7-13 参加推奨
その時の面接が一番ひどかったように思う。
学生服メーカーの一次で、俺は他の女の子二人と一緒に並べて座らされた。それぞれに同じ質問が順番に振られていく、そういう形式だった。
マエゾノさんは進行役に徹していて、にこやかではなかったが今ほど低温度な感じでもなかった。
当時の俺は準備が苦手な男で、いや、今も苦手なのには変わりないが、とにかくそれを言い訳に碌な対策も取らないまま本番へ望むという、愚か者の手本のような奴だった。
で、いざ喋り出す段になって、志望動機が全部飛んだ。
不思議だった。少ない脳味噌を使って一応そこだけは台詞を憶えてきていたのに、何もはっきりとは思い出せなかった。むしろそこしか暗記していなかったから、どうしていいのかまったくわからなくなってしまい、かといって俺が何か言わないと場が進まないので、唸ったり(あー、ええと)、何度も中断したりしながら(申し訳ありません大変緊張しておりまして)、その会社については何も触れられていない意味不明で支離滅裂な二行くらいの単語の羅列をなんとか喉の奥から絞り出した。女の子二人は病人を見る目で俺を見ていた。もしかしたら本当に病気だったのかもしれない。わからない。
はっきりしているのは、それよりはマエゾノさんの視線の方が堪えたということだ。
女の子二人と違って、彼は理解していた。
様子のおかしい俺を訝しげに眺めるようなことはしなかった。困惑して助け舟を出そうとするわけでもない。ああ、こいつはこれまでに何もしてこなかったんだな、だからこういう時に恥をさらすことになっているんだな、と事実を受け止め、確認するように俺を見ていた。もちろん病気なんかじゃなかった。当たり前だ。病気であれば、それは立派な理由になってしまう。できないことの理由に。彼は俺がただクズなのだということに明らかに気付いていた。駄目な奴でもかわいそうな奴でもない、そういうのには分類されないものであることをわかっていた。
トラウマになった。
全て俺が悪い。だが、それでもトラウマだ。今でも夢に見る。
そういうわけで、マエゾノさんは俺にとって印象深い人物なのだった。
「いやね、本当に偶然会ったというだけのことで、こうしてプライベートな時間にお邪魔しているわけではないんですよ」
と、俺は話を切り出した。
ジュランさんと気まずくなったので場面に転換が欲しかった、それもあるが、
「実は明日にでもそちらへお伺いして、話そうと思っていたことがあるんです。だから、その、丁度よく手間が省けそうだったので……」
彼は手元のスープからやっと顔を上げて、こちらを見た。
召喚した直後、俺は知っている顔を引くとは思わなくてひどく驚いた。でも、姫様やジュンの前でそのことを話題として出すのは場違いな気がして、やらなかった。どういう理由で顔見知りなのか、知られたくなかったのかもしれない。多分こっちだ。
俺は、自分のことを憶えているかマエゾノさんに訊ねたことがある。
彼は憶えていた。
きちんと、面接で沈黙した奴として、俺のことを憶えていた。
「ええと、ナガセさんから聞いてご存知かと思うんですが、というか、結構しつこく誘われているとも思うんですが……定期的に! 勉強会を、開いていまして。私がここへ来てからずっとやってるんですけども、正直言って! もう! 教えられそうなことないんです! 少なくとも、私には……。特に理系の科目なんか本当にさわりの部分しか憶えてないので質問されても答えられないんですよ。だから、講師というほど堅苦しくなくて構わないですから、話を広げられる方を大募集中なんです! どうですか?」
マエゾノさんは何も言わない。
「大体、皆さん私より何千倍も頭がいいから何かを教えるってのが無理あるんですよ。だからここのところはナガセさんとワタナベさんに相手してもらってるんですけど、ほら、アデナ学校を各国で連携してやっていくことになってから、勉強会も参加者がえらく増えて、ナガセさんはともかくとしてワタナベさんの方が弱気になっちゃって、自身がないのは私もなんですがこの調子だと彼らの欲求に応えるのが難しいんです、どうですか?」
マエゾノさんは言った。
「その集まりは、あなたの目的に繋がりそうなので、参加は考えていませんでした」
俺はそうでもなかったが、ジュランさんはさすがに面食らっていた。
「――そうですか」
「前にも言ったと思いますが、私はあなたに協力したくありません。話を聞いた限り、八つ当たりをしているとしか思えないからです。しかも、この世界の人々を巻き込んでいます。ヒューマン民族とエルフ民族の間にある溝は確かに問題でしょうが、それとこれとは話が別です。大義名分を利用して個人的な恨みを晴らそうとするあなたの行動を肯定することはできません。私は周囲の方々から受けた恩があるので、子供達に勉強を教えるという形で少しでもそれを還元しようとしているだけで、あなたの目的に同調してあなたの欲望を実現するための協力者となるつもりはありません」
それまでの寡黙さから一転、長々と喋り倒したのにもジュランさんは驚いていた。
この国に来たばかりの時、彼は最初の質問攻めではほとんど何も答えなかった。
通い詰め、色々と聞き出すまでには結構な時間がかかった。
俺のしつこさを疎んだのか、ある時、彼は俺がこの世界に来た時からさらに先の時間軸に置いて、会社の都合により退職を余儀なくされたと説明した。
要は、リストラだ。
こんなまともな人でも首を切られるのか、と俺は思った。彼は直接そうだとは言わなかったが、その退職が自らの命を絶つに十分なイベントであったことは想像に難くない。やるせない話だ。俺が紹介したんだから、働き先の寺子屋からマエゾノさんの仕事ぶりは自然に伝わってくる。彼は仕事のできない人ではない。それでも職を失い、おそらく生きる希望も失った。この人は何かに腹立たしくなったりしないのだろうか?
「これは手厳しい。――うーん、でもマエゾノさん、俺がエルフを殺して回ってる様子を実際に見たわけじゃないでしょ? 戦争を利用しているって、まあ否定はしないですよ、俺と姫様の勝手な行動に付き合ったり影響を受けたりして大変な目に遭った人や命を落としてしまった人が大勢いるわけでね。でも、俺が関わらなくたって人は大勢死にますよ。奴隷にするのなんて気まぐれでね、それも長続きしない。もし抵抗しなかったら、エルフは嬉々として赤ん坊まで殺していきますよ。向こうは本気なわけですから、話し合いとかにはならないですよ。俺はそういう状況の中で、姫様に味方をしてこの国が勝てるよう及ばずながら力を貸して、その過程で、ついでに、仕返しをしようとしているんです」
マエゾノさんはしばらく、俺を黙って見つめていた。
今は、目を逸らさずにその視線を受け止めることができる。それだけの自信を持っている。かなりイヤーなことを言ったが、俺は真面目だ。イカレてるってんじゃない。
「マエゾノさん、仕返しなんですよ。この戦争はもしかしたらヒューマンから先に手を出したのかもしれないし、逆にエルフが始めたものかもしれない。でも、少なくとも、俺に対して先に仕掛けてきたのは、向こうだ。応じないわけにはいかないんですよ」
それが今の志望動機だ。
暗記なんかしなくてもいい。自然と口から出てくる。ちゃんと言える。
ジュランさんは引いたかもしれないが、この際、その方が都合はいいかもしれない。
どのみちこれを許容してもらえないなら、付き合っていくことはできない。
「――あの、」
彼女が口を開いた。
「あたくしからもお願い致します。失礼ですが、マエゾノ様は、フブキ殿のことを誤解されてはいませんか?」
……あれ?
「フブキ殿はヒューマン同盟の救い手なのです。もう少しであのエルフ達に屈してしまうところだったヒューマンの、希望の風です」
おう、ちょっとちょっと、ちょっと待って。
「あたくしは直接戦場に出たことはありませんが、フブキ殿の起こした竜巻が、このセーラムの都へ押し寄せるはずだったエルフの軍勢を無力化したと聞き及んでおります。おわかりですか? マエゾノ様が教えていらっしゃる子供達も、エルフの魔の手にかかっていたかもしれないのです。それを、フブキ殿とその主様は防がれたのです」
おいやめろ、何言ってんだ?
「後から来たマエゾノ様が、少ない情報でそういった決めつけをするのは、よくないことだとあたくしは思」
「ジュラン様! ストップ!」
俺は彼女の前へ身を乗り出した。手刀と共に。
ジュランさんは目をパチクリさせ、
「――ストップって、どういう意味の言葉なんですか?」
「……止まってください、という意味の言葉です」
多分、声が大きくなりすぎていたと思う。周りからガッツリ見られている。
座る。
「……ええと、マエゾノさん今のは気にしないようにしてください。まあとにかくですね、すぐにでも準備を整えて教えろなんて乱暴なことは言いませんので、まずは見学という形から始めてはいただけないものかと思っているんです。私のことが嫌いならもーあんな大変な仕事には関わりませんので、どうぞマエゾノさんの好きにやってくれて構いません。だから、一度でいいので、ちょっと覗いてみてもらえないかと、それで気が変われば是非取り組んでもらいたいですし、そうじゃないなら無理強いしないという方針があるのでこちらとしても残念ですがもう二、三回くらいしつこく勧誘しても駄目なら諦めるほかない、と、そういう次第でして。――如何でしょう?」
マエゾノさんは相変わらず空虚さを含んだ目でこちらを見ている。いや、俺が勝手にあの瞳は空虚なもんだと受け取っているだけで彼は彼なりに色々思うところがあるに決まっている。俺のことは嫌だって言うし。
ただ、それを隠すことに長けてしまったんだと思う。
ジュランさんのおかげでややこしい雰囲気になっているので効果があるかはわからないが、もうひと押し。
「あの、さっきワタナベさんが弱気になってるって言いましたけどあれ控えめに言ってみただけで、実はもう結構キてるんですよ。マエゾノさん呼んでくれマエゾノさん呼んでくれって別にワタナベさんの教えぶりがマズいわけじゃないのにうるさいのなんのって多分マエゾノさんが隣に立ってるだけで何も手伝わなくてもあの人持ち直すと思いますよああこれ内緒にしといてくださいね、で、ナガセさんも俺はもっと自分のことに時間を使いたいからやるならせめて一緒にやってくれる人探してくださいでなきゃやめますなんて言うんでそうなるとまた私が一人で全部相手しなきゃならないでしょう? 前はそれでもよかったですけどもう今はそれじゃあ足らないんです。足らないんです!」
マエゾノさんは、俺の話を聞いていないわけじゃない。
でも眉ひとつ動かさずに処理する。
「……確かに、そちらの御婦人の言うように、私はあなたのこれまでの積み重ねを間近で見てきたわけではありません。しかし私は私なりに様々な方面から話を聞いた上で、それらを総合して判断しています。――それでは足りない、とあなたはおっしゃる」
マエゾノさんが各方面に聞き込みをしている姿がいまいち想像できなかったが、客人同士の横のつながりは当然あるわけだし、やろうと思えばそこからいくらでも派生して人に会うことはできる。さすがに姫様や王様を始めとした偉すぎる人々へのアクセスは不可能だろうが、事情を把握している人物を探し出すことは不可能ではないはずだった。
考えてみれば、彼がこんなところで一人飯をしている姿も、この目でしっかり見たからやっと信じられたようなものだ。裏を返せば、俺の知らないところでどんな動きをしていても、それほど不思議ではないということになる。気付かなかっただけだ。
「ええ――マエゾノさんには、もっと知っていただきたいことがたくさんあります」
「より多くを知ったとしても、私の持つ考えが変わるとは思えない。しかし――判断の材料が不足しているという点に関して否定はできません。それを補うという意味で、そちらの要請に応じるということはできると思います」
「はあ、そうですか――あれ? じゃあいいってことですか? 来てくれますか?」
「見学だけでも、よろしいんですね?」
「は、はい! それだけで! もう! いやーワタナベさん喜びますよ! え、本当ですよね? 本当に? 来てくれます?」
「……そうだと言いました」
「あ、すいませんなんか……」
「勘違いなさらないようにお願いします。あなたに誘われたから行くのではなく、そちらの御婦人の言うことが一理あると感じただけです。彼女に免じて一回は行きますが、それ以降のことはお約束できません」
「いえ、それでも、ありがとうございます!」
それでも、大事な一回だ。あるとないとでは大違い。
「礼は彼女に言うべきでは?」
ジュランさんの方を向くと、彼女はニコリと笑いかけてきた。
「ありがとうございます……」
「いいえぇ! よくわからないですけれど、お役に立てたのなら!」
「ほんと、どうも……」
一時はどうなるかと思いましたが、どうも。
「あ、それじゃあ、代わりに一つ、お願いを聞いてもらってもよろしいですか?」
「ええ、それは……ええと、できることなら」
「その勉強会、あたくしも出てみたいんです!」
あれ? 参加したことなかったっけ?
「あれ? 参加したことなかったですか?」
「はい!」
確かに俺も、一人一人に向かって、あなたはどこ出身のどういうヒューマンですか、などといちいち確認を取ったりはしない。よく来る人は顔を憶えたり姫様や他の人から何者か聞いておいたりするが、それだって全員じゃない。
ジュランさんはセーラムへ滞在するようになってからそこそこ長かったはずだ。だからアデナ学校にも配属されたし、スムーズに馴染んでもいる。客人達にものを教える前も何か研究職っぽい仕事をしていたらしいし、だからなんとなく、彼女くらいの人ならどこかで一回は参加しているような気がしていたが、そうか、気のせいだったか。まあ女性でしかも若手だと周囲の環境によってはあまり自由に動けないのかもしれん。
「そうでしたか。では、次回は、ジュラン様もご一緒に」
「よかった! 機密のこともあるでしょうし、あたくしのような者では到底立ち入れない場だと思って、駄目で元々のつもりだったのですが……」
「いやいや、とんでもない! もっと早くにお招きするべきでした。気が利かなくて申し訳ありません……」
「楽しみにしていますからね?」
こうして、話題は勉強会を中心にして膨らんでいった。マエゾノさんが無口なのはそのままだったが、ジュランさんとの気まずい沈黙は無事に解消された。席を移動してよかった。
円盤焼き豚燻製乗せは、評判の割にはあんまりおいしくなかった。
カラサワさんならもうちょい上手く焼くかもな、と俺は思った。
この店はもったいないことをしたかもしれない。




