8-10 フルーツを片手に
オークの都は、あまり都っぽくなかった。
この世界、今の時代なら重要拠点には大抵防壁が備え付けられているのだが、ここはディーンの都と同じく、侵入を阻むための障害を立てていない。あそこのように攻め込まれることを想定していない造りなのか、それとも都市を囲めるだけの技術と資材を確保できなかったのか――いずれにせよ、最初の小さな街をそのまま大きくしただけの都市だった。それを都だと言い張っているような、そんな都市だ。
ヒューマンが作り上げたそれと比べると見劣りするわけだが、さりとて機能が不十分とも思えないのが不思議なところで、そこに暮らす彼ら蛮族は――どこか満足しているように、俺の目には映った。戦争当事国であるヒューマンの国々より貧しく、活気もなければ、なんとなく空も灰色。市場は狭いくせに俺達が通るまで混雑しておらず、彼らの身体の大きさでは物足りなさそうな家々。
そういう世界だ。
だが何故か、そこには調和のとれた落ち着きが感じられた。移動の間中、見物する蛮族の群れに囲まれ続けたわけだが、彼らは決してパニックを起こすことはなかった。
それをよく観察して、ひとつわかったのは、彼らと俺達の間に流れている時間は、多分違うということだ。オークと、この地域では少数しか暮らしていないと思われるゴブリン達は、ゆっくりと動いている。イライラするようなスピードではない。でも、のんびりだ。象と鼠の時間は違うとか、そういうのではなくて――追い立てるような力の働きが、ここでは希薄なのではないかと思った。
そして、庶民達もそれを知っているかのようだった。
「あんまり何もないから、驚かれたのではないですか?」
と言って、南部オークランドの代表、モール・セティオンは笑った。
「いいえ、そのようなことは……」
それは姫様の本心だったろうが、若いオークは首を振り、
「自分達が一番よくわかっています。もちろん、精一杯のおもてなしはさせていただくつもりですが、ご満足いただけるかどうか」
今は最初の街で通されたのよりはもう少し立派な場所へと移された。主にオークの有力者とゴブリンの有力者が会合を行うのに使う建物だということだった。
なんとか部屋の中に隣界隊の面々も詰め込むことができ、他の兵士達やスタッフは一足先に手配してもらえた宿に落ち着かせてもらえた。人数も読めない状況でスムーズな受け入れを実現してくれたことが有難かった。ただの民家でも、屋根のある場所で休めるに越したことはない。
貴金属や嗜好品といった当面の宿泊費を提示すると、彼らはそれだともらいすぎると言って、値段で言うと八割五分ほど取った。一応こちらも妥当な価値の物を出しているつもりなので、遠慮されると微妙に困る。これから色々お願いしなければならないこともあるしここは素直に受け取って欲しい、とやんわり伝えたが、彼らはもう五分だけ取って、残りは後で気が向けば、などと言うのだった。
「まあ、よろしければ食べてください。近くの果樹園で採れたばかりのものですよ」
俺達の目の前には、見慣れぬ果物(?)が置かれていた。
プラムとパイナップルとメロンを足して5で割ったような見た目をしていた。
誰も手をつけない。
「……あの、ナイフか何か……」
と、試しに俺は言ってみると、
「そのまま齧って食べられますぞ」
とゴブリンのギン・エン翁が答えた。
「ラナロという名前を付けましてな、ここ数年でやっと芳醇な実を付ける木が育ったので、これを機に味わってみてもらおうと思ったのですが……」
周りの反応を見るに、こんな食べ物は知らないのだろう。
ここまでオークもゴブリンも妙な振る舞いはしていなかったので、危険な物体ではないと思うが、見た目がちょっと、奇抜だ。
モール・セティオンもギン・エンも、こちらが手をつけるのを待っている。
さあどうぞ遠慮なさらずに――是非是非どうぞ、と顔に書いてある。
善意だ。
祖父母の家に行くと絶対にスイカが切ってあってトウモロコシもボウルいっぱいに茹でてあったのを思い出す。いいもので、それを平らげるのが当たり前だと思われているのだ。
――じゃあ、まず俺から食べてみようか?
近くの籠に積んであった中から、一番小さいサイズを手に取った。それでも手のひらからはみ出る。凹凸の激しい表面なので、意外に噛む場所には困らなさそうだ。
しゃくっ。
……まずくない。
「――これはいけますねえ!」
まずくない。
ちょっと意識して盛り上げなければならない程度には、まずくなかった。
思ったより果汁が少なく、見た目のゴツさの割には妙に柔らかい食感だ。
俺の反応を見て、デニーとジュンもそれぞれ果肉を口に含んでいく。
「……お、おお! いいなこれ」
「本当! 不思議な味? ですね……」
安心はしたのか、皆がラナロへと手を伸ばしていくが、ほとんど例外なく、一瞬の間を置いてからふわふわした感想を述べていった。
「いやあよかった。もし気に入りましたら、お帰りの際にお買い求めくださいね」
俺は買わない。
早々に一個分を処理した姫様が、指を拭きながら、
「――本題に入っても?」
「ええ。魔法の研究のためにどうしても領内を探索したい、ということでしたね」
「はい。こちらの希望はそれのみですが、この規模の人員が動き回るとなると、やはりそちらとしては受け入れ難いものがあると思います。何か差し支えがありましたら、長い間でも待つ覚悟はできています」
そもそもまず、向こうが了承したのは、交渉の場を設けるということだけだったはずだが、姫様は既に要求が通ったかのような話の進め方をしている。
ただ、蛮族代表の二匹も、それに不快感を表すでもなく、恐怖するでもなく、
「えーと、その前に聞いておきたいのですが、具体的にどういった内容の研究を……」
「召喚魔法です」
と、姫様はあっさり明かした。オークの若者は腕を組み、
「召喚魔法――言葉の響きから大体の予想はできますが、それがどういうものか、教えていただいてもよろしいですか? 何分、この国では魔法使いが少ないもので……」
それで、姫様はレギウスの確保から始まった召喚魔法復活計画を説明した。
今回のこの蛮族領訪問で、安定した客人の供給体制を構築するということも含めて、一切合財を。
これは出発前から決めていたことだった。情報を小出しにして相手を警戒させるよりは、初期の段階で全て公開し、素早く交渉をまとめたいという意図があった。それを狙っていいほど、こちらが蛮族領に対して有利な立場だと、誰もが踏んでいる。実際、二匹の蛮族代表も圧倒されたようで、さすがに小声で何事か話し込んだ。
「もし――それが実現し、異界よりヒューマンの魔法使いが移住してくるということになれば、現在行われているエルフとの争いは、傾きますかな?」
老ゴブリンの問いに、姫様は正直に答えた。
「今の段階では、はっきりしたことは申し上げられません。但し、召喚魔法家によれば、その装置が現存しており古文書通りに稼働するのであれば、かなりの効果が期待できる、と」
「ふーむ……信じ難いことだ……」
「しかしご老体、実際にこれほどの数の異界の民がいらっしゃるというのですから、受け入れるほかありますまい?」
「どうやら、そのようだ」
「では……?」
若いオークは自らの頭を撫で、
「いや、実を言いますと、最初の打診を受けた段階で、既に我々はあなた方ヒューマンと歩み寄ろうという方針を固めていたのです。もしかしたらご承知で参られたのかもしれませんが、昨今のエルフヘイム――マーレタリアの行動は、あまりにもこの国の事情を軽視しています」
これまで温和な雰囲気をまとっていたオークとゴブリンは、隠しきれないといった様子で、憂鬱そうな表情を浮かべた。
「確かに、これまでの歴史を振り返って、ヒューマンにもその傾向がなかったとは言えませんが、少なくとも現在においては、エルフに比べて友好的な関係を築けるものと考えています。皆さんとお会いしている今が、我々の出した一つの結論です」
上手くいきすぎている、とは今回は思わなかった。
多分、この短い間で、彼ら蛮族に好感を持ってしまったせいだろう。
「もちろん、ただ一方的にそちらの要求を呑むことはできません。こちらから提示する条件を守っていただけないのであれば、このお話は成立しません」
そして、破談になった場合は、エルフのポイントになる。
「まず、領内での勝手な行動は基本的に認めることができません。これはそちらの行動を縛る、というより、何かする時は簡単に届け出てもらいたいということです。つい最近にも、エルフが我々の持つ魔力溜まりを荒らすということがありました。……民は神経質になっています。特に、素朴な信仰を抱いている者の心中は穏やかではありません。そういうことは、防がなければなりません」
「よく言い聞かせておきましょう」
「次に、その大昔の遺産から得られる恩恵を、こちらにも還元していただきます。殿下の言う計画が実を結べば、ヒューマン陣営の軍事力は確実に増すでしょうから、その力を使って、この国にいくらかの安全を約束してもらいたい。それがエルフの侵入に対する抑止力となれば最上でしょう」
「その時には、ヒューマン同盟は、貴国――偉大なるゴブリニア及び南部オークランド連邦を、正式に認める用意があります」
「最後に、これは今挙げた二つの条件が満たされた後の話になりますが――我々のことを、できるだけ放っておいて欲しいのです。そして、いつか――全く、放っておいて欲しいのです」
それは、俺も聞いたことがある蛮族の主張だった。
「我が国、我が種族は、繁栄や競争を第一とはしていません――ただ安らかに、静かであること」
オークの青年はとっくに笑顔を取り戻していたが、今は、少し疲れの色が見える。
「これが、今のゴブリンとオークの切実なる願いなのです」
例の地図が示している場所は、実はまだ遠い。
南部オークランドが新潟県だとしたら、その先、山形県の辺りがゴブリニアで、召喚装置のある地点はそのさらに北、エルフ圏ギリギリの領域にあることが調べでわかった。
よって、また移動である。
「お話、すぐにまとまってよかったですね」
と、隣で馬を歩かせるジュランさんが言った。
「――いい加減、やんなっちゃいませんか? 移動続きで……」
俺が訊くと、彼女は首を振り、
「いいえ。フブキ殿のおかげで、退屈しませんもの。面白いお話ばかり」
「お気に召していただけたのなら幸いです」
「でも、普段は大勢の前でこそ聞けるものを、あたくしが独占してしまっていいんでしょうか」
「まあ一応、魔法で遠くに聞こえるようにはしてますし、気にすることは」
ジュランさんだけではなくて、他のとこからの評判も上々だ。
「何だか悪い気がして……そうだ! 今、片手は空けられますか?」
「え? ええ……」
キップの手綱を片手で保持するのは、今はもう難しくは感じない。
「これをあげます」
そう言って、彼女は、馬に括り付ける荷の中から、ラナロを、取り出した。
渡されて、受け取った。
「……これもしかして買っちゃ、……買ったんですか?」
「そうなんです。市場にあったのを。道すがら食べようと思って」
「高かったんじゃないですか?」
「あたくし達のお金の方が、価値があるそうで、それほどは」
普通に買い物したのか。不安がっていたのは何だったんだ?
まあそれはいい。
問題はこのビミョー果物、ラナロだ。
食べなきゃならんよなあ……。
彼女は自らの分も取り出して、躊躇いなしに齧りついた。
気に入ったと見ていい。奇特な方だ。
「もう一つ欲しかったら、遠慮なさらずに言ってくださいね」
「あー、はは……」
少々時間をかけてラナロを食べ終わると、彼女はチラチラとこちらを見て、
「それで、そのう……」
「はい」
俺は少し考え、
「――え、もしかして、またですか」
「……実はそうなんです」
「なんか昨日話したばっかりだったような気がするんだけどなー……」
『アラジンと魔法のランプ』。
「そこをもう一度! お願いします。だって、素敵じゃありません? あたくしもランプの魔神に色々叶えてもらえたらいいのに、って思いますもの。夢のあるお話……」
「好きですねえ……いえ、もちろん、ジュラン様のリクエストとあらば、このフブキ、何回でも千回でもお話いたしましょう!」
『アラジンと魔法のランプ』をね。
『千夜一夜物語』から引っ張ってきた話は、彼女には非常にウケがよかった。アラビアの世界観に、何か近しいものを感じるのかもしれない。
アニメと原典写本の聞き齧りを混ぜた代物だが、それでよければ楽しむといいさ。
「えーとじゃあ……若者が、洞窟の前に立っていました。彼の名はアラジン。山を越え谷をくだり、砂漠を渡って月の夜、とうとう――そうです、とうとう、叔父の魔法使いが言っていた、例のランプがある洞窟の入口を見つけたのでした。そもそもこの叔父との出会いが……」




