7-5 ヒューマン同盟定例冬会議:議題『セーラムの背信行為』
そんなふうに事が回り始め、取りかかる前よりはいくらか気も楽になりつつあった。
望ましいと言えるほどの状態ではなかったが、最悪からも程遠い。やり方次第でこれからいくらでも広がりを見せるだろうし、逆に下手を打てば道を狭めてしまうか、台無しにしてしまうこともあるだろう。
「すると、盲いた予言者はこう言いました。『嗚呼! 知るとはなんという怖ろしいことでありましょうか――知っても何の益もないときには! そのようなことはよく心得ていたはずのわたくしが、うっかり忘れてしまっていた。そうでなければ、どうしてここへ来たりしよう?』」
ただ、行き詰まりを感じなくなってから、随分経ったのは確かだ。
問題はある。まだまだ山積みになっている。
――それらを喜ばしく思うようになるなんて、一年くらい前には信じられなかった。
たとえそれが仮初めに近いものであっても。
問題の質が違う。
忙しかった。いい意味でだ。
解決の糸口さえ見えないまま同じことを延々やり続けるのではなく、なんとかこなせるものが(疲れはするけど)適度に舞い込んでくる。
「王は驚きました。『これはまた――どうしたというのだ、何と悲しげな様子を見せるのか』、予言者はゆっくりと頭を下げます。『わたくしを家へ帰してください。あなた様もわたくしも、辛い運命に堪え抜くための、それが一番楽な途です――このわたくしの、申す通りにされるのが……』」
朝起きる。飯を食って、必要があるならアデナ学校の教官として練兵場に向かう。そうでなければ勉強会に来いと言われているので顔を出し、何もなければ首都近辺に散り散りの客人がちゃんと生活できているか見て回る(キップに乗らなきゃやってられない、彼は俺専属になりつつある)。
何せ異世界だ、アデナ学校に志願した人達はまだいいが、そうでない二十五人の中には、こういった死後の世界にあんまり乗り気でない人も多い。当面の仕事どころか何かをする気力さえない人だっているし、仕事をさせるには元いた日本の基準で考えるとまだ若すぎる、という人もいる。比較的精神の安定している人にはお誘いを重ね、駄目そうでも近況を聞いて相談に乗り、要望などあれば憶えて帰って、取り計らえるよう働きかける。時にはトラブルの収拾をつけることもあるし、自分でやらかした失敗の後始末に追われることもある。
そういうことをやっていたら、いつの間にか日が暮れてしまっているのだ。帰宅し、自室で姫様にこっそり進捗状況を報告しなければならない。残った時間は書物を読むか次の勉強会に備えるか芸の稽古をしているのだが、最近はそれができない日も出てきた。魔法だってまだまだ磨きをかける余地が残っている。
「『解せぬな、義に背くようなその申しようは。それが御身を育んだこの国に誠を尽くすことにはなるまい――ここで予言を拒むとは』、予言者は意外にもしっかりとした声色で応えます。『拒むのはほかでもありません、物を言うのは身のためにならぬと、わたくしは知っているからなのです。となればここで、過ちを犯したくはありませぬ』。わざわざ彼を招いた王としては、引き下がることはできません、『先祖の名にかけて頼む、知っていることがあるのならば、どうかあらぬ方を向こうとするのはやめてくれ。われらはみな歎願者となって、御身の前にこうして跪いているのだ』」
やればやるほど給料がもらえるわけじゃなく、次から次へとこなしていきたいような楽しい課題でもない。だが、俺はやっていた。明らかに大事なことばかりだった。
他人から見れば大した内容じゃない。
あの国の基準で考えれば、ハナクソみたいな仕事ばかりこなしていると思う。誰にでも代わりのきく、ちょっとした調整と管理ごっこだ。
そう、俺にしかできない仕事とは言わない。
でも、俺がやった方がいい――そういう状況は多かった。
「『それは、みなが何も知らないからです』」
前よりは――そう、この世界に来る前よりは、まだマシな振る舞いができている。そこにある種の救いを感じていないと言ったら、嘘になる。
「『しかしわたくしは決して、この不幸な秘密を明かしたりはしません――あなた様の不幸と呼ばぬとすれば、このわたくしの不幸を』。王はとうとう憤りました。『何だと? 知っていながら言わぬ気か! われらを裏切り、この国を滅ぼそうとの所存なのか?』、予言者は怯みません、『わたくしは自分をもあなた様をも、苦しめたくはありません。何故そのように、無益な詮議をなさるのですか。この口からは、最早何も聞き出せはしないというのに』……『おのれ、この人でなしめ!』――王の一喝が響き渡ります」
ある程度、ほんのささやかでも成果が見え始めてきたことで、自分に自信を持とうとする動きが感じられた。内側がそういう反応を示していた。醜い心の動きだ。
これが、充実というものなのだろうか。
それとも、そう思い込んで精神の安定を図っているだけなのだろうか。
「すぐにその怒りが収まるはずもありません。王は猛烈に予言者を叱り飛ばしましたが、盲者はむしろ涼しげに、『思う存分、怒りに任せて荒れ狂うのがよろしいでしょう』と言うばかり……」
今でも本番になると、心臓は悪い意味で破裂しそうになる。誰かの前でショーをする度、寿命が縮んでいるに違いない。足の震えを克服できても、こればっかりは慣れない。外から見えなくなった分の緊張を、代わりに内臓が負担するようになっただけだ。
とりわけ今日の公演は、これまでで一番観客が豪華だ。
大広間に詰めかけた客の数まで記録更新している。それもそのはず、ついにこのセーラムへ、アキタカ皇帝と――ルーシア共和国の大統領が、直接、やってきたのだ。
「そのうち、頭に一つのひらめきが舞い降りて、王はそれをそのまま口にしました。『よかろう、かくなる上は怒りに任せて、わが見抜いた事の真相を、一つ残らずぶちまけてくれよう。よく聞け――この眼に狂いがないならば、おまえこそはあの事件の企みに荷担し、さらには、自ら手こそ下しはせぬが、事を成し遂げた犯人の一味とみた。もしも盲でなかったら、この仕業は何もかもが、おまえの仕業だと言うところだがな』、これを聞き終わった時、予言者の表情が変わりました。彼は言います、」
それだけじゃない。召喚された客人達も今夜のパーティーには招待されている。お偉いさんへの顔見せという意図があるので全員集めたかったが、やはり、少し欠けた。しかしそんなことはどうでもいい。とうとう、俺のこの拙い本業が、皇帝も含めた何十人かに露見してしまった。何よりもそれが、今回の公演に臨む俺を憂鬱にさせていた。
多分、見ている方が辛いはずだ。そういう出来なんだ、目の肥えた人々にとっては。
「『それが、まことであると? ――では、わたくしからあなた様に申しつけましょう、自ら言い渡した布告の命に、よく服するように、と。そして今日というこの日からは、市民たちにも、またわたくしにも、決して言葉をかけることあいなりませぬ、』」
今回のメインディッシュは『オイディプス王』だ。
ギリシア悲劇の傑作と言われている。先王殺害の犯人を探すオイディプス王は、呪いのごとき予言者の託宣を引き出してしまう。物語が進むにつれ明かされる出生の秘密、呪いに符合していく真実――それにより、誇り高き王オイディプスは一転して怪物となる。破滅だ。破滅に向かって全てが収束していく。そこにカタルシスがある。
「『この地を汚す不浄の罪人、それはあなた様なのですから』」
そう、悲劇なんだ。これはサプライズだった。当然、大統領やその周りは笑いを求めていたはずだ。いや、実際、序盤は俺もそのようにした。いつものように間抜けな姿をたっぷりと見せつけてやった。ただ、それを見慣れている客も、結構増えてきてしまっている――いつか、彼らは飽きる。今すぐにではないかもしれない。だが、人間は同じ味をいつまでも好んで食べ続けられるようには出来ていない。
この大舞台でやるには博打だったが、息を呑む数多くの気配は伝わってくる。
俺自身も次のステップへ上がらなければいけない時期だとわかっている。無許可の喜劇輸入業から、時空を超えた海賊版稼業へと悪事の手を広げていくのは、前から考えていた通りだ。ネタ切れとマンネリ化を防止できる、一石二鳥の作戦なのだ。
「『何ともはや――一体おまえは、いつまでもさようなことをほざき続けて、その身が無事に済むと思っているのか?』」
まあ、同郷の者に見られている分、ちょっとカッコつけたかったことは否定しない。
「『その通り――いやしくも真理というものが、何ほどかの力を持つ限りは』」
ルーシア共和国大統領、スレイシュ・マルハザール六世は、その部屋の中に集まった中では、飛び抜けて見た目がよくなかった。
この俺よりもひどい。
でっぷり太った脂ギッシュな中年オヤジ、それも髭と髪を伸ばし放題の、はっきり言って紙一重な面体だ。これで愛嬌の一つもあればまだ印象も変わろうものが、横柄であることに慣れきってしまった男の来歴が、ぬめるように動く眼球からも潰れたように見える鼻からも腫らしたような下唇からも読み取れた。
「歓待にはぁ、ひとまず……感謝しておくと、する、か」
全然そう思っていないのを、態度から隠そうともしない。ぎしりぎしり、と深く腰掛けられて椅子が悲鳴を上げている。ケツが少しハミ出ているのをもう見たくない。
ルーシアからは、このマルハザール六世大統領と、側近らしい細身の小男(細いのは各パーツ例外なく)、そしてこの両者から虐められる日々を送っているのであろう、こちらはなかなか甘いマスクの若者(もう既に窮屈そうで痛ましい)。この三人。
ディーンからはアルフレッド・アシナガヒコ・アキタカ皇帝その人と、摂政クドウ氏、護衛のために同行してきたフォッカー・ハギワラ氏。短い別れだった。一度に留守にしてしまってよかったのかと訊ねると、こちらに駐在していた高官達と入れ替わりになっているから心配は無用、とのこと。あの事件の直後で不安な部分もあるが、今回の会合に列席できないことの方がやはり痛手である――そりゃそうか。
で、セーラムからは、王様と、姫様と、俺。
俺……。
うう。
セーラムの他の高官は何をやっているのかと問えば、ミキア姫と共にまた別方面の機嫌を取るため奔走中で、このような面倒事に付き合わせる必要はない――と王様の弁。
気を取り直していこう。通称「冬会議」と呼ばれているこの会合は、ヒューマンとエルフがお互いに身動きの取れない時季にこうしてどこかで集まって、戦況の詳細な確認や、今後の方針を決定したりする、連合体であるヒューマン同盟にとっては貴重な調整の場なのである――と姫様から聞いた。 少し長めに時間を取って忘年会と新年会を一緒にやろう、ってことだろうか。
三百年戦争の歴史の中では例外も多々あり、地獄の延長戦にもつれ込んで会議どころじゃなかった年もあったようだが……とりあえず今年は無事に開催できそうだ。
ちなみに――まともな形で同席するのは姫様も初めてらしい。
部屋は、城の中では一等豪華なところを使っているはずだ。
ただ、窓はなかった。おそらく防音もしてある。
円形のテーブルを囲むように椅子が配置してあるあたり、同盟内でのこの三国は対等なんですよー、という配慮が見て取れる。
それぞれの付き人は、座ったり座らなかったりだ。フォッカー氏とルーシアのイケメンは立ったままで話を聞くつもりらしい(イケメンは、多分立たされている)。俺は普通に座らせてもらった。
「だが、噂に聞いたセーラムの道化師も大したことはなかったのお」
……おおお俺の話から始めるんかい! どうでもいいだろそんなこと!
「どれほど笑わせてくれるのかと思えば、滑稽だったのは最初だけではないか」
「その通り。はっきり申し上げて、期待外れでございましたな!」
と横の齧歯類みたいな小男もうんうんと頷く。
「小賢しい真似ばかりしおって、変に気取るから面白味が損なわれるのだろう?」
「いや、まったく!」
「特に最後の長ったらしい話は気分が悪くなったぞ。何と言ったか、オイ、オイデ……」
俺は頭を掻きながら言った。笑顔も持ってきた。
「いやあ、ご期待に添えず、面目次第もございません! 『オイディプス王』、お口に合わなかったご様子。しかし、考えようによってはあれは喜劇なのです――人はどこまでも過ちを犯し、繰り返してしまう、滑稽な生き物なのです。皆様もっと哀れなオイディプスを笑ってやってもよかったと、私は思うのですが……」
「ふん、道化風情が哲学者気取りか? 忌々しい」
「いやはや、これは手厳しい!」
ま、楽しんでもらえなかったのは残念だが、こういうのは好みもあるしな……。
向こうの心象が悪くなったことは覚えておこう。
「まあよいわ……」
そうそう、そうだよ。どうでもいいの。
「では、始めるとするか」
特に司会とかは決めないらしい。そんなんで話がまとまるのかと思うが、多分、これまでもあんまりまとめてこなかったのだろう。まとまる方が困る、と各国が考えている可能性すらある。
今日はそうではない、と思いたいが。
「何よりもまず、もちろん……セーラムの背信行為について、申し開きを聞かねばなるまい?」
飛ばすねえ。この様子だと状況はほとんど把握しているのかな?
「昨年の戦果を振り返らなくても宜しいのですか? ディーンで起こったエルフの襲撃についても認識を」
姫様が言うのを遮って、小男が凄む。
「いいや、それは後にも回せる。大統領閣下はお怒りだ。最優先の問題を解決せよと仰っておられる。貴国はそれを蔑ろにするのか?」
姫様が結構ムッとしたのに気付いたのは多分俺と王様だけだ。いかんいかん。
「そこまでは申しておらぬ。ルーシアにとって最優先の問題なら、それはセーラムにも、ディーンにとっても最優先の問題であろう。余に至らぬところがあったというのであれば、よかろう、ひとまずはそれをお聞かせ願えまいか、マルハザール大統領よ」
王様ナイスフォロー、さっすが。
「――白々しい。エルフヘイムより捉えた捕虜の魔法を独占し、自国のみ魔法戦力を充実させようというその企み、我らが気付かぬとでも思うたか? 周りを出し抜いておいて何が同盟か! 戦利品は共有するという古の取り決め、よもや忘れたとは言わせまいぞ」
「いや、待て、その取り決めの有効性は怪しいという話を前回」
「黙れぃ! セーラムは我らルーシアの預かり知らぬところで斯様な計画を進めておった。これこそが重大な背信行為である。いかな理由があろうとも、我らは納得などせぬぞ、ガルデ王。公正な謝罪と、然るべき対応なくしては、同盟関係も危ういものと思え!」
中々の怒りっぷりだった。
いつかどこかの店頭で見たクレーマーの剣幕に似ている。
思ったよりマズイ感じになってしまったのではないか――横目で王様の様子を窺うと、彼は鷹揚に頷いて、
「ふむ、なるほど……確かに、ここにいるゼニアの指導の下、召喚魔法なる技術で異界より助力を求めているな。しかし背信行為というのは――誤解だ。後でまた詳しく説明させるが、いち早く仕事に取りかからなければならなかったのだ。連絡が遅れたのは申し訳ないと思っておる。だが、余もゼニアも、召喚魔法によって得られた人材をセーラムだけで独占しようなどとは思っておらぬ。魔法戦力を隊としてまとめはするが、その力はヒューマン同盟全体のものだ。当面は最前線に送る予定である以上、このセーラムの地が近いというだけのこと。先の如くディーンに危機あらば駆けつけ、ルーシアに難あればもちろん参上する……ディーンにはもう既に、そのような説明をしていたと思うが――よろしいかな、アルフレッド皇帝」
そちらの方をちらと見る。
もしかして彼らはこういう状況に慣れっこなのではないか――という気がしてきた。
「アキタカで構いません、ガルデ王。その件に関してはゼニア王女から直接お話を聞かせていただきました。我々ディーン皇国が協力を惜しまないのは、彼女の説明を正しく理解したからに他なりません。戦局がヒューマン同盟の有利なように傾き始めた今、新たな魔法戦力の創設は急務――それは、誰もが承知のはずですね。三大国だけではありません、我々の庇護下にある小国にもその恩恵は等しく行き渡るべきであるとディーンは考えます」
予想外にいい支援射撃だ。内容自体はおそらくクドウ氏にこう喋れと言われたものだろうが、そのクドウ氏自体が(真意はどうあれ)ここまでセーラムに寄ってくれているのが有難い。
ルーシア一味もこの件では不利であると悟ったのか、少し苦い表情を見せる。
「――さらに許せぬのは、こうして集まる前に、ガルデ王と皇帝アキタカが会っていたことだ。こそこそと、な……! 大方、我らを追い込むための談合でもしていたのであろう!」
これには皇帝の代わりにクドウ氏が答えた。
「お言葉ですが、隠れたつもりはございませぬ。ただ、今回こうして会合の場所を提供し、お招き下さったセーラム王家に当然の挨拶をしたまでのこと……最低限の礼儀にござる。あまりに行動を疑われますと、それこそ同盟にヒビが入りかねないかと――どの国も、それはお望みになりますまい」
暗に、挨拶をしなかったルーシアを詰ってもいる。
あんまり刺激しすぎるのもまずいが、とりあえず効いてはいるようだ。
勢いを削がれたマルハザール大統領は沈黙し、計算するような素振りを見せた。
やがて、
「いいだろう。そこまで言うのなら、是非我らの誤解とやらを解いていただこうか。責任者はゼニア姫だな? 彼女の口から直接だ、他の者が誤魔化すことは許さん」
これでやっと姫様が喋れる。
さすがにこの場は俺に丸投げというわけにもいかない。頼むぜ、大将。
彼女は無表情を解き、不敵な笑みを貼りつけた。
「――では、お話しいたしましょう」




