6-17 俺は俺
ゼニアにはそうとしか思えなかった。
確かに、時々、フブキは人の目も憚らず突拍子もないことを言ったり、したりする――主人であるゼニアにさえ、真っ向から苦言を呈することがある。口調も粗野なものに変わる。だが、それは宮廷道化師という肩書きがあればこそで、そういった助けがなければ、絶対に自分から下手なことをしようとはしない……それがフブキだ。
そして彼は、その立場が何もかもを見逃してくれるわけではないということをよく理解している。ある部分では通常より危ういということも。
だからこそ、ゼニアはフブキを道化へと仕立て上げたのだ。
ただの酒乱で説明のつく行動ではなかった。
フブキが内に溜め込みやすいということをゼニアは知っていた。それはおそらくセーラムへ来る前から――いや、そもそもメイヘムへ喚び出される以前の――出身世界にいた頃より続いているものなのだろう。
それがエルフとの接触によって弾けたのが今で、彼の魔法の源だ。
酒ごときで簡単に制御を失うものだとは、ゼニアには思えなかった。
それに加えて、フブキが酔って無礼を働き始めるような手合いであるとは、ゼニアにはどうしても――思えなかった。むしろ、その酒の弱さであるなら、何も言えず、何も考えられず、早々に潰れてしまうかそうならぬように堪えるのが精一杯ではないのか。それこそ、笑い話に出てくる愚か者の如く暴れ出すという気の利いた試みは――フブキから最も遠い位置にあるのではないか。
別人であるとしか、思えない。
「……思ったよりも、あいつのことを気にしてくれていたんだな」
フブキ(の頭部)は、心底意外そうな顔をした。
「それとも、あんまりあからさま過ぎたかね……?」
妖しげな笑みが戻った。
ゼニアは一歩で三歩分後退し、徒手でも対応できる構えを取った。
「そう邪険にしなさんな。敵ならもっと直球でくるさ……特に、ああいう手合いはな」
「もう一度だけ訊くわ。あなたは誰なの?」
フブキ(の身体)は、腕を広げて見せた。
「フフ、心外ですな姫様。あなたのフブキでございますよ……」
嘘、と喉元まで出かかったが、ゼニアは続きを待った。
「ま、確かに細かいことを言い始めると、俺はもうあいつじゃあないってことになるのかもしれないけどな。しかしね姫様、同じ身体を使っている以上、名前も同じものを使っているって具合でね。だから、俺の名前もイガラシフブキ……ってのは本当だぜ」
「じゃあ、あなたは――?」
「っとその前に、俺が敵じゃないってこと――つまり、あのシンって奴とは全然関係ないってことをはっきりさせておきたいかな。あいつの心は汚されてない。なんてったって、この俺が守り通したものな」
腑には落ちた。だが、すぐ納得してしまったようには思われたくなかった。
「どうかしらね。あの少年がフブキを辱めていないとしても、あなたが穢していないとは限らないわ。現に、フブキは今ここにはいない。あなたがどこかへ隠した。違うかしら?」
「違うね……俺も一応フブキなんだよ。ここで証明する手段が限られているから、信じろっても難しいか。あんたをここに、」
フブキは拳を作って、胸を二回叩いた。
「お邪魔させれば一発なんだけどな。理屈抜きで理解できるぜ、俺達の中身がどんな構造してんのか――でも、この状況でホイホイ入ってくるようなあんたでもないだろ? いくら思い切りがよくたって……」
「――精神魔法を使えるのね」
「そうらしいね。風もまあ使えるよ。エルフ見た時のあいつほどじゃないけどな」
二重。
この何者かが、シンという少年の精神魔法に抵抗していたというのか。
「フブキを出しなさい」
「そもそも隠しちゃいないのさ。あんたの求めるフブキはきちんとここにいる。起こしちまうのかい? あいつはただ寝てるだけだよ。そうじゃなきゃ俺が出てこられっこないしな……大体、この身体は器としては狭すぎるんだよ。子供の頃に外で遊ばなかったツケだな。どちらかが快適に使おうと思ったら、どちらかはおとなしくしてないと」
「ではフブキに返しなさい、その身体を、今すぐ」
「まあそう言うなよ。前々から一度、あんたとは話がしたいと思ってたんだ。あんたとしても、俺に訊いときたいことが色々あるんじゃないのかい? 逆に、今のうちなんだぜ。一年に一度あるかないかって機会なんだよ――ただ見てるだけじゃない俺はね」
段々とわかってきた。
わかるにつれ、この男を逃がすことに乗り気でない自分がいることに気付いた。
「あなたは――あなたも、フブキだと言うのね?」
「そう。あいつは俺のことを、自分の中に住んでいる別人だと考えている。だけどそれは違う。あいつが普段押し込めている部分、やってはいけないことをしようとしてしまう部分、きちんとカッコよく見えるように格好をつけたい部分、あんたやジュンを姫様やお嬢様ではなく一人の対等な異性として見ている部分、そういったあれやこれやが俺なんだ。俺とあいつは繋がっているんだ。あいつは俺なんだ。俺はあいつなんだ。でもあいつは俺が嫌なんだ、似合わないと思っているんだ、恥ずかしいんだ、知られたくないんだ。そして、あいつはそれに成功しているんだ」
それは、誰もがそうなのではないだろうか。
誰もが持つ感情なのではないだろうか。
それで本当に分けてしまえるのだとしたら、驚くほかない。
確かに、フブキが嫌いそうな部分が、この男はあった。
フブキが嫌っている自分が、この男なのか。
「あいつは悪くねえよ。悪いのは俺さ。とんでもない悪戯っ子が、俺さ――もう小僧って歳でもないけどな。だからあいつは、俺が出てこないようにしてる」
それでも時折、こうして抑えていた部分が振る舞おうとする……。
「でもな、俺の存在を確かなものにしてしまったのもあいつなのさ。自分がそういうもんだって認められずに、何でもかんでも俺に押し付けながら暮らしてきた。本当の自分がこう思って、こう感じているわけじゃないってな。まあ、そうでもしなきゃとても生きちゃいられなかったから、仕方がないっちゃ仕方ないんだけどな。だったら死にゃあよかったんだが、死んだらこれだしな。お手上げさ」
喋りながら、フブキは雪を手でかき集めた。
「だが、あいつがどれだけ俺を嫌っていようと、俺はあいつの味方だ。自分を嫌いになれることはあっても、自分を見放せるかどうかまでは別問題だ。当たり前だよな?」
そしてそれを、一つの球になるまで握った。
「くあー、ちべてっ」
あらぬ方向へと投げた。
「そういうわけで、俺があいつの味方である以上、あんたの味方でもあるわけだ。その点だけはどうかご安心いただきたいところ……」
相当冷たかったのか、指に向かって息を吐きかけている。
「……難儀な性格だろうと思ってはいたけど、ここまでややこしいのは想定外だったわ。上手くいかないものね。少し理解が難しいのだけれど、あなたがもう一人の誰かではないとして、どれだけの情報をフブキと共有できているのかしら?」
「俺はあいつなんだぜ? 知らないことなんかねえよ。あいつが見聞きしたことなら全部わかってるよ。あいつだって本当は俺のことを全部知ってるんだよ。見ないようにしてるだけだ。酒やら何やらの力を借りて、記憶を飛ばしたと思い込んでるのさ。その気になりゃあいつだって扉は開けられるようになってるんだけどな……自己暗示だってここまでくりゃあ我ながら大したもんだ。だから俺の魔法はこんななのかもしれないな」
ゼニアはもう一つ、疑問を口にした。
「……フブキがあそこまでひどくやられてしまう前に、あなたが守ってあげることはできなかったのかしら」
「いや、いくら俺でも主導権のない状態で魔法をバリバリ使いこなすってわけにゃあいかないよ。あいつの心が俺に傾いてないうちは、あいつはあいつだものな。風しか使えないから、触られたらもうアウトさ。コテンパンにぶちのめされる道しかなかった。実際、俺以外の部分はほぼ一瞬でグチャグチャ、二度と魔法が使えないんじゃないかってぐらいにシェイクされてたよ。ただなあ、あのクソガキ、その調子で俺までバラそうとしやがってな。そういうわけにはいかねえだろう? そこで初めて俺は魔法で心がコントロールできるって知ったわけだけど、まあやれるだけやったよ。奴は本当にすげえ魔法使いで、普通にやっても勝てないことは目に見えていた。いや、どうやったところで絶対に勝つことはできなかったと思う。だからとにかく嫌がらせだった。奴を追い出してやろうって考えは捨てて、こちらへ潜ってくるための経路をひたすら増やして複雑化して、助けが来ることに賭けたんだ。そして勝った。あんたが奴を剥がしてくれたおかげで、あいつの心がダメになっちまう前に修復する時間と魔力が残った。もしかしたらあんたが後で上手く戻してくれてたかもしれないけど、それをやったらクソガキとの魔法合戦に負けたろうしな。わからんもんだ」
もちろん、その時フブキが危機に陥っていたことは明白だったが、それまでにそんな攻防があったなどとは、ゼニアは思いもしなかった。ただ一方的にやられているものだと考えていた。そして、こちらのフブキが奮闘していなければゼニアの知るフブキが失われていたことに加えて、あの少年がそれほどの実力を持っていたという事実に戦慄した。このフブキと戦ってなお、ゼニアと一戦交えられるだけの余力があったというのか。
「――お礼を言うわ。その、フブキを守ってくれて」
「どういたしまして! なーんてな、自分を守っただけなのにありがとうも何もない」
「……そうかもしれない」
どうも調子が狂う。
この男は自分もフブキだと言うが、やはりいつもとは違いすぎた。
唐突に、考えが浮かぶ。
「ねえ、これからも時々、あなたと会えるようにした方がいいかしら」
それなりに本気のつもりで言ったのだが、フブキは首を横に振った。
「いや、それはやめておいた方がいい。何故かっていうとな、俺は危ないから封じ込めてるっていう、あいつなりの判断があるからだ。俺がいたら排除されるって、あいつは考えてたんだぜ? 少なくとも元いた国じゃな、身の丈に合わないことをした奴や、同調の輪を歪ませた奴には、死刑よりも惨い運命が待っていたんだよ。あいつはそれから身を守らなきゃならなかった。社会なんて、あるんだかないんだかもよくわからない何かからな……。そして、この世界でもそれはあまり変わらないだろう。いいか、やってはいけないことをしようとしてしまうのが俺なんだ。さっきもうそれをしてしまったのが、俺なんだ。それを忘れるな」
そう言う彼の表情は真剣そのものだった。それを見てやっと、確かにこのフブキも普段のフブキから地続きなのかもしれないと、ゼニアにも思えた。
彼は笑みを戻した。
「そろそろ俺も眠くなってきちまった。身体を動かすのは疲れるぜ……こうして、何かの拍子に出てくるだけで十分さ。あんたの一存で明日も明後日も引っ張り出されるんじゃたまらねえ」
妙に早足で縁側の方へと歩いていく。ゼニアも後を追った。
「次は、もうちょっと面白そうな時にでも、な」
膝に手を当てて、どっしりと座り込んだ。
「あ、そうだ。俺と話したってことは、あいつには黙っててくれよ。きっと気にするだろうから……」
惜しい気もするが、このフブキはこうして短い時間がいいのかもしれない。
「約束するわ」
「そうそう、それでいいんだ。あんたさえ状況を把握していれば、とりあえずは大丈夫。なんだかんだでな、あいつは不安を抱えたままやっていくぐらいが丁度いいんだ。すぐ調子に乗るからな」
ほんの少しの間だが、二人は見つめ合った。
「あんたはお美しい。あんたについていけるあいつは幸せもんだ。よろしく頼む」
そう言って、フブキは――フブキの一部分は――頭を下げた。
そして、そのまま横にバランスを崩した。
ゼニアは慌てて駆け寄り、それを支える。
既に小さな寝息が聞こえてきている。
フブキの分も布団を持って来なければならない、とゼニアは思った。
~
起きた。
誰かが毛布をかけてくれたので、凍死は免れたようだ。
全然記憶がないのだが、宴はかなり盛り上がったらしい。
というか、ちょっと盛り上がりすぎたのではないのだろうか。
会場が散らかっているのはわかるとしても、穴の空いた屋根や壁にエントリーしたとしか思えないフォッカー氏は一体……まあ、ディーンの面々にとっては大勝利だったわけだから、破目を外してしまうのもわからなくはないが……。
その後、けろっとした顔のフォッカー氏と廊下ですれ違った際にこう言われた。
「いやあ、昨晩は参りました」
何が?
「機会があれば、また一番、取りましょう!」
これがまた、実に嬉しそうに言うのだが、何のことだかまったくわからない。
「――ええ! やりましょう、是非!」
その機会とやらが来ないことを祈ろう。
とまあそれは別にどうでもいいのだが、帰る支度が済んだのを報告するために姫様の部屋を訪ねた時の、ジュンの様子もおかしかった。
「あの、わたし、気にしてませんから」
何が?
開口一番これである。
しかも、そのまま部屋を出て行ってしまった。
ちょっと怯えたふうであったのは、気のせいだと思いたいが……。新鮮な反応を楽しむどころではない。一体俺は何をしたのか。そもそも俺がジュンに何かするということが可能なのか。
「姫様、その、お嬢様は、あれはどういう……」
訪ねると、姫様は無言でこちらに寄ってきた。
かなり寄ってきた。くっつくんじゃないかと思った。俺は一歩引いた。
彼女はじっと俺の目を覗き込んだ。
たっぷり数秒はそうした後、ぷい、とそっぽを向いた。
……まあ、まあそれもいいや。
帰りの挨拶をするために、もう一度アキタカ皇帝に謁見する必要があった。
「フブキ殿、昨晩のことは、不問に付します」
何が?
「さて、それはよいとして、金剛石分配の件ですが、協議の結果、ゼニア殿下にはより多くの数を持ち帰っていただくことが決まりました」
今度は庭園ではなく(さすがに外はもうキツい)、宮殿内の謁見の間へ通されている。皇帝も御簾の向こう、関白のクドウ氏も同席している。
そのクドウ氏が先を続けた。
俺を睨んでいた。
「此度の戦における殿下の御活躍を、ディーン皇国は決して忘れませぬ。また、従者の方々につきましても格別の助力をいただき申した。この御恩を土産物として表しますれば、即ちこれまでの金剛石十八から、四十!」
無表情のまま、そう言い放ったものだ。
俺はもうまったく生きた心地がしなかったが、とにかく四十個くれるなら貰おう。貰って帰ろう。お願いだから帰らせてくれ。
姫様はすう、と小さく頭を下げ、
「ありがとうございます。ご配慮痛み入ります。それらの金剛石は、必ずやヒューマン・アライアンスの力へと変わるでしょう」
「そう願います」
と皇帝は言った。
「次は、ガルデ王も御一緒に。雪解けの前に、また一度話し合う機会を設けられればと考えています。できれば、ルーシアの方々も交えて」
「伝えておきます。吉報をお待ちください――」
結局、いつもと変わらなかったのはデニーだけだった。
「いやー、トラブルもあったがいい旅だったなあ。ハギワラさん家から土産に酒もらっちゃったよ。ゼニア姫様様だな!」
そう耳打ちされても、俺の頭を占めているのは別のことばかりだ。
「おう……」
帰りの牛車から見える景色にも、雪の化粧が施されていた。
向こうに戻ったら、まず注文していた冬服を受け取りに行こう。
魔力溜まりの巌に着く。
来たときよりも増えた荷物は重かった。四十個のダイヤモンドには確かな存在感があり、姫様に持たせるわけにもいかないので俺が持った。
「よいしょ……」
ジュンはジュンで、手足の自由を奪った状態で袋に詰めた敵の元指揮官を担いだ。
現時点では大した情報を吐き出していない。この地での戦いだったからこの地に置いて行こうかという話にもなったが、人質交換の可能性があり、その場合はセーラムに置いていた方がすぐに運べることから、こちらで預かることになった。
これに関しては、ゆっくり時間を取って、俺と姫様でやればいい。
通信魔法家の助けで、魔法陣開通のおおよそのタイミングは伝わっている。
「最後に、私からも重ねて御礼を申し上げます。本当に――得難い勝利でした」
特に俺を見て、フォッカー氏はそう言った。
「次は、もっと前でお会いしましょう」
俺の言葉に、彼はニヤリと笑った。
「きっと、すぐにでも」
岩が輝きを放ち始めた。
円環の内側が、セーラムを映した。




