんですか?」
「一部の方が、生理的嫌悪を覚えて装備したがらず、素材が売れないという事情はあります」
やはりか。
性能がいいとはいえ、女性はパーティーメンバーが装備しても、キレるだろう。男性でも、余程追いつめられて、選択肢がない状態じゃなければ、選ばないだろう。
「売れないなら、わざわざ買い取らなければいいんじゃないですか?」
「それはそうなのですが、アダマントコックローチは自衛隊が管理している新人の訓練に使われているダンジョンに出現するのです。そして、アダマントコックローチの討伐が必ず試験になるので、討伐証明の証として持ち込まれるので、買い取らないわけにもいかないんです」
「えっと、他の素材はありませんか?」
本当は、どうしてもダメというほど、この素材に嫌悪感はない。さっきは不意打ちで変な想像してしまったけど、色とかは別に嫌いじゃない。
けど、積極的に装備したいとも思わない。
他の選択肢があるらな、遠慮したい。
「……他ですか、アダマントアントの素材もご用意できますが……」
店員の言葉に飛びつくけど、
「ならそれ」
店員の補足情報によって、かぶせるように遮られる。
「アダマントコックローチよりも性能は下で、値段は三倍になりますがよろしいですか?」
「三倍?」
三倍だと、予算オーバーしてしまうんですけど。
「それだけ、売れないんです。中堅以上はオーガやアーマーリザードなんかを装備して、見向きもしませんから。この価格で、この性能は破格なんです」
「でも、頑丈なだけで、衝撃が素通りする素材は……」
ボクの言葉を遮るように、店員はバケツのような缶に入った赤黒いゼラチンのような物を見せてきた。
「なら、値段は代わらずに、このスライムゴムをお付けいたします。いまは、柔らかすぎですが、ダンジョン鉄と魔石を混ぜれば、調度いい衝撃吸収剤になりますよ」
「そのスライムゴムってそんなに安くして大丈夫なんですか?」
スライムゴムの存在はネットニュースかなにか見たけど、そんなに安い物じゃなかったような気がする。
このスライムゴムもなにか問題があるのだろうか?
「大丈夫ですよ。スライムゴム自体は、スライムを倒すと手に入るスライムパウダーと、ジャイアントフロッグの血ですから、安いものです。これにダンジョン鉄と魔石が混ざると急に高くなるんですけど、お客さまなら、この状態でも問題ありませんよね」
確かに、スライムもジャイアントフロッグも、ジャイアントラットクラスの雑魚だから、安くなるのはわかる。ダンジョン鉄もダンジョンの浅い層とはいえ、宝箱などから低確率で入手できる素材だから、高くなるのも理解できる。
でも、この店員は少しボクを試している。
錬金術で本当にダンジョンの素材を成形できるなら、この話は破格だ。
だけど、錬金術の話が嘘なら、アダマントコックローチの甲殻もスライムゴムもただのゴミでしかない。
店員がボクを疑っているというよりも、ボクの錬金術の使い手としてのプライドを刺激してでも買い取ってもらいたいんだろう。
まあ、ボクに錬金術の使い手としてのプライドなんてないんだけど。
もっと言うなら、ボクに人並みのプライドなんてない。
あるのは過去の枯葉色の残響と、ボクであるための探索者としての執念くらいだ。
でも、売るのに必死すぎるだろう。
どれだけ人気がないんだ、アダマントコックローチ。
使ってやれよ、性能に問題なくて安いんだから。
なんか、一周回ってアダマントコックローチが哀れにすら思えてきた。
ボク一人が使っても、根本的な解決にはならないけど。
多少はアダマントコックローチの販売実績と、使用実績になるのかな?
「……はぁ、なら、このポーションベルトとウィザードハットをおまけしてくれたら、買いますよ」
「お買い上げありがとうございます」
あっさりと了承するので、店員に理由を聞いてみると、ポーションベルトはともかく、ウィザードハットは防御力が低くて、補正も微妙という評価の売れ残りだったらしい。
世間で魔力感知は、魔術を使うための補助スキルという認識らしい。
有効距離は索敵よりも短いけど、隠行で索敵を回避するシャドーバットも感知できるし、慣れれば魔力の濃淡で敵の動きを読むこともできる汎用性の高いスキルなんだけどな、魔力感知。
まあ、このウィザードハットはボクがアダマントコックローチ共々十全に活用してみせよう。




