7-11 お誘い
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報復はなかった。
客人への対応以外にも、この冬には決めなければならないことが山ほどある。なので会議は続くが、以降の席では俺は出入り禁止となった。ただ、それはそれとして、半ばなし崩し的に、隣界隊をヒューマン同盟全体で育てるという方針が認められた。
手始めに、セーラムへ滞在しているディーンとルーシアのスタッフを武官・文官問わず何人か集め、アデナ学校に教官として参加させる運びとなった。それで少しの間やってみて、一旦、要領を掴み、後はそれぞれの本国から追って通常ルートでやってくる講師に順次引き継いでいく予定だ。
ついに数が足り始めようとしていた。ディーンからはとりあえず、フォッカー氏が代表して武芸百般の指導にあたってくれている(もちろん彼だけの仕事ではない)。あの人は多忙の身であるし自分のとこの部下も大勢抱えているから、いつまでも付き合ってもらえるわけじゃない。周りを置いてけぼりにする戦い方から察するに、教えるのもあまり得意ではないかもしれないという不安もある。それでも彼は紛れもない実力者で、隣界隊のお手本として頼もしいことには間違いなかった。あれほどの強さがあれば、少なくともエルフと戦うことに関しては申し分ない。何匹殺せるかという話ではなく、行って、帰って来ることができる。それが大事だ――実際に、戦う気になるかどうかの話。
問題はルーシア側からの応援で、俺はいつ落とし前をつけさせられるか戦々恐々としている。王様にもよっぽどのことでなければ何を言われても譲歩して受け流すよう指示されているし、俺も今回ばかりは彼の助言を聞き入れるつもりだ。
だが、彼らは不気味なほどおとなしかった。
フォッカー氏がディーンを代表しているように、ルーシアからも、新しいスタッフ達を代表してまとめるポジションの人達が学校に送り込まれてきていた。
一人は最初の会議にもいたハンサムな若者だった。濃いハンサム。マジックペンで引いたような眉と、頬も顎も覆う髭。なのに、むさくるしさはない。若者、といっても歳は俺と同じくらい。あの時は何も喋らなかったし喋らせてもらえていなかったのでどういう人物なのかよくわからなかったが、実際に接するようになってもやはりよくわからないままだった。意思疎通に問題があるわけではないが、ちょっと……何というか、事務的だ。
ローム・ヒューイックという名前で、とりあえず一通りのことはこなしてもらっている。ということは、つまり激務なのだが、彼は文句一つ言わず、淡々と処理していく。これは結構すごいことで、大抵の人々はまず召喚魔法と別の世界の存在に驚き、次いで客人とのカルチャーギャップに戸惑うものだが、このヒューイックさんにはそういうところは見受けられなかった。もしかして俺達のいた世界のことを知っているのかと思ったが、話を聞いてみるとそういうわけでもないらしく、彼にとっては驚くに値しないか、そうでなければ、この新しい仕事へ取りかかる前に、既に驚き終わってしまったということらしい。
この役割が押し付けられたものであるということも、一因かもしれない。
手は抜いていないというか、むしろ二人分くらい働いているんじゃないかという感じがするのだが、明らかに乗り気ではなかった。口が裂けてもそうは言えないのだろうし、あの上司のことを考えると、敬意もなけりゃ忠誠心も育っちゃいないというところか。そもそも、ヒューイックさんがルーシア内でどういう立ち位置のヒューマンなのかさえ、よくわかっていないところがあった。デニーは軍人、フォッカー氏も他の仕事は多々あろうがほぼそんな感じ、俺やジュンでさえ道化師や従者って肩書きがある。自己紹介をし合った時に、本国では何をやっていたのか聞いたのだが、返答はこうだ。
「……言われれば、何でもやりますが」
よろしい。彼は何でも屋だ。――大統領直属の?
「私からみなさんにお伝えしたいのは、魔法を少しでも上手く使うためには、イメージの具体性が必要、ということです。このことは私以外の人からも割と口酸っぱく教えられているかと思いますが、意外と実演の機会はあまりなかったようなのでこうして一例を――上の方から失礼しています」
俺は眼下の人々に向かって、拡大した音を投げかけた。もちろん魔法を使ってだ。
練兵場の大部分は屋外だが、屋内施設もある。雨天用の(暴れてもいい)部屋とかレプリカ武器の倉庫とか更衣室やトイレもそうだしまあグラウンドだけじゃ限界があるわけだ。俺はその建物の屋根にのぼっていた。三階……というか見張り塔みたいな部分があって、鐘も付いてるんだけど俺はそのさらに上にいる。当然階段からは行かなかった。階段なんか使わないことも含めて実演だからだ。
「皆さんには拡声器を通して聞こえているような感じがしていますか? どうですか」
何人かが頷いている。
「それも実は私が拡声器っぽい音を思い出して再現してるんですね。懐かしいですね運動会の時とかこんな感じだったと思いますが――だから、やろうと思えば、」
音の質を変える。
「こんなふうに、」
瞬間、ほとんど全員が右へ左へ仰け反ろうとした。
それを見てちょっと面白くなったが、それ以上はやめにした。
「ごめんなさい気持ち悪かったですね。今みたいに、皆さんの隣に立って喋っているような感じにもできるんですね。音を離れた場所に届けたわけです。私は風の魔法を使えるということを前に話したと思いますが、物理的には音というのは風とはほとんど何も関係ないです。私が音の魔法も使えるということじゃないですよ、私には風だけ。でもこういうことができるのは――イメージがあるからです。風が音を運ぶ、そういうイメージを基盤に据えてこれをやっています。私は風は音を運ばないということを知っていますが、それはこの世界においても間違いはないはずです」
俺は痛いくらい強く手を叩き合わせた。
「音は空気の中を伝わっていく振動です」
少し視線を映す。生徒達が姫様を見守っている。
ただし、今日は剣を帯びていた。
「でも、それが全てじゃない」
実演がある。ジュンも隣にいる。
指導官が大幅に増えるというので、いよいよ姫様が他のことへ一気に集中する素振りを見せ始めた。実務としては正しいと思うが、大将として正しい姿勢かどうかにはまだ疑問が残っていた。
そりゃあ例えば各国との調整は大事な仕事だ、国内の偉いさんに根回しすることだって、俺達がどういう存在かということを考えればこれから益々重要になってくる。俺は家に帰ってこない亭主を待つ奥さんのようなことを言うつもりはない。彼女は彼女にしかできないことを山ほど抱え込んでいるわけで、誰かが代わってあげることができないんだからこちらのことが疎かになるのはある程度までは仕方ない。
だがどうだ! 俺は合間を縫ってアデナ学校の面々にきちんと一人一人聞いて回ってみた――姫様の名前を忘れてる奴が三人いた。三人もだ!
だから言ってやったんだ、今にあんたの顔まで忘れられちまうぞ、戦場であんたを守れと彼らに命令する時、人相の説明までしなきゃならないのか? って。
四日前のことだ。
そうしたら、今朝になって直々に稽古をつけると言い出した。
「魔法を使えば、私達が知っているのとはまた別のやり方を試せます――それが信じられるようになれれば。別にデンパっぽいことを言うつもりではないですが、私には風が見えます。視覚的にではないので、あまり正確な表現ではないですが……でも風がどう動いているのかは、もしかしたら気象学者よりもよく知っているかもしれません。だから、風が音を運ぶのも見える。見ようと思えば――魔力を払えば。四大元素の……それこそ風の化身が、一匹一匹、振動の一つ一つを抱えて飛んでいくのかもしれない、とか、そういうことを考えてみると、意外とそれがそのまま魔法の助けになり得ます。皆さんにもこれが当てはまるとは限りませんが、そういうこともある、というわけです。例えば、あそこにいるメイドの格好をした人は水の上を歩くことができます。歩かせることも。フォッカー・ハギワラ教官は皆さんの足元から自分用のとてもいい武器と防具を作れます。火の魔法使いは、高度に熟達すると熱そのものを操れるようになると聞きます。そういうことができればどうなるかというと、自分の身を守れる可能性が広がります。それだけではなく、相手を殺せる可能性も高くなります」
エルフは、ヒューマンを皆殺しにはしないかもしれない。
だから戦いに身を投じさえしなければ、命だけは助かるかもしれない。
でも、それは高そうな方の可能性に賭けているだけで、保証ではない。
そう、保証はない。エルフに殺されるという保証さえも。
まあ、言い出したらキリがないか――でも、突き詰めたらそういうことだ。命が惜しいからという理由で戦いから足を遠ざけても、それがそのまま命を守ることに繋がるかまでは、わからないと思わないか?
俺達が生きていた時代でさえ、海の向こうの遠いどこかで、そこに住んでいたくらいしか関係のない人達が巻き込まれて死んでいた。それが因果だと言えるだろうか?
「避けてもしょうがない話なので今ここではっきり言いますが、この学校に参加した以上、一番に望まれているのは結局それだというのを忘れないでください。もしこうして訓練するのが嫌になったり、あるいはやりたいことができたり、他のまともな理由によってここを離れていったとしても、そのことは責めません。悪いことをされたとも思いません。少なくとも私は。それと、私の主も。そして、皆さんに接してくれる人達には私達が直接的な争いの非常に少ない場所から来たことを伝えてあります。だから、多くの方々は理解してくれると思います。ただ、それでも――変なことを言うようですが――皆さんは誰かを殺すことを期待されている……その事実を、忘れないでください」
いや、やめよう。口に出したように、はっきりと言わなきゃ。
俺の個人的な活動を都合よく手伝ってくれる人が欲しい。それだけだ。
「――長くなってしまいました。そろそろ実際に見てもらいましょう。私が空を飛ぼうとする時、ジェット推進のイメージは非常にいい助けとなります。身体のあちこちにそのためのノズルをつける。一つや二つだけではないですよ。必要なら手足にだって付けますし、空中に浮き続けていたいならジェット推進以外のイメージを用いることだってあります。ただ、こういうところから飛び降りて怪我をしないようにするだけ、というのであれば、それほどの数は必要ありません」
俺はおもむろに足を踏み外した。
わざとバランスを崩してもいる。視界いっぱいに青空が広がってから、きちんとジェットのイメージを手足に貼りつける。小型で、でも性能はいい。適切な量の風を使って、バシュバシュ、即座に体勢を整え、今度は雪の白。太陽の光を反射して眩しい。わかりやすいように、段階を踏んで減速し、一時は空中へ完全に止まる。そして、衝撃もなく着地。
「こんなふうに」
まばらな拍手。
「どうも。どうもありがとうございます。では今日も各自設定した目標へ向けて取り組んでもらって、私達は順番にそれを見て回りますので、温まってきたら模擬戦に移りましょう。姫様もお越しで、多くのことが学べるいい機会だと思いますので、質問があれば戦いに関係ないことなどでも遠慮なくするようにしてください。はい、始めていきましょう」
生徒達はお互いの邪魔にならないよう、方々へ散らばっていく。
冬の活動時間には実質的な制限がある。
「それじゃあここで一旦、昼休みにしましょう! 休憩後は座学がありますので、講義室の方へ移動してくださーい!」
よほど体温の高い人なら別だが、そうでなければ運動をしていても二時間、三時間と外気に曝され続けていれば体中が冷え切ってしまう。着込んでいてもだ。
生徒達はあまり寒そうにしていない姫様を見ては、首を傾げている。
「くあー、きつ……」
俺も手袋を脱ぎ、氷のような指先へ向けてゆっくり息を吐いた。
戻ったら霜焼け確定だ。
施設の前で、女性が待っていた。
用意された鍋の中身を椀によそって、一人一人に手渡している。
誰もがそれを有難く受け取り、少しづつ摂取していた。
「お疲れ様です! これ、どうぞ」
俺もそれを受け取った。
椀の中で、熱い生姜湯が輝いている。出来立てに違いない。
「ありがとうございます、ジュラン様」
もう一人が、このルブナ・ジュランという女性だった。こちらも若く(あるいは若々しく)、そしてやはり濃いビューティーだった。これでもかというほどビシバシした睫毛、笑うと目立つが下品ではない大きな口、キスシーンで相手を刺しそうな尖り鼻、墨汁のようなブルネットも雪と同じく日光をギラギラ反射。キマってる。いやちょっとキマりすぎてるか。どうもゴージャスな感じがして、話していると落ち着かない。
「もう、ルブナとお呼びください、っていつも言ってるじゃないですか」
「ああ、はは、まあ……」
主に世界説明を担当してもらっている。つまり座学全般だ。それと――別にそんなことしなくていいと思うのだが――雑用を何かと買って出てくれている。これだって誰か他の人に任せてもいいのに、わざわざ食堂から運んできてくれている。芯まで冷えた身体を引きずって移動するのと、温まりつつある身体で食事に臨むのとでは天と地ほどの差があるということで、合理的ではないかもしれないが、このワンクッションで救われるような気持ちになることは事実だ。湯を口に含み、それが喉を通って腑に落ちていくのがわかるだけで、僅かでも確実に活力が戻ってくる。
「しかし、ジュラン様もお忙しくされているというのに、このようなことまでさせてはルーシアの他の皆様に申し訳が立ちません」
「好きでやっていることですもの。あたくしは魔法の面ではお役に立つことができませんから、他の部分で少しでも皆様のお力になりたいのです。――それより、フブキ殿は、本日の暮れからはお暇ですか?」
こういうところがあった。
ローム・ヒューイックさんがよくわからない人なら、こちらのジュランさんはこれはもうはっきりと変な人だった。俺に絡んでくる。なんでも、ここへ来る前に噂をたっぷり聞いていたとかで、妙な憧れのような物珍しさのような興味を抱いているとのこと。
「その、行きたいお店があるんです。お食事処なんですけれど」
と彼女は言った。
うん、行ったらええやないか、と俺は思った。
「でも……一人で入るのはちょっと寂しいし、異人であるあたくしだけだと、セーラムの皆様も気にされるかと思いまして……だから、浮かないように、お付き合いしてくださる方を探していたのですけれど」
物好きにもほどがあった。
「それならデニー・シュート中尉はどうです? 気のいい方ですよ」
「もうお断りされてますの」
何だと? あの野郎。
「それはまた、残念な……」
「どうでしょうかフブキ殿、ええと、あくまでもお暇でしたら、でいいのですけれど」
「あー……、うーん……」
ちょっと好意っぽいのがなあ……。嬉しいことは嬉しいし、こんな美女と飯を食いに行けるってものすごいチャンスだと思うけど、道化師にこんな接し方をするってのは、どうだ? 大丈夫なのか? 国が違えば見方も変わるってことで納得するにしても、レディ、それってデートになるんじゃないのか? 許されることなのか? 気にしすぎかな? 人の出入りが多いと、奇妙なことが起こる――。
返事を言いあぐねていると、後ろから急に声がかかった。
「私は構いません」
「……姫様」
「彼女のような淑女からお誘いを受けるなんて名誉なことよ、フブキ。断るなんて許さないわ」
本気で言ってんのか?
「しかし……」
「ちょっと――」
と腕を引っ張られ、柱の陰の方まで連れて行かれる。
そっと耳打ちされた。
「いい? あなたはまだ失敗を償ってないのよ。こっちで点数を稼いできなさい」
ああ、そういうことね。
ジュランさんの前まで戻ってくる。
「行きます」
「本当ですか!? よかった!」
このはしゃぎよう。ヒューイックさんどう思ってるんだろ?
「それでは、講義が終わったら、待ってますからね! 約束ですよ!」
そそくさと鍋を担ぎ、建物の中へと入っていく。
「ええ、はーい……」
曖昧に手を振って、俺はそれを見送った。
隣に姫様が残った。視線を合わさずに言う。
「もしかしてちょっと怒ってます?」
「どうかしらね」
それだけ言って、彼女も消えた。
とりあえず、部屋に戻って着替えるべきか。




