8-8 お約束がありませんと
~
冬が過ぎ去ろうとしていた。
セーラムの首都も、ひところの厳しかった寒さからようやく解放されつつある。雪はもう降り積もらず、照りつける太陽の輝きを前にして、日毎その姿を小さくしていた。
結局、この冬の間には、大きい動きは見られなかった。
火の魔法使いを揃えた強行軍でも編成してくるかと思ったが、さすがのエルフも冬将軍を突破する自信まではなかったようだ。
こちらも動けないことには変わりがなかったが、その分、短い間ながらも戦力増強に注力できた。思えばセーラム、ディーンと、ヒューマン同盟は続けて二回も首都を狙われている。攻め込まれる心配がない時期というのは、まだまだ不利なこちら側にとっては、落ち着いて事に取り組める、何よりも貴重な間だった。
優先的な協力を受けられたこともあって、アデナ学校の活動も最終的には想定していたものよりも充実した。多分、二回りほど良くなった。それが実戦で通用するに足る内容かどうか、まだわからないが――そのうち、否が応でも証明される。
彼我の戦力差を考えれば、隣界隊の存在でさえ焼け石にかかる水かもしれない。
しかし、せめてヒビを入れるほどの水となっていてほしい。それが今の俺の願いだ。
さて、そちらが軌道に乗った一方で、もう一方の試みも実を結びつつあった。
蛮族領へと送り出した使者が、予定より少し遅れて帰還したのだ。
蛮族領との接触をルーシアも交えて(もう閉め出すわけにもいくまい)討議した結果、目立たない形でこの冬の間に打診する、という形でまとまった。
問題は、オークやゴブリンと繋がる通信魔法家がいないということだった。
直接乗り込もうにも、ヒューマン圏と蛮族領の間には長い山脈が横たわっている。雪に埋もれた峠を越えて行くのは難しく、単純な遠さもある。また、こちらの提案を呑める派閥が本当にいたとしても、アポなしで受け入れてくれる可能性は低い。
約束を取り付けるため、先に誰か送り込む必要がある。過酷な任務だ。
議論の大部分はこの選定に費やされた。
大所帯で行ってエルフに勘付かれては困るので、お偉方は上から順に候補から外されていった。各国はそれぞれ自らの息がかかった人物を推挙していったが、最終的にセーラムとディーンは、ここで一旦引いてルーシアをいい気にさせておくという方向で一致した。そのため、使者はルーシアの文官と、アデナ学校でも働いてくれているローム・ヒューイックさんの二人ということになった。
せっかく確保した学校のスタッフが減るので正直勘弁して欲しいところだったが、直属の上司であるマルハザール大統領の命令では断れなかった。なんでも、同行する文官は身内から罪人を出していて、その恩赦のために今回の任務を引き受けた――というより押し付けられたということだ。ヒューイックさんはその監視役に割り当てられた。
そんなくだらないことで彼を連れて行くなよ!
――と、会議の場で声を大にして言えるはずもなく……そういうことに決まってしまった。
それに、ヒューイックさんは通信魔法家だ。逐一報告ができるし、白兵訓練を見る限りではかなり腕も立つ。むしろその文官より、使者としては適任かもしれなかった。
だが、やっと帰ってきた。
俺はアデナ学校で再び彼と顔を合わせた。
「お久しぶりです、ヒューイック様」
とても数ヶ月に渡る出張を終えた後には見えなかった。
ここで別れた時と何ら変わらない、次の仕事を処理しようという顔だった。
帰還してから数日と経っていないはずだ。その上で、彼の中では、アデナ学校の教官と、蛮族領への使者の任が同列なのだろうか?
「本日より、こちらの業務へと復帰します」
まとまった休養も無しに?
「また、よろしくお願いしますよ。それと、私からはまだ言っておりませんでしたね。任務の達成、おめでとうございます」
「……どうも」
蛮族領にはこちらの訪問を受け入れる用意がある――との報は、ヒューイックさんが現地で交渉を終えた時点でこちらへと送られてきていた。
「お連れの方は、残念でした」
「……そうですね」
例の文官は、帰りに起きた崖崩れの事故と、それに伴う遭難で命を落としたそうだ。
どこをどう切り抜けたのか、ヒューイックさんだけが生き残った。
俺達の思惑に翻弄された末、押し付けられた任務を全うしてきた彼らは間違いなく勇者だ。勇者だが――この男は、化物じみている。
「恩赦は、適用されたのですよね?」
「そう聞いています」
――それで、ヒューイックさんには、何か特別手当は出たのだろうか。
彼は、グラウンドで徒手格闘に励む客人達に視線を移した。
「……お話は、以上でしょうか? 長いことこちらの仕事から離れていましたし、まずは一度、皆さんの練度を確認しないことには――」
「あー、ちなみにその、ヒューイック様、首都へ戻られてから、お休みはどれほど?」
「休憩、ですか?」
「はい、休暇」
「――王城へ入ったのは一昨日の昼頃です。それから口頭での報告と質疑応答を済ませて、食事を摂って入浴もして、報告書を書いているうちに翌日の昼まで時間が過ぎていましたから、同僚の方々と通信で聞けなかった分の連絡をして、大統領閣下がそちらのオーグシュル侯と戦盤の約束があるというので、日暮れ前までその供をしまして、一旦仮眠をとって、夜中に目が覚めたので、報告書の残りを仕上げたのが、先程でしょうか」
彼は心底、不思議そうな顔をした。
「どうして、そのようなことをお訊ねに?」
少しは休めたのか知りたかったから訊いたんだけど、ええと、休めてねーじゃん?
「……、……あ、いや、長旅でまだお疲れでしょうし……実はその、今日はですね、軽く挨拶だけ済ませたら、早めに上がってもらおうかと考えていたんですよ」
彼はさらにさらに不思議そうな顔をした。怪訝でさえある。
「それは……一体、どういう……? ――もしや、不在の間に、事情が変わりましたか?」
「えっ? あ! いや違うんですよ決してヒューイック様がもうお呼びでないとか、そういうわけではなく、むしろやっと戻ってきてくれたなあと思う次第でして、だからどうか誤解しないで……」
「自分はそのような解釈はしておりません。ただ、これまでの業務とはまた別の担当になるということであれば、そのための準備が必要でしょうから、時間をそちらに使えということなのかと――」
「ええ!? そんなわけないじゃないですか! 貴方にはほとんど全部やってもらっていたんですから……!」
どうしてそういう発想になるんだ。
「ですから、自分のいない間に、新しい教程が導入されたのかと――」
「いやいや、変わりゃしませんて! また前と同じようにお願いしますよ!」
「……そうですか」
「――ただですね! 直前のお仕事は実に大変そうでしたし、それで満足にお休みも取れないまま復帰ということになりますとですね! 本人の自覚も薄いまま体調不良になったりしてですね! 却って仕事に支障が出ますから……こちらは今更、一日二日急ぐような取り組みではないのですから、だから、えーと、――そうです! 一種の業務命令としてですね! 今日はとりあえず半分休暇ということで、どうか処理してください! わかりました?」
アデナ先生はどうでもよさそうにしていたが、「必要ならそうしたら?」という言質は取ってる。いくら優秀だといっても、機械じゃないんだ、ヒューマンなんだ。無茶な働き方をすればどこかでツケが回ってくる。第一、機械だって疲労すれば壊れる。
大事なのはメンテだ。
ルーシアの人は、そういうことはあまり考えないのだろうか?
それとも、この人だけが特別に雑な扱いをされているだけか?
「……そうですか。そういうことであれば、本日は顔見せだけにして、また明日より本格的に教務へと戻ることにいたしましょう」
「あと、しばらくは二日に一度の出勤で済むようにしますので、そのおつもりで」
「……わかりました」
釈然としない表情のまま、彼は去っていった。
そういうわけで、目下注力すべき企画は、蛮族領訪問ということになっている。
ヒューイックさんが第一報を入れてからすぐに、こちらでもまた誰が行く行かないで揉め続けた。言い出しっぺの姫様とお付きのジュン、そして目的のオブジェクトを動かす技術者としてレギウス、この二人と一匹はすぐに決まった。
そこからはまたうんざりするような見栄の張り合いと、屁理屈の応酬である。
雪解けまでに決着がつくのか――と外野の目からは危ぶまれたが、それでもなんとか、のろのろと話は進んでいき、今では最終調整の段階に入った。
ルーシア相手に譲歩していた分が効いたのか、姫様中心という図式は変わらず、セーラムからは護衛の意味でデニー・シュート隊と、客人達が捻じ込まれた。特に隣界隊にはそろそろ遠出をさせたいと思っていたところだから、絶好のチャンスではあるのだが――引率者である俺がまだ参加確定出来ていない、というちょっと微妙な状況だ。
やはりチンピラ同然の真似をしたのがまずかったか、マルハザール大統領が強硬に俺を遠ざけようとしているらしい。それ自体は感情任せと分析されており、ディーンの面々からは同情的な言葉もかけてもらえるものの、ここまで尾を引くとなると自分の短絡的な行動が大いに悔やまれた。姫様と王様はベストを尽くしてくれると思うが、さらにアキタカ皇帝は助け舟を出してくれると思うが、駄目だった時のことも覚悟しておかなければならないだろう。
ちなみにディーンからは、フォッカー・ハギワラ氏と彼の直属の部下達、そして俺と縁はないが著名な学者が数人だけ同行する。
苦戦したルーシアからは、ヒューイックさんが向こうと面識を持ったということもあり続投、そして学者枠でルブナ・ジュランさん――彼女は客人達の世話係も兼ねる。あとはやはり護衛のための少数精鋭が付いてくる様子。
もう一度か二度、会議を重ねれば面子に関しては完全に決まってしまうだろう。今のうちから始めておけば、旅支度が遅れるようなこともない。あとは雪さえ完全になくなってくれれば、すぐに出発できるだろう。
自室の戸が、叩かれる。
「……はーい?」
ここへ来たばかりの頃は、時々姫様がこの部屋まで来てくれたものだが、俺の存在が表へ出ていくにつれ、その回数も減っていった。わざわざここまで来なくとも昼のうちに会えるからだったが、それも冬に入ってからは、互いに別々の仕事で忙しくなった。俺が苦言を呈してからまた定期的にアデナ学校へ参加してくれるようになったので、会う機会が少なくなったわけではないが、他のことで頭がいっぱいなのか、たまに顔を突き合わせても必要な話し合いを必要な分だけこなすというような感じで、そうなると口調もどんどん事務的なものになっていってしまうし、他愛のない会話をしたり、ちょっとした遊びに興じることは、もうなくなってしまった。
考えてみれば、姫様はこれまでずっと、俺とジュンにかかりっきりだった。
それが今は、俺が先輩として隣界隊を教えるような立場になって――つまり、手がかからなくなって……そうだろうとも、だったらもうジュンだけ近くに置いて面倒を見た方が効率的だし、俺にはやるべきことを割り振って任せた方が、自立を促せる。
事実、俺はアデナ学校でも教授達との勉強会でも、いちいち姫様の支持を仰がずに進めるようになったし、それで目立つような問題も起こっていない。これは我ながら――ちょっと前までは考えられなかった進歩だ。
結論として、姫様は、冷たくなったのではない。
むしろ、俺が成長するために導いてくれている。
ただ……寂しくないと言えば、嘘になる。
だから、久々に叩かれた扉の音が懐かしく感じられ、また嬉しくもあった。
おそらく、既に会議の結果は出ていたのだ。それで姫様は、わざわざここを訪ねて、今日のうちに知らせてくれるというのだろう。それが良くない知らせであっても――そう、久々に、俺と姫様だけでの、作戦会議になるだろう。
「今開けますよ……はい。――あ」
違った。
「夜分に失礼いたします、フブキ殿」
「……ジュラン様……?」
ジュランさんだった。
「どうしてここが?」
「ここに寝泊まりしている、と前に仰っていたのを思い出して、それで」
「そうでしたっけ……」
はにかんだ笑みで、見つめてくる。
「――来てしまいました」
「ええと、もしかして、何か急用が……?」
「……いえ、ですからその、何と言ったらいいのか……ただ、来てしまいました」
「そ、そう……ですか。……中、入りますか?」
「はいっ!」
意外に強い返事で、俺は面食らった。
一体、今までのやり取りのどこで、そんなに気合を入れる部分があったのか。
「じゃあ、どうぞ……何もないですけど」
とりあえず、姫様にしていたのと同じように、椅子に座らせて、自分はベッドへと腰かける。
ジュランさんは部屋をぐるりと見回している。注目するものがあるとしたら、読みかけの書物と、水が入った瓶、くらいか。
「あっ、寒くないですか、寒いですよね。えーと、」
こんな時に限って、湯たんぽ(と大体同じようなものがある。セーラム産とディーン産がある)が冷めてしまっている。もう寝るつもりだった。
「これもう冷たくなってるな。……布団、使いますか?」
「いえ……」
「ですよね汚いですもんね!」
「ああ違います! ほら、一応、着込んできましたから……」
「あっ、なるほどー……。いやあ、今度姫様に火鉢使わせてもらえるよう頼まないとなあ。ディーンのものだから、高いかもしれないですけど……」
それより、もっといいところへ住まわせてもらったらどうか? という疑問がジュランさんの顔に書かれた気がした。
「実を言うと」
「――はい」
「お部屋が見たかったのです」
「……はい」
え? そんだけ? 多分もう見終わったよね?
……うーん、とりあえず何か、面白いこと言っとくか。
「――中々の場所でしょう? これ後から管理人さんに聞いて知ったんですけど、実は占いで一番いい結果が出たところらしいんですよ! 私もここへ来るまでは踏んだり蹴ったりの毎日を送っておりましたが、引っ越してからはあら不思議、持病の腰痛がみるみるうちに良くなって、外出すれば二回に一遍はお金を拾いますし、ぐうたら寝転んでいるだけで筋肉モリモリ、すれ違ったご婦人方からも多少可愛がられるようにな」
「あの」
「はい」
「あたくしが、今度の視察に同行することは、ご存知ですよね?」
「ええ、ヒューイック様と一緒に選ばれたと……」
「その、こういうことを言うのは、変に思うかもしれませんけれど、あたくし……」
あたくし?
「フブキ殿がまだ選ばれていないのは、おかしいと思います」
おかしかないよ、大統領に嫌われてるんだから――いや、そのへんの事情まではジュランさん知らないのか。
「自分が選ばれた時からずっと、またフブキ殿と同じ仕事が出来るんだって、そう思ってて、でも、もしそうならなかったら、あたくしどうしていいか――」
どうしようもないだろ……。
「それは、私としても蛮族領は見てみたい場所ですが、決めるのはあくまで上の方々ですから……」
「フブキ殿は」
「はい」
「あたくしとあの学校で仕事をしていて、いつもどう感じていらっしゃ――」
ジュランさんは途中で言うのをやめて、少し顔を赤くし、俯いた。
「あの、ジュラン様?」
「――とにかく! 一緒に旅ができることを、あたくし祈っておりますからっ」
「……ジュランさん」
ま、俺もそこまでニブチンじゃない。
「私もそう思っています。一緒に行けたら、嬉しいです」
ジュランさんは、今度は泣きそうな顔になった。
そして椅子から素早く立ち上がり、
「失礼いたしましたっ!」
逃げるように、部屋から出ていってしまった。
妙に寒さが増したような気のする部屋で、俺は一人、呟く。
「……でも、なーんかズレてるような……?」




